第592話 ファーティル地方への巡幸
アマンダの出産が終わったため、アイザックのファーティル地方巡幸が現実味を帯びてきた。
重要行事は一通り終わっているため、既定路線として話が進む。
この話で一番得をしたのはロレッタかもしれない。
他の王妃達とは違い、一時的にとはいえアイザックを独占する機会を得られたからだ。
パメラやリサ、アマンダは子供がいるため王都に残る事になる。
巡幸にはついてこない。
しかし、だからといってファーティル公爵家のみを別格の扱いにするわけではない。
アイザックがいない間は、ザックが国王代理となり、まだ幼いザックのためにランドルフが摂政に就くからだ。
宰相はウィンザー公爵という事もあり、ウェルロッド・ウィンザー両家の立場は確立されている。
やはりこの両家が別格であり、ファーティル公爵家は及ばないという証でもあった。
とはいえ、王の寵愛を得る事でパワーバランスが崩れる可能性は十分にある。
ヘクターや、ファーティル公爵は、その可能性をまだまだ捨てていなかった。
巡幸の間にロレッタがアイザックをたらしこんでくれるかもしれない。
寵姫が増える前に頑張ってほしいところだった。
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ファーティル地方巡幸には、近衛騎士からトミー率いる五百と、一個騎士団千名が護衛に付く。
ロックウェル王国とは違い、ファーティル王国は同盟国であり、国民にも英雄視されている。
編入に不満を持った不穏分子がいたとしても、大軍を持って攻撃を仕掛けてはこられないはずだ。
少人数による暗殺のほうを心配するべきだったというのと、ファーティル地方の貴族を信用しているというポーズのために、この人数の護衛となった。
あとは種族融和大臣となったクロードと、エルフやドワーフの付き人が数人同行している。
これはファーティル地方南部の森林地帯に住むエルフ達と接触するためだった。
ファーティル地方のインフラ整備に関する下調べという要素もあった。
今回は安全という事もあり、ブリジットも同行していた。
旧国境に近づくと、見覚えのある顔が出迎えてくれた。
「パートリッジ子爵、久しぶりですね」
「ご記憶に預かりまして恐悦至極に存じます。……あの時は
「私も陛下と呼ばれるようになるとは思っていませんでした。時代の流れとは不思議なものですね」
「ですが、アイザック陛下は高みに登られるお方だとは思っておりました。リード王国にとって不幸な出来事がきっかけではございますが、陛下とお呼びできる日がきた事を心よりお慶び申し上げます」
「ありがとう。期待を裏切らないように頑張ると約束しよう」
パートリッジ子爵の言葉には媚びも混じっていたが、本心でもあった。
彼はアイザックが作戦を立案していた事を知っている。
あのフォード元帥を討ち取ったというだけでも、ファーティル王国貴族だった彼には十分敬意の対象だった。
パートリッジ子爵や他の貴族の案内兼護衛を連れて、次はソーニクロフト侯爵領へ向かった。
こちらでは民衆の出迎えを含めた熱烈な歓迎を受ける。
「せっかくだから」と、アイザックと共にロックウェル王国へ帰国しているギャレット達は気まずい思いをした。
アイザックが一緒なので、馬車に石を投げられなかっただけマシといったところだろう。
「アイザック陛下、お待ちしておりました。領主代理として、陛下のご到着を歓迎致します」
ソーニクロフトでは、ソーニクロフト侯爵の孫であるスティーブンが出迎えてくれた。
彼とは顔見知りなので、好意的な態度を見せていた。
彼と共に弟や妹が並んでいるのを見て、アイザックも思うところがあった。
(いつか俺の子供達も、あんな立派な大人になってくれるんだろうか)
ニコラスはともかく、年上の又従兄弟達は精悍な顔つきをしていた。
自分の子供を持ったからだろうか。
アイザックは「息子達も、これくらい立派に育ってほしい」と思った。
「お久しぶりです。以前お会いした時と比べて、立派になられましたね」
「陛下ほどではございません」
スティーブンが笑いながら答えた。
