第598話 埋伏の毒

 パーティーの翌日。

 アイザックはヘクターやギャレットを連れて、アルバコア子爵邸の庭でティーパーティーを開いていた。

 もちろん、クローカー伯爵も連れてきている。


 本来ならば、アルバコア子爵家にとって名誉な事である。

 なにしろ元を含めて、三カ国の王が訪れてきてくれているのだ。

 これほど豪華な面子を客として迎えられる者など、そうそう居ない。

 だがアルバコア子爵には、彼らを歓迎する余裕などない。


「慎重に積み込め! その彫像は歴史的価値のあるものなんだからな!」


 アルバコア子爵一家は爵位を剥奪され、追放となる身だ。

 客人の事など気にしている余裕などないし、相手をする義理もない。

 財産の持ち出しを許された一台の馬車に、できるだけ多くの物を積み込ませようと必死になっていた。


 そんな彼らを肴に、アイザック達は話に花を咲かせていた――わけではない。

 彼らの姿を見に来たのは事実だが、それは嫌がらせのためだけではなかった。


「急いで荷物をまとめるのも大変そうですねぇ」


 アイザックは他人事のように呟く。

 その声を聞いた者達は「そういう状況にした張本人が、そんな事を言うのか……」と引いていた。

 唯一、クローカー伯爵だけは気にしていなかった。

 彼はアルバコア子爵に思うところがあるからだろう。


「ジェフ、アルバコ――じゃなかった。ヒューを呼んできてくれないか」

「かしこまりました」


 アイザックは近くにいた近衛騎士の名前を呼び、元アルバコア子爵のヒューを呼んできてくれと頼む。

 ヘクターやギャレットは、アイザックがそういう人物だと知っている。

 だが初めて見たクローカー伯爵は驚いた。


「陛下ほどのお方が、なぜ家臣に媚びておられるのですか?」


 どうやら彼には「護衛の名前を呼び、命令ではなく頼む」という形で命じたのが媚びているように見えたようだ。

 子供の疑問に、アイザックは微笑みながら答える。


「時々、そういった事を聞かれるけどね。媚びているわけじゃないんだ。貴族、特に嫡流だと仕えられて当たり前だと思いがちだけと、それじゃあいけないと思うんだよね。彼らは命を懸けて私達を守ってくれているから、こちらもそれに応えないといけない」

「ですが、それが彼らの仕事なのではないですか?」


 クローカー伯爵は貴族としてありふれた考え方を持っていた。

 だがそれが悪いというわけではない。

 しかし、前世で一般市民だった経験のあるアイザックにとっては間違った考えだった。


「そう、それが仕事だ。でもだからといって『仕事だから私のために死ね』というのでは愛がない。彼らが気持ちよく死ねる状況を作ってやろうとしているだけだ」

「気持ちよく死ねる状況、ですか……」


 アイザックの言葉を、ヘクターやギャレットは理解できたようだ。

 だがまだ若いクローカー伯爵にはわからないらしい。

 アイザックは彼のために説明してやる。


「そうだ。身を持って主君を守ったあと『お前は誰だったかな?』などと聞かれては死んでも死に切れないだろう。だから『この人のために死ねてよかった』と思ってもらえるように努力をするのも、上に立つ者の役目だと私は思っている。全員の名前を覚え、丁寧に命じるのもその一環なんだよ」


 これはアイザックの社会人時代の経験である。

 お客様相手とはいえ、やはり横柄な態度で注文されると腹が立つ。

 そのおかげで普通の態度で注文してくれるお客様のありがたさが身に染みた。

 だからアイザックもできるだけ横柄な態度を取らないようにしていた。

 そのほうが人に良い印象を与えやすいからだ。


「でもまぁ、もっともらしい事を言っているけど、子供の頃からこういう話し方だったから癖になっているだけなんだけどね」


 そう言ってアイザックは笑う。

 クローカー伯爵も「からかわれたのかな?」と思って曖昧な笑みを浮かべた。

 しかし、それも一瞬の事。

 ヘクターやギャレットが「不可解だ」といった反応を見せていない事から、アイザックの言葉が事実であると判断した。


(何気ない会話の中にも、意味がある事を含んでいるんだ。陛下のお言葉は一言たりとも軽く聞き逃しちゃダメなんだ!)


