第629話 家族に残すもの

 アイザックは出陣前に家族との別れの時間を作っていた。

 だが湿っぽい別れではない。

 それはアイザックの行動のせいだった。


「ザックちゃんとお仕事で会えなくなるの寂しいよぉ~」


 アイザックは床に座り、両手両足も使い、体全体でザックをギュっと抱きしめる。

 それはザックだけではなく、クリスやクレアと順番に繰り返されていった。

 子供を愛する姿勢は妻達にも評価されている。

 しかし同時に「私が好きだった人は、もっとクールだったような……」と、結婚前のギャップに驚かれてもいた。

 だが子供達は父との交流を楽しんでいた。

 彼らの笑顔が別れの悲しみを和らげてくれたからだ。


「でもみんなと一緒に待っててねぇ~。う~ん、みんな可愛い!」


 今度は一人ずつではなく、二人、三人とまとめて抱きしめる。

 アイザックが「可愛い、可愛い」と言って積極的に抱きしめる事で、ザックやクリスも真似をして兄弟達を抱きしめる。

 それこそアイザックが望んでいた姿だった。


 彼は前世で「お兄ちゃんなんだから妹の面倒見てあげなさい」と言われて育った。

 それは兄という立場を自覚するきっかけにもなったが、時には理不尽な思いをする事もあった。

 だからアイザックは、ザックやクリスに「お兄ちゃんだから妹の面倒を見ろ」と言うのではなく、自発的に兄弟の面倒を見たくなるように気をつけていた。

「兄弟は可愛い。だから抱きしめたい。可愛がりたい」と刷り込む事によって、仲良くなってくれるとアイザックは願っている。


 これはランドルフを反面教師にして思いついた事だった。

 メリンダがルシアを敵視していたのもあるが、彼は積極的にアイザックとネイサンを関わらせようとしなかった。

 もし仲良くなっていたら、さすがにアイザックも違う方法を考えていただろう。

 だから子供のうちから関係を深めておくのは、子供達のためでもある。

 父親が一緒なのだから、母親が違うからといって個別に育てる必要などないのだから。


 一通り子供達とのハグが終わると、アイザックの意識は妻達に向けられる。

 まずはロレッタに話しかける。


「ロレッタ、ファーティル地方は前線との間にある大切な補給地点であり、補給路でもある。利益を得ようとして多くの商人が接触してくるだろう。適度な利益は得てもいいが、まずは戦争の継続を優先に考えてくれると助かる」

「もちろんです、陛下。その辺りの事はわきまえております。戦場で戦う方を後方で支えるのが妻の役目。王国軍が戦いやすいように尽くします」

「ありがとう。ファーティル地方での人脈もあるだろうし、頼りにしているよ」


 ロレッタは聞きわけがよかった。

 これで「戦争は最高の稼ぎ時、稼がないでどうする」と言われたら困っていたところだ。

 彼女もレオンを王太子にしてもらうために、その努力は惜しまないようだった。

 次に第二子を妊娠中のアマンダに語りかける。


「アマンダ、子供が生まれるという時に私がいないのは不安かもしれない。だけどパメラ達がいる。困った時は自分一人で解決しようとせず、みんなに相談して対処してほしい」

「はい。ところで子供の名前は……」

「男の子ならドウェイン、女の子ならエレンというのはどうだろうか? ウォリック侯爵家を継ぐのにふさわしい、粘り強く強い子になってほしいから」

「ドウェインにエレン……、きっと強い子に育てます!」

「あぁ、でも元気な子であればそれでいいから、無理はしないようにね」


 子供の名前の由来をアイザックから聞かされているパメラは「ありえん!」と思っていたが「盛り上がっているところに水を差すべきではない」と思い、黙っていた。

 次にアイザックは、リサに話しかける。

 彼女も妊娠していた。


「リサの子供は男の子だったらバリー、女の子ならモイラという名前にしようと思っているんだけどどうだろう?」

「ええ、それで大丈夫です。ところで名前の由来は?」

「バートン子爵家を継ぐのなら、似合いそうな語感で選んだんだよ」


 名前の由来を聞かれるだろうとは思っていた。

 だから「語感で選んだ」という理由を考えていた。

 これならアマンダの子のほうにも、理由をそのまま使えたからだ。


(いつかバリーはクリスを裏切るかもしれない。でも名前で裏切るわけじゃない。兄弟仲が良ければそんな心配をする必要ないはずだ)


