第600話 人材育成の難しさ

 国境からアスキスに戻ると王都に帰る準備を始める。

 とはいえ、アイザックがやる事はない。

 すべて使用人達がやってくれているからだ。

 準備に時間がかかるのは、主にロレッタである。


「子供ができたら、この人形を気にいってくれると思いますか?」

「女の子なら。男の子だとちょっと微妙かもしれないね」


 ロレッタの嫁入り道具はすでに持ち込まれているため、まだ見ぬ子供にプレゼントできそうな私物を選んでいた。

 アイザックは彼女の相談に乗っていた。

 妻とはいえ女性の部屋に入るのには慣れておらず、ついキョロキョロとしてしまう。


「なにか珍しいものでもありましたか?」


 彼の姿を見て、ロレッタのほうが「アイザックの珍しい姿を見た」と思っていた。


「今まで女性の部屋に入る機会があまりなくてね。特定のなにかではなく、部屋自体が珍しいんだ」

「まぁ、そうだったのですか。私はてっきり慣れているものだと」

「それはどういう意味かな?」

「さぁ、どういう意味でしょう」


 ロレッタが、からかうようにクスクスと笑う。

 アイザックを狙う者は昔からいた。

 あれだけモテていたのだ。

 女の部屋に招かれた事くらい何度もあるだろう。

 だから彼女は、アイザックの言葉を信じなかった。

 しかし、アイザックも嘘は言っていない。


「本当に慣れていないよ。自室はプライベートな空間だ。だからパメラ達の部屋にもできるだけ入らないようにしている。見られて困るものがあるかどうかではなく、一人になって気を抜ける場所というのは大事だと思っているからね」


 これはアイザックにとっても重要な事だった。

 王になってからは、おならをするのにも気を遣うようになった。

 王の威厳を守るためにも「所かまわず」とはいかないからだ。

 アイザックですらそうなのだ。

 妻達は新婚のため、もっと気を遣っている事だろう。

 だから結婚したとはいえ、気軽に妻の部屋に入ったりはしていない。

「女性の部屋に入った経験が少ない」というのは本当の事だったのだ。


「あら、そうでしたの。では私の部屋なら……」


 新婚とはいえ、ロレッタは思い切った事を言ってしまったと思って頬を赤らめる。


「今はそう思うかもだろう。でもいつか『デリカシーのない人』だと思われるのは嫌だ。……だからそうならないよう、長く付き合っていけるように、ちょっとだけにしようか」

「ええ、歓迎致します」


 二人が照れ笑いを浮かべる。

 新婚らしく初々しさがあった。

 だが荷物を運んだりしている使用人達には「二人きりの時にやってくれ」と思われていた。



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 ロレッタの準備は一日では終わらない。

 妹達にお気に入りの装飾品を分けたりするなどしていた。


(今生の別れってわけでもないのに……)


 そうは思うものの、アイザックは口には出さなかった。

 盛り上がっているところに水を差す必要はない。

 多少の退屈を覚えながらも、仲の良い姉妹のやり取りを見守っていた。


 ――そこにクロード帰還の知らせが入る。


「仕事が入ったようだ。ちょっと行ってくるよ」


 そう言って、アイザックはロレッタの頬に行ってきますのキスをする。

「この場を去る理由ができて、ちょっと嬉しい」という気持ちを持ってしまった事への謝罪だ。

 義妹達にも声をかけてから、クロードが待つ部屋へと向かう。


(問題はなにもなかったはずだから、上手くいったという報告だけだろう。ソーニクロフト侯を付けたしな)


 アイザックは、クロードの仕事ぶりに関して心配していなかった。

 なぜなら不安がるクロードのために、ソーニクロフト侯爵を相談役として付けたからだ。


 ――彼を相談役にした理由。


 それは彼が無職だったからだ。

 ファーティル公爵が地方総督という肩書になり、各大臣は長官という肩書になったものの、基本的には王国時代の行政府を引き継いでいる。

 ファーティル王国がファーティル地方へと変わった時、統治体制にも一部変化があった。

 だが変革の影響を大きく受けた地位もある。

 

