第624話 種族間戦争の危機

 夏が過ぎ、秋が訪れた。

 そして、王都に使節団も訪れた。

 もっとも使節団とはいえ、王都に来たのはアロイスとジークハルトの二人のみ。

 一応は先に伝令から報告書を受け取っていたが、彼らの口から聞くためである。

 残りのメンバーはファラガット共和国で行った視察の結果を報告するために自国へ戻っていた。

 彼らから報告を受けるのは、アイザックとクロードの二人だ。


「ウェルロッド公から先に届けられた報告書で状況は理解しています。ですが是非ともお二人の口から直接伺いたい。どう思われましたか?」


 アイザックの催促を受け、ジークハルトはアロイスを見つめる。

 それは「そちらから先にどうぞ」という意思表示だった。

 アロイスはそれを受けて、先に報告する事にした。


「街中でも感じておりましたが、要塞の建設現場に近づいて確信致しました。かの国には、少なくともエルフが囚われています」


 アイザックとクロードは、改めてアロイスからエルフがいるという話を聞かされて顔をしかめる。

 あまり良い状況とは言えないからだ。

 だからこそ、しっかりと確認をする。


「その根拠は?」

「要塞の建設現場には、私が感じとった限りでは少なくとも二十人程度の魔術師がおりました。一人一人の魔力の強さは教皇聖下に匹敵するものです。私の知る限り、リード王国には教皇聖下に並び立つほどの魔力を持つ者はおりません。それほどの実力者がファラガット共和国でたまたま二十人も揃っていたと考えるよりも、建築作業で魔力を使ったエルフがいたと考えるほうが自然でしょう」

「堀を確認しましたが、石切り場がどれだけ近くても運べないような大きな塊が使われていました。断面の仕上げはどうにかなるにしても、建築資材の運搬は極めて困難です。少なくとも、あの短期間では大量の人員を動員せねばドワーフでも作れません。私もエルフの魔法で城壁を作ったものと見ております」


 ジークハルトも、アロイスの意見に賛同していた。

 リード王国に戻るまでに十分考える時間はあった。

 それだけに二人は確信に近い答えだと思っている。


「なるほど、エルフも囚われていると考えたほうがよさそうですね……」


 アイザックの表情が一層険しくなった。

 だが、それはエルフの置かれている状況を心配し、ファラガット共和国に対して怒りを覚えた事によるものではない。


(なんて事をしてくれたんだ、あいつらは! 俺が制御できる状況じゃなくなったらどうしてくれるんだ! 種族間戦争を再開する引き金を引いたとか俺は嫌だぞ)


 ――自分の置かれた状況についての怒りと困惑によるものだった。


 アイザックも「エルフやドワーフが協力してくれたら戦争が楽になるな」とは考えていた。

 しかし、それはあくまでも協力・・である。

 彼らが主力となって、ファラガット共和国を成敗するというものではない。

 そこまで大事になってしまえば、ファラガット共和国を統治するどころではなくなるからだ。


 ファラガット共和国を占領するなら、民衆の心を上手く操り、リード王国の支配を受け入れさせねばならない。

 それが種族間戦争の再開となれば、民衆はリード王国の存在を恐れるようになるだろう。

 適度な恐怖を与えるのはいいが、過度な恐怖は与えたくない。

 下手に刺激して民衆が「ただ殺されるくらいならば一矢報いてやる!」と一丸となって反抗されては困るのだ。


 それにアイザックの目標は占領、統治、併合といったものである。

 ファラガット共和国に住む人間の虐殺ではない。

 土地だけを得ても利益を得られないので、利益を得るためには住人も手に入れなければならないのだ。

 だというのにエルフの捕虜、もしくは奴隷までもが存在するとなると計画が根底から大きく狂ってしまう。

 かつてアイザックは「エルフを戦争に引き込めないかな?」と考えていた事もあるが、今回は「エルフを兵士として使う事ができる」と無条件で喜べる状況ではなかった。


「急いで防衛を固めろと伝えれば、慌ててドワーフを動員するだろうと思っていたのですが……。まさかエルフまで奴隷にしている可能性が出てくるとは……」


 これはアイザックにとっても完全な計算違いである。

 新しい領地を手に入れても、そこに住む人がいなければ税金は徴収できない。

 誰も住まない荒地など手に入れても旨みがなかった。

 種族間戦争など起こさせるわけにはいかない。


「本当に教皇聖下に匹敵する者が二十人ほどいたのかもしれません。世の中、信じ難い偶然が起きるものです」


(俺とか昌美とか……)


