第573話 ロレッタへの求婚
アドバイスを受けたアイザックは、さっそく行動に移した。
目標は、ロレッタである。
平日は学校があるので、日曜日に面会の予約を取った。
これは相手を思っての行動である。
――政略結婚を受けてやるから、そちらが王宮まで来い。
もちろん、ファーティル王国側から申し込んだ結婚である。
だが、だからといって必要のないところで両者の力関係を見せつける必要はない。
なにしろ結婚するのはアイザックだ。
国ではない。
わざわざロレッタの機嫌を損ねるようなやり方で求婚などする必要はないと、アイザックは考えた。
ロレッタに渡す指輪は、念のためにサイズを聞いておいて用意しておいた。
大きなエメラルドが付いたドワーフ製の指輪である。
これならば王女に求婚しても問題ないはずだ。
(王女に求婚した事なんてないからわからないけどな)
さすがに、このような経験は前世も含めて初めてである。
周囲に尋ねて「問題なし」と答えてもらってはいるが、やはり緊張する。
「面会を求めた理由は――おわかりいただけていると思います」
ロレッタもソーニクロフト侯爵から、ロックウェル王国がリード王国に降るという話は聞いているだろう。
ならば、ファーティル王国との婚約話も進むとわかっているはずだ。
今日、ここにきた理由もわかっている。
アイザックは、それが当たり前だという前提で話を進めようとした。
「……わかりません」
だが、ロレッタは「わからない」と答えた。
これは本当にわかっていないわけではない。
頬を染めて目を泳がせているので、これから求婚されようとしているのはわかっているはずである。
しかし、すんなりと認めたくはなかった。
――アイザックの口から「結婚を申し込みにきた」という一言が欲しかったからだ。
あれほど待ち望んでいた事であったが、今はすんなりと「はい」と答えたくはなかった。
「わからない」と言われたアイザックは一瞬困ったが、まずは順序を守るべきだろうと思い直す。
「今日はロレッタ殿下に婚約を申し入れにきました」
「はい!」
――その言葉が聞きたかった。
ロレッタは満面の笑みを見せる。
「ソーニクロフト侯に同席していただいているのも、外務大臣立ち合いのもとで話を進めたかったからです。ただ、こちらは外務大臣であるウェルロッド侯ではなく、ランカスター伯に同席してもらっているのには理由があります」
ファーティル王国側が大臣なのに、リード王国側は副大臣を連れてきた理由。
それは「両国間の国力差」というものではない。
もっと単純な理由があった。
アイザックは笑みを浮かべる。
「外務大臣の人選は失敗でした。こうなるとわかっていれば、ウェルロッド侯を外務大臣にはしませんでした。ウェルロッド侯を同行させていれば、私は保護者についてきてもらわねば求婚もできない軟弱者だと笑われていたでしょう。ランカスター伯を連れてきたのは、私の見栄のためです。ファーティル王国をみくびっているわけではない事はご理解いただきたい」
「わかっております。ウェルロッド侯を連れていたとしても、誰も陛下を笑ったりもしなかったという事も、わかっております」
ロレッタは、アイザックの説明に理解を示した。
もし本当にファーティル王国を小国と見下しているのなら、こうして自ら足を運んだりしないだろう。
王宮にソーニクロフト侯爵を呼びつけて「ヘクター陛下に話を進めると伝えてきてくれ」と言伝を頼んでもよかったのだ。
それをせずに、本人がロレッタに会いにきてくれている。
それがアイザックの言葉が真実だという事を裏付けていた。
「ご理解いただき感謝します」
アイザックが感謝の言葉を述べると、ノーマンが指輪の箱をトレイに載せて近づいてくる。
すると、アイザックはソワソワとしだした。
ロレッタは「どうしたのだろう?」と思うが、この場の主導権はアイザックにある。
彼がなにか切り出さない限り、彼女からは動きにくかった。
「ロレッタ殿下は、リサとの交流を持ってくださっているようなので聞いているかもしれませんが……。私が彼女にプロポーズした時の事は?」
「伺っております」
ロレッタの返事を聞き、アイザックは頭を掻くなどして落ち着きがなくなった。
「パメラの時、卒業式の時もご覧になっていましたよね?」
「ええ、あれは忘れられない光景です」
ロレッタは「なぜ二人の話を?」と疑問に思った。
それは彼女だけではなく、他の者達もだった。
だが、これはアイザックの戦略である。
パメラと相談した結果、
「ですから、このような普通の方法で求婚するのは初めてなので……。照れ臭くて……」
照れ臭そうに笑うアイザックに、ロレッタはクスリと笑った。
あのアイザックの初々しい仕草が、微笑ましかったのだ。
そして、パメラやリサもしてもらえなかった事を自分だけがしてもらえる。
その事が嬉しかった。
「もし初めて会った時、傷を隠して自分や国の利益を優先するような行動をされていたら、政略結婚であっても、ロレッタ殿下と結婚しようとは思わなかったでしょう。相手の事を思いやる事のできるあなただからこそ、こうして私の隣にいてほしいと思う事ができたのです」
アイザックは指輪の入った箱を手に取ると、ロレッタの隣でひざまずく。
そして、箱を開けてロレッタに差し出した。