 アイザックは自分にそう言い聞かせる。

 子供の名前は本当に悩んだ。

 しかし、どれだけ悩んでもバートン子爵家を継がせる子に付ける名は、この名前しか浮かんでこなかった。

 だからアイザックはこの名前を付ける事を選んだのだ。


「いつもみんなのサポートをしてくれているけど、妊娠している時は遠慮なくサポートしてもらう側になってほしい。パメラ達にも言ってあるから、彼女達に頼ってくれ」

「はい、そうします」


 そう返事はするものの、実のところリサは少し困っていた。

 彼女は他の妻達と違って五歳も年上だ。

 これまで妹分として面倒を見ていた者達に頼るのは恥ずかしさを感じるものだった。

 だが今、最も優先するべきは国王の子供をちゃんと産む事である。

 返事をした通り、恥を忍んでパメラ達に頼ろうと考え直す。


 次にアイザックが話しかけた相手はジュディスだった。

 彼女には聞いておきたい事があったからだ。


「ジュディス、君は私の事を占えないから、マルスを使って未来の事を覗こうとしたんじゃないのか?」


 ジュディスはバツが悪そうにうつむく。

 彼女の胸に抱かれている息子を抱く手に力が入る。


「少し……だけ……」


 彼女は正直に白状した。

 アイザックが彼女の行動を見透かす事ができたのは、かつてランカスター侯爵達を占って、アイザックが玉座に座っているところを見られていた事を知っていたからだ。

 しかし、今はその事を責めるつもりはない。

 簒奪が終わった以上、彼女の占いを恐れる必要などなかったからだ。


「戦後、私がマルスを抱きかかえていたところは見えたかな?」


 ジュディスは、こくりとうなずく。

 口数の少ない彼女だったが、それだけでアイザックに十分伝わった。


「ならよかった。私も子供達の成長を見たい。無事に帰ってこられる事がわかって安心したよ。見てくれてありがとう」


 ジュディスは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 これまでアイザックは「占う必要がない」と彼女の力に頼らなかった。

 だから今回も「勝手に占うな!」と否定されるかと思っていたが、アイザックは否定せずに礼を言ってくれた。

 自分の力を初めて有効活用できた気がして、彼女はこれまで感じた事のない喜びを覚えていた。


「ティファニー、結婚して一年ほどで夫と離れ離れになるのは寂しいと思う。だけどアルバインもいる事だし、子育てに追われているうちに、気がつけば私が戻ってくる頃になっているだろう。その時を待っていてほしい」

「はい、陛下。子育てとパメラ殿下のお手伝いをしているうちに時は経つと思います。でも陛下の事は片時も忘れません。無事にお戻りになる事を祈っています」

「ありがとう、心強いよ」


 ティファニーは賢いので、時々ではあるが理化学研究所でパメラの手伝いをしていた。

 子育てと研究所の手伝いをしていれば、忙しさで寂しさを感じる暇などないだろう。

 それでもちゃんと忘れずにいてくれるというので、アイザックの頬は自然とほころんだ。


「パメラ、みんなのまとめ役を頼む。あと雷酸水銀って作れるかな?」

「雷酸水銀を? ……素材はあると思うので作れると思います」

「作り方を確立したら、エンフィールド工廠の技術者に教えてくれないか。もちろん怪我をしないよう安全に気をつけて」

「かまいませんが、それならニトログリセリンを先に開発したほうがよろしいのでは?」


 パメラは雷酸水銀を爆薬として扱うと思ったようだ。

 だから「ダイナマイトの原料となるニトログリセリンを先に開発しようか?」と提案する。

 しかし、アイザックの目的は違った。


「いや、爆薬は当面の間は黒色火薬で十分だ。先に銃弾に使う雷酸水銀を安定供給できるようにしたい」

「なるほど、そういう事でしたか。では雷酸水銀を研究しておきます」


 パメラは雷酸水銀を銃弾にどう使うのか知らなかったが、銃の強さは知っている。

 銃弾の製造に必要だというのであれば、リード王国の優位を確立するためにも先に開発しておこうと納得する。


 この二人の会話は、他の妻達にパメラが特別な立場にあるとわからせるのに十分だった。

 今の会話に割って入るなら「らいさんすいぎんってなに?」と尋ねるのが精一杯だ。

 当たり前のように初耳の単語を並べて会話する二人の特異性が際立つ。

「アイザックと話が合う知能を持つのはパメラだけ」という印象を皆に与えた。


「では頼むぞ。さて――」


 妻達との話が終わると、アイザックの意識は子供達に向けられる。

 戦場へ赴く前に子供への愛情を全力で表すつもりだった。

 その理由は、パメラとの会話にあった。


 ――三歳以下の幼子ってしばらく会わないと親の顔も忘れるらしいよ。


 そんな彼女の言葉にアイザックは対抗意識を燃やしていた。


(みんなこんなにパパの事を好きなんだから忘れるはずがない。忘れさせやしない!)


 アイザックは体全体で子供達への愛情を示していた。

 妻達は恥ずかしくて言い出せないものの、ちょっとだけ「子供達のように無心で抱きしめられるのもありだな」と様子を見守っていた。

 たった一つのわかりやすい愛情が、無数の言葉よりも家族の心に深く刻みこまれていた。

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