「ですからはっきりとした証拠が見つかるまでは早合点しないでいただきたいと思っています」

「証拠についてなのですが――」


 アイザックの平和への祈りも虚しく、ジークハルトには言いたい事があるようだ。


「堀を調べてみました。どう見ても人力によるものではなく、魔法による生成物です。素材は現地の土を魔法で固めたものでしょう。そして城壁も同じく地面の土を魔法で固めたものに見えました。……誰よりも陛下がご存知の方法で城壁と堀を作っていたのです」

「ん?」


 ――アイザックが誰よりも知っている方法で建設している。


 そんな事を言われても、アイザックは築城術など知らない。

 できるとすれば、せいぜいが家の見取り図を描く事くらいだろう。

 ジークハルトの言葉に、アイザックは「本当になんの事を言っているのかわからない」といった表情を見せる。

 ジークハルトは「言葉足らずだった」と、自嘲を籠めた笑みを見せた。


「治水工事の事です。川底を掘り下げて、掘り下げた分の土で堤防を補強する。おそらく同じ手法であの堀と城壁は作られています。継ぎ目がない事から、複数人で交代して作業したというわけでもないでしょう。一度にまとまった量の土を掘り下げ、魔法攻撃を耐えられる強度はありそうな十メートルほどの城壁を作る。そんな事はドワーフにはできません。そんな芸当ができる者は限られるでしょう。これは私だけではなく、他の者達も同じ考えでした」


「ドワーフには無理だ」と言ったが「人間にも無理だ」とまでは言わなかった。

 人間側の面子を考えてである。

 しかしドワーフに無理なら、実質的に人間にも無理だろう。

 やはりエルフの力があっての建設速度であると思うほうが自然だった。

 ジークハルトは職人ではなく商人を目指していただけに、彼の目利きは確かなものだった。


 だからこそアイザックは焦る。

 状況証拠ばかりではあるが、悪行の証拠が積み重なっていく。

 このままではいけない。

 そこで種族間戦争にならないように話の流れを変えようとする。


「もしかしたら複数人で同時に魔法を使って壁を作る事ができたりするのかもしれません。『ドワーフが奴隷にされている』という情報から、先入観を持って決めつけてしまっている可能性も考えましょう。もしここでエルフとドワーフの混成部隊でファラガット共和国に攻撃を仕掛け、実は勘違いだったという事態だけは避けねばなりません。まずは我が国にお任せいただきたい。モラーヌ大臣はどう思われますか?」


 アイザックは、クロードに話を振った。

 モーガンからの報告書が届いたあと、彼とは最悪の事態に備えて話し合っていたからだ。


「私は種族間戦争の再開になるような事は避けたいと考えています。おそらく村長もそう考えておられるのでは?」


 そのクロードはというと、アロイスに話を振る。


「もちろんだとも。しかし、同胞が囚われているのなら助けに行かねばならないとも考えている」

「それは私もです。もし種族融和大臣という肩書きがなければ、ファラガット共和国へ向かいたいという気持ちが抑えられなかったでしょう。ですが今はエルフとドワーフを代表してこの場にいます。まずはリード王国による確認をお願いしたほうがいいのかもしれません」


 彼は打ち合わせ通り、穏便な主張をしてくれた。

 アイザックもこの流れに乗る。


「実は以前のように医療班として従軍をお願いしようとは思っていました。危険ではありますが、ドワーフが囚われているというウォーデンを攻略する部隊に同行する志願者を募るというのはどうでしょう? ノイアイゼンからも観戦武官を派遣していただければ、同族を見て囚われている者達も安心するはずです」


