第635話 宣戦布告

 就任当初に比べ、ギルモア子爵への対応は雑なものとなっていた。

 フランクリン大統領がアイザックと会談し、その人選自体が警告という意味しかなかったギルモア子爵に価値がなくなったからだ。

 モーガンが使節団に同行して来訪したあとは顕著だった。

 罷免確実なギルモア子爵のワイロの要求に応える者はもうおらず、人事異動の季節を待っているだけだった。


 ――だがギルモア子爵も黙ってはいない。


 十月に入った頃、ファラガット共和国の外務大臣ジョーダン・メイフィールド大臣に面会を申し込む。

 袖の下を求めるだけなら書状で済む。

 直接、面会を申し込んでくるのは珍しい事だった。

 メイフィールド大臣は会いたくなかったが、それでも一応ギルモア子爵はリード王国の大使・・・・・・・・である。

 渋々ながら許可を出した。


 ――しかし、その事をすぐに後悔する。


「貴国がロックウェル地方の資源を安く買い叩いている事に、アイザック陛下が不快感を持たれておられます。このままでは宣戦を布告する事になるでしょう。公正な取引になるよう是正を求めます」


 ギルモア子爵は、宣戦布告をチラつかせてきた。

 当然、メイフィールド大臣は表情に出さないものの内心では激しく動揺する。


「大統領閣下がアイザック陛下と会談した際に、そのような話が出ていなかったはずだが……」

「私は信頼されているので、私にだけ伝えてきたのです」


 ギルモア子爵は胸を張って威張る。

 さすがにこれにはメイフィールド大臣も呆れ顔になってしまいそうだった。

 ギルモア子爵がエルフとの会議で失態を犯し、即刻審議官をクビになったというのは有名な話だ。

 エルフと関係の深いアイザックが彼を信頼しているはずがない。

 そもそも彼は「ファラガット共和国と戦争になった時に殺されても惜しくない捨て駒」として大使に任じられただけである。

 その事を理解していない事を、嘲笑するよりも先に呆れてしまうほど哀れに思えた。


「ですがすぐロックウェル公と調印は済ませているのをなかった事にするのは、国内で強い反発が予想されるので無理ですな」

「ですから私がいるのです。そうですね……、百万ルースほどいただければ、しばらく時間を稼いでみせましょう」


(こいつ、正気か!?)


 メイフィールド大臣は、今にもギルモア子爵の髪を掴んでテーブルに顔面を叩きつけてしまいそうになった。

 だが外務大臣としての責任感もあり、強靭な精神力を動員して必死に我慢する。

 しかし、怒りで顔が紅潮している事は本人にもよくわかっていた。


 ルースというのはファラガット共和国の通貨であり、ほぼ同額のリードと同じ価値である。

 そのためギルモア子爵の要求は「宣戦布告の延期をお願いしてあげるから百万円頂戴♪」と言っているようなものだった。

 到底、宣戦布告を延期するという労力に割の合う金額ではない。


 誰がどう考えても――


 賄賂を贈られなくなったギルモア子爵が、宣戦布告をチラつかせて私腹を肥やそうとしている。


 ――という風にしか思えない要求だった。


 アイザックに「こいつ、こんな事してましたよ!」とあとで伝えれば、ギルモア子爵を処刑しても許されるであろうレベルの大罪である。

 だがそれはできない。

 この世界には電話もメールもない。

 万に一つの可能性で、本当にアイザックから「ファラガット共和国に不快感を示せ」という指示が出ているかもしれなかったからだ。

 殺してしまうわけにはいかなかった。


 アイザックに確認するのが一番だったが、それはそれで「どう考えても嘘なのにわざわざ確認するとか、お前マジか……」と思われ、外務大臣としての力量を疑われかねない。

 そうなっては今後の交渉に支障をきたす。

 とはいえ完全に無視するわけにはいかない。

 それはそれで「リード王国の大使の言葉を無視するのか」と不満を持たれる可能性がある。


(雑魚だと思って放置していたが、ここまで愚かであれば無視は得策ではない。私達のミスだったと素直に認めて反省しよう)