 クローカー伯爵は、アイザックの言葉の一言一言が含蓄深い言葉なのだと思った。

 そして、これほど偉大な人物と席を共にできる幸運を感謝した。

 会話が終わったところで、元アルバコア子爵のヒューが連れてこられる。


「やぁ、ヒュー。荷物の積み込みの調子はどうかな?」

「順調に進んでおります」


 ヒューは不満を表に出さず、努めて冷静な返事をする。

 それを見てアイザックが、また笑った。

 だが彼を嘲笑したわけではない。

 クローカー伯爵に対して大人ぶって教える良い教材になると思ったからだ。


「そう、この態度だ。爵位の剥奪や、執事などの側近達が処刑されたにも関わらず、不満を表に出さずにいる。『陛下のおかげ』や『おかげさまで』などの嫌みも言わなかった。なぜだかわかるかな?」

「復帰か逆襲の機会を狙っているからでしょうか?」

「そうだ」


 どうやらクローカー伯爵は、アイザックが話した「生き残ってこそチャンスがある」という話を覚えていてくれたようだ。

 これで話が進めやすい。


「逆襲など考えておりません!」


 近衛騎士に睨まれたヒューが、すぐさま否定する。

 だがアイザックは、彼の事など気にしていなかった。


「ここで反抗的な態度を見せれば、この場で討たれたり、家族も国外追放では済まなくなったりするかもしれない。だから本心を隠してチャンスを窺うのが重要になってくる。君は伯爵家の当主なんだから、これからは相手を道連れにするとか考えず、社交界で上手く立ち回っていく事を考えないとね」

「はい!」


 教材にされている事に気づいたヒューは、さすがに強い不満を持った。

 だが「もういいですか?」などとは言わない。

 今はアイザックの機嫌を損ねる事だけは絶対に避けねばならないのだから。


「ところでヒュー、君は王都まで来てくれたよね? 街道はどうだった?」

「快適でした」

「それはよかった。ファーティル地方の整備もエルフの出稼ぎ労働者に頼んでいるので、そう遠くないうちに主要街道は整備されるだろう」


(晒しものにするために呼んだのか?)


 突然、アイザックが世間話を始めた。

 ヘクター達の前で国外追放の処分を受けた惨めな男の姿を見せたいのだろう。

 さっさと積み込み作業に戻りたいヒューにとっては嫌がらせでしかない。

 そういったマイナスな印象しか受けない会話だったが、実のところアイザックはプラスの話をするために呼んだのだった。


「来年、ロックウェル王国もリード王国に編入されるからファラガット共和国への追放とした。ではファラガット共和国までの道中、ロックウェル王国の街道はどうだろう? 私はまだ行った事がないからわからないが、財宝を満載した荷馬車が泥濘にハマったり、重さで車軸が折れたりしたらどうなるだろうな。それもファーティル王国の元貴族の馬車が」


 ヒューは、ハッとした表情を見せる。

 アイザックがなにを言わんとしているかに気づいたからだ。


 ――ファーティル王国の元貴族がロックウェル王国内で立ち往生した時、付近の住民は黙って見過ごす事ができるのか?


 できるはずがない。

 彼らは周辺国に長年に渡って食い物にされてきたのだ。

 そこにファーティル王国の元貴族・・・が財貨を満載した馬車と共に道端で立ち往生していれば、住民はどう考えるだろうか?


 きっと高い確率で襲われるはずだ。

 例えファーティル王国の人間でも貴族相手ならば、ロックウェル王国の民も手出しはしないだろう。

 だが元貴族ならば話は変わる。

 爵位を剥奪されるような罪人をどうしようが、リード王国が怒る事はない。

「立ち往生=死」という未来が、話を聞いていた者達の脳裏に浮かんだ。


「爵位の剥奪と国外追放。処罰はその二つだけだ。それ以上の報いを受けるべきではないと私は考えている。だから馬車一台に荷物を詰め込もうとしないかを確認しにきたのだ」

「陛下……」


 ヒューは自分の爵位と家族の未来を奪った相手だというのに、それを忘れて温情に本気で感謝してしまいそうになる。

 だがすぐに「こいつは憎い相手だ」と気を取り直す。


「陛下のお気遣いに感謝致します。それで……」


 そこで形だけの感謝を言葉にする。

 アイザックは心の籠っていない感謝だとわかりながら、不快になったりはしなかった。

 わかりきっていた事だからだ。

 むしろ余裕のある態度を見せる。


「指示を出しに行きたいんだろう? だがその前に話がある」


 ――わざわざアイザックから申し渡される話。


 ヒューは体を恐怖で震わせた。

 しかし、アイザックは「それ以上の報いを与えない」と言っていた。

 ヘクターやギャレットの前での発言である。

 その言葉に嘘はないと信じて、恐怖を抑えようとする。


「実はロックウェル王国を編入後、ロックウェル地方の民の不満を解消するため、ファラガット共和国に侵攻する計画がある」

「へっ……」


 アイザックの言葉で、一度は恐怖が消え去った。

 その代わり、また新たな恐怖がこみ上げてくる。


 ――国家の命運を左右するような重大な情報を、なぜこんなにも追放する者に教えるのか?


 ヒューの頭の中で「国家機密を知ったな? では口外せぬように処刑する」と言い出すアイザックの姿が浮かびあがった。

 先ほどのアイザックの言葉は「クローカー伯爵家に関する件では処罰しない。その代わり別件で処罰する」と言っていたのではないだろうか?

