第623話 それぞれの思惑
モーガンは、ファラガット共和国に駐在するグリッドレイ公国の大使を呼び出した。
「海沿いに北上し、使節団を貴国へ入国させる予定だったが、それは無期限の延期とする」
「なぜでしょうか? こちらに問題がございましたか?」
エルフやドワーフの使節団は、グリッドレイ公国の東部から西部へ移動し、ロックウェル地方へ戻る予定だった。
その事はグリッドレイ公国にも伝えて許可を得ていた。
それは公王のベネディクトも楽しみにしていた。
だが、モーガンは予定を覆すと言い出した。
大使としては理由を聞かねばわけがわからなかった。
「ある。ロックウェル地方で巡回部隊が衝突したそうだ。これではグリッドレイ公国内での使節団の安全を保障しきれない。一度帰国し、事態を注視する事となるだろう」
「国境付近でのいざこざなど珍しい事ではありません。これまでにもロックウェル王国とは幾度となく小競り合いが起きており、時には死者が出る事もあったそうです。それに衝突といっても国境を越えて剣や弓で争ったわけではなく、投石などをするのが定番です。その程度の事で目くじらを立てずともよろしいのではありませんか?」
大使は「珍しい事ではない」と反論する。
その言葉に噓偽りはない。
グリッドレイ公国やファラガット共和国に反感を持ったロックウェル王国の兵士が、国境の巡回中に嫌がらせをしてくるのは珍しい事ではなかった。
むしろグリッドレイ公国はちょっかいを仕掛けられる被害者側である。
「文句があるなら自国の兵士に言え」というのが彼の思うところだった。
もちろん、モーガンもそのあたりの事情は知っていた。
知った上で今後のために文句を言っているのだから始末が悪い。
このタイミングで衝突が起きたのも、ロックウェル公爵と示し合わせてのものだった。
モーガンは本気でバカンスを楽しんでいたわけではない。
この知らせが到着するまでの時間稼ぎをしていたのだった。
「ほう、大使殿はリード王国の事を甘く見ておられるようだな」
だがここは「相手に責任がある」と主張せねばならない場面である。
モーガンは静かに、それでいて怒りを押し殺した声で脅し始める。
声を荒らげて怒鳴り散らさなかったのは小物感が出てしまうからだ。
リード王国の外務大臣という立場を相手に嫌というほど思い知らせるため、あえて落ち着いた声を出していた。
「それはロックウェル王国時代の話であろう? 今はリード王国のロックウェル地方となっている。つまり、貴国はリード王国の兵士を襲撃したという事だ。よもや、ロックウェル王国とリード王国の重みを同じに思っているのではなかろうな?」
――言葉は静かに、目つきは鋭く。
モーガンはしっかりと相手を威圧する。
グリッドレイ公国の大使は視線を逸らした。
(なんで私がこんな目に……)
まだ彼のもとには本当に衝突があったかどうかの報告は届いていない。
いや、そもそも届かないだろう。
ファラガット共和国駐在大使にまで伝えねばならないような事件ではないからだ。
グリッドレイ公国にとって、国境線での小競り合いなどその程度のものだった。
だがリード王国にとっては違うらしい。
ちょっとした小競り合いを重く見ている。
グリッドレイ公国の者としては「傷ついたのは元ロックウェル王国の兵士じゃないか。それに仕掛けてきたのもどうせそっちだろ」という気持ちが強かった。
そのためモーガンの言い分は言いがかりのようにしか思えなかった。
「アロイス殿やジークハルト殿はどうお考えでしょうか?」
だからモーガンではなく、メインの賓客であるエルフとドワーフの代表者の意思を確認しようとする。
「我々が信用しているのはアイザック陛下だけ。他国への視察も、陛下の祖父君であるウェルロッド公に同行していただけるというから引き受けただけです。そのウェルロッド公が安全を保障できないとおっしゃるのなら、我々も一度引き返そうと思っています」
「僕達もアロイスさんと同感です。これまで二百年もの間、交流が途絶えていたのです。状況が安定するまで国交の樹立が数カ月程度伸びても問題はないでしょう。慌てる必要はありません」
だが二人ともモーガンに同調した。
これは本心でもあるが、前もってそう答えるように頼まれていたからだ。
