第622話 帝国へ
ファラガット共和国侵攻作戦の準備が進む中、アイザックは重要な問題について話し合おうとしていた。
相手はウィンザー公爵とクーパー侯爵の二人である。
彼らに相談しておかねばならない重要な問題があったからだ。
「ロレッタに欲が出てきたようです。実はこんな事がありました」
アイザックは、ロレッタが「この子にリードの名が欲しい」と言った事を彼らに伝える。
二人は眉をひそめる。
どう考えても、ロレッタがレオンをザックの代わりに王太子にしようと考えているようにしか思えないからだ。
「そこで私はレオンにリードの名前を与える事を考えると答えました」
クーパー侯爵は目を見開いて驚いていたが、ウィンザー公爵は落ち着いていた。
「クーパー侯も呼んでいるという事は、すでに対処方法を考えておられるのでしょう?」
「ええ、そうです。ロレッタとレオンを、メリンダ夫人とネイサンの二の舞にはしません。だからレオンにはリード王家を継がせようと思っています。それでロレッタには文句を言わせない」
「ではザック殿下はどうなさるおつもりですか?」
取り乱さずに落ち着いているウィンザー公爵も「レオンに王位を継がせる」と聞いては視線が鋭くなる。
「場合によっては、ファーティル公爵家と揉める覚悟がある」という意思を籠めてアイザックを見つめていた。
昔なら怯えていたであろう鋭い視線を、アイザックは軽く受け流す。
「ザックは帝位に就かせようと思っています」
「帝位に!?」
突拍子もないアイザックの提案には、さすがにウィンザー公爵も驚きを見せた。
「それはリード王国をリード帝国にするという事ですか?」
「いえ、違います。まず仮称としてエンフィールド帝国とでもしましょうか。ザックはその頂点である皇帝となり、レオンは帝国を構成するリード王国の国王とする。こうする事で、ザックとレオンの序列を乱す事なく、ロレッタの望み通りレオンにリード王国国王の名を与えてやれます。この案をどう思われますか?」
アイザックの提案を聞き、二人は悩んだ。
クーパー侯爵は聞きたい事が浮かんだが「それを尋ねるのはウィンザー公であるべきだ」と思い、悩んでいるフリをして少し様子を見る。
ウィンザー公爵は悩んでいた。
アイザックに聞きたい事は思い浮かんだが、彼でも聞くのが怖いものだった。
しかし、アイザックの提案がパメラとザックの立場を考えてのものだったので、一歩踏み出す決意をする。
「リードの名を……、捨てられるのですか?」
――リード王家という肩書きを捨てる。
これはリード王国に生きる者としてあり得ない考えだった。
リード国王という肩書きは、王国貴族にとって最高位の称号である。
それをあっさり捨てて皇帝になるというのは、常識外れの考えであった。
ウィンザー公爵はジェイソンが生きていた頃から「曾孫がリード国王になる」というのを夢見ていた。
いくら皇帝という地位にザックが就く事になるとはいえ、リード国王の座をレオンに譲るのには抵抗があった。
その思いから
「捨てるわけではありません。これからも私はリード王国の国王であり、我が子がリード国王となる。ただその上の地位が作られるだけですよ」
ウィンザー公爵やクーパー侯爵とは違い、アイザックの態度は軽いものだった。
昔は国王になりたかったが、それには「パメラを手に入れたあと誰にも邪魔立てさせない権力を持つ」という理由が多くを占めていた。
すでに確固たる地盤を築いた以上、国王という肩書きにこだわる理由はない。
むしろ「皇帝のほうがカッコ良くない?」とすら思い始めていた。
生粋の貴族ならば歴史の重みといったものを重視するが、そのような貴族の常識を持たぬアイザックは実利を優先して歴史を軽んじる傾向がある。
国王の肩書きも、衣替えをするくらいの気分で脱ぎ去ろうとしていた。
「すでに現段階でファーティル王国、ロックウェル王国の両国を領土とし、リード王国最大の版図となっています。そこにファラガット共和国、グリッドレイ公国の両国まで併呑したとあれば帝国を名乗っても問題はないでしょう。国体を帝国へと移行するため、お二方には他国を参考にして帝国法の草案を作っていただきたいのです」
「なるほど、私どもをお呼びになられたのはそういうわけでしたか」
クーパー侯爵は、自分とウィンザー公爵の二人が呼び出された理由に合点がいく。
――新しい国家体制を作るために、まず宰相と法務大臣を呼び出したのだと。
これは重要な問題だ。
いきなり大臣を全員集めて話し合うよりは、少人数で話し合ったほうが意見の交換もしやすい。
それに可能かどうかというのも知りたいのだろう。
ならば、クーパー侯爵ができる事は一つだった。
「草案を作るのは可能です。ですが皇室の権限をどこまで制限するのか、しないのかというところが問題となるでしょう。陛下はどこまでお考えなのでしょうか?」
――前向きに語り合う。
アイザックは帝政への移行を考えている。
いや、すでに決めていると言ってもいいだろう。
ロレッタに関する話を聞いたクーパー侯爵は、その決定を覆すだけの理由が思い浮かばなかった。
ならば法務大臣として、前向きに考えるべきところだ。
しかし、これは簡単なようで難しい問題でもある。
ウィンザー公爵は貴族派筆頭なのだ。
地方貴族の権限を大きく削ぎ取るような法案は受け入れないだろう。
皇帝の権限を強くすれば、相対的に貴族の権限は弱くなる。
まずはその線引きを、アイザックとウィンザー公爵にやってもらわねばならなかった。
この質問は想定済みだったので、アイザックは落ち着いて答える。