「私はパメラとリサを愛しています。だからロレッタ殿下は三番目となります。ですが、ただの三番目ではありません。世界で三番目に幸せな女性にしてみせますので私と結婚してください」
「はい、陛下。喜んでお受けいたします」
正直なところ「告白する直前に他の女の名前を出すのはさすがに……」と思わないでもなかったが、ロレッタは快く申し出を受けた。
彼女は左手をアイザックに差し出す。
震えている手を見られるのは恥ずかしかったが、アイザックの手が触れると不思議な事に震えが止まった。
そして、薬指に指輪がはめられると、また震えが始まった。
「ずっと、この日を……」
――待ち望んでいました。
その言葉は嗚咽に遮られて言えなかった。
ロレッタは指輪の感触を何度も確かめる。
自分の魅力で結婚が決まったわけではないのが悲しかった。
だが、それだけではない。
あれだけ「結婚はできない」と避けられていたのに、国際情勢一つであっさりと変わってしまった事が今でも信じられない。
この指輪が、今にも消えてしまうのではないかと思うと不安で仕方がなかった。
「涙を流すほど喜んでくださるとは。私も嬉しいです」
アイザックが、ロレッタの涙をハンカチで優しく拭う。
その感触が、ロレッタに婚約が本物だという事を実感させてくれた。
目を閉じ、そっと首を上に傾ける。
しかし、望んでいた反応はなかった。
唇に指が触れる。
「キスはヘクター陛下から正式な返事をいただくまでお待ちください。やはり考えが変わったという返事をいただくかもしれませんから」
「そ、そうですわね」
(既成事実くらい作っても、お爺様は怒らないでしょうに)
先走った事を恥じらいながらも、ロレッタは大人しく引き下がる。
アイザックが幸せにすると言ってくれても、これは政略結婚である。
正式な回答がくるまでは勝手な事はできない。
アイザックは、ロレッタを優しく椅子に座らせると、自分も席に戻った。
「ファーティル王国へ、使者としてウェルロッド侯を送ります。往復する時間や結婚式の準備などを考えると、結婚式は半年後といったところでいいでしょうか?」
「我が国からも出席者を集めるとなると、それくらいがよろしいかもしれません。ロレッタ殿下の結婚式というだけではなく、新たな王となられるお方の結婚式には出たいでしょうから」
「では卒業後は一度国元へ戻り、嫁入りの準備をするという事でよろしいですか?」
「ヘクター陛下が、この申し出を受け入れるのならば、そうなるでしょう」
ソーニクロフト侯爵が、今後の流れについて答える。
一年後に編入されるのであれば、それまでに結婚は済ませておきたい。
だが、だからといって粗雑な結婚式をされても困る。
多少、余裕を持たせた日程で行いたいところだった。
「では、その方向で話を進めましょうか」
あとは外交の問題である。
アイザックは、モーガンたちに話を任せるつもりだった。
以後は軽い雑談をして、解散となる。
馬車に乗る前、アイザックはロレッタの頬にキスをした。
「これならば、まだ許されるでしょう」
今度はロレッタがアイザックの頬にキスを返してくる。
「許されるのですよね」
「ええ、これくらいならば。それではまた後日お会いしましょう」
そう言い残して、アイザックは馬車に乗る。
見届け人を務めたランカスター伯爵も同乗する。
馬車が動いてしばらくすると、彼はハンカチを差し出してきた。
「軽いキスは許されても、口紅を頬に付けたまま帰宅するのは許されますかな?」
「怒られはしないが、まだ正式な婚約者でもない相手の口紅を付けたままだと、あまりいい気はしないかもしれませんね」
アイザックは、ありがたくハンカチを借りて頬を拭く。
ランカスター伯爵は、それ以外にも言いたい事がありそうだった。
だからアイザックが、先に話題を振る。
「パメラとリサ、あとはロレッタ殿下にアマンダを妻に娶る予定です。エルフ側からもブリジットさんを娶ってほしいという要求があります。これ以上は王妃を増やすわけにはいかないでしょう」
「では寵姫ならば?」
ランカスター伯爵は、探るような視線でアイザックを見る。
なにかに期待しているようだった。
「……妻達が許してくれるならば、あり得るでしょう。ランカスター伯はそれでよろしいので?」
「これまでジュディスには寂しい思いをさせてきました。あの子が望む形になるのであれば、不満はございません」
「そうですか。パメラとリサの二人以上の妻は持たないと言っていた前提が崩れました。そう遠くないうちに答えを出すとしましょう」
「今はそのお言葉だけで結構です。ありがとうございます」
ランカスター伯爵を同行させたのは、ジュディスの話を引き出すためでもあった。
ロレッタへの求婚を目前で見れば、人として、祖父として孫の事にも触れたくなるはずからだ。
「ロックウェル王国に渡さないために結婚しよう」というよりは「王妃を増やさないという前提が崩れて、受け入れやすくなった」という口実のほうがお互いにとっていいものである。
そういった点では、モーガンが外務大臣を務めてくれていて助かったと思っていた。
そうでなければ、こうしてランカスター伯爵を連れてはこられなかっただろうから。
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