第596話 国王の特権

 クローカー伯爵と会ったあと、アイザックはアルバコア子爵を始め、この件に関係する者達を捕らえさせた。

 翌日には「アルバコア子爵らが捕縛された」という噂がアスキスに集まっていたファーティル地方の貴族達の耳に入る。

 だがアイザックは詳細を発表しなかった。

 そのため貴族達は「パーティーの時に説明があるのだろう」と思い、その日を待っていた。


 パーティー当日。

 まずヘクターが新たな王を紹介し、貴族達が序列順にアイザックへ挨拶をしていく。

 貴族達が思っていたのとは違い、パーティーは至って普通の始まり方をした。

 だが、なにもないはずがない。

 このまま一気に腐敗を正そうとして、目をつけた貴族達を一掃するかもしれないし、混乱を生み出さぬようアルバコア子爵家だけをコッソリ処分するだけで終わらせるかもしれない。

 後ろめたい貴族達の間で、期待と不安が交錯する。


 ――アイザックが動いたのは、一通り挨拶が終わったあとだった。


 新しい王の歓迎パーティーという事で、なんらかの事情がある者も出席はせねばならない。

 高位貴族は顔繋ぎのために残るが、アイザックと話す機会のなさそうな下級貴族の中には挨拶が終われば「義理は果たした」と帰る者もいる。

 だから彼らが帰る前に説明する必要があったのだ。

 パーティー会場は庭園で行われているため、アイザックは一度バルコニーへ移動する。


「皆にアルバコア子爵について話しておきたい事がある」


 正装してはいるが、手足を縛られたアルバコア子爵達がバルコニーの下に連れ出される。

「ついに話すのか」と、貴族達の耳目がアイザックに集まった。


「クローカー伯爵家に縁のある者を捕えたという事は噂になっているだろう。その説明の前に紹介しておきたい者がいる。ウィリアム・クローカー伯爵だ」


 その言葉に応じて、クローカー伯爵が貴族達の前に姿を現す。

 彼の姿を見て、貴族達は絶句した。


 ――顔色の悪い痩せた少年が着古したパジャマを着ていたからだ。


 服を着替えさせていないのは、アイザックの考えによるものだ。

 顔色も化粧で、より悪く見えるようにしていた。

 そのほうが周囲の同情を買えるからだ。


「アルバコア子爵は後見人という立場を悪用し、クローカー伯爵家を乗っ取ろうとしていた。私はクローカー伯の要請に応じて、アルバコア子爵の後見人の資格を剥奪、同時に身柄を拘束した」


 貴族達は今の説明で状況を理解した。

 クローカー伯爵家が先代と跡継ぎを含め、多くの血縁者を亡くした事は知られている。

 アルバコア子爵が「有力な親族がいないならば乗っ取りも容易だ」と魔が差すのも無理はない。

 だが一部の者達はアルバコア子爵を「アイザックが国王になったタイミングで、そのような事を謀るとは時世の見えない愚か者だ」と鼻で笑う。

 アイザックは御家騒動で苦労したのだ。

 そういったものを嫌うと理解するべきだった。

 そして彼らはアルバコア子爵を笑うと同時に、アイザック政権下での立ち回りを考え始める。


「陛下、これはあんまりです!」


 アルバコア子爵が叫ぶ。


「陛下は贈り物を受け取ったではありませんか! その時、わかったとおっしゃいました。クローカー伯爵家を私に譲ってくださるのではなかったのですか!?」


 彼の言葉に会場がざわつく。

 これは「アイザックが賄賂を受け取っていた」という、ざわめきではない。

「賄賂を受け取っておきながら裏切った」という事に対するざわめきだった。


 賄賂は貴族社会の潤滑油だ。

 それを受け取っておきながら裏切るのは、アイザックが信用できない相手だという証拠である。

 これまでにも「アイザックは信用できない」という印象を持たれていたが、それは「約束を破る男」という意味ではない。

「謀略家なので信用できない」と「貴族として信用できない」というのでは大違いだからだ。

 アルバコア子爵の言う事が本当であれば、主君と臣下の信頼関係など築けようもない。

 すべての約束が嘘なのかもしれないのだから。


「あぁ、受け取ったとも。だが、あれはクローカー伯爵家の私財を売り払って買ったものだと自分で言っていたではないか。ならば私が味方するのはクローカー伯爵家だ。そもそも結婚祝いの品に、それ以外の意味を籠めるのは不見識極まりない行いだと思わないのか?」


