第633話 東への一歩目
ロックウェル地方に入ると、アイザックを見る民衆の目が変わった。
これまでは好意的な視線ばかりだったが、敵意とまではいかずとも、好意以外のものが混ざるようになっていた。
――これはフォード元帥を討ち取った事が主な原因だった。
フォード元帥が戦死したので、ロックウェル王国はファーティル王国併合の夢が破られた。
元帥の人気も高かったため、アイザックは悪魔の化身のように思われていた事が大きく影響している。
しかし、敵意ばかりではない。
好景気により、好意的な感情も持たれていた。
ファラガット共和国以外には鉱石を買い叩かれなくなったため、鉱夫など鉱山で働く者達の収入は増えていった。
次に彼らを相手に商売している者達も、鉱夫の羽振りが良くなった影響を受けていた。
まだロックウェル地方全体が好景気になったわけではないが、人々は未来に希望を持ち始めていた。
だがやはり全員が無条件で受けているわけではなかった。
「そもそもあいつが邪魔をしなければファーティル王国を攻め落とせていたんだ」という否定的な意見と「アイザック陛下がエルフを使って街道や河川を整備してくれて助かっている」という好意的な意見がぶつかっている。
合理的に考えればリード王国の一部になって正解だったが、そう簡単に感情は抑えられない。
アイザックの評価は賛否両論となっていた。
だからロックウェル公爵も気を使い、リード王国本国やファーティル地方の軍には貴族を派遣していた。
道中の案内兼折衝役である。
アイザックのところへは、アルヴィスが派遣された。
しかし、元王子の彼は他人を接待するのが苦手なようだった。
「まさか、これほど美しいご婦人方を同行されているとは聞いておりませんでした。本当に戦場へ向かわれるのですか? その手には武器よりも花束のほうが似合いますのに」
「まぁ、お上手ね。でも普段から包丁とかを握っているので」
――彼はコレット達、女性のエルフに積極的に話しかけていた。
アイザックよりも彼女達との接触を優先するアルヴィスに、彼の側近も苦笑いしか浮かばなかった。
「アルヴィス殿。そちらにいるご婦人方は私達にとっての親世代に当たる方々ですよ」
「アイザック陛下。美しさに年齢は関係ありませんよ。私は嘘を吐けない性格なので、正直な感想を話しているだけです」
「その通り」
どうやらアルヴィスは、短時間の間にコレット達を味方に付けてしまったようだ。
暗に「その人、おばさんですよ」と言ったアイザックよりも、彼に肩入れするのも当然だろう。
「でもその人達は既婚者ばかりなので、下手に口説くと大変ですよ」
「やーねー、こんなに若い子相手に本気にならないわよ」
コレットの返事に、他のエルフも「そうよ、そうよ」と同調する。
「それならいいのですけど……」
(学生バイトのお世辞で喜ぶパートのおばちゃんみたいな感じだと受け取っていいのかな?)
ただでさえ奴隷化疑惑で人間との関係が壊れそうなのだ。
ここで不倫などで問題を起こしてほしくない。
だが若い子に褒められてちょっといい気になっているだけで、火遊びにまで発展させるつもりがないのならそれでいい。
しかし、戦争を始める前に少し心配が増えてしまった。
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ロックウェル公爵領中部に位置する領都ブロンコに到着する。
ブロンコ周辺に集まっていては迷惑なので、王国軍は周辺の街などに広く布陣していた。
街の郊外でロックウェル公爵の出迎えを受け、彼の屋敷――元王宮へと向かう。
「あっ」
出迎えの中にいる一人の女性を見て、アイザックは驚きの声を漏らす。
「ロックウェル公爵夫人ですか?」
「左様でございます。スカーレット・ロックウェルと申します」
「やはりそうでしたか」
スカーレットは、どこか儚げで触れたら壊れてしまいそうな雰囲気をまとう女性だった。
ルシアはそこまで弱くは見えないが、どことなく彼女に似ている印象を受ける。
(メリンダが母上を嫌っていたのは、彼女の影響もあるのかもしれないな)
ギャレットとスカーレットは元々婚約者だったが、講和の条件に王家の血を引くメリンダと結婚する事となり、二人の婚約は破談となった。
だがそれを嫌がったギャレットが、メリンダを捨てて、スカーレットとの結婚を選んだ。
婚約が破談となり、失意の帰国をしたメリンダを待っていたのは、ランドルフがルシアと結婚していたという事実だった。
――スカーレットに似た女に、二度も敗北感を味わわされた。
ルシアに責任がないとわかっていても、八つ当たりくらいはしたくなったのだろう。
だからムキになってネイサンを嫡男にしようとしていたのかもしれない。
アイザックやルシアとしては、いい迷惑である。
とはいえ、スカーレットを恨むのは筋違いだという事はわかっていた。
彼女を恨むなどとは、アイザックも思わなかった。
「陛下、いかがなさいましたか?」
黙りこくってしまったアイザックに、スカーレットが心配そうに声をかける。
「いえ、どことなく母に似ていたものでつい……」
「そういえば主人が王都で母君にお会いになられた際、不思議な気分になったと言っておりました」
「ロックウェル公もそう思ったのなら、やはり似ているのかもしれませんね。戦争が終われば、王都にご招待させてください。是非とも母に会ってみていただきたい」
「はい、陛下。喜んでお受けいたしますわ」
スカーレットもロックウェル公爵の話を聞いて、ルシアに興味を持っていたのだろう。
王都への誘いを快く受けてくれた。
――奇縁で繋がる出会い。
メリンダの被害者同士、話が盛り上がるかもしれない。
アイザックも話に混ざって、ギャレットとの馴れ初めなどを聞いてみたいという気分になっていた。
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ブロンコに到着して二日。
モーガンからの報告書を読み、長旅の疲れが取れたところで、アイザックはファラガット共和国の商人達を呼び集めていた。
まずは彼らにどの程度の量、どれほどの価格で売るのかという一覧を提出させる。
その内容にアイザックは驚いた。
(穀物だけで三十万トン!? 馬鹿か、こいつらは!)
