第571話 後宮の事情

 ――ロックウェル王国もリード王国の傘下に加わる。


 この歴史上の大きな転換点は、アイザックにも当然大きな影響を与える。

 その問題を解決すべく、アイザックはウェルロッド侯爵家、ウィンザー侯爵家、そしてバートン男爵家の面々を後宮に集めた。

 本来は身内といえども、男を後宮に入れるべきではない。

 しかし「女房衆ばかり、ザックに会えるのはずるい!」という抗議を受け、今回は特例として認めた。


 もちろん、女房衆――マーガレット達が出入り自由というわけではない。

 男と違って、許可を得れば後宮に入りやすいというだけだ。

 乳母が決まったため、これからは子育ての手伝いをしていた、ルシアやアリスといったザックの祖母にあたる者達も出入りし辛くなるだろう。


 乳母は二人用意した。

 一人は母親としてパメラを教育するという意味も含めて、レーマン伯爵夫人であるクリスティナを呼んだ。

 彼女自身も王妃であったジェシカと交流があり、王家の事に詳しい。

 そして一人の母親として、パメラやリサに子育てのノウハウを教えてくれる予定である。


 もう一人は、ハーバード子爵夫人のライラだった。

 こちらは死産により母乳を与える子供がいなくなったため、パメラが乳を与えてやれない時に、ザックの授乳を対応してもらうつもりで呼んでいる。

 他にも候補はいたが「彼女を乳母にするとザックが賢くなってくれそうだ」と思ったので彼女を選んだ。

 どちらもエリアスの取り巻きだった家の者で、採用の理由には「即位を後押ししてくれた彼らを無下にはしない」という意思表示も含まれていた。


 彼女らが慣れるまでは、ルシアとアリスが交代で手伝うのは変わらない。

 しかし、それもそう遠くないうちに終わるだろう。

 今回の会合には、それらも関係していたが、まずは伝えねばならない事があった。


「――というわけで、ロレッタ殿下とウォリック侯爵家のアマンダと結婚する可能性が濃厚になった。反対意見や懸念などがあれば、今のうちに聞いておきたいんです」


 これは身内で話しておかねばならない問題だった。

 しかし、モーガンやウィンザー侯爵は当然知っているし、その家族も知っている。

 今回は主にパメラやリサと、バートン男爵夫妻に伝えるための集まりであった。


「あぁ、そうだ」


 意見が出る前に、アイザックが口を挟んだ。


「今まではパメラの子をウェルロッド侯爵家の跡継ぎに、リサの子をバートン男爵家の跡継ぎにと考えていましたが、私が国王になった以上はそうはいかないでしょう。ザックが国王になるので、リサの子をウェルロッド侯爵家の跡継ぎにしたいと思っています」

「それは……、過分な扱いではありませんか?」


 バートン男爵が困ったような表情を見せる。

 男爵家の娘が産んだ子供が、ウェルロッド侯爵家の跡継ぎになるというのは抵抗があったからだ。

 これはアデラも同様で、歓迎してはいない様子を見せていた。

 しかし、アイザックは違った。


「子爵家の令嬢を母に持つ子供が侯爵家の跡継ぎとなり、公爵家当主となり、国王にまでなっているのです。男爵令嬢の子供が侯爵家の跡継ぎになるくらいは問題はないのでは?」

「それはそうかもしれませんが……」

「ロレッタ殿下の子にはファーティル公爵家を、アマンダさんの子にはウォリック侯爵家を継いでもらう事になるでしょう。それならば、リサの子供にも侯爵位を継がせてやりたいと思っています。ケンドラがウィルメンテ侯爵家に嫁ぐ以上、ウェルロッド侯爵家にも跡継ぎは必要ですからね」