 アイザックは先に「少人数の派遣」を提案する。

 これならば、あちらから「軍隊の派遣」という提案は切り出しにくいはずだ。

 種族間戦争への道のりを少し伸ばす事ができる。

 その間に対処法を考えればいい。


「どうせ派遣するなら……。祖父のマチアスなど、実戦経験豊富なものを投入するべきではないでしょうか?」


 ――しかし、クロードに背中から刺される事になった。


 彼は突然「マチアスの実戦投入」という打ち合わせになかった事を言い出した。

 これはアロイス達から直接話を聞いて気が変わったせいだった。


「突然なにを……」

「ウォーデンを攻め落とすのに時間がかかれば、エルフやドワーフを……、証拠を消そうとするかもしれません。それだけは防ぐ必要があります。ですのでウォーデンにのみ限定的な参戦もやむなしなのではないかと……」


 アイザックが驚いているのを見て、クロードの言葉が小さくなっていく。

 それでも証拠隠滅・・・・に触れた事で、アイザックも咎める事ができなくなってしまった。


「……確かにモラーヌ大臣の言う通り、街を攻め落とすのに時間がかかった場合に、そのような心配がありますね。こちらの目的があちらにわかっていなくとも、リード王国が両種族と交流を持っている事は知られています。協定違反を咎められるのを恐れて、ろくでもない行動を取る危険性も考慮しないと……」


 アイザックはクロードを、そしてアロイス、ジークハルトと順番に視線を合わせていく。


「エルフからはマチアス様のような実戦経験豊富な者、その上で今後のエルフ社会に影響を及ぼさないような年配者を中心に百名ほど。ノイアイゼンからは戦士を五百名程度派遣していただくというのはいかがでしょうか?」


 失礼な言い方ではあったが魔法が使えるのだから、体力的に問題があっても十分に戦える。

 それにエルフとはいえマチアスのような高齢者であれば、そろそろ寿命が来てもおかしくない。

 だが戦う意思があり、戦う術もある。

 ならば若者よりも寿命が近い老人から先に死んでもらうべきだろう。


 しかし、ドワーフのほうはそうはいかなかった。

 彼らの戦闘手段は接近戦が主である。

 ある程度は動ける若者でなければならない。

 だがエルフに比べたら人口は圧倒的に多い。

 五百名を失ったとしても、ドワーフ社会に大きな影響はないだろう。


 そういった配慮から、アイザックは百名や五百名といった数字を出した。

 歯に衣着せぬ物言いではあったが、それだけに彼が言いたい事ははっきりと伝わった。


「大飢饉による口減らしよりかは、誰かを救うためという前向きな理由での出陣と考えるべきでしょうか。ただクロードの……、モラーヌ大臣の前であまり言いたくはありませんが、年配者となると長老衆からも選ばなくてはなりません。そうなると人選に苦労する事になるでしょう」


 アロイスは「マチアスなんて使って、救出作戦は大丈夫なのか?」と暗にほのめかす。

 一応はクロードに配慮しているように見えるが、この場にいる誰よりもクロード本人がよくわかっているので言うまでもない事だった。


「建物の近くで戦わせなければ大丈夫でしょう。城壁などの外にいる兵士だけ攻撃させる分には問題ないはずです。時間のかかりそうな城門の攻撃だけなら安心して使っていただける……かもしれません」


 そしてよく知っているだけに、クロードも「絶対に安全だ」とは言い切れなかった。

 調子に乗り過ぎて、ドワーフのいる建物まで破壊してしまうかもしれない。

 戦闘能力はあるが、作戦遂行能力があるかは別問題である。

 どうしてもその点に関しては不安が付いて回る。


「私はノイアイゼンを代表できる立場ではありませんが、戦士を派遣するなら最低でも三千は出すでしょう。まだ今は疑惑の段階とはいえ、同胞を救出するためならそれくらいはせねば我らの立場がありません」


