第576話 アマンダとウォリック侯爵の望みが叶った日

 ギャレットたちは、三月に入ってもまだリード王国にいた。

「降る事が決まったから話はおしまい」というわけではない。

 王家や貴族の扱いなど、細部に渡って話し合っておく事があるからだ。


 他にも食料問題という重要な案件があった。

 グリッドレイ公国やファラガット共和国が、ロックウェル王国に禁輸措置を取る可能性がある。

 それに対応するため、あらかじめリード王国やファーティル王国から輸出する準備を進めておく。

 だが、それは名目上の事であった。


 いつの時代も補給が戦争の勝敗を決める。

 リード王国からファラガット共和国まで輸送し続けるのは負担が大きい。

 だから先にロックウェル王国東部に物資を備蓄しておくのだ。

 リード王国からよりも、ロックウェル王国に備蓄しておいた物資を前線にピストン輸送するほうが早くて安定する。

 もちろん国民のために運び込む分もあるが、それは隠れ蓑として利用するためである。

 そのための貯蔵庫を何か所かに作っておいてもらう必要があった。


 そういった話を進めているうちに、アイザックの頭に一つの考えが浮かぶ。


「ウィンザー侯、戸籍や徴税記録がない街を統治しろと言われたらどう思いますか?」

「……嫌がらせだと思います。一からやり直すのは、大変の一言で済むものではありませんから」

「そうでしょうね」


 ウィンザー侯爵は「なにをふざけた事を」と思ったが、アイザックは真剣な表情で考え込んでいたため、彼の次の言葉を待つ。

 こういった時、打開策を思い浮かんでいる事が多いからだ。

 周囲の者たちもアイザックの反応を黙って待っていた。


「平民の恨みを買えば統治が困難になるので無駄な暴行などは禁止しますが……。国家にかかわるものはかまわないでしょう。最優先目標は市庁舎の資料。そして、そこで働く役人とその家族を奪い取るくらいはいいでしょう」


 アイザックが思いついたのは、漢の蕭何の話だった。

 彼は秦の首都を占領した時、行政に必要な資料を真っ先に押さえた。

 それが劉邦の役に立ったという。

 ならば、ファラガット共和国を占領する時も同じである。

 宝物庫を狙うよりも、資料を最優先で確保するべきだ。


「彼らを確保すれば統治は楽になるはずです。サボタージュを行われる可能性はありますが、身分と給与の保証をすれば大人しく従う者もいるでしょう。大臣が変わっても国家運営が混乱しないのは、実務を担う官僚がいるからです。商人の金庫などよりも、彼らのほうがよほど価値のあるお宝だと言えるのではないでしょうか?」


 ――行政府で資料を押さえ、そこで働いていた人間も確保する。


 そうする事で、官僚の新規育成の手間が省ける。

 新しい支配者に媚びるのをよしとしない者もいるだろうが、時間をかけて説得すればいい。


「物資の現地調達ではなく、官僚の現地調達というわけですか。しかしながら、それはリード王国の貴族に与えられるべき席が減るという事ではありませんか?」


 ウィンザー侯爵は納得しようとしていたが、すぐに待ったをかける。

 この問題は無視できぬほど大きなものだったからだ。

 領地を与えられるほどの大きな活躍ができるのは、大軍を動員できる高位貴族くらいだろう。

 小規模な私兵しか集められない者たちは、彼らの下で与えられる役職を目当てにしている。

 現地人を雇うのであれば、当然役職の席数も減る。

 下級貴族に不満を持たれないかが心配な点であった。


「まずは占領地の安定が優先です。統治が安定するようになれば、徐々に交代させていけばいいでしょう。そのあたりは臨機応変に対応していきましょう」

「下級貴族も無下にはしない。優先順位があるだけだと周知せねばなりませんな……」


 ウィンザー侯爵が「どうせこちらに仕事を割り振るのだろう?」と言いたげな視線をアイザックに投げかける。

 アイザックは、フフッと笑って受け流した。

 ウィンザー侯爵が溜息を吐く。

 しかし、アイザックも溜息を吐きたい気分だった。


 会議が終わると、アイザックは執務室に戻ろうとした。

 そこに溜息の原因が現れる。


「陛下、明日が待ち遠しいですな」


 ――ウォリック侯爵である。


 彼があまりにも積極的なので、アマンダではなく彼と結婚するかのように錯覚してしまいそうになるほど、アイザックに付きまとっていた。

 しかし、それも今日までである。


(明日、アマンダに求婚すれば落ち着くだろう)