 メイフィールド大臣は「ギルモア子爵の事を高く評価しすぎていた」と猛省する。

 ここまで愚かだとわかっていれば、最初から接待攻勢で文句は言わせなかっただろう。

 リード王国に確認の使者を出す経費などを考えれば、ギルモア子爵に金を渡すのが波風を立てない解決方法に思えた。

 しかし、金を渡す前に確認しておく事がある。


「本当に百万ルースでよろしいので? 宣戦布告を延期していただけるのならば、もっとお支払いしてもよろしいのですが?」

「えっ……、そ、そうですな。両国の友好のための仕事ですから、もう少しいただけたほうが助かりますな。それでは百十……。いや、百二十万ルースでいかがですかな? これでも友好価格でお安くしております」

「わかりました。明日にでも大使館に届けさせましょう」

「ほ、本当に?」

「ええ、友好のための出費ですから」


 メイフィールド大臣の言葉は本心からのものだった。


(ここで一億や十億といった金額を吹っ掛けてくるなら本当かもしれない。だが十万単位で要求額を増やすという事は、小者が脅迫という行為にビビって大金を要求できないだけだろう。大使を軽んじたこちらにも非があったので、これくらいは黙らせるためにくれてやる)


 一応ギルモア子爵はリード王国の大使という肩書きを持っている。

 彼が癇癪を起こして、本当に戦争の火種となりかねない行動を起こされても困る。

 月々百二十万ルースのサブスクで平和を買えるのなら安いものだと、メイフィールド大臣は割り切った。


 ――しかし、半年後にはこの決断を後悔する事になる。



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 王国歴 五百四年、四月十五日。


 この日、ファラガット共和国の議会にギルモア子爵が出席していた。

 以前からこの日に議会で最後の挨拶をしたいと頼んでいたからだ。

 ファラガット共和国政府は、これを快く受け入れた。

 四月はリード王国の人事異動の季節である。

 彼が解任され、新しい大使がくるという挨拶は大歓迎だったからだ。

「ギルモア子爵は宣戦布告をチラつかせて金をせびるクソ野郎」という認識は議員全員に広まっているため、議会場には「ようやく消えてくれるのか」という空気が流れていた。


 ――だが、そのような空気を吹き飛ばす内容を、ギルモア子爵は壇上で語り出した。


「皆様の前で話す機会を作っていただきました事、心より感謝致します。こうして話すのも最初で最後だと思うと寂しいものです」


 ギルモア子爵は悲しそうな表情を見せるが、議員達は「さっさと解任されて消えてくれ」と冷ややかな目で見守っていた。

 彼は懐から書状を取り出して広げる。


「ファラガット共和国は、ロックウェル王国のギャレット陛下から十年間は資源を安く仕入れる事ができるという協定を結んでおられました」


 しかし、ギルモア子爵の話は大使を解任されるというものではなかった。

 彼の不可解な言動に議員達が首をかしげる。


「ですがリード王国はそのような協定を結んでおりません。だというのにファラガット共和国はロックウェル地方から不当な価格で商品を販売するように強要し続けております」

「ギ、ギルモア子爵?」


 ギルモア子爵の内容に不安を感じたメイフィールド大臣が演説を止めようとする。

 ギルモア子爵は止まらない。


「正当な価格での取引をしていただけないのであれば宣戦を布告すると、十月からファラガット共和国政府には以前から通告をしておりました。しかしながら、ファラガット共和国は我が国の通告を無視し続けております。この状況を重く見たアイザック陛下は平和的な解決が不可能であると判断なされました」