 ――それは外務省だった。


 ファーティル公爵はあくまでも地方を任される統治者であり、外交の権限はない。

 それはリード王国中央政府のみが持つ権限だからだ。

 ファーティル王国の外務省は解体され、一部の人員はリード王国外務省へ、残りは他の庁へと吸収された。

 そのためアイザックとロレッタの婚約を進めるために、財務大臣から外務大臣へと異動させられたソーニクロフト侯爵は、大臣就任から一年ほどで役職を失って無職となった。

 暇になった彼のために、アイザックはクロードの相談役に任命する。


 これは彼がアイザックの大伯父という事もあったが、それだけで任命したわけではない、

 一年だけとはいえ外務大臣の経験者であり、長年財務大臣を務めていたのだ。

 不慣れなクロードに予算の使い方や確保の仕方などを教えてくれるだろうと期待してのものである。

 彼が付いている以上、失敗したとしても酷いものではないという信頼感があった。


 アイザックが部屋に到着すると、クロード達は立ったままの姿勢で出迎えてくれた。

 こうして出迎えられるのには慣れてきたが、クロードのように気楽に接してきた者にされるとどこかむずがゆさを感じてしまう。

 椅子に座ると、アイザックは彼らにも着席するように促した。


「普段、顔を合わさない地域の人と話すのも楽しかったのでは?」


 アイザックは交渉について心配はしていなかった。

 問題があれば早馬を飛ばしているはずだ。

 それをせずに本人がいるという事は、交渉が上手く進んでいる証拠だったからだ。

 事実、クロードの表情は明るいものだった。


「見知った顔もおりましたが、初めて顔を合わせる者もいたので楽しめました。あちらの要求としては、ファーティル地方南部に三か所ほど交易所を作ってもらえると助かるとの事でした。報告書はまたのちほど提出致しますが、取り急ぎご報告をと思いまして」

「三か所ですか……。ではウェルロッド侯爵領南東部にも一か所くらいは追加してもよさそうですね。もっとも、そちらはノイアイゼンとの摩擦が起きないよう、ドワーフとの共同出資としましょうか」


 ドワーフとの最初の接触は「商売相手を奪われた」と怒鳴り込まれたものだった。

 アイザックは、その事を忘れてはいない。

 ファーティル地方に作るのは、ノイアイゼンから離れているので問題はないが、ウェルロッド侯爵領南東部に追加で交易所を作るのならば、ドワーフに声をかけるべきだろう。

 貿易摩擦など起こさないほうがいいのだから。


「そうしていただけると近くのエルフ達も助かるでしょう。私はこのあとすぐに商人達に出店を頼みに回るつもりです」


 やはり同胞の暮らしを楽にしてやりたいという思いが強いのだろう。

 クロードは、やる気に満ちていた。 

 彼のやる気をアイザックは評価していたが、疑問に思うところもあった。


「それについて、ソーニクロフト侯から助言はありませんでしたか?」

「ファーティル公に口利きをしてもらったほうがいいと言われました。ですがこうした経験も積んでいく事が大事なので、自分の手で行うつもりです」


 ――やる気に満ちている。


 それはいい。

 だが世の中やる気だけではダメな時がある。

 それが今だった。


(指摘するべきかどうか……)


 ここで指摘したほうが今後のためになるだろう。

 しかし、それでやる気を削ぐ事にならないかが心配だった。

 アイザックは迷う。

 そして悩んだ結果、指摘する事にした。


「大臣自ら商人一人一人と交渉するのはやめておいたほうがいいでしょう」

「なぜでしょうか?」

「最終段階で詰めの交渉をするというのであれば問題ありません。ですが大臣自らが出店してほしいと乞う形になるのはまずい。それでは商人達が『ではこの条件なら』と足元を見て要求をしてくるでしょうから」

「そこから交渉していくのではありませんか?」


 問題があるのなら根気よく交渉していけばいい。

 それをせずにどうするというのか。

 クロードは、アイザックの言っている事がわからなかった。

 そんな彼の態度を見て、アイザックは人選ミスだったと感じた。


(いや、間違いと決まったわけじゃない。まだ経験と知識が足りないだけなんだ)


 クロードは、マチアスの孫として人間社会で幼少期を過ごしていた。

 それに交流を再開してからは、大使としてウェルロッド侯爵家に滞在していた。

 そのせいでアイザックは「彼が貴族社会に適応できる」と思い込んでしまっていたのだ。


 しかし、実際は違う。

 彼は人間社会の暮らしなどを体験するために派遣された名目上の大使というだけであり、エルフ達も本当の大使にはしなかった。

 交流再開時に派遣された大使はエドモンドであり、クロードではない。

 それは彼が国相手の駐在大使としては不適格だと判断したからだろう。


 アイザックも、今思えばそれは正しかったのではないかと思った。

 幼少期は大貴族の重鎮の孫として暮らしていても、それ以降は農民や狩人といった暮らしをしていた。

 この十五年ほどはアイザック達のところにいたが、エルフの寿命は人間の十倍。

 人間の感覚でいえば、一年半ほどでしかない。

 貴族としてのやり方を学ぶ時間が足りなかったのだろう。

 ならば教えるしかない。

 クロードも大臣という職を引き受けた以上、成長するか、辞任するかのどちらかしかないのだから。


「最初に『お願いします』と好条件を付ければ、これから先、他の商会も『同じかそれ以上の条件でなら引き受ける』となるでしょう。エルフは人数が少なく、市場も小さい。それでも利益があると思わせれば、あちらから頭を下げて『出店させてください』と言ってくるでしょう。そう仕向けるべきです」

