第591話 アマンダの出産
一月十五日。
この日、アマンダが朝から破水した。
ウォリック公爵家に使者を送ると、寝ぐせを残したままのウォリック公爵が姿を現した。
ちゃんと身なりを整えてきたウェルロッド公爵家の面々とは対照的である。
だが彼にとって、生まれてくる子供は初孫であるし、エルフに待機してもらっているとはいえ、出産は危険なものだ。
アマンダしか子供がいないウォリック公爵には心配は二倍、三倍となる。
慌てるのも無理はないだろう。
産まれるまでは待つだけなので、その間にスタイリストによって整えさせる。
(この人も普通の人間だったんだな……)
そんなウォリック公爵を見て、アイザックはこのような感想を抱いた。
彼はアマンダを結婚させるために、正統性としては微妙な公爵位を押し出して、強引に話を進めた豪胆な男だ。
それが今は「初めてのシフトで客の注文を間違えたアルバイト」のようなオドオドとした姿を見せている。
アイザックは彼の姿を見て頬が緩む。
だが、すぐに考え直した。
(公爵夫人が、アマンダの出産時に亡くなっていたんだったか)
アマンダは母の命と引き換えに産まれてきたようなものだ。
彼女も母と同じ運命をたどるかもしれない。
そう思うと心配なのだろう。
だからアイザックは彼の不安を和らげてやろうと思った。
なぜならあれほどうっとうしかった彼も、今ではアイザックの義理の父だからだ。
「義父上、王宮での出産はエルフの立ち合いのもとで行われます。多少の問題があってもアマンダは大丈夫でしょう。心配する必要はありませんよ」
「ち、義父上!?」
しかし、彼はアマンダの事よりも「義父上」と呼ばれた事のほうに反応した。
「いい響きですなぁ。アマンダに不満があったわけではないですが、息子も欲しいと思っていたのです。どうです、一度剣の手合わせなど?」
「ウォリック公を相手にするのは、さすがに厳しいですよ」
アイザックが乗り気でないとわかると、ウォリック公爵は肩を落とした。
そのままにするのも申し訳ないので、アイザックはある提案をする。
「ですが孫に剣を教えるというのもいいのではありませんか?」
――問題の先延ばしである。
前世でも問題の解決を次世代に託すという手法は珍しくなかった。
公共事業の借金に比べれば、祖父の相手くらいは軽いものだ。
それに武闘派のウォリック公爵自ら手ほどきしてくれるのはありがたい。
(子供が怪我をしないように気をつけないとな)
怪我をしないか不安なので、そこは気をつけないといけない。
だがそれでも、アイザックは入学当初はティファニーに負けるくらいだったのだ。
子供にはそんな屈辱的な経験をさせたくない。
幼い頃から体を動かす習慣を身につけるのも重要なため、多少は割り切る必要があった。
ウォリック公爵がランドルフに「サンダース子爵も腕に自信があるだろうし、一緒にやろう」と持ち掛けて、ランドルフが困っていたところ。
ついに赤子の泣き声が聞こえた。
ウォリック公爵はすかさず立ち上がり、扉の前に立つ。
アイザックは扉が開くと同時に飛び込みそうなウォリック公爵を牽制するため、彼の隣に立って背中をポンポンと叩く。
さすがに彼も「アイザックより先に飛び込むのはまずい」と理解し、うずうずとして待っていた。
扉が開かれると、パメラが姿を現した。
「元気な女の子が生まれましたよ」
「おおっ、女の子か!」
ウォリック公爵が興奮しているので、アイザックは部屋に入ってアマンダの近くへ向かう。
しかし、その途中で異変に気づいた。
――子供を抱いたまま、アマンダが泣いている。
「どうしたんだい? 出産が辛かったのかな?」
肉体的な痛みなら耐えそうな彼女も、やはり普通の女の子だったのかもしれない。
アイザックは優しく声をかけた。
すると彼女はかぶりを振った。
「女の子で……、ごめんなさい……」
アイザックは、その一言で衝撃を受けた。
彼は女の子でも、母子共に無事に産まれてきてくれた事を喜んでいた。
なのに、彼女は悲しんでいるのだ。
(これが後継者を産まないといけないプレッシャーってやつか……)
パメラとリサが男児を産んでいるだけに、自分だけ女児しか産めなかったという事を気に病んでいるのだろう。
(でも俺は女の子でも嬉しいんだ!)