 アイザックは、そう思っていた。



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 翌日、アイザックはウォリック侯爵邸へ向かう。

 ロレッタの時はランカスター伯爵を連れていく必要があったので身内は連れていかなかったが、今回はランドルフが同行していた。

 同行者なしでは「ウォリック侯爵家は軽く見られている」と言われかねない。

 保護者同伴で求婚するのは恥ずかしかったが、ウォリック侯爵家の面子のためでもある。 


 今回、アイザックは自分なりに精一杯の方法を考えていた。

 アマンダのために用意したプレゼントを載せた馬車が後方を走っている。

 求婚の演出のためだ。


「本日は、ようこそおいでくださいました」


 ウォリック侯爵と、いつもと違って可愛らしい雰囲気のドレスを着たアマンダが出迎える。

 アマンダは興奮して頬が紅潮していた。

 しかし、アイザックが手ぶらなのを見て、心の中で少しガッカリしていた。


「ウォリック侯爵邸を訪れるのも久しぶりですね。またこうして訪れる事ができて嬉しいです」

「いつでも何度でもお越しください。我が家だと思ってくつろいでいっていただきたい」

「ありがとうございます」


 軽い挨拶を交わすと、アイザックはアマンダの隣に立ち、エスコートのために腕を差し出す。

 アマンダはアイザックの手を取り、二人は屋敷に入ろうとする。

 その後ろに続くウォリック侯爵が、ランドルフに「今日は本当に求婚してくれるんだろうな?」と目で問いかける。

 ランドルフは「さすがに肩透かしはしないでしょう」と苦笑を浮かべる。

 