試算では一年で七万二千トンあれば二十万の兵士を養える。
実際は後方支援要員として輸送に使う人員や、兵士相手の商売のためにやってきた行商人などがいるため、余分な人員も含めて十万トンもあれば十分だった。
それが穀物だけで三十万トンも集められている。
食料が腐ったり、倉庫を放火されたりしなければ三年は食べられる量である。
複数の商人を煽って買い集めさせた甲斐があったというものだ。
アイザックはニヤケそうになるのを我慢して、価格に目を通す。
(ロックウェル地方に運び込んだものは輸送費の分高いけど、まだ運び込んでいないのが安いというのは思った通りだな)
運び込まれた食料は、ロックウェル地方北部の倉庫に運び込まれていた。
これはグリッドレイ公国の倉庫には置いておけないので、戦争が始まる前にリード王国内へと輸送していたのだろう。
残るものはファラガット共和国内の国境付近の街に集められている。
「今購入すると決めれば、あとで値上げしたりはしないのだな?」
アイザックに問われて、誰が答えるか商人達は顔を見合わせる。
結局、最前列に座っていた者が答える事になった。
「もちろんです。ですが
「もっともだな。ではすべて購入しよう。しかし、お前達には残念な事を伝えねばならない」
「ど、どのような内容でございましょうか?」
アイザックがわざわざ
商人達は不安そうな表情を見せる。
そんな彼らにアイザックは優しい笑みを見せる。
「ウェルロッド公から、グリッドレイ公国と和解できそうだという報告があった。だから輸送は手持ち無沙汰になった我が軍の兵士を使って行う事になるだろう。食料品の価格を抑える代わりに、輸送費で稼ごうと思っていた者は得をしない事になるな」
リストの中には「本当に食べられるものか?」と不安になるような価格のものもあった。
だが腐ったものばかりであれば、商会の信用を完全に失う事になる。
それは輸出業者にとっては痛手となるだろう。
だからアイザックは「これは穀物の価格以外で儲ける気だ」と見抜いた。
これは「プリンターとインク」「カミソリの持ち手と刃」の利益の出し方を思い出したからだ。
――交換が必要なものを安く売る事で、交換部品を高めで売って継続的な利益を出す。
もしグリッドレイ公国と開戦していれば、ファラガット共和国内から食料を運び出す余裕などなくなるだろう。
だから輸送費が高くとも、渋々ながら運搬を商人に頼むしかなくなってしまう。
わざとゆっくり運搬して、急いで運搬させるための費用を別途要求して荒稼ぎする事もできただろう。
そんな企みを見破れた事で、アイザックは獰猛な笑みを見せる。
見破られた側は、肩をすくめて目立たぬよう小さくなっていた。
「とはいえ、これもファラガット共和国側の許可を得てからの話だな。前もって政府には使者を送って許可を得ているが、現地の人々は予想以上の大軍を前にして怯えるかもしれない。諸君からも怯える必要はないと周知するのを手伝ってもらいたい。……あぁ、そうだ。ロックウェル地方の軍は北部の倉庫へ回すとしよう。今は友好的な関係を築いているとはいえ、やはり彼らが国境を越えるのには抵抗があるからな」
「陛下のご配慮に、皆を代表して心より感謝申し上げます」
「気にするな。私も仲良くできる者とは仲良くしたいと考えている。だから国境付近にいるファラガット共和国軍には、城や要塞に籠って守りを固めてもらいたい。万が一にも我が軍が奇襲を仕掛けるのではないかという無駄な心配をかけて、ファラガット共和国軍の兵士の攻撃を招くような真似はしなくないからな」
アイザックは配慮しているフリをする。
だがそれは彼らのためではない。
すべては開戦後の事を考えての行動だった。
開戦後、一ヶ月が勝負となる。
そのためにはできる事をしておかねばならなかった。
その点、商人の発言力が強いファラガット共和国はやりやすかった。
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