第634話 開戦前日

 開戦の日は四月十五日に決まった。

 その日の夜が要塞攻略に必要な新月だったからだ。

 開戦に合わせ、部隊も徐々にファラガット共和国国境へと近づいていく。

 

・中央方面軍     計 七七五〇〇


 アイザック

 近衛騎士団と王国正規軍 二〇〇〇


 キンブル元帥

 王国正規軍       一八〇〇〇


 バートン子爵

 ウェルロッド公爵軍   三〇〇〇〇


 セオドア・ウィンザー

 ウィンザー公爵軍    一六〇〇〇


 ダニエル・ランカスター

 ランカスター侯爵軍   六〇〇〇


 ブリストル侯爵

 ブリストル侯爵軍    五五〇〇 


・北部方面軍計


 ロックウェル公爵

 ロックウェル地方軍   三五〇〇〇 


・南部方面軍


 マクシミリアン・ファーティル

 ファーティル地方軍   四五〇〇〇


・ウォーデン攻略部隊


 ウォリック公爵

 ウォリック公爵軍    一五〇〇〇

 エルフ           三〇〇

 ドワーフ         一〇〇〇


 兵士だけでも総計一七万を超える大軍だった。

 さらに後方支援要員の他、政務官、法務官、修道士といった者達を合わせると三十万を超える。

 まさに一大国家事業だった。

 この規模の動員だと、一つの失敗がそのまま国家の安定を揺るがしかねない危険性も孕んでいる。


 ――それでも戦争を仕掛けるのは子供達への愛ゆえだった。


 エルフやドワーフのためではない。

 ただ「子供に王位を譲ったあと、周辺国に戦争を仕掛けられるかもしれない」という可能性を断つための戦争だった。

「エルフやドワーフを解放して種族間戦争を防ぐ」というのは、戦争を吹っ掛ける途中で判明しただけに過ぎない。

 すべては我が子のために始めた事である。


 ――十万単位の人が殺し合う事になるかもしれない。


 大規模な戦争が始まろうとする時、アイザックの決意を揺るがしかねない書状がアイザックのもとへ届いた。


(子供達がパパに会いたいと泣いているか……)


 それはパメラからの手紙だった。

 出陣から一ヶ月ほどしてから出されたものが今届いた。

 どうやら子供達が、突然アイザックの姿を見かけなくなって寂しがっているとの事。

 昼間でも仕事が終われば、子供の顔を見るために足を運んでいたくらいだ。

 物心がついてからは長期間の遠出はした事がなかったので、不安になったのかもしれない。


(子供達を寂しがらせてまで、俺はなにをやってるんだろう……。本当になんでこんな事を……)


 アイザックは自身の行動を悔やむ。

 奴隷にされているエルフやドワーフは可哀想だと思う。

 だが、しょせんは他人である。

 人間にも農奴などがいる以上、エルフ達にもそういった立場の者が存在するのは仕方がない。

「家族を犠牲にしてでも彼らのために動く理由があるのか?」という疑問が浮かんでくる。

 しかし、すぐにアイザック・・・・・としての部分が彼に冷静さを取り戻させる。


(いや、これは子供達のための戦争だ。敵になりそうな相手を叩き潰しておかないと、ザック達が戦争に巻き込まれる。エルフ達のための戦争じゃない。あれはあくまでもおまけで、これは予防戦争なんだ。寂しいからといってやめるわけにはいかない!)


 ロックウェル王国が降伏してくると申し込んできてから、ずっと考えてきた事だ。

 同盟国ですら完全に信じるのは難しいのだ。

 これまで交流が薄かった国を信じる事などできない。


 ――ならばどうするか?


 外交で屈服させても、いつかは牙を剥かれる。

 徳川幕府における毛利や島津になりかねない存在を残しておく事はできないのだ。

 完全に征服し、そこを貴族に統治させる。

 反乱が起きれば大きな火種になる前に、その貴族に早期解決させるのがベストだ。

 そのためにもファラガット共和国を制圧し、領地として分け与えておかねばならない。


(俺はこれまで目的のために多くを切り捨ててきた。子供のため・・・・・という大きな目的もあるんだ。ザック達が寂しがっているというだけで立ち止まるわけにはいかない!)