 だがアイザックは余裕を持って対応する。

 アルバコア子爵が贈り物の話題を出す事はわかっていたので、誤魔化し方を考えていたからだ。


 ――アルバコア子爵家の私財で用意したものなら、アイザックの行動は裏切りである。

 ――だがクローカー伯爵家の財産で贈り物を用意したのならば、それはクローカー伯爵家の贈り物だ。


 実質的にどういう意味で賄賂を渡したかは重要だが、建前も重要である。

 アイザックは、その建前を使って反論する。

 粛々と処罰してもよかったが、人前に彼らを呼び出したのは、こうして自分に落ち度がないと証明するためだった。


 アイザックの答えを聞いても、アルバコア子爵の頭の中は「騙された!」という気持ちでいっぱいだった。

 実際、あの時のアイザックは「親切な人」程度にしか思っていなかったので、裏切られたのは事実であるから無理もない。 

 しかし、一方的にやられるわけではなかった。


「そもそも乗っ取りというのが勘違いなのです。おそらく勘違いさせたのは息子をクローカー伯の養子にしたいと申請したせいかもしれません。ですが、それは珍しい事ではないでしょう? まだ幼い子供が当主なのです。流行り病などで亡くなるかもしれないと考えれば、家の存続のために必要な処置ではありませんか」


 アルバコア子爵からアイザックへと次のボールが投げられる。

 人々の視線も、自然とアルバコア子爵からアイザックへ向かう。

 しかし、これもアイザックの予想の内。

 この反論のためにクローカー伯爵を隣に呼び出していたのだ。


「今のクローカー伯の姿を見ても、そう言い切れるのか?」


 クローカー伯爵は着古したパジャマを着ている。

 伯爵家の当主なのだから、せめて新しいパジャマを用意するべきだろう。

 それだけではない。

 遠目に見てもやつれていた。


「毒殺という手は気が引けたのだろうが、食事の量を減らして緩やかに追い込むというのも残酷だぞ。これで後見人としての役割を果たしていると言えるのか?」


 こんな事もあろうかと、アルバコア子爵達には正装させていた。


 ――正装したアルバコア子爵達と、着古したパジャマを着たクローカー伯爵。


 この対比は「後見人として最低限の役割も果たしていなかった」と思わせるのに十分だった。

 アルバコア子爵がもっと上手くやっていたのならばともかく、ここまではっきりと失敗したところを見せられると、彼を庇おうとする者は出てこない。

 誰もが「あいつは終わったな」という目で見ていた。


 だがアルバコア子爵は諦めない。

 到底諦められなかった。


「養子は違法ではありません! リード王国の世襲に関する法律にも禁じる事項はございませんでした! 私に落ち度があったとすれば、クローカー伯の納得を得られる説明ができなかったというだけです。それだけでこのような扱いをするのは酷いのではありませんか?」


 ――リード王国の法律に反する事はしていない。


 それが彼の切り札だった。

 ファーティル王国が編入されるにあたり、アルバコア子爵は当然、世襲に関する法律を真っ先に調べていた。

 そこで問題のない方法を取っていたのだ。

 クローカー伯爵も刺殺などの不審死ではなく、病死という形にすれば文句のつけようがない。

 違法・・と断言されるような事はしていなかった。


「それがどうした」


 しかし、理論武装もアイザックの一言で否定される。


「それがどうしたとは……。陛下は法を重んじるお方なのではないのですか!? パメラ殿下を救われた時に言われた事は嘘だったのですか!? 王が法を踏みにじるなど、国が乱れますぞ!」


