第578話 ティファニーの選択
アイザックは最後の問題解決に取りかかった。
――ティファニーである。
彼女には大きな誤解をされている。
――アイザックが彼女の事をずっと好きだった。
――チャールズから彼女の事を任された。
この二点は致命的である。
早めに対処できればよかったのだが、アイザックも「あんたの事なんて好きじゃないんだから。か、勘違いしないでよね」などとは言えなかった。
「じゃあ誰の事が好きだったの?」と聞かれた時に「パメラだ」とは答えられないからである。
今ではアイザックがパメラと結婚していても、誰も文句は言わない。
しかし、昔から好きだったと気づかれたら、そうはいかないだろう。
アイザックは色々とやり過ぎた。
「ひょっとしたらジェイソンを焚きつけた真犯人は、アイザックじゃないか?」と思われる可能性も十分にある。
事実を知られるリスクは最低限にしておきたかった。
もちろん、アイザックも渋々というわけではない。
――従姉妹で幼馴染であるし、眼鏡っ子の文学少女という属性持ちだからだ。
アイザックは眼鏡っ子属性はないが、従姉妹で幼馴染という属性には興味がある。
かつて「ティファニーとの間に、幼馴染フラグが立ったりするのかな?」と考えた事もあった。
それにティファニーは、少々ボリュームに欠けるといったところしか欠点がない。
幼い頃は精神的な支えになってくれていたので、彼女を幸せにしてあげたいという気持ちもあった。
そのため「事実を伝えずに、相手に選択肢を与える」というやり方をアイザックは選んだ。
会談場所は、やはりウェルロッド侯爵邸であった。
理由はジュディスと同じ。
王宮に呼び出しても、ハリファックス子爵邸に行っても、国王相手に断れるはずがないので実質的に強制になってしまうからだ。
今回はジュディスの時と違い、親族の集まりという名分が使えるので、ティファニーとの関係に進展がなくとも問題はないはずだ。
「ティファニーに縁談はきていますか?」
まずアイザックは、聞いておかねばならない事を確認する。
ハリファックス子爵が残念そうな表情をする。
その顔を見てアイザックは「国王の従姉妹に縁談がきていないのか?」と思った。
「きております。中でもソーニクロフト侯やビュイック侯など大物から、嫡男の第二夫人などはどうかと話を持ちかけられています」
「やはりそうですか……」
本来ならば「侯爵家と繋がりを持てる」と喜ぶところだ。
しかしハリファックス子爵は、すでにルシアで格差のある結婚は幸せになれると限らないと思い知らされている。
権力欲の薄い者にとっては、諸手を挙げて喜べる状況ではないのだろう。
「他の家からも縁談はきておりますが、両家の話を断ってそちらを選ぶのは難しいでしょう。なにより、同じ旗を仰ぐようになりますので……」
他国の貴族のままであれば「国内での関係を強化したい」と言って断れただろう。
だが、ソーニクロフト侯爵家もビュイック侯爵家も、これからリード王国の一員となる。
「国内の関係を強化したいなら、我々を選ばない理由は?」と問われたら答えようがない。
ルシアの事を持ち出しても「我々は違う」と言われたらそれまでだ。
今後の事を考えれば、両家のどちらかを選ばねば角が立つ。
ハリファックス子爵は、難しい選択を迫られていた。
だから彼は今日の会談に期待していた。
最近のアイザックの行動は知られている。
「今日はティファニーかもしれない」と思い、彼女に気合の入った身だしなみをさせていた。
「判断が難しいところですね。ティファニーはどう考えているの?」
「……私も貴族の娘ですから、家の利益になるところへ嫁ぐ覚悟はできています」
ティファニーは
それが意味するのは「好んで結婚するわけではない」というものだった。
そう遠くないうちに同じリード王国になるとはいえ、異国に嫁ぐのは不安があるのだろう。
立場が逆であれば、アイザックも不安を覚えていたはずだ。
「覚悟、か。ティファニーも母上の事を近くで見ていたから、侯爵家に嫁ぐのは不安なのかな?」
「それは……」
ティファニーは、ランドルフをチラリと見る。
あまりハッキリ言えば、非難めいた言葉になってしまいそうだ。
彼女の視線に気づいたランドルフは困った顔をする。
「夫人間の序列をしっかりとしておけば大丈夫だと思うよ」
この雰囲気は彼が発言して動かすしかない。
ランドルフは自分のミスを認めて、ティファニーを安心させようとする。
それを受けて、アイザックが動く。
「夫人の序列だけじゃなく、周囲の視線も気になっているんじゃないの?」
「それもあります。私自身でもハリファックス子爵家でもなく、陛下の従姉妹という一点でのみで嫁入りを求められていますから。周囲から侯爵家に嫁ぐ格の女ではないという目で見られる不安はあります」
(やっぱり、そうなるか)
まだランドルフとルシアのような恋愛結婚であれば、家格が違っても「羨ましいな」という目で見られるくらいだろう。
しかし、政略結婚では違う。
周囲の目は嫉妬などの熱が籠ったものではなく「ただ血筋でそこにいるだけ」という冷ややかな視線で見られるようになるかもしれない。
夫にも義務的な対応をされるだけで寂しい思いをする可能性があった。
貴族社会では珍しくはない事とはいえ、好んでそのような結婚をしたいとは思わないだろう。
だからアイザックは、彼女に助け舟を出そうとしていた。
「私の従姉妹かどうかは関係なく、母親が子爵家出身でティファニー自身に興味を持っている男がいれば、そちらに心は傾くかな?」
「ですが侯爵家との縁談を断――」
――侯爵家の縁談を断るのは難しい。
ティファニーはそう言おうとしたが、途中で言葉が止まる。
――子爵家出身の母親。