アイザックは、わずか数年の間に王にまで登り詰めているのだ。
立派になったのはアイザックのほうである。
それがわかっていての冗談だと思っていたから笑ったのだ。
「それでは陛下、中をご案内いたします」
「あぁ、頼むよ」
アイザック達を中へ案内すると言って、彼はソーニクロフト侯爵に視線を一度投げかけた。
本来ならば、当主である祖父が行なうべき事。
それを任されているという事は、次々代の当主になるにふさわしいか態度を見られているという事を意味する。
――アイザック、ロレッタの国王夫妻。
――元国王のファーティル大公とファーティル公爵。
――新しく大臣に就任したエルフのクロードたち。
そんな者達の接待を任されたのだ。
スティーブンは、ソーニクロフトが包囲された時以来の難題に直面していた。
「クリストファーさんは王都ですか?」
「はい。父からは王都で陛下の歓迎パーティーを用意するという連絡が入っております」
スティーブンは、アイザックに「こんな若者が接待役か……」と責められた気分だった。
「家族が多いというのはいいですね。ウェルロッド公爵家など、留守居役は信頼する政務官に任せているくらいです。先代のウェルロッド公は優秀だったようですが、過激な行動で親族との関係が切れてしまったのが残念なところです」
だがアイザックにそんなつもりはなかった。
普通はソーニクロフト侯爵家のように、当主や次期後継者がいなくても、代わりを務める親族がいる。
しかし、ウェルロッド公爵家は違う。
モーガンやランドルフが不在ならば、アイザックが領地に残って代理を務めていたところだが、アイザックが王になってしまったのでそれができない。
ウェルロッド公爵家は成人した子供がいるのに、領主代理を任せられないという奇妙な状況になっていた。
これも子供の数が少なく、親族との関係が希薄だったせいだ。
この状況は是正せねばならない。
だからアイザックは子供を多く作ろうとしているのだ。
決して女体に溺れているだけではない。
「幸いな事に、ソーニクロフト侯爵家とは祖父と父の代での関係も深い。私自身もニコラスとは友好を深めています。これからは私達も交流を深めていこうではありませんか」
「陛下……」
緊張していたところに優しい言葉をかけられて、スティーブンは目を潤ませる。
しかし、それも一瞬の事。
すぐに気を取り直した。
「ありがたきお言葉ですが……。陛下がソーニクロフトを救っていただいたあの日より、私は陛下の事を親族ではなく、一人の男として尊敬しておりました。努力は致しますが、それでも親族としてよりも家臣として仕えようと思う気持ちのほうが強いかもしれません。申し訳ございませんが、陛下と共に学生時代を過ごしたニコラスら、弟達のほうが親しみやすいかと思われます」
「確かにこれまであまり行き来がありませんでしたしね。それでも信頼できる相手が増えるのは歓迎です。これから気長に付き合っていきましょう」
スティーブンの言葉に、アイザックは気分を害したりはしなかった。
親戚とはいえ、ランドルフの子供時代から交流が途絶えていた。
国王になったアイザックに、いきなり「親戚付き合いをしよう」と言われても戸惑うだろう。
だから彼に猶予を与えた。
しかし、この場で気分を害した者がいた。
――名前を挙げられたニコラスだ。
彼は兄が無理をしない安定志向の持ち主だと知っている。
「陛下の相手は自分の手に余るから、こっちに押し付けやがった!」と気づいていた。
だが相手は長兄であり、なによりもアイザックの前である。
不愉快な顔は見せず、役割に応じた責任の重さを感じているといった面持ちで話を聞いていた。
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旧王都、現ファーティル公爵領都アスキス。
ここでは都から離れたところでも、巡幸の噂を聞いた民衆が街道に集まっていた。
――救国の英雄が王女を娶って新しく王になった。
娯楽の少ない時代において、アイザックは存在自体が娯楽のようなものだった。
世が世なら、アイザックはファーティル地方で歌手デビューくらいはしていたかもしれない。
