第630話 出陣の宣言

 十二月二十五日。

 この日は毎年恒例の協定記念日である。

 だが、今年の協定記念日には重大発表が用意されていた。


「今年一年も平和に……、とはいかなかった。それはグリッドレイ公国によるものである。夏頃からウェルロッド侯が国境紛争解決に奔走しているが、いまだに解決する気配がない。私は交渉による解決は難しいと考えている」


 当然、名指しで非難されたグリッドレイ公国の大使の顔は青褪める。


「かつてはロックウェル王国と呼ばれた地域も、今はリード王国の一部となっている。ロックウェル地方を侵犯するグリッドレイ公国に痛撃を与え、彼の地は我が領土、我が領民が住む地であると内外に示す時がきた。年明けには出陣し、春頃に開戦となるだろう。諸君の奮戦を願うものである!」

「ハッ!」


 リード王国の貴族達は動じる事なく返事をする。

 それは突然の宣言に驚く各国大使とは対照的だった。


「ただし、これはまだ戦争を確定するものではない。現在もウェルロッド公に交渉を継続するように伝えている。春までに交渉が成立し、開戦を中止する可能性も残っている。その場合は『せっかく軍を動員したのだからもったいない』などと不埒な考えをせず、大人しく引き下がる。たとえ地方で起こった小規模な国境紛争であろうとも、リード王家は放置しない。その確固たる意志は見せるつもりだ」


(巡回部隊、それも十人ほどの部隊が双方共に石を投げ合っただけなのに国境紛争なんて大袈裟な……。でも公王陛下が交渉中ならば、下手に邪魔をするような真似をするべきではないか)


 グリッドレイ公国の大使は「国境紛争と呼ぶほどのものではない」と指摘するべきかを悩んでいた。

 本来ならば指摘していただろう。

 しかし、躊躇する理由があった。

 それはアイザックの言った「地方で起こった問題をリード王家は放置しない」という言葉だ。


 ――これは小規模な衝突を利用した周辺国へのパフォーマンスに過ぎない。

 ――ロックウェル地方で起きた問題に全力で対処する=同盟国が攻められた時も全力で救援に向かう。

 ――まだ即位して日が浅いアイザックが、同盟国への戦争になっても見捨てないアピールに利用している。


 彼がそう思ったから指摘するのを躊躇していた。

 ロックウェル地方は編入されたばかりの元敵国。

 そこを全力で守るのだ。

 同盟国は、これからもリード王国を頼れる相手だと思うだろう。


 それにこれまでとは違い、今は国境を接している。

 ロックウェル王国という緩衝国はなくなったのだ。

 政治パフォーマンスに利用されるのは面白くなかったが、立場が圧倒的に弱いのはグリッドレイ公国側である。

 アイザックの機嫌を損ねる危険性を考えれば、人前で「間違いだ」と指摘するのは難しい。

 グリッドレイ公国はロックウェル王国の資源を買い叩いて食い物にしてきたが、その利益以上に大国と直接国境を接する事がなかったメリットを痛感させられていた。


「そのため大使殿には、このまま王都に滞在していただきたい。ベネディクト陛下との直接交渉以外にも交渉ルートはあったほうがいい。それは貴国の利害とも一致しているはずだ。しばらくは肩身の狭い思いをさせるかもしれないが、両国の関係のためにも我慢していただこう」

