第620話 第五子の誕生と騒動の予感

 三月七日。

 この日の早朝、まだ日が昇らぬ頃にロレッタの出産が始まりそうだという報告を受けた。

 ティファニーと寝ていたアイザックは、急いで水浴びをしてから彼女のもとへ向かう。

 水を浴びるのは、他の女の匂いを纏わせたまま会うのは失礼だと思っていたからだ。


 ――複数の妻を持つ者としての最低限の配慮。


 気の使い過ぎかもしれないが、結婚以来、アイザックはそういった事に気をつけていた。

 ティファニーも身支度を始める。

 ロレッタの出産をいち早く祝うためだ。

 後宮に入って間もないため、彼女は周囲との関係に注意を払わねばならないからだ。

 化粧まではしないが、身なりを整え始めた。

 侍女に手伝ってもらっているが、それでもアイザックより時間がかかりそうだった。


「先に行くよ」

「うん……。あ、はい陛下」


 寝ぼけているからか、ティファニーは昔ながらの返事をする。

 しかし侍女の前でそれはまずいと思って、すぐに言い直した。


(言い間違う気持ちはわかる。俺も眠いから)


 だが出産は待ってくれない。

 子供は大人の都合では動いてくれないのだ。

 すべて赤ん坊の都合で動く。

 子供は自由なものだという事は、四人の子供達によって、すでにわからされていた。

 彼らを抑制などできない。

 たとえお腹の中にいる時でもだ。


 今、一番辛いのはロレッタだ。

 眠いくらいで文句は言えない。

 アイザックは、あくびを噛み殺しながらロレッタのもとへと向かう。


 彼女の部屋の前は慌ただしく侍女達が動き回っていた。

 侍女達にねぎらいの言葉をかけると、アイザックは部屋の中に入る。

 まだ準備中なので締め出されはしなかった。


「ロレッタ、大丈夫かい?」

「そう見えます?」


 ロレッタの呼吸は荒く、苦しそうだった。

 どう見ても余裕はない。


「ごめんなさい、今は辛くて……」


 嫌みになったと思ったロレッタが謝る。


「妊娠中は誰でも気分が不安定になるという事は知っている。すでに出産に三回も立ち会っているんだ。わざわざ謝る事じゃないよ」


 そう言って、アイザックは彼女の手を優しく握る。

 ロレッタはしっかりと握り返してきた。


「今はなにを言ってもいいさ。気分よく子供を産めるならそれでいい」

「ありがとう」


 しばしの間、二人は見つめ合う。

 そこに新たな来訪者が現れた。


「ロレッタ、大丈夫? あっ」


 アマンダだ。

 彼女は部屋に入ろうとして、中の様子を見て廊下に引っ込んだ。

 二人が見つめ合っているからではない。

 急いで駆けつけたため、髪を整えていなかったからだ。

 彼女は扉の影に隠れながら、手櫛で髪を整えようとする。


「陛下も来てたんだ」

「子供が生まれると聞いたら飛んでくるさ。アマンダも早かったね」

「子供を産む時、誰かがそばにいてくれたら心強かったから、ロレッタのそばにいてあげようと思って」