「絶対王政――いや、絶対帝政ですか。そこは譲れませんね。連絡をすぐに取れない地方では貴族による自治を認めるものの、基本的には帝室の権限がすべてにおいて優位になるように。今のところ貴族議会は考えていないものの、今の有力貴族に直接陳情する密室政治よりかは開かれた政治という印象を民衆に与える事ができます。そういった意味では、まず形だけを作って徐々に慣らしていくというのもいいとは思っています」
「絶対帝政に……」
クーパー侯爵は、ウィンザー公爵を見る。
ここで下手に答えて、アイザックとウィンザー公爵の両方を同時に敵に回すような事はしたくない。
せめてウィンザー公爵の考えを聞いてから自分の考えを述べたかったのだ。
ウィンザー公爵もクーパー侯爵の考えを感じ取っていた。
だから素直な気持ちを伝える。
「私は絶対帝政に賛同します」
ウィンザー公爵の答えに、クーパー侯爵は驚いた。
これまでは貴族派筆頭として地方貴族の自治権を拡大しようとしていた。
それが今では中央集権に賛同している。
ザックが皇太子になるのならば、中央集権も容認するという事だ。
立場が変われば、意見も変わるという事なのだろう。
(議会制になった時、議会の相手をするのは面倒そうだな……)
「ウィンザー公が賛同されるのであれば、私も皇帝が最高権力者になるという点について反対する理由はございません。ですが議会については慎重な協議が必要だと思います」
だがクーパー侯爵は変わらなかった。
彼は中立派筆頭である。
「現状、問題がないなら変化させる必要はない派」とも言える。
帝位に就くのはアイザックの肩書きが代わり、書類もエンフィールド帝国に修正し直すだけだが、議会を作るのは違う。
帝国用の印章や書類を作るだけでも膨大な作業量になるのは想像に難くないのに、議会の設立まで加わればどうなるかわからない。
ただでさえ領土が広がって法務官の育成で大変なのに、これ以上仕事が増えるのは厳しいところだったからだ。
「ロレッタを納得させるためにも皇帝を名乗ろうというのはすでに決めている。だが議会に関しては私自身も検討の余地があると考えています。いずれにせよ、帝国化の正式な発表は東部占領後の数年後になるでしょう。それまでは憲法や法律の草案作りと、貴族議会の設立に関して検討しておいていただきたい」
「かしこまりました」
アイザックも議会には乗り気ではない。
将来的には失政した時に「皇帝ではなく、議会の決定だ」と責任をなすりつけるようにはしておきたいところだが、現段階では急ぐ必要はない。
「ファラガット共和国を攻め落としたあと、かの国の議会制を参考にしてからでも遅くはないでしょう。議会に関してはゆっくりやっていきましょう」
「その攻め落とすというところなのですが、本当に数年で終わるのですか? 従来の戦争では要塞化された都市など一年がかりで攻め落とすそうですが」
アイザックがそう遠くない未来の話をしたので、ウィンザー公爵は「本当にそんな短期間で終わるのか?」と不安をぶつけた。
「理論上は可能です。ファラガット共和国だけなら高い確率で成功させる自信はあります。どうしてもダメな場合は、グリッドレイ公国の侵攻を諦めて同盟関係で終わらせる事になるでしょう。それでも失敗と判断されるような事はないはずです」
「こちらも戦争が長期化した場合に備えておきますが、それでも五年が限界です。それまではなんとか持たせてみせましょう。ですがそれ以上長く戦争が続くようであれば、財政が大きく傾き、周辺国の介入を招く事態になるという事は念頭に置いておいていただきたいですな」
「ええ、長期化はさせません。そのためにウェルロッド公を派遣しているのですから」
「だといいのですが……」
アイザックの考えは、この世界の人間には理解しづらいものばかりだった。
今回のリード王国国王という肩書きを捨てようというのも理解しにくいものだ。
そんな常識外れの人間だからこそ、本当に数年で二カ国を併呑してしまうのではないかという思いもあった。
だが、まずはファラガット共和国一国を占領できるかどうかである。
初期侵攻計画の是非によって、今後の国家戦略も大きく左右されるだろう。
ウィンザー公爵やクーパー侯爵は不安を覚えながらも、今は目の前の課題を解決していく事に意識を向け始めていた。
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ファラガット共和国の首都デューイに到着してから一週間。
モーガンはデューイの南にある海岸でくつろいでいた。
しかし、アロハシャツでカクテルを片手に持つというほどくつろいではいない。
外務大臣である以上、だらしない格好を他国で見せるわけにはいかないのだ。
それでも薄手の生地で作られたシャツとズボンで、比較的過ごしやすい格好はしていた。
ジークハルトなどドワーフ達は、子供の海水浴客が浜辺で砂の城を作っているのを見て対抗心を燃やしていた。
それぞれが自分達の身長ほどある城を作り、周囲の注目を浴びている。
アロイス達は泳げない者ばかりなので、魔法を使って海の中に潜り、海藻や海の魚を観察していた。
さすがに漁業権がある事を知らされているので、魚を取ったりはしない。
探求心を満たすだけで我慢していた。
彼らがバカンスを楽しんでいるところに、ロックウェル地方からの伝令が到着する。
その伝令はモーガンのもとへ手紙を届ける。
中にはこう書かれていた。
――グリッドレイ公国との国境で巡回部隊同士が衝突し、負傷者が出た。
モーガンが中を確認すると、ニヤリと笑う。
これはすべて
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