 当然、アルバコア子爵はその点を指摘した。

 ここでアイザックの考えを変えねば、自分の身が危ないからだ。

 だが、アイザックが動じる事はなかった。


「だからといって法律書に書かれていない事ならば、なにをしてもいいというわけではない。法とは、皆が暮らしやすくするためのものだ。だから一挙手一投足まで制限するような事は厳密には決めず、良識に委ねている部分もあるのだ。問題があったからといって『歩く時は右足から出す事』というようなものまで法で細かく決められている国で過ごしたいと思うか?」


 この話を考えた時、アイザックは秦の商鞅の事を思い出していた。

 彼は改革者であったが、やり過ぎたのだ。

 あまりにも厳しい法にしてしまったために、許可証もなく宿に泊まる事すらできない国にしてしまった。

 厳しい法は必要だが、やり過ぎてはいけない。

 だからアイザックは、国王の判断を介入させる余地を残すつもりだった。


「この場にいる皆にも聞いてほしい。私も基本的には法を順守するつもりだ。しかし、法がすべてではないという事を知ってほしい。特に今回のクローカー伯の一件がそうだ」


 アイザックはクローカー伯爵の肩を一度ポンと叩き、優しい笑みを見せる。


「先代のクローカー伯爵、およびその息子達はアスキスを守るため、ロックウェル王国軍と戦って命を落とした」


 この発言で、一応出席していたギャレット達は目を丸くする。

 六年前の戦争を思い出したファーティル地方の貴族達から冷たい視線を浴びせられる。

 彼らにとっては完全な不意打ちとなっていた。


「なぜ彼らは命を落とすまで戦ったか? ファーティル王家を守りたかったというのもあるだろうが、それと同じくらい家族を守りたい、家を守りたいという強い気持ちもあったはずだ。断じて親族に家を奪われるために戦ったのではない!」


 だが、すぐに視線はアイザックに戻っていった。

 ギャレット達は胸を撫でおろす。


「もしここでアルバコア子爵の思惑を許した場合、諸君らは安心して戦場へ赴く事ができるか? 私ならできない。真面目に働いた者が泣き、要領のいい者が笑う国にするつもりなどない。それはリード王国のために働いたかどうかで判断はしない。他国の貴族であっても国のために働いた者は、その働きをリード王国の貴族と同等に評価する」


 これは重要な問題であり、アイザックがファーティル地方の貴族に言っておきたかった事でもある。

 数年後には、ファラガット共和国に攻め込む予定だ。

 その時「命を懸けて戦うだけ無駄だ」と思われて逃げ腰になられたら勝てる戦いも勝てなくなる。

 だから命を懸けた時に損はしないと知らしめて起き必要があったのだ。


「ザカライア・ダッジ伯、フェリクス・フォード伯もそうだ。彼らはジェイソン動乱において功績を立てた。そのためロックウェル王国での立場などを考慮し、リード王国で伯爵を名乗れるように配慮している」


 彼らには「元伯爵を家名だけで呼ぶのは気を遣う」という理由で一代限りの爵位を与えていたのだが、それがここで役に立った。

「元ファーティル王国の貴族はリード王国のために働いていないから、リード王国の貴族の下風に立つ」というような事はしないという先例としてアピールする事ができた。


「だからクローカー伯爵家の問題も、先代のクローカー伯が望んだであろう形で解決するつもりだ。彼らは命を懸けて国のために戦った。彼らの犠牲があったから私はロレッタと出会う事ができ、アスキスにいた諸君らの親族も無事に済んでいたのだ。多少は法を歪める事になるのと、国のために戦った彼らに報いるのと、法で禁じられていないからと乗っ取りを認めるのと、どちらが人道に沿った選択だろうか?」


 アイザックの口から「人道」という言葉が出てはいたが、特に驚く者はいなかった。

 今回の話は大半の貴族にとって益のある話だ。

 これまでの働きをリード王国でも評価してくれるというのであれば悪い話ではない。

 それにアスキスを守るために戦った者のおかげで助かったのは事実。

 彼らへの救済処置だとして判断を下し、実行できるのは国王の特権なのだ。

 私利私欲で無茶な判断を下すのなら困るが、今回くらいならば多くの貴族にとって許容できる範囲に収まっていた。

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