――このような対応を取る事で、ドワーフの救出を容易にする事ができる。
まだ実際に奴隷にされているかどうかの確認は取れていないが、そう言われては断れない。
今は情報を教えてくれたアイザックやモーガンを信じて従うしかなかった。
「それは……、残念です」
「そう落ち込む事はない。私達は一度ロックウェル地方へ向かうが、ただ帰国するだけではない。ロックウェル公と協議の上、ベネディクト陛下に謁見を申し込むつもりだ。その結果次第では貴国へ訪問する事になろう。これは大使殿の責任ではない。現場の責任だ。私もこれまで尻拭いをしてきたから大使殿の苦労もわかる。大使殿の責任ではないと、ベネディクト陛下にお伝えしておこう」
「お心遣い痛み入ります」
大使は、モーガンの言葉を「だらしない部下の尻拭いをしてきた」という意味で受け取っていた。
それはある意味正しい受け取り方だったが、この場合相手が違う。
対象はだらしない部下や自分勝手な部下ではなく、モーガンが言っているのは実の孫の事だった
エルフとの遭遇以来、ずっとアイザックの尻拭いをしてきた。
現場で勝手に動かれる苦労は、彼もよくわかっているつもりだった。
「一応、そちらからも私がベネディクト陛下と会談をしたいと思っていると伝えておいていただきたい」
「お任せください」
大使は、すぐに使者を出すと約束した。
その後、彼はモーガン達が泊まっている迎賓館を出る。
大使館へ戻ったところ、フランクリン大統領からの使者が待っていた。
なにやら話があるとの事なので、大使はそのまま大統領官邸へ向かう。
フランクリン大統領も用事があったからか、しばらく待たされる事になった。
しかし、モーガンに呼び出されたあとの呼び出しだ。
重要な事に違いないと自分に言い聞かせ、大統領が姿を現すのをじっと待つ。
一時間ほど待っただろうか。
ようやくフランクリン大統領が姿を現した。
「待たせてすまなかったな。だが待っただけの価値がある話をしよう」
「どのような内容なのでしょうか?」
「リード王国との密約のようなものだよ」
フランクリン大統領は「リード王国から国境の防衛を固めてほしい」という要請があった事を話す。
そして、それが「ロックウェル地方の主戦派に我慢させるため」という事も話した。
「なるほど、だから要塞を建築されておられたのですか……」
「我が国はリード王国と友好的な関係を築くために努力した。おそらく貴国にも同様の話があったはずだが、防衛を固めているという噂は聞かない。もしかすると、ロックウェル地方の貴族達の人身御供に貴国が選ばれたのかもしれんな」
「まさか、そんな……」
「ではウェルロッド公が、なぜ巡回部隊の衝突程度でそこまで強硬な態度を見せると思う? その程度の問題でグリッドレイ公国行きを中止すると聞いて、私も驚いたものだ。つまり、あちらとしては不満をぶつけるきっかけが欲しかったのだろう。そのきっかけを貴国が作ってしまった」
「ですがウェルロッド公も対話の――」
そこまで言いかけて、大使の言葉が止まる。
「そういえばウェルロッド公は、アイザック陛下の祖父であり、先代ウェルロッド公の長男……」
「先代ウェルロッド公の薫陶を受けたウェルロッド公の言葉を、そのまま信じられますかな?」
「…………」
ここで「無理です」と言うのはあまりにも失礼なので言葉にしなかったが、二人の共通する認識は同じだった。
――モーガンの言葉は、言葉通りに受け取る事はできない。
そもそも正式な書面に残したわけでもない外務大臣の発言を真に受けるほうが悪い。
ただのリップサービスなど日常茶飯事だからだ。
「それでは本当に我が国を?」
「可能性は高い。だが安心してほしい。我が国は長年の友好国を見捨てはしない。武器や食料、医薬品を友好国価格で販売致しましょう。その事もベネディクト陛下にお伝えいただきたい」
「……かしこまりました」
(結局、それが言いたかっただけか……)
フランクリン大統領の目論見。
――それはこれから戦争になるであろうグリッドレイ公国に商品を売り込む事だった。
しかし、それを非難する事はできない。
いずれにせよ、戦争になるならば武器や食料が必要になる。
この申し出には感謝するべきなのだが、弱みに付け込まれているようで素直に感謝する気になれなかった。