「そう言われましても、どうすればいいのか……。私は陛下ではないのですよ」


 クロードは「頭脳の基準をお前と一緒にするな」と言いたかった。

 しかし、これはアイザックでなくとも思いつく方法だった。

 現にソーニクロフト侯爵が助言をしている。


「ソーニクロフト侯の言ったように、ファーティル公に相談するだけです。交易所に出店できる商人を紹介してほしいとね。私もファーティル地方の商人の事などわかりません。その点、ファーティル公はこの地方で信頼のできる商会を知っています。店構えだけが立派で、中身が伴わない商会に依頼してしまうという事もないでしょう。その他にも利点はあります」


 アイザックは、クロードにファーティル公爵に頼んだ場合のメリットを説明する。

 先ほどの信頼のできる商人を紹介してもらうというのもそうだが、なによりも保証が大きい。

「どうせエルフの市場が小さくて利益にならないから」と、売りものにならない物を交易所に並べられたら困る。

 だからファーティル公爵に紹介してもらうのだ。

 そうすれば商人達は手を抜く事ができない。

 そんな事をすれば、紹介したファーティル公爵の面子に泥を塗る事になってしまうからだ。

 最低限の品質は保証される。


「それでは商人には儲けはないが、赤字を垂れ流せというのでしょうか?」

「交易所では人件費などで儲けはでないかもしれない。だが商会全体で見れば『エルフ御用達』という看板で稼げるようになるだろう。グレイ商会なども『エルフやドワーフとの交易を任されている』『それだけ侯爵家に信頼されている』という強みを活かして商売を広げています。だからファーティル公に『エルフ御用達の肩書きが欲しいものは集まれ』と声かけをしてもらえばいいのですよ」

「なるほど。その場合、ファーティル公へのお礼はどうすればよろしいでしょうか?」

「特には必要ありません」


 アイザックの言葉に、クロードは目を丸くした。

 相手が妻の父親であっても、お礼はしておくべきだろう。

 だが、これはクロードが自分の立場を理解していないせいだった。


「エルフとの交流が活発になり、インフラ整備が進めば得をするのはファーティル公です。それにクロード大臣・・は商人ではなく、国家事業を任されている立場。貴族が国の方針に従うのは当然の事です。私への報告書に協力者として名前を記載すると言っておけば、報酬としては十分でしょう」

「そういう事ですか」


 クロードは、アイザックとソーニクロフト侯爵を交互に見る。

 そして少し悩み、答えを出した。


「大臣という立場にある以上、自分の手で解決しようというのではダメなのでしょう。これからは人を上手く動かしていかねばならない。だから熟練のソーニクロフト侯を相談役にしてくださったのですね」

「その通りです。だから周囲の助言に耳を傾け、自分なりに答えを考え、こういう考えはどうかと聞きながら少しずつ学んでいってください。……もっとも、私自身が人に言える立場ではないですけどね。昔の癖が抜けずに自分で動いてしまいますから」


 そう言ってアイザックは笑う。

 だが内心は笑っていなかった。


 ――やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


 という山本五十六の言葉が頭の中に浮かんでいたからだ。


(自分でやったほうが早い。そう思って仕事を任せなかったら人は成長しない。『なんでそれくらいできないんだ』と叱るのは厳禁だ。聞かれたら答えるというスタンスを俺は忘れないでおこう)


 アイザックも前世で――


『なんでそれくらいの一々事を聞いてくるんだよ。自分の判断でやれ』

『自分の判断で勝手にやるな、小さな事でもちゃんと確認しろよ』


 ――と言われて「どうすればいいんだよ」と困った経験がある。


 だからできる限り質問には答えてやるつもりだった。

 自分が理不尽な経験をしたからと、後進にやり返す必要などないと考えていた。

 同じ質問を繰り返されても突き放す事なく、根気よく付き合っていこうと思っていた。

 さすがに財務大臣だったソーニクロフト侯爵が「財務ってどう管理するんでしょう?」と聞いてきたら「お前はなにをやってきたんだ? 自分で考えろ」と突き放してしまうだろうが、それは特殊過ぎる事態であるので仕方ないだろう。

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