「ギルモア子爵!?」


 メイフィールド大臣がギルモア子爵に駆け寄る。


「本日、四月十五日。リード国王アイザック陛下の代理として、ギルモア子爵ルーサーがファラガット共和国に宣戦を布告する!」


 だが間に合わなかった。

 ギルモア子爵は宣戦を布告してしまった。

 それでもメイフィールド大臣は身振り手振りで周囲に落ち着くように指示を出す。

 そしてギルモア子爵に耳打ちする。


「どういう事だ!? 金は渡しただろう?」

「ええ、受け取りました。ですがあれは宣戦布告を延期するための経費です。中止させるためのものではありません」


 実際は延期などしていない。

 春には戦争を起こすとわかっていたため、それまでに小遣い稼ぎをするのと、アイザックの指示で「宣戦を布告するのは嘘」と思わせて油断させるための芝居だった。

 仮にも審議官にまでなっていた者だ。

 その程度の芝居など余裕であった。


「本当……、なのか?」


 抗議を軽く聞き流すギルモア子爵の態度を見て、メイフィールド大臣は事の真偽について察しがついてしまった。

 震える声で確認する。


「宣戦を布告は本物です。どうぞ、こちらがアイザック陛下から贈られてきた宣戦布告の書状です。ご確認ください」


 ギルモア子爵は書状をメイフィールド大臣に渡す。

 彼はすぐさま内容を確認する。

 事態が事態なので、フランクリン大統領達も集まってきていた。

 議員達からはフランクリン大統領を非難する声があがり始めている。

 宣戦布告文を読み終えると、誰もが絶句する。


「そんな……、ギャレット公爵との協定を無視されると?」


 それでもなんとか反論すべきだと思い、なんとか言葉を絞り出した。


「それは違います。あなた方が協定を結んだのはロックウェル王国のギャレット陛下とでしょう? リード王国のロックウェル公ではありません。編入の際にはロックウェル王国のすべてのものがリード王家の物となり、旧ロックウェル王国の王族や貴族に貸し与えられています。ですので、あなた方はリード王家の財産を不当にかすめ取っているという事になっております。アイザック陛下もフランクリン大統領や大使殿に抗議を続けると伝えていたのでは?」

「あれは抗議のポーズを取っているだけにしか見えなかったが……」

「大統領閣下がどう受け取ろうと知った事ではありません。アイザック陛下のお言葉がすべてです」


 慌てふためく閣僚や、ざわめく議員達を見て、ギルモア子爵は成功を確信していた。

 もしもメイフィールド大臣に書状を渡し、宣戦を布告するだけなら、他の議員達に伝えるまでに「どう伝えるか」を考える余裕がある。

 だが議員を集めた場所で宣戦を布告すれば、その場で議員達にも知る事ができる。

 彼らは自分の利権を守るために動き出し、ファラガット共和国政府が一丸となってリード王国と戦う準備をするのに時間がかかってくれるだろう。

 アイザックは宣戦布告という行為まで、敵国を動揺させる道具として利用していた。

 ギルモア子爵は、ここでさらに一押ししようとする。


「我が国はエルフやドワーフと関係が深い。証拠を隠滅しようなどとせず、大人しく差し出す者には恩赦が与えられるでしょう」


 ――エルフやドワーフの名前を出した。


 それだけで議員達に「エルフやドワーフもリード王国に協力して攻め込んでくるのでは?」という恐怖心を植え付けた。


「退場! 退場だ! 警備兵! 丁重に連れ出せ!」


 ――このままギルモア子爵に喋らせていては危険だ。


 そう思った議長が、ギルモア子爵の退場を宣言する。

 やる事はやったあとなので、彼は警備兵に囲まれて大人しく退場する。

 議場から出ようとしたところで、背後からフランクリン大統領の声が聞こえた。


「国内全土で総動員をかける大統領令を出す! 徴兵を急げ!」


(ほう)


 ギルモア子爵の足は自然と止まり、檀上のフランクリン大統領を振り返る。


(宣戦を布告されたからといって、すぐ総動員をかけるとは思わなかったな。まずは事実を確認して手遅れになるタイプだと思っていたが……)


 彼の中でフランクリン大統領の株が上がる。

 しかし、議員から「宣戦布告の真偽を先に確認するべきだ!」や「ロックウェル地方にリード王国軍が集まっている状況で総動員をかけるなど、それこそ戦争を引き起こしかねない挑発行為だ!」など、フランクリン大統領を非難する声があがっていた。

 フランクリン大統領は与党内の派閥の力が拮抗しており、誰を大統領に推しても反発が起きるため、とりあえずの妥協案として無派閥の彼が大統領候補に選ばれただけのお飾りである。

 議員達の声を無視して大統領令の発動を押し切れるのかは疑問である。


(まぁ精々頑張ってくれ。どうせアイザック陛下の前では、その奮闘も無意味になるだろう)