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実はモーガンも、フランクリン大統領が所有するブキャナン運送への紹介状を受け取っていた。
ブキャナン運送はファラガット共和国西部で手広く運送業をやっている。
物資の運搬には彼らの協力が欠かせないため、社長であり、大統領の実子であるカルビン・フランクリンに協力してもらうつもりだった。
もちろん、今すぐ頼むわけではない。
戦争が始まってから紹介状を持っていく予定だ。
一行は要塞の進捗状況を確認するために、復路を往路と同じ道にした。
以前に見たものと同じ光景。
しかし、今回は大きく違ったところがあった。
「もうあそこまで進んでいるのか!」
――もう要塞の城壁ができていた。
遠目に見ても、かなり大きな壁である。
尋常な建設速度ではない。
「もしよければ近くで見せてもらえぬだろうか? そのほうが陛下への報告もやりやすいのだが」
モーガンは、ずっと付いてきてくれていた領事館員に尋ねる。
「そうですね……。一度確認を取って見ます」
領事館員も色々と聞かされている。
普通であれば考えるまでもなく、こんな申し出は却下だ。
だが彼にはモーガンの申し出を無視できない。
防衛の強化をリード王国に見せつける必要があるとわかっていたからだ。
だからすぐに否定するのではなく、確認するという一手間かける事にした。
一行には一度休憩を取ってもらい、彼は部下を連れて馬で要塞へ確認と向かう。
彼らは意外と早く戻ってきた。
要塞の建築責任者も事情を知っていたのだろう。
あっさりと見学の許可は出たが、城壁と堀を外から軽く見るだけである。
さすがに詳しくは見せてもらえないようだ。
一行は要塞へと進行方向を変えていった。
近づくと要塞の大きさがよくわかった。
馬車から降り、堀の近くへ移動する。
「なにやら変わった形の城壁だな」
一般的な城壁は四角形や五角形といった形で、城を取り囲むように作られる。
だがこの城壁は一部が飛び出ていた。
まるで城門を挟み込むように。
「なんでも星型の城壁だそうです。高さ十メートルの城壁に、幅三十メートル、深さ五メートルの堀が掘られています。なんでもマーロウ大臣が自信を持って建築を決められたとか」
アイザックがこの要塞を見れば「なんだか北海道の観光地に来た気分になる」と得した気分になっただろう。
城壁や広さの違いはあるが、要塞は五稜郭に似た形をしていたからだ。
遠くに見える城門を見て、モーガンは寒気がした。
「私は戦争の指揮に自信はないが、それでもあの城門へたどり着くまでにどれほどの犠牲を払うかはわかるつもりだ。こんな要塞を攻める事など考えたくないな」
「陛下によしなに」
「ああ、わかっているとも」
(本当にこんなものを作り上げるとは……。ファラガット共和国も侮れんな。しかし、これだけのものを作っておきながら人気が少ないな)
もちろん出入りする人の数は多い。
しかし、この規模の要塞を建築する事を考えれば、一目見てわかるほど人影は少なかった。
様子のおかしさはモーガンだけではなく、他の者達も感じていた。
ジークハルト達はまだ水の流れていない堀を覗き込み、堀を構成している石を軽く叩いたりしている。
アロイス達は城壁を――もしかするとその向こうにある何かを感じ取りながら耳をピクピクとさせていた。
彼らの行動や、城壁の造りを見てモーガンも違和感を覚える。
(そういえば、この城壁は継ぎ目がないぞ。レンガや石を積み上げれば、どうしても継ぎ目ができてしまうというのに……。まさか、この国にいるのはドワーフだけではないのか!?)
――異常に少ない工夫の数。
――異常なまでの建築速度。
――これまでエルフ達が作ってきた街道のような一枚岩で作られた城壁。
それらの情報から人間にとって最悪であり、リード王国にとって最高である事態を考えたモーガンは身を震わせた。
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来週はお盆なのでお休みです。
最近は猛暑日続きですが、皆様も体調を崩されませんようご自愛ください。
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