――ティファニー自身に興味を持っている。
――そして、アイザックの従姉妹という彼女の立場など気にしない男。
それのすべてに当てはまる男に心当たりがあったからだ。
――アイザックである。
侯爵家からの縁談を断っても「陛下から求婚があった」という理由であれば文句のつけようがない。
ティファニーは「ついにこの時がきたか」と体を緊張で強張らせる。
「とはいえ王妃をこれ以上増やす事はできないから、寵姫という立場になるけどね。どうだろう、二人で庭を歩きながら少し話さないか?」
「おお、それではあとは若い者に任せて我々は……。あっ」
二人が出ていこうとしているというのに、つい緊張していたアンディが先走ってしまう。
カレンにクスクスと笑われ、彼は顔を真っ赤にして椅子に座った。
「そうしましょうか」
父の暴走に、ティファニーも顔を真っ赤にしていた。
いや、顔を赤らめているのはそれだけが理由だろうか。
ともかく彼女が同意したので、アイザックとティファニーは部屋を出ていく。
「陛下がお兄ちゃんになるの?」
二人が出て行こうとしていく時にマイクがカレンに尋ねる。
ケンドラと違い、十歳式を済ませている彼は出席を許されていたのだ。
彼の言葉は、ティファニーだけではなく、アイザックの顔まで赤く染めるものだった。
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「昔はパトリックと遊んでたっけ」
庭を歩きながら、アイザックは昔を振り返る。
よく遊んでいたのは、パトリックの他にはティファニーとリサくらいである。
男友達ができるまで、本当に寂しい子供時代だった。
本物の子供であれば挫けていただろう。
それを支えてくれたのは彼女達である。
だからティファニーにも幸せになってほしいと思っていた。
「庭でかけっこするだけでも楽しかったなぁ」
ティファニーも思い出しているようだった。
今は二人だけなので、友人としての口調になっている。
「そうだね。でもティファニーには嫉妬していたよ」
「えっ、なんで?」
「僕より先にパトリックを枕にしたからさ。子供の頭でも重いし嫌がるかなーって遠慮していたのに、ティファニーはあっさりパトリックを枕にして寝転がってたんだよ。まぁ、それがきっかけになって、パトリックを枕にするようになったんだけどさ」
「そんな事を気にしていたの? 国王にまで上り詰めた人が?」
「器が小さいと言われようが、忘れられないんだよ。……ティファニーとの思い出だからね」
アイザックが考えていた決め台詞が炸裂する。
しかし、ティファニーの返事はなかった。
しばしの間、気まずい沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのはティファニーだった。
「もし私を寵姫として欲しいと思っているなら、そう言ってよ」
「それはダメだ。今の僕が言えば、それは拒否できない実質的な命令となる。ティファニーが他に好きな人がいるなら、その人との結婚が上手くいくよう応援する。だから、ティファニーが決めていいよ」
これはアイザックも迷っているからだ。
すでに王妃が四人、寵姫が一名という状況になるだろう。
他国の高位貴族に嫁ぐよりかは幸せにする自信があったが「彼女を一番幸せにできる相手は自分だ」とは言い切れない。
ティファニーなりの幸せを見つけられるのならば、アイザックは応援するつもりだった。
歩いていくうちに、アイザックの花壇の前を通りがかった。
アイザックは歩みを止め、何本か花を抜いた。
「寵姫を迎えるにしても、それはロレッタ殿下とアマンダさんとの結婚式が終わってからだ。返事はそれまで待っている。よく考えてくれ。いい相手が見つからなくて仕方なくっていう答えでもいいからさ」
「うん……」
(少しは強気に出てくれてもいいのに……)
ティファニーは、そう思わざるを得なかった。
自分から妻にしてほしいなど言いづらい。
しかし、結婚を強制しないのも、アイザックらしいなと思っていた。
アイザックは敵には容赦ないが、身内には甘いところがある。
だから、今回も選択を与えてくれているのだと思った。
「王の愛人という形になるから寵姫は結婚式もなし。普通の結婚式を挙げて、みんなに祝福される事はない。だからそれが寂しいと思うなら無理強いはしない。だからティファニーにとって一番いいと思う答えを選んでほしい。それが僕にとっても幸せだからね」
アイザックは立ち上がる。
その手には花冠を持っていた。
花冠をティファニーの頭に載せる。
「公式の場でティアラをつけてもいいのは王妃のみ。寵姫がティアラをつける事は許されない。だから、こんなものしか用意できないけど……」
「ううん、これはこれで嬉しいから」
ティファニーは先ほどのパトリックの話と合わせて、おぼろげながら昔の事を思い出していた。
この花冠は、アイザックが初めて花束をくれた時にアデラが作ってくれたものを意識しているのだろう。
――みんなで仲良く暮らしていたあの時代を。
確かに王妃と比べて寵姫の立場は劣る。
しかし、その分だけ政治的な闘争に巻き込まれる可能性も少ない。
それもアイザックなりの気の使い方なのかもしれない。
(アイザックの心を支えてあげられるのは、私とリサお姉ちゃんだけなのかもしれない)
アイザックにとって、国王になった今よりも昔のほうが幸せだったのかもしれない。
これはその意思表示なのかもしれない。
そう思うとティファニーは「婚約者から奪い取ろうと考えるほど愛してくれた人の思いに応えてあげよう」と、後宮入りに対して前向きに考え始めていた。
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