「そうか、それならこのあとは一緒にいてもらおうかな。ところでなんでこっちにこないの?」

「ちょっと待って」


 アマンダが髪を整え終わる。 

 だが手櫛では甘く、一部分だけ寝ぐせで跳ねていた。

 それを見たロレッタの侍女が、ちょうど運んでいたお湯を使ってアマンダの髪を湿らせて整える。

 アマンダは「ありがと」と小さくお礼を言うと、アイザックの前に姿を現した。


「お待たせ」

「アマンダさん、きてくださってありがとうございます」

「気にしないで。またボクが子供を産む時にきてくれたらそれでいいし。ねっ」


 アマンダは期待に満ちた目でアイザックを見る。

 アイザックとしても、言われるまでもない事だった。

 一日も早く彼女にも妊娠してもらったほうが腹上死の危険性が減る。

 自分の命のためにも必死に頑張る予定である。

 しかし、それをはっきり言うのは恥ずかしい。


「まぁ、おいおいね」


 素直に「はい、頑張ります」と答えたらエッチな人だと思われるかもしれない。

 もう手遅れだったが、アイザックはぼかして答えた。


「陛下。ご歓談中申し訳ございませんが、そろそろ……」

「ああ、わかった」


 ザック達も取り上げた顔なじみの助産婦がアイザックに退室を促す。

 アイザックも名残惜しかったが、これには素直に応じる。


「外で待っているから。頑張って」


 そう言い残して、アイザックは部屋の外に出る。

 すると、ジュディスの姿を見つけた。

 彼女も最近はつわりで気分が悪そうだが、ロレッタの出産と聞いて駆けつけてくれたようだ。


(みんなの仲がいいのは助かるな。複数の妻がいる場合、ライバルの出産に立ち会ったりはしないらしいし)


 アイザックが不安だった夫人同士の関係は良好のようだ。

 これなら安心して戦争に集中できる。

 頑張っているのはアイザックだけではない。

 妻達の努力に、アイザックは感謝していた。



 ----------



 出産が終わったのは日が昇り始めた時だった。

 この頃にはヘクター達も到着しており、アイザックと話をして待っていた。

 子供の産声が部屋の外にも聞こえて扉が開かれる。

 するとアイザックが真っ先に部屋の中へ飛び込んだ。


「元気な男の子です」

「それはよかった」


 助産婦の説明もほどほどに、アイザックは子供の顔を覗き込む。

 まだアイザックとロレッタのどちらに似ているとも言えない、なんとも言えない可愛らしい丸顔をしていた。

 アイザックがその子を抱き上げる。

 すでに慣れたもので、最初の頃のビクビクしたものと違って抱き方も堂に入っている。


「この子の名前はレオンにしようと思う。レオ将軍は私が初めて戦った相手であり、先代ウェルロッド侯を討ち取ったという縁のある相手だ。あの戦いがあったからこそ今の私があるし、ファーティル王国への救援に向かったおかげで君と出会えた。リード王家とファーティル公爵家のみならず、いつかロックウェル公爵家との懸け橋にもなってほしい。どうだろう?」