 だが、その肩透かしが問題だった。

 すでにアマンダは一度、アイザックに肩透かしをされている。


 ――それもエリアスの前で。


 ウォリック侯爵もアイザックの事を気にいっているが、またアマンダを落胆させるような真似をされた時に、自分を抑えられるか自信がなかった。

 さすがにもうそんな事はしないだろうが、一度でもあった出来事はなかなか頭から離れない。

 アイザックが賢明な判断をしてくれる事を願うしかなかった。




 テーブルにつくと、まず婚約の条件について話し合う事になった。

 ウォリック侯爵は肩透かしではなかった事を安堵する。

 婚約の条件は、主にウォリック侯爵家の後継者について話し合った。


 ――アマンダが男児を産めば、ウォリック侯爵家の後継者とする。

 ――女児しか産まれなくても後継者とし、適切な婚約者を選んで実権を任せる。

 ――もしもザックやロレッタが産んだ子供が後継者として適任ではない場合は、王位を継がせる可能性もある。


 そういった確認すべき事を、はっきりとした言葉で確認し合う。

「どうせ〇〇の場合は××になるだろう」という思い込みは危険だ。

 当たり前だろうと思う事こそ、しっかりと話を詰める事が大切だった。


 しかし、アマンダの心はここにあらずといった様子だった。

 アイザックとの結婚話が進んでいるが、まだ告白されていないので現実感がないのだ。

「その条件ならこの話はなかった事に、とか言われたらどうしよう」と気が気ではなかった。

 そんな彼女の様子を察したアイザックが行動に出る。


「アマンダさん、少し庭を歩きませんか?」

「おおっ!?」


 反応したのはアマンダではなく、ウォリック侯爵だった。

 彼は顔を真っ赤にしてうつむくアマンダに「上手くやれよ!」とウィンクする。


「そういえば、まだ庭園は案内した事がなかったですね。ボク……、私が案内させていただきます」

「お願いします」


 ニヤニヤとしながら見つめるウォリック侯爵の視線を背中に感じながら、二人は退席する。

 アマンダが先導して案内したのは、中庭へ続く扉だった。

 二人についてきていたメイドが扉を開く。


「うわぁ」


 扉の先には、大量の花輪やスタンド花が飾られていた。

 アイザックはその花の中心に向かって歩き、秘書官から花束を受け取る。


「アマンダさん」

「はひっ!」


 アマンダは緊張で声が上ずる。

 だがアイザックは気にせず、彼女の前に歩み寄る。


「初めてお会いした時、花束を初めてもらったと話していた事を覚えていますか?」

「もちろんです。初めて女の子扱いされて、とても嬉しかったので一生忘れません」


 ここまでくれば、さすがにアマンダの中から「肩透かしされるのでは?」という不安は消え去った。

 だが、そうなるとそれはそれで困った事態になった。

 あれほど待ち望んでいた状況だというのに、いざ告白されるとなると恥ずかしくて逃げ出したくなったのだ。

 これまでアマンダは追いかける側だった。

 それが告白される側になった事で、彼女は現実から逃げ出しそうになってしまっていた。


「だから今日は王宮で私が育てた花を、すべてあなたに捧げようと用意しました。アマンダさんは、おそらく――確実に私より強い」


(そうでもないよ!)


 だが、アイザックの言葉で現実に引き戻される。


「学生時代は一度も勝てませんでしたし、少数の兵で敵軍を追い払うなどもできませんでした。誰かに守られるのではなく、誰かを守る側の人間だと思います」


(しまったーーー! か弱い女の子っぽく演じておけばよかったんだ!)


 学生時代「手を抜いたら失礼だよね」と思って、アイザックとの組手では本気を出していた。

 そのせいで「強い女の子」という印象を強く植え付けてしまっていたらしい。

 アマンダは過去の失敗を後悔する。

 しかし、アイザックは彼女に「強いから守ってね」と言うつもりなどなかった。


「ですが、これからは私が守ります。私の妻を危険な目には遭わせません。その実力に頼って後宮の警備を任せたり、未来の将軍候補として、あなたを求めているわけではありません。一人の女性として、私のもとへきてくれますか?」


 アイザックが花束を差し出す。

 アマンダは「そうか、これからは普通の女の子のようにアイザックくんが守ってくれるんだ」と思った。

 幼い頃はフレッドに友達のように扱われていたし、今まではウォリック侯爵家の跡継ぎとしてふさわしい教育を受けていた。

 強くなり誰かを守らねばならないと思っていたが、これからは違う。


 ――アイザックが守ってくれると言ってくれた。


 それはこれまでアマンダが背負ってきたもの、すべてから解放してくれる言葉だった。


「はい、喜んで!」


 アマンダは花束を受け取る。

 アイザックは、やはり自分を女の子扱いしてくれる人だった。

 そう思うと、この花束は同じ大きさの金塊にも勝る価値があるものに見えた。


「ウェルロッド侯と侯爵夫人は政略結婚でしたが、それでは悔しいので結婚してから恋愛関係に発展したそうです。私たちも始まりは政略結婚でも、幸せな家庭を作れるように頑張るつもりです。これからは季節ごとに、その季節の花をお贈りすると約束しましょう。これからよろしくお願いします」


 アイザックはアマンダの手を取り、手の甲にキスをする。

 アマンダの手は震えていた。


(やっぱりこの人がボクの夢を叶えてくれる人だった! いっぱい子供を作って、いっぱい幸せになろう!)


 アイザックが初めてウォリック侯爵邸を訪れて以来、ずっと期待していた夢が叶った。

 喜びのあまり、彼女の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていく。

 今、この時だけはアマンダの頭から「ティファニー、先にごめんなさい」という考えは消え失せ、ただ喜びを噛み締めていた。

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