 一度は挫けそうになったアイザックだったが、これも子供のためだと思い奮起した。



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 リード王国軍は所定の位置へと移動する。

 ファラガット共和国側には許可を取っていたが、当然ながら全軍でやってくるとは聞いていない。

 国境の街マクドノーの市長から抗議の使者が送られてきた。


「これではまるで本当に戦争が始まるみたいではありませんか。輸送部隊以外の軍はもう少し国境から離れたところで待機させていただけないでしょうか?」


 抗議の内容は、もっともなものだった。

 越境していないとはいえ、武装した軍が国境のすぐ向こう側にいて不安になるのも無理はない。

 使者も役目なので必死に勇気を振り絞って要請を伝えているが、それでも怯えを隠しきれていなかった。


「なぜ私がここにいるのかわかりますか?」


 そんな使者を落ち着かせるために、アイザックは優しい笑みと声で語りかける。


「問題が起きないようにですよ。そして問題が起きた時にすぐ対処できるようにするためです」


 アイザックは嘘は吐いていない。

 しかし使者には「戦争を起こす気はない。国境紛争が起きたら、それに対処するために国境へきている」と言っているように聞こえた。

 そう受け取りたかったというのもあり、彼は勝手にそう解釈した。


「輸送部隊だけではないのは、貴国から搬入する物資の量が多いからです。輸送部隊が貴国から我が国へと搬入し、そこで兵士達に仕分けをさせて各地へ届けさせる予定です。マクドノー近辺だけでも十万トン近い物資が集積されている事はご存知で?」

「はい、報告は受けております」

「では軍の籠城は?」

「三日前からさせております。城に兵士を集め、防衛体制を整えているはずです」

「戦争を仕掛けるつもりなら、わざわざ貴国に防衛体制を整えさせる必要はないですよね?」

「……はい」


 使者は恥ずかしさで顔を赤らめた。

 アイザックが言うように「軍の国境付近への到着時期を伝えて、防衛体制を整えさせた」というのは、開戦の意思がない事の表れである。

 どこの世界に守備を整えさせてから戦争を仕掛ける愚かな指揮官がいるというのか。

 軍事に詳しくない者でも、リード王国側の行動を考えれば開戦の可能性は極めて低いとわかる。


「疑ってしまい、申し訳ございませんでした」

「いやいや、かまいませんよ。これだけの大軍が近くに迫ってくれば警戒はするでしょう。だからこそ事前に防衛体制を整えて警戒してほしいと伝えたのですよ。我が軍の兵士にはよく言い聞かせておりますので、そちらも我が軍に怯えた兵達が危害を加えたりしないよう注意をしておいていただきたい」

「はい、無論でございます。すでに衛兵や市民にも物資の受け渡しについて説明しておりますので、騒動にならないよう手筈は整えております」

「それは結構」


 アイザックは満足そうにうなずく。


「ところで観光についてなのですが、マクドノーだけならば通常の入国審査を受ければいいのかな? それとも私は国王なのでファラガット共和国政府に許可を得ねばいけませんか?」

「貴族の方々であれば通常問題はないのですが……。国王陛下の観光となれば護衛なども必要ですので……。申し訳ございません! 私にはお答えしかねます。この案件は持ち帰らせていただいてよろしいでしょうか?」

「あぁ、いいよ。観光するのなら物資の搬出が終わって落ち着いた頃になるだろうしね。その頃に返答を聞かせてくれればいい」

「ありがとうございます! 色よいお返事ができますように善処させていただきます」

「頼む。そういえば、海沿いの街も観光するなら州知事殿にも許可を取ったほうがいいのかな?」


 アイザックは「海沿いの街も観光がしたい」と使者に伝えた。

 使者は、しばしの間悩む。


「海沿いの街の市長に許可を取ればいいとは思いますが……。我が国を訪れる国王といえば、グリッドレイ公国の公王陛下くらいで、その時は政府が対応しておりました。やはりこれも前例にない事ですので、持ち帰って市長と相談させていただきたい」

「あぁ、かまいませんよ。……しかし、まさか浜鍋を食べに行くのに許可が必要だとは」

「浜鍋!? ……ですか?」

「そう、浜鍋です。リード王国は内陸国ですからね。泥臭い川魚と違って、海の魚は美味しいそうじゃないですか。干物ではなく、新鮮な魚を食べてみたいなと思っていたんですよ」

「そういう事でしたか!」


 アイザックが海魚に興味を持っているとわかり、使者の表情が明るくなった。


「私も市長に付き添って海沿いの街へ視察に行った事がありますが、確かに美味しいものでした。……確か王太子殿下は三歳くらいになられたのですよね? それならもう少し大きくなったら、潮干狩りなどもオススメです。富裕層向けのリゾート地もございますので、ご一家でバカンスというのも乙なものでしょう」

「あー、潮干狩り! いいね、それ。子供と一緒に泥にまみれながら貝を掘るのも面白そうだ。きっと子供達にとってもいい思い出になるだろう」

「我が国には他にも観光の名所がございます。避暑地として――」


 予想以上にアイザックが食いついてきたので、使者はここぞとばかりに観光名所を売り込む。

 これまで仕事ばかりだったアイザックは、家族と旅行に出かける事に強い興味を持っていた。

 その本心から興味を持っているという態度が使者に本気の態度だと信じさせる。


 いつの間にか抗議の使者は、観光名所を売り込む営業マンへと変貌していた。

 アイザックも興味を持っている話だったので、どんどん話は盛り上がっていく。

 話が一通り終わる頃には、両者共に満足感に満たされた表情になっていた。

 

 これは四月十四日、昼下がりの事だった。


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