 あとは大使館で戦争が終わるまで軟禁されるか、国外退去を命じられるかのどちらかだろう。

 会議の結果が出るまで待つのみである。

 彼はアイザックの指示通り、開戦の日まで見事に道化を演じ切る事に成功した。

 その事を誇りに思い、ギルモア子爵は議場を堂々とした姿で退場する。



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 十五日の夕方、ヒュー・アルバコアは大統領官邸に呼び出されていた。


「貴様! 言っていた事とまるで違うではないか! 守りを固めたのに宣戦を布告されたぞ!」


 彼の言う通り、国境の守りを固めればリード王国は攻めてこないはずだった。

 なのに要塞を新規建設までして宣戦を布告されてしまった。

 これは彼の言葉が嘘だったからだと思われていた。

 激しく問い詰められるヒューであったが、彼は平然と言い返す。


「私は『戦争を仕掛けるのを諦めるくらいの防衛体制を整えてほしい』というアイザック陛下のお言葉を伝えただけですよ。宣戦を布告されたのであれば、守りを固めたつもりになって、侵攻を諦めさせるほどの守りではなかったのでは?」

「それは……、グリッドレイ公国を攻めると聞いていたから……」

「それはそちらがそう判断されただけですよね? 私は要塞を一つ立てれば十分だなどとは言った覚えはありません。侵攻を諦めさせるだけの防衛体制を整えてほしいと伝えたはずですが」


 首脳陣もロックウェル地方に二十万以上の軍が集まっているという報告は受けていた。

 だが新要塞も建設し、軍の大半をリード王国との国境付近に集めていたため安心していたのだ。

 ヒューを呼び出したのは、誰かに文句を言いたかったからだった。

 しかし、それはヒュー自身の反論によって難しくなってくる。


「そもそも私はアイザック陛下直々に密命を受けて派遣されたのです。和平交渉の際に私の口から『ファラガット共和国政府は平和のために努力をしていた』と伝えた場合、どの程度の影響があるかおわかりですか?」


 戦争になった以上、誰もが当然和平について考える。

 ファラガット共和国側も「宣戦布告が本物だったら和平の条件をどうするか?」と悩んでいた。

 そこでヒューは自分の存在価値をチラつかせた。


「皆さんとは友好的な関係を築いてきたつもりですが、戦争になったと国民が知ったらリード王国出身の私や家族が危険に晒されないか心配です」

「……警備兵をつけましょう」

「ありがとうございます。しかし、警備兵がつくと言っても、今の家では手狭になってしまいます」

「……では郊外の屋敷を提供しよう」

「ありがとうございます。ですが郊外の屋敷となると、買い物が不便になりますね。それでは――」

「屋敷には使用人も用意する! また屋敷の主に見合った生活費も提供しましょう!」


 ヒューがタカろうとしているので、メイフィールド大臣が先手を打った。

 これにはヒューも満面の笑みを浮かべた。


「ファラガット共和国の皆様がリード王国の密使に対してよくしてくださったと、アイザック陛下とお会いした時に必ずやお伝え致します」

「そうしていただきたい」


(クソッタレ! リード王国の人間にはロクな奴がいないな!)


 ギルモア子爵といい、ヒューといい、メイフィールド大臣は良い印象を持てなかった。

 だが、まだ彼らを無下にはできない。

 本当に戦争が始まったのならば、大使や密使である彼らは実質アイザックの代理である。

 丁重に扱い、リード王国に対して敵意がない事を証明しなければならなかった。

 

(まともな人物であれば媚びの売り甲斐もあるというのに……)


 アイザックが戦争回避のために送り込んだ人物だが、それが仇となっていた。

 ファラガット共和国政府も捨て駒だった者に媚びを売りたくはない。

 しかし、それをやらねばならなくなった。

 

 彼らは状況を確認し、事実だった場合に徴兵を行う時間を稼ぐため、国境付近に駐留する軍が一日でも長く耐えてくれる事を願う。

 そして、一日も早く厄介なお荷物をリード王国に送り返せる日がくる事を祈っていた。

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