アイザックは、アマンダの頬を叩く。
「えっ……」
叩かれたアマンダも驚いていたが、同時にリサやルシアも驚いていた。
彼女らの覚えている限り、アイザックが女に手を出したのはただ一度だけ。
――メリンダを刺した時のみである。
他に直接は暴力的な行為をしてこなかった。
それだけに彼女らの驚きは大きなものだった。
理由が気になるところである。
だが、それはすぐにわかる。
「私は女の子でも嬉しい! アマンダは私との子供を望んでいなかったのか?」
「ううん、ボクも嬉しい。でも……」
「一人目が女の子だった。それだけだ。それとも二人目、三人目はいらないのか?」
「二人目、三人目」と言われてアマンダは顔を真っ赤にするが、全力で首を左右に振った。
「いえっ、欲しいです!」
「なら一人目に男の子が生まれなかったからと悲しむ必要などないだろう。将来、この子に『お前は望まれて生まれてこなかった』と言うつもりか?」
「そんなつもりはありませんでした……」
アマンダが肩を落とす。
「君のお母さんが『娘よりも息子を産みたかった』と考えていたら悲しいだろう? 子供が無事に産まれてきてくれた。その事に感謝するべきだ」
アイザックはベッドに腰掛け、優しく諭すように語り掛けた。
「そもそもメアリーは、そんな事を考えませんがね。妻は娘が元気に育ってほしいとだけ望みながら逝きました」
ウォリック公爵が口を挟んでくる。
アマンダが落ち込まないように、彼なりに考えているのだろう。
それだけではなく、生まれてきた子供のためにも、アマンダに前向きになってほしいという思いが込められていた。
「ダメなお母さんでごめんね……」
アマンダは子供をギュッと抱きしめる。
その手は震えていた。
彼女は涙を浮かべながら、アイザックに顔を向ける。
「陛下、子供の名前ですが……。私の母の名前から取って、メアリーと名付けてもよろしいでしょうか? 今日のような事を二度と思わないように自分を戒めるためにも」
アマンダは普段の口調ではなく、王妃としての態度でお願いをしてきた。
アイザックはフッと笑うと彼女の髪を撫でる。
「いいよ、そうしよう。でも君の戒めのためじゃない。義母上の分まで長く幸せに生きてもらいたいという願いを込めてだ。それでいいかな?」
「はい、陛下!」
「では子供を抱かせてもらえるかな」
名前が決まると、アイザックは子供を受け取る。
小柄なアマンダの子供だからといって、軽くはなかった。
他の子供達と同じくらいには重かった。
次に浮足立っているウォリック公爵に渡す。
(あっ、怒ってないかな?)
ウォリック公爵の表情を窺うが、アマンダを叩いた事に対して怒ってはいないようだった。
孫パワーかもしれないが、デレデレとした表情を見せている。
その表情は、かつてエリアスに対して険しい顔を見せていた男と同一人物には見えないほどであった。
アマンダもリサを見習って、パメラやリサ、ロレッタにも娘を抱いてもらい信頼の証とした。
モーガン達も子供に群がり和気あいあいとした雰囲気に包まれる。
そんな中、パメラがアイザックに近づいて耳打ちする。
「妊娠中もだけど、ホルモンの関係か出産前後も結構精神的に不安定な時期があるのよね。そんな時の失言で女の子を叩いちゃダメでしょ。今度からは気をつけてよね」
「……以後気をつけます」
パメラは、アイザックに釘を刺しにきたらしい。
女としての意見を伝えてくれているので、アイザックも大人しく受け入れる。
こうして遠慮なく助言をしてくれる存在は、王となった彼にとってありがたいものだったから。
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