第632話 アイザック流の子育て論?

 行軍自体は楽なものになっていた。

 人間の食料も問題だが、その次に問題になる馬の飼料をあらかじめ用意していたからだ。

 行軍をスムーズに行うため、去年から道中の村々に干し草などの用意をさせていた。

 そこにエルフによる給水が加わり、行軍速度は想定していたものよりも早くなりそうだった。


 それは先に出発した部隊も同じなのだろう。

 アイザックの本隊が追いついて渋滞を起こすような事はなかった。

 その行軍速度には整備を急いだ街道も役立っていた。

 軍の移動を楽にするアイザックの計画は、今のところ順調に進んでいる。

 やはり問題が表面化するのは、ファラガット共和国に入ってからになるだろう。


 順調に進んだ一行は、ファーティル地方の州都アスキスへと到着する。

 義父のマクシミリアンはすでにファーティル地方の兵を率いて出陣していたが、義祖父のファーティル大公は残っていた。

 まずは先行していたクロードから報告を受ける。


「リード王国内へ出稼ぎに出ていた者を中心に声をかけ、ファラガット共和国内に侵攻する部隊に同行してもいいという者が千名ほど。戦いが終わって安全になった場所で治療や工事などに携わってもいいという者が千名。エルフやドワーフが囚われているのを確認できれば軍の支援をしてもいいという者が二千名ほど集まっております。ただし、出稼ぎ希望者のほとんどを軍属に誘ったため、国内で活動するエルフの数は五百人以下になるのは避けられません」

「戦場にそれだけ来てくれるだけでもありがたい。それに慎重になる人がいるのも理解できます。はっきりとするまでは、ロックウェル地方の整備に集中していただければ結構です。ウォーデン攻略部隊に参加する人選は終わっていますか?」

「それは……」


 クロードが口籠った。

 アイザックは「やはり難航しているのか」と心配する。


「希望者七百名から三百名に絞り込みました。政治的な配慮も必要になってくるので、部隊長はアロイスさんに任せ、マチアスなど長老衆を中心に編成しております」

「それは……、心配ですね」

「ええ、村長が戦場に出て気が昂った爺様達を押さえこめるか少し心配です」


 アイザックは「クロードさんのおじいさんが戦場に出るので心配ですね」と言ったつもりだったが、当のクロードはマチアスの事を心配していなかった。

 むしろ魔法で民間人に被害を出さないかという事のほうを心配していた。

 アイザックは拍子抜けしたが、それはそれで話を合わせようとする。


「そちらも心配ですが、多少の被害は仕方ないものだと考えています。やはり怒りは抑えられないでしょうしね。ですがその場合は、こちらで後処理をさせていただきましょう。私が応援を頼んだので、その心配はしないで大丈夫です。もちろん、民間人への被害が最小限に抑えられるのが一番ですが」

「私もそう願っています。本当なら私もウォーデン攻略部隊に合流したいのですが、やはりダメでしょうか?」

「ダメですね。モラーヌ大臣には本隊と行動してもらい、エルフやドワーフといった異種族の統括をしてもらわねばなりません」

「そう、ですよね」


 クロードが肩を落とす。

 その姿からは「マチアスがなにをしでかすのか心配だ」というだけではなく、祖父を思う気持ちが垣間見えた。


「私もみんなの事が心配ですが、前線に出て指揮を執る事はないでしょう。役職を持った以上、立場が現場に立つのを許してくれなくなるのに慣れないといけません。その点、マチアスさんの世話をしていたクロードさんなら慣れるのが早いと信じています」


 だからアイザックは、マチアスを絡めてクロードの気持ちを少しでも軽くしてやろうと軽口を叩く。

 これにはクロードも複雑な笑みを見せた。


「爺様の世話をしていたのが役に立つ日がくるとは思いませんでした。爺様がエリアス陛下と初めて面会した時の事を考えれば、敵の事を心配するのも馬鹿らしく思えてきますね」

「まだ起きていない事を考慮するのも大切ですが、時には起きてから対処すればいいと割り切るのも大事ですよ。でないとすべて想定してからでないと動けなくなりますから。特に戦争なんて不測の事態が起きるのが前提にあるにも関わらず実行するんですよ。マチアスさんの心配など些細なものです」