アイドルになってもおかしくないくらいの人気があった。
アイザックはエリアスを参考に、民衆に愛想良く笑顔で手を振り返す。
好感度は重要だと、ジュードが人生を通じて教えてくれている。
先人を参考に、アイザックは上手く立ち回る事を学んでいた。
民衆の歓迎を受けながら迎賓館へ向かう。
この時、同行していたギャレット達は別ルートを使って入っていた。
ソーニクロフト周辺と違い、アスキス周辺は戦争の被害も大きい。
数万の群衆が襲い掛かるという事態も考えられたためだ。
しかし、国民の心理を考えれば、本当の意味で同じ国の一員となるのは百年単位の時間が必要そうだった。
迎賓館に到着すると、大臣クラスの者達が集まっていた。
彼らと挨拶を交わすと、夕食までの間はお開きとなった。
長旅で疲れているだろうという気遣いによるものだ。
「ロレッタは疲れてないかい?」
二人になったところで、アイザックはロレッタを気遣う。
「大丈夫です。陛下はいかがですか?」
「大丈夫だよ。まだまだ元気だ。ただ、元気が有り余っているので、多少は消耗しておかないと」
「まぁ」
「貴族を集めての歓迎パーティーは三日後だ。それまでは義妹達と会ったりしないといけないから、二人でいられるのは夜くらいだろうしね」
当初は「アイザックとの新婚旅行」と喜んでいたものの、さすがに周囲の目がある旅先では夜の時間をしっかり過ごす事ができなかった。
「アスキスでは夜の時間を夫婦で過ごす事で体力を消耗する」というアイザックの直球な言い方に、ロレッタは頬を赤らめる。
「もっとも、夜でないとダメというわけでもないだろうけどさ」
「陛下ったら……」
ロレッタは嫌そうなにしながらも、本心では嫌がってはいなかった。
ここには
愛する人と二人っきりなのだ。
「このチャンスを逃したくない。でもはしたない真似はしたくない。だからアイザックのほうから求めてほしい」と、複雑な感情を持っていた。
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その日の夜、一人の少年が迎賓館を訪れた。
少年は警護についていた近衛騎士に近づくと、こう言い放った。
「アイザック陛下を殺しにきました」
その一言で緊張が走る。
近衛騎士達が剣に手をかける。
しかし、それは一瞬の事。
騎士達は、すぐに平常に戻った。
少年には暗殺などできそうになかったからだ。
着古してサイズの合わないパジャマを着ていて、健康状態も良くなく、ふらついている。
武器になりそうな物も持っていない。
だが気になるところがあった。
「服の生地は良さそうだな」
パジャマはところどころ擦り切れているものの、貴族や裕福な商人が着ていてもおかしくなさそうな生地で作られている。
そうなると「どこかで冷遇されている貴族の子供がアイザックを暗殺にきた」という考えが浮かぶが、武器も持たずにやってくる理由がわからなかった。
「魔法使いか? いや、それなら正面からやってくる理由がわからん」
「目が虚ろだ。正気ではないのかもしれないから追い返すか?」
「だが陛下を殺しにきたとまで言ったのだぞ。黙って返すわけにはいかないだろう」
夜警に就いていた近衛騎士達は混乱する。
どう見ても暗殺者ではなさそうな少年だが、このまま追い返すわけにもいかない。
判断に困っていたところ、騎士の一人が結論を出す。
「これは我らの手に余る。副団長に判断を仰ごう」
――護衛の責任者に判断を委ねる。
アイザックへの殺意を騎士の前で公言したのだ。
黙って見逃すわけにはいかないが、少年を捕らえたら捕えたで「こんな子供の言う事を真に受けて……」と評価が下がるかもしれない。
そこで近衛騎士達は安全策を取る事にしたのだった。
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クリスマスには父によくしてくれた看護師さんとの予定が入る可能性があるかもしれないので、今年の投稿は今回で終わりとなります。
皆様、よいお年をお迎えください
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