 ――自分自身の境遇を考えれば、母が男爵令嬢でも、国王の子ならば侯爵家の当主になってもいい。


 アイザックは、そう考えていた。

 この考えに、バートン男爵夫妻は反論できなかった。

 否定すれば、アイザックの存在自体を否定しまうのと同じだからだ。

 しかし、この提案は野心のない者にとって、正直なところありがた迷惑である。


 ――リサの子供が侯爵家の後継者になる。


 たとえランドルフ達が支援してくれたとしても、やはり難しいものに思えた。

 だが「すでに子爵令嬢の息子が国王になっている」というアイザックの例もある。


「……否定は致しません。ただ、その子に跡を継ぐ器量がない場合は、バートン男爵家を継がせ、侯爵位は他の王子殿下に譲るという事を念頭に置いてくださるのならば……」

「覚えておきましょう。ジェイソンやフレッドのような者に跡を継がせるわけにはいきませんからね。そうならないように気を付けますが」

「ありがとうございます」


 バートン男爵のこの態度は、モーガンやウィンザー侯爵に好意的に取られていた。

 元々野心がない事は知っていたが、リサが第二王妃になって少し時間が経っている。

 そろそろ心変わりする頃かもしれないと思っていたが、そうではなかったからだ。


「さて、話が逸れてしまいましたが、今後の懸念などがあれば遠慮なくどうぞ」


 アイザックが話を元に戻す。


「では一つ確認しておきたい事があります」


 これに反応したのはウィンザー侯爵だった。


「陛下は、王妃がそれぞれ王子を一人は産む事を前提に話しておられます。二人目以降の王子について、どのような扱いを考えておられるのかをお聞かせ願いたい」


 これは難しい問題だった。

 王女ならば、どこかに嫁がせればいい。

 だがパメラやロレッタが二人目の王子を産んだ場合、その子供を放置するわけにはいかない。

 場合によっては、リサの子供の代わりにウェルロッド侯爵家を継がせる必要も出てくるだろう。

 その辺りの事を確認しておかねばならなかった。


「本人に意欲と実力があれば、文官や武官としてザックを支えてもらう。その際は王子にふさわしい役職と爵位を与える事になるでしょう。あまり王国のために働く意欲がなかったり、政治に関わらせるのに不安がある場合は適当な爵位を与えて、その貴族年金で大人しく生活してくれればとは考えています」

「実力がなくとも野心はある。そういった子供も現れるでしょう。その際はいかがなされますか?」

「もしも実力に見合わぬ地位を求めるような事があれば……。ザックが即位した時に禍根を残さぬようにしておく必要があるでしょう」


 アイザックには、ジュードのように我が子を手にかける自信がなかった。

 ザックでも一日中頬ずりしていたいくらい可愛いのだ。

「できの悪い子ほど可愛い」というのならば、きっとその子も可愛いだろう。

 いざとなった時、処断できるかはわからなかった。


 だがウィンザー侯爵は、アイザックから「禍根を残さないようにする」という言葉を引き出せた事で、ひとまずは満足していた。

 これまでのアイザックを考えれば、その言葉の通りに実行してくれるはずだからだ。


「他にはありませんか?」


 アイザックは他の意見を求めた。

 しかし、誰も発言の許可を求めなかった。

 今のところはないようである。


「ならば、今日はここまでにしましょう」


 アイザックの言葉で、場がざわつく。

 ついに主役の登場となるからだ。


「ザックをここへ」


 アイザックが指示を出して、しばらくするとレーマン伯爵夫人がザックを抱えてやってきた。

 彼女は女官達が運び込んだベビーベッドにザックを優しく置く。


「ザックー、寂しかったかい? もう大丈夫でちゅよー」


 アイザックが真っ先に駆け寄って息子をあやす。

 それを見て、モーガン達は顔をしかめっ面をしていた。


「陛下、今日は私達に会わせていただけるという話ではありませんでしたか?」


 そう、彼らを後宮に集めたのはロレッタ達の話をするためだけではない。

 幼くて後宮から出せないザックに会わせるためだった。

 マーガレット達は女なので、パメラ達から招待があれば会える。

 だが、男であるモーガン達は親族とはいえ、自由に後宮に入る事はできない。

 自分達のための集まりなのに、アイザックがザックを独占している事をモーガンは不満気に指摘する。


「親が子供を可愛がってはいけないという法はありません。ですが、今日は譲ってあげますよ」


 アイザックが苦笑しながら答えると、モーガン達が立ち上がってベビーベッドの周りに集まる。


「ここは宰相である私が最初に抱き上げるべきだろう」

「いやいや、ここは陛下の祖父である私でしょう」


 しかし、そこで牽制が始まった。


「身内として認められるのは三代まで。ザック殿下の曾祖父にあたるお二人は少々遠縁です。まずは私が」

「ほう、ランドルフ。言うようになったではないか」


 ――ランドルフがモーガンに逆らう。


 その貴重な場面が、ザックを抱く順番で繰り広げられていた。

 ザックが家族に愛されているのは、アイザックにとってありがたい事である。

 だが同時に、ザックが愛されているから困った事にもなっていた。

 皆を呼び集めたのは、その解決のためでもある。

 むしろアイザックとしては、こちらが本題であった。


「実はウィンザー侯にお伝えしておきたい事があります」


 アイザックはハンカチを取り出し、パメラに近づく。


「あっ、陛下!」


 パメラが拒んだが、強引に目の周りのメイクを落とした。

 彼女の目の下にはクマがあった。


「ザックを愛してくれているのはいいのですが、レーマン伯爵夫人やハーバード子爵夫人に頼らず、自分一人で子育てしようとするきらいがあります。このままではパメラが体を壊してしまうでしょう。そうならないよう、家族の口から諭してやってくれませんか?」

「だって初めての子供くらい、自分で育ててあげたいと思ったので……。平民だって妻が子供を育てているはずですので、やれない事はありません」


 パメラは「前世でもお母さんが頑張ってたでしょ」と、アイザックを睨む。

 寝不足だけあってか、体調だけではなく機嫌も悪そうだ。

 アイザックは彼女から視線を逸らす。


「平民でも家族の手助けを得ているはず。一人でやろうとするから無理が出るんだ。さっきのように少しの間ならレーマン伯爵夫人に任せられるんだから、昼寝の時間くらいは取ってもいいだろう?」


 アイザックは、パメラの事を心配していた。

 その気持ちは本物である。

 アイザックも「おしめの交換くらいは手伝おうか?」と言ったが、それは女官達に「王のやる事ではない」