「私も友好を深めるために派遣された身。もとより職責を放棄するつもりなどございません。誤解を解消するために尽力を尽くします」

「ありがとう。両国の外交官の努力が実る事を私も願っている」


 グリッドレイ公国の大使は、この茶番に付き合う事にした。

 嵐が過ぎ去るのを待つだけ。

 それが無難な対応だと判断したからだ。

 そもそも本国でモーガンとベネディクトの会談が行われているという話くらいは知らされている。

 詳しい交渉内容までは知らされていないが、トップ会談が行われている以上、駐在大使ができる事は限定されている。

 リード王国の貴族や駐在する他国の大使と交流を深め、場合によっては両国の仲を取り持ってもらうくらいだ。


 内々に「貴国に戦争を仕掛けるかもしれない」と伝えられていれば、大使の交渉でアイザックの考えを翻らせる事もできたかもしれない。

 だが皆の前で公表されては、アイザック個人を説得できても、決定を覆す事は難しい。

 朝令暮改・・・・臨機応変・・・・は紙一重だ。

 国王とはいえ「グリッドレイ公国を攻める」と言って、すぐに「やっぱりやーめた」と考えを変えれば信頼を失う。

 軍を動かすと宣言した以上、実際に動かすだろう。

 アイザックに対して、大使ができる事はない。


 一通り終わると、パーティー会場はざわつき始める。

 大使達はアイザックと話したそうにしていたが、彼が最初に声をかけたのはグリッドレイ公国の大使だった。


「突然の事で驚かれたでしょう? 別室で少し話しませんか?」

「ええ、私もそう思っていたところです」

「ではこちらへ」


 アイザックは、グリッドレイ公国の大使と共に別室に移動する。

 他国の大使達は彼らがどんな話をするのか気になっていたが、まずは情報収集である。

 ウィンザー公爵などの高位貴族にさり気なく近寄って話しかけようとしていた。


 別室に移動したアイザックは、自らの手でワインをグラスに注ぎ、大使に手渡した。

 室内にいるのはお互いの従者のみ。

 毒殺はないだろうとわかってはいるが、グラスを受け取る手が少し震えていた。


「大使殿を驚かせて申し訳ない。本国からは交渉についてどの程度の知らせが届いているのですか?」

「……ウェルロッド公がロックウェル地方を発ったというくらいでしょうか」


 大使はどこまで話すか悩んだ。

 こうした情報を与えるのは、交渉において重要なカードとなるからだ。

 しかし、彼が切れるカードはなにもない。

 本国でどのような会談が行われているのかの知らせが、まだ届いていないのだから。

 仕方なく、現状知っている事を正直に話した。


 アイザックは、そんな彼の事を笑ったりはしなかった。

 なにも知らなくとも恥ではない。

 それだけ重要な交渉をしているのだから、むしろ交渉内容を知る人物が最小限に収まっているほうが助かるからだ。


 それにモーガンがグリッドレイ公国に向かった時期を考えれば、リード王国に伝令が着くのにまだまだ時間がかかる。

 アイザック自身、計画通りに動いているだけで、モーガンの交渉が上手くいっているのかどうかを知らなかった。

「なにも知らない」と大使を笑える立場ではなかった。


「まず私がロックウェル地方を軽視していないという姿勢を見せるための色合いが濃い、という事はおわかりいただけたでしょうか?」

「ええ、先ほどのお話はそのように聞こえました」

「そうですか、そうですか。それなら話は早い」


 アイザックが微笑みながらワインを一口飲む。

 大使も釣られるようにワインを飲んだ。


「実のところウェルロッド公には譲歩するように命じているのです。ベネディクト陛下から『もうロックウェル地方の兵にちょっかいは出させない』という一言を引き出せれば、開戦はしない方針です。実際に軍を動かすのは……。まぁ、全軍を動かす演習といったところですか」

「演習ですか?」


 リード王国に攻め込まれるのは、グリッドレイ公国にとっては亡国の危機である。

 実際に攻め込まれずとも、他国との取引などに支障を与えかねない。

 それを演習に過ぎないというアイザックに、大使は反感を抱いた。


「そう、演習です。実戦部隊だけでも十五万を超えるでしょう。そこに後方支援などを含めて三十万を超える。それだけの規模の軍が移動するだけでも問題が起きる事は十分に予想できます。ファーティル地方とロックウェル地方の武官と共に行動して親交を深めてほしいとも思っているので、その口実が欲しかったのですよ。あなたも数人の怪我人が出た程度の小競り合いで開戦するなど異常だと思いませんでしたか?」

「正直なところ……、少し思いました。一罰百戒のためとはいえ、戦争を起こすほどのものではないと」

「そうでしょう。私も常識を知らないとよく言われますが、さすがにその程度で戦争を仕掛けるほどの常識知らずではありません。今頃はウェルロッド公がベネディクト陛下と『小競り合いを軍を動かす口実にして申し訳ない、お互いに適当なところで折れて講和しよう』と交渉しているはずです」


 アイザックは分割統治について触れなかった。

 グリッドレイ公国とファラガット共和国の共闘関係は長く続いていた。

 この大使の口から、ファラガット共和国の商人に情報が漏れて、本当の計画を知られるのを恐れたからだ。


「交渉に時間がかかっているのは我が国の面子を考えていただけている……。そう考えてよろしいのでしょうか?」

「そうお考えいただいて結構ですよ」


 ――小競り合いが起きて、グリッドレイ公国が全面的に非を認めて謝罪を申し入れる。


 それでは弱腰にもほどがあると他国に笑われるかもしれない。


 ――リード王国の大軍が迫るまで粘り強く交渉し、戦争を避けるためにやむを得ず和平を受け入れる。


「無条件で大国に媚びを売るような真似はしない」という意思表示が大事なのだ。

 しかし、これには「折れた」と思われるグリッドレイ公国側よりも「相手に折れさせた」と得をするリード王国側に大きなデメリットがあった。


「その場合、陛下は交渉ではなく、武力を用いて言う事を聞かせるならず者国家と思われてしまいませんか?」


 ――リード王国は国境の小競り合いを口実に戦争を拡大させる侵略国家。


 他国にそう思われる可能性が高い。

 その事を大使は指摘する。


「今の私はリード国王ですが、元々はウェルロッドですよ。そんな噂は気にしません。味方を助けるためならどんな手段でも使う。そう思われるメリットのほうが大きいと思ったから軍を動かすのです。宰相や財務大臣に『大軍を動かせば、それだけ無駄な浪費となる』と眉をひそめられたので、彼らの機嫌を損ねたほうが気がかりなくらいですよ」


 だがアイザックは、その指摘を軽く笑い飛ばした。

 大使も苦笑いではあるが、アイザックに同調して笑った。


「私は味方である者には最大限の幸福を追及できるように努力しようと考えています。いつかは貴国とも通商協定だけではなく、正式な軍事同盟を結んで味方と呼べる日がくるでしょう」

「その日が来るのをお待ちしております」


 二人は握手を交わす。

 だが大使はアイザックの言葉を信じて、これが仮初の握手だとは思わなかった。




 領地持ちの貴族達は、すでに軍を動かしていた。

 彼らは自分の軍に追い付くため年明けには順次王都を離れていき、アイザックも惜しむように家族と別れて王国軍と共に東進する。

 リード王国の兵士達ですら、この時は「グリッドレイ公国に攻め込むのだ」と思っていた。

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