 そう考えると、周囲にいる護衛の騎士が今にも飛びかかってきそうに見えてしまう。

 ヒューはオドオドとした態度を見せた。


「そう怯えなくていい。私はこの事をファラガット共和国の有力者に伝えてほしいだけだ」

「アイザック陛下、それは機密事項では」


 ギャレットが咎めるような口ぶりで口を挟んでくる。

 それも無理はない。

 防備を固められれば、侵攻作戦が失敗するかもしれないからだ。

 事情を知る者ならば当然の抗議行動だった。

 だがアイザックは、フフフと笑って聞き流す。


「私としては外征に使う金を内政に使いたい。だからファラガット共和国に警告し、国境の防衛を固めてもらいたい。そうすればロックウェル王国の民も『守りを固められたのならしかたない』と思ってくれるだろう」

「……それを伝えた場合、私にメリットはあるのでしょうか?」


 この件を引き受けた場合のメリット・デメリット。

 それくらいはヒューにも瞬間的に頭に浮かんだ。

 だが、それをアイザックの口から直接聞きたかった。

 言質を取りたかったのだ。

 だから彼は聞き返した。


「もちろんある。状況次第ではあるが、私が満足する結果になれば、アルバコア子爵家の復興も前向きに考えてもいい。彼らが話を聞き入れずに国境の防衛を固めなくとも、リード王国が戦争を仕掛けるそぶりを見せれば重要な情報源として扱ってくれるだろう。成功しようが失敗しようが、損はしないはずだ。デメリットは、あちらでリード王国を貶めるために必死なのが来たと思われるかもしれないくらいだな」


 ヒューもアイザックの言った事は思い浮かんでいた。

 それだけに、アイザックの言葉を怪しんだ。


 ――話が美味すぎる。


 メリットの大きさに比べて、デメリットが「リード王国を追放されたから、貶めるのに必死な奴」と思われるくらいなのだ。

 美味い話には裏があると考えるべきだろう。

 しかも相手がアイザックである。

 より一層の慎重さが求められる場面だった。

 そんな彼の考えをアイザックは見抜いていた。


「言っただろう、これ以上の罰を与える気はないと。これはクローカー伯が昔遊んだ従兄弟との楽しい思い出から、従兄弟に・・・・チャンスを与えてほしいと頼まれたのだ」

「では私が引き受けなかったらどうなっていたのでしょう?」

「ファラガット共和国を警戒させる手は他にも考えている。その一つとして使うつもりだ。断ってくれても、こちらは一向に構わない。好きにするといい」

「受けます! 引き受けます! やらせてください!」


 どうやらアイザックは子供に甘いところがあるらしい。

 ならば、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 アイザックが考え直す前に、ヒューは飛びついた。


「なら頼むぞ。上手くあちらの権力者に取り入る事ができたのならば、無理に戻ろうなどと考えなくてもいい。戻るか残るかは自由にしてくれ」

「はっ!」


 彼はアイザックに頭を下げると、ヘクター達にも一礼する。

 そして最後に、深々とクローカー伯爵に頭を下げると、馬車のところに戻っていった。

 そんな彼の後ろ姿を見て、アイザックはほくそ笑む。


「上手くいったようですな」


 ヘクターがアイザックに話しかける。

 彼らには前もって話していた。

 だからギャレットも強く否定してこなかったのだ。


「ええ、どうせ使い捨てにしてもいい駒ですから」


 アイザックが悪い笑みを浮かべながら答えた。

 そう、先ほどの提案はヒュー達の事を考えての提案ではなかった。

 ファラガット共和国に国境の警備を固めてもらったほうが、アイザック達にとって都合がよかったのだ。

 作戦面でもそうだが、アイザックは何よりも国境の防衛を固める時の動きが見たかった。

 ロックウェル王国の編入は一年後。

 国民感情を考慮して戦争を仕掛けるなら、そう遠くないうちに動くと考えるはずだ。

 要塞などを築く時間的余裕がない。


 ――時間がないのならば、どうやって要塞を築くか?


 人の手で間に合わないのならば、人ならざる者の力を借りるしかない。

 常識的な建築速度を超えるのなら、人間以外の協力者がそこにいるという事だ。

 それが前もってわかれば、ドワーフの傭兵団を戦場に送り込めるかもしれない。

 ドワーフが参戦すれば、エルフも参戦してくる可能性もある。

 そして戦争に参加させれば、彼らをリード王国の国民として取り込むきっかけに使えるからだ。


 言わば、ヒューはファラガット共和国の行動を阻害する埋伏の毒。

 捨てる素材をリサイクルしただけである。

 もっとも、パメラがこの場にいれば「こんな人にも自然にも厳しいリサイクルがあるか!」と突っ込んでいただろう。


 アイザックが言ったように、彼はメインではない。

 彼はついでだ。

 これからも次の手を打っていかねばならない。

 そして、その算段はすでについていた。

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