「……ええ、良い名だと思います」


 ロレッタはそう答えたが「それならフォード元帥のビクターのほうでもよかったのでは?」と思わなくもなかった。

 レオ将軍は有名だったが、平民出身の将軍だった。

 そんな彼の名前から取るよりも、できれば貴族であるフォード元帥の名前から取ってほしかった。

 だがウェルロッド公爵家に縁のあるレオ将軍の名前を取る事や、ロレッタの子供にレオンと名付ける事で、ロックウェル公爵家に配慮しているというアピールもできる。

 違う名前にしてほしいと思いはしたが、先に理由を説明されると否定しづらかった。


 ヘクター達も「仕方ないか」と思っていた。

 同じリード王国の一員になる以上、ロックウェル公爵家との関係は大事にしなくてはならない。

 これまでの関係を考えれば、名前一つでどうにかなるなら安いものだろう。


 しかし、男の子なら「レオン」と名付けようとするのが優先で、アイザックが説明した内容はそれっぽく聞こえるという理由からだった。

 だがそれで利益もあるのだから悪い事ではないだろう。

 アイザックが抱き終わると、ヘクターに渡す。


「これが曾孫を抱くという事ですか。ロレッタの子供を一目見るまで生きていたいと思っておりましたが、それが実現するとは」

「ブレンダやオフィーリアの子供も見るくらいにはお元気でいてほしいですね」

「そこまで長生きしたいものです」


 レオンがファーティル公爵家の面々の間を渡されていく。

 ロレッタのもとへ戻ってきた時、彼女はアマンダとジュディスを呼び寄せた。


「良きライバルがいたからこそ、私は頑張ってこられたのです。学生時代は競い合う間柄でしたが、今はもう競う必要はありません。これからもよろしくお願いします」

「あの時はこうなるとは思わなかったからねぇ」

「こちらこそ……、よろしく……」


 アマンダがレオンを抱き上げた。

 その間に、ロレッタはリサに話しかける。


「一人だけでもこれだけ疲れるのですから、双子を生むというのはかなり大変だったでしょう」

「ええ、もう一人産まないといけないのかと絶望しました。でも幸せも二倍なので、苦労に見合っていましたよ」

「リサさんは、なかなかタフなのですね」


 ロレッタは、ふぅと深く息を吐きだした。

 早朝からの出産だったという事もあり、無事に終わって安心したのだろう。

 彼女はうつらうつらとし始めた。


「ロレッタさん、お疲れ様でした。あとの事は私達に任せて休んでください」

「お言葉に甘えさせていただきます」


 パメラの言葉に返事をしたあと、ロレッタは徐々に眠りについていった。

 リサやアマンダの出産で彼女も経験を積んでいた。

 パメラの言った通り、彼女はテキパキと指示を出していく。 

 その姿は立派な正室としてのものだった。

 問題なくスムーズに後始末が進んでいった。



 ----------



 問題が起きたのは、ロレッタが目覚めてからだった。

 仕事が終わり、妻と子供の二人に会いに行ったアイザックに、彼女が弱音を漏らした。

 その内容が問題だった。


「この子にリードの名がほしいですわね」


 アイザックの息子の時点で、息子はレオン・リードと名乗れる。

 なのにあえて「リードの名がほしい」というのは「王太子にしてほしい」と要求しているも同然だ。

 これは大きな火種になりかねない要求だった。


 リード王家の血の濃さでいえば、パメラよりもロレッタのほうが濃い。

 正統性を保つためには、ザックよりもロレッタとの間に生まれたレオンのほうが上だ。

 男児が生まれた事で、彼女に欲が出てきたのかもしれない。


(ここで真っ向から否定するのは危険だ。強く否定すれば、自分自身の手で解決しようと動くかもしれない。ならば、こっちでコントロールできる範囲で動きを把握できるようにしておいたほうがいいな)


「今、そんな事を考えるのはまだ早い。まずはレオンが十歳になって、元気に育っているかどうかを見てからだ。それからならば考慮する余地はあるだろう。だから今はそんな事を言わないでほしい」

「そうですね……。私が軽率でした」

「あぁ、そうしてほしい。けしてパメラに気取られてはいけないよ」


(いくら産後でホルモンのバランスが崩れているとはいえ、こんな要求をしてくるって事は、多少なりとも前から思っていたんだろうな……。どうにかしないと)


 アイザックとしては、やはりザックを王太子にしておきたい。

 レオンを王太子にすれば、まず間違いなくウィンザー公爵家が敵に回るだろう。

 だがザックが王太子のままならば、ファーティル公爵家が敵に回る事はない。

 先にザックが王太子だと決まっているからだ。

 この序列を変更しようとするのは国が乱れる原因でしかない。


 ――ロレッタに不満を残さない形で、彼女が文句を言えなくする。


 愛する人との間に生まれた子供を一番にしたい。

 そう思う気持ちもわからなくはないが、パメラやザックの立場を尊重すると決めたから結婚したのだ。

 ちょっとした弱音のようなものかもしれないものの、この言葉を聞き流すわけにはいかない。


(そうなると、やはり戦後に大きな改革が必要となりそうだな)


 幸いな事に、アイザックはこの問題を解決する方法を思いついていた。

 ロレッタが求めているのは「リード王家」の肩書きである。

 それだけならばどうにかなるだろう。

 しかしそれを実現するには、まずファラガット共和国などを片づけねばならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る