第589話 火種の確認

 調印式が終わったあとのパーティーでは、4Wとファーティル公爵家がアイザックと変わらぬほど多くの貴族に囲まれていた。

 その中でも、やはり今日の主役であるロレッタと彼女の家族の周囲が一段と賑わっていた。


「まさかファーティル公が、その日のうちに大公になられるとは」

「公爵位をマクシミリアンに譲る私のために陛下が用意してくださった、なんの権限も持たぬ名誉爵位だ。たいした事はない」

「いえいえ、私も詳しく調べてはおりませぬが、おそらくリード王国初の大公でしょう。陛下との絆を感じられますな」


 ヘクターは調印式が終わると、公爵位を息子のマクシミリアンに譲った。

「初代ファーティル公爵になりたかった」という気持ちもゼロではなかったが、リード王国編入後に問題が起きた時に噴出するであろう「国を売り渡した王族への非難」を一身に引き受けるためでもあった。

 その方がマクシミリアンを当主として心機一転、新しい時代を歩みやすくなる。


 だがアイザックは、義理の祖父となるヘクターを無位無官のままにはしなかった。

 前もって相談されていた事もあり、名ばかりの大公という爵位を与える。

 これは「実質的なファーティル地方の王に任命された」と周囲に受け取られた。

 しかし、最初から「当面の間、ファーティル地方はファーティル公爵家にまとめさせる」と言っていたので、表立って反発はされなかった。

 ただモーガンとウィンザー公爵の二名だけは「我々も息子に爵位を譲って引退するべきだったか」と、ファーティル大公に先を越された事を悔やんでいた。

 そのモーガンも貴族に囲まれて質問攻めにされていた。


「ウェルロッド公爵家は、サンダース子爵のあとはどなたに継がせるつもりなのですか?」

「今のところはクリスが継ぐ事になっている。サンダース子爵夫人が男児を産まぬ限りは変わらぬだろう」

「アマンダ殿下も懐妊されておられるという事もあり、リード王家とウェルロッド公爵家は安泰ですな」

「うむ。だがこのペースならば、むしろ子供が多すぎて困るという事になるかもしれんな」


 ジュディスの占いの結果を知っているモーガンが困った表情を見せると、貴族はそれを笑い飛ばした。


「まさかアイザック陛下に限ってそれはありますまい。政治上の都合で妻を娶っているだけで、ジェイソンのような女に狂う男ではないでしょう」

「だといいのだがな」


(ジュディスだけで十人。他の妻も合わせると……。まぁいい。私は曾孫を可愛がるだけでいいのだから)


 モーガンは曾孫の数に頭を悩ませるが、問題が表面化するのは自分が死んだあとのはずだと気づくと深く考えるのをやめた。

 そのあたりの事は、アイザックも考えていないはずがない。

 彼は「曾孫を可愛がるだけでいい立場を楽しもう」という考えに切り替えていた。


「陛下もお若いですから、若気の至りという事もあるでしょう」

「だが陛下は幼い頃から冷静沈着なお方だと聞いているぞ。色欲に負けるようなお方ではないだろう」


 貴族達は、アイザックの知らぬところで盛り上がっている。

 彼らの話を、モーガンは曖昧な笑みを浮かべて黙って聞いていた。


 当然、アイザックのところも盛り上がっていた。

 しかし、このような雑談ではなく、政治的な話が多くなっていた。


「アイザック陛下、グリッドレイ公国代表として新たな時代の訪れをお祝い申し上げます」

「ありがとう。来年にはロックウェル王国もリード王国に編入となる。その際には、グリッドレイ公国にはロックウェル地方からの買いつけについて考えてもらわねばならないという事を、ギャレット陛下から聞いておられるかな?」


 ファーティル王国の編入に関する調印が終わったばかりだ。

 この話題は不自然ではない。

 アイザックは重要な問題を、この機会に尋ねる。


「もちろん伺っております。……その要求については極めて難しい問題だと受け止めております。なにしろ商人達が大損害を被るような事があれば、それは我が国の経済を揺るがす事態になりかねませんから」


 グリッドレイ公国の外交官の返答に、アイザックは露骨に顔をしかめる。

 わざとであっても、こうして不快感を見せておくのは重要な事だからだ。

 しかし、彼の言葉はそれだけではなかった。


「長年、安い相場で買っていたのです。それを周辺国の相場に近い価格で買うようにすれば市場に混乱をもたらすでしょう。価格の高騰で商品を売れなくなれば、ロックウェル王国民も困るはず。そのため我が国からは段階的な値上げを提案致します。三年から五年という時間をかけて、周辺国の相場にまで引き上げるというのはいかがでしょうか?」