「それはそれで新しい心配が増えたような……」

「気楽にいきましょう」


「割り切ろう」と答えるアイザックを見て、クロードは「まだ若いのに場数が違うからか肝が据わっているな」と、アイザックの評価を上方修正していた。

 そして自分にないものを羨むだけではなく、少しずつ身につけていかないと学んでいった。



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 アスキスには当然、義祖父だけではなく、義妹達もいる。

 その中には、クローカー伯爵の姿もあった。

 アイザックに言われた通り、ファーティル大公が彼の面倒を見ていたからだ。

 ファーティル大公は孫に男児がいなかったため、孫のように育てる事にしたらしい。

 だから家族の団欒に彼も呼ばれていた。


 ブレンダやオフィーリアの二人は義妹という事もあり、遠慮なくアイザックに懐いている。

 しかし、クローカー伯爵は義理の家族ではないため、少しアイザックと距離を置いていた。

 だがそんな彼には、どうしてもアイザックに聞いておきたい事があった。

 ブレンダ達との会話が途切れたところで、彼はアイザックに質問する。


「あの、陛下。……どうすれば陛下のようなになれるでしょうか? 陛下の手助けになれる力を身につけたいです」


 この力とは腕力のような単純なものではない。

 敬愛するアイザックの片腕として働くのに必要な力を尋ねていた。


(俺の手助けになる力……。そんな事を聞かれるなんて!)


 この質問に、アイザックは衝撃を受けていた。

 これまで幾人にも忠誠を捧げられてきたが、彼らは「命を懸けてでも力を尽くします」と言ってくるばかりだった。

「どうすれば力になれますか?」という質問は初めてである。

 アイザックは困った。


「……力が欲しいか?」

「欲しいです!」

「なら――」


 ――クローカー伯爵に対するアイザックの答え。


 それはクローカー伯爵のみならず、この場に居合わせた誰もが固唾を飲んで見守っていた。


「頑張りなさい」

「えっ……、はい!」


 あまりにも無責任な答えにクローカー伯爵は戸惑ったが「その答えを考える事から始めろという事なんだ」と思い、力強い返事をする。

 アイザックも「なら力をくれてやる!」と言いたいところだったが、そんな簡単に力を与える能力が存在するのなら自分が欲しいくらいである。

 だが周囲の反応からして、今の答えでは失望されかねない。

 この場を誤魔化して乗り切ろうとする。


「クローカー伯、今やれる事を頑張るんだ。私が君くらいの時は、ウェルロッド侯爵家傘下の貴族をどうやって味方に引き込み、兄上を孤立させるかという事しか考えていなかった。そのせいで私が選べる道は少ないものになっていた」


 この世界では女子が自分の身を守るために全員が護身術を学んでいるとはいえ、アイザックは体格差のあるティファニーにすら負けていた。

 今思えば、なかなか恥ずかしい思いをしたものだ。

 だがそれを話す事で、次へと繋げようとする。


「たとえば今から『将来は大臣になる』と思って勉強を頑張るのもいい。でも大きくなってから『やっぱり将軍になりたい』と思った時、剣術や馬術の練習をしていなかったら将軍にはなれない。将来、私の力になりたいと思ってくれるのは嬉しいが、まずは武術や学問、芸術。そういったものを一通り練習しなさい。君はまだ若いんだ。目標を持つなとは言わないが、目標に固執して未来を狭めるような事はするべきではない。なにかの分野で一番になれなくてもいい。まずは学べる事は幅広く頑張って、得意な分野を伸ばし、苦手な分野を底上げする事だ。大事なのは自分の限界を勝手に自分で決めて諦めてならないという事かな」


 アイザックも前世で「運動は苦手じゃないけど運動部には敵わない」「理数系に進むのは数字に強い人にしか無理」とやる前から諦めていた。

 その経験から語る言葉には、どこか説得力があった。

 クローカー伯爵のみならず、ファーティル大公達も静かに聞いていた。


「子供にはわかりづらいかもしれないが、まずは自分にできる事を一つずつ増やしていく事だ。私の子供達がもう少し大きくなれば、きっと同じ事を言うだろう」

「ありがとうございます。陛下のお言葉、胸に刻んでおきます」

「さすがはお義兄様。感動しました!」


 オフィーリアが、アイザックの子育て論に感動していた。

 その無邪気な姿は、クローカー伯爵に寂しさを与える。


(陛下の事をどれだけ敬愛していても、やはり陛下は陛下。僕の父でもなければ兄でもない……)


 幼くして親を亡くした彼にとって、アイザックはただ頼れる国王ではなかった。


 ――もっとアイザックとの距離を詰めたい。


 そう思ってしまう。

 しかし血縁者という関係にはどうしてもなれない。

 偉大な人物を前にして我慢する事しかできなかった。


(いや、そうじゃない。道はある!)


 クローカー伯爵は、とある可能性に気づいた。

 だがそれを実現するには、まずファーティル大公に認められる存在にならねばならない。

 そうなると、やはりアイザックが言うように努力を求められる。

 クローカー伯爵は“まずは図書室で勉強しよう”と、明日からではなく今から夢に向かって頑張ろうと決意していた。

 そんな彼の決意とは裏腹に、アイザックは「よし、誤魔化せた!」と安心していた。

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