 ジークハルトも使節団のノイアイゼン代表として己の意見を主張する。

 これは「エルフが兵を出すのなら、ドワーフも負けてはいられない」という感情と「同胞を助けるのをリード王国にだけ任せては他の地域の同胞に顔向けできない」という面子の問題から出たものだった。

 彼にここまで要求する権限はなかったが、のちに正式な使者が送られた際に交渉の余地を残すために言っておかねばならない事だった。

 しかし、そのような申し出を受け入れられない事情がアイザックにはあった。


「そのお言葉はとても心強いものです。ですが……、お恥ずかしい事に三千もの軍を追加で養う余裕がありません。それに食料の問題は置いておくにしても、ウォーデンを素早く落とすのが最優先で、軍の規模が大きくなって行軍速度が落ちたら本末転倒です。エルフと合わせて千名以下に収まるようにしていただきたいのです」


 後方支援を含めれば二十万人を超す大規模な作戦である。

 軍務省のみならず、財務省まで頭を抱えている規模なのだ。

 三千人といえば伯爵領規模の軍勢だ。

 ギリギリで計算しているところに「三千人分の補給も追加でよろしく」とはアイザックも言いづらかった。


「軍の行動を阻害しない規模ですか……」

「そちらの立場などを考慮しているからこそ、モラーヌ大臣の意見を取り入れたのです。軍と呼べる規模の派兵をしたいのであれば、協定違反を確認してからにしていただきたい。開戦当初はリード王国軍にお任せください」

「そういう事ならば、初期段階では選りすぐりの戦士を五百名ほど派遣する方向で相談してみます。どうか何卒その枠の確保をお願い致します」


 ジークハルトも「リード王国軍の物資をノイアイゼンに多く割り当てろ」というのは無理だと感じていた。

 そのため大人しく引き下がる。


「承知した。ただし、これはエルフ次第だという事は覚えておいていただきたいのです。もしエルフから大勢を派遣していただけるのであれば、そちらが優先されますので」

「魔法は強力ですからね……」

「いえ、戦闘だけではありません」

「えっ?」

「水をね、出していただけると助かるんですよ。井戸や川で水を汲んだり、煮沸する手間が省けるだけでも進軍速度に大きな影響を与えます。ですのでウォーデンに同行する部隊だけではなく、医療班として同行していただける方々も多めに派遣していただけると凄く助かります」


 水。

 それも飲み慣れぬ異国の地の生水を、そのまま飲むのは危険である。

 たかが水ではあるが、生物には欠かせないもの。

 腹を壊す心配のない魔法による純水の価値は計り知れないものだった。

 エルフが飲み水を用意してくれるのであれば、水の補給に必要な時間を移動に割く事ができる。

 そしてその時間は、ファラガット共和国側に証拠隠滅を図る余裕をなくす事になるはずだ。

 そんなアイザックの考えを見抜いて、ジークハルトは小さく笑う。


「陛下が、ただエルフに戦わせるという普通の事を考えるはずがありませんでしたね。確かに万単位の人数の飲み水を確保するのは大変ですので、それもいいでしょう」

「軍に関わる事なら水を出すだけでも間接的に戦争に協力する事になりますが……。それでも協力してもかまわないという者を私も探してみましょう」

「ありがとうございます。ですが結論は急がず、まずは大使殿とも話してみるといいかもしれません。私はあなた方との友好関係を大切にしています。同胞の事があったので、冷静になれずに戦争の手助けをしてしまったと後悔せぬよう、時間をかけてご相談ください」


 アイザックはそう言うと、大きく安堵の溜息を吐き出しそうになった。

 だが表面上は穏やかな笑みをたたえるだけ。

 そうしないと本心がバレてしまうからだ。


(クロードの裏切りには困ったが、それでも兵士数に制限を課す事はできた。まったくのゼロだったら強引にねじ込んできたかもしれない。少数でも派遣できるなら、その範囲内で誰を送り出すかという事に集中して考えてくれるだろう)


 だが、これは一時しのぎに過ぎない。

 本当にエルフやドワーフが見つかった場合、本格的な介入が起きるだろう。

 その時に備えて対応を考えておかねばならなかった。

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