 グリッドレイ公国も否定するだけではない。

 当然、対案を用意していた。

 ファーティル王国、ロックウェル王国の両国を編入したリード王国は超大国となる。

 ロックウェル王国単体であったとしても、リード王国の支援を受ければグリッドレイ公国に勝てるだろう。

 ならば真っ向から対立する必要などない。

 両国の関係を壊さずに済みそうな方法を考えていた。


 そしてこれは「アイザックにグリッドレイ公国を潰す意思」を確認する案でもあった。

 超大国になったのだ。

 周辺の中小国を併呑しようとする考えを持つ可能性もある。

 そこで交渉の意思の有無を確認するために、対案を用意したのだった。

 これで渋るようであれば、不満を持っているという事。

 譲歩してくれても、他の機会でグリッドレイ公国に不利な要求をしてくる可能性がある。

 それでは譲歩を求める意味がなかった。


「あぁ、そうですね。急激に上げても、安い時に買い溜めておかれては意味がありません。段階的な引き上げでも問題ないでしょう。そのあたりの事は、一度正式な交渉の場を設けましょう」


 だが、アイザックはあっさりと認めた。

 これは「どうせ攻め滅ぼせば同じ」という考えが根底にあったからだ。

 それまでは相手を安心させておけばいい。

 それにリード王国の一部になる際、先に値上がりしていれば価格の調整も容易になる。 

 強く否定する理由などアイザックにはなかった。


「それでは帰国次第、交渉の準備を致します」


 アイザックがすんなりと認めたのだ。

 それに反対する理由などない。

 言質を取れたので、すぐさま次の段階へと進ませようとする。


「そういえば、ファラガット共和国のほうはどうなっていますか?」


 アイザックは、近くにいたファラガット共和国の外交官に声をかける。

 彼はニヤリと笑う。


「我が国はロックウェル王国と今後十年間は現在の相場で取引するという条約を結んでおります。そのため価格交渉は条約の期限が切れてからという事になるでしょう」

「おや、そうなのか?」


 アイザックは首を傾げる。

 その姿は「そんな話は聞いていないぞ」と言っているかのように、周囲の者達には見えていた。


「ふむ、それは困ったな」


 そして悩む姿も見せた。

 しばらく考え込むフリをしてから、外交官に話しかける。


「だがそれはギャレット陛下が結んだものだ。ギャレット陛下の面子を考えて今すぐに破棄しろとは言わないが、我が国に編入後は『不当な条約だから認めない。すぐに相場通りの価格で資源を購入せよ』という警告は行わせてもらう。それを無視すれば、相応の報いを受けると考えてほしい」

「はい。それは正当な非難ですので、甘んじて受け入れましょう」


 ファラガット共和国の外交官に限らず、周囲にいた者達はアイザックの言葉・・・・・・・・を言葉通りには受け取らなかった。

「知恵者である彼の言葉は裏を読まねばならない」と思っていたからだ。


 そして彼らは読んだ裏とは――


 実際に報復はしないが、形だけの警告はし続ける。


 ――というものだった。


 そう考えてしまったのは「ギャレットの面子」という要素が大きく影響している。

 すでにロックウェル王国が条約という形で約束してしまっているのなら、それを踏み倒すような真似をした場合、約束したギャレットの面子が丸潰れとなってしまう。

 リード王国の一部となり、ロックウェル公爵となるギャレットの面子を潰すような真似をしてしまえば、国内に不要な火種を撒く事にしかならない

 しかし、リード王国の面子も重要である。

 だから「形だけの警告をして、リード王国も黙っては見ていない」というポーズを取るのだと考えたのだ。


 もしリード王国が武力侵攻によってロックウェル王国を支配下に置いていれば、彼らも言葉通りに受け取っていただろう。

 だが今回は平和的な編入である。

 そのため編入後の事を考えると、ロックウェル王家や貴族の面子を大事にすると思われていた。

 計画を知らない人々は「戦争を仕掛けるため、ギャレットに踏み倒す前提の条約を結ばせた」などいう荒唐無稽な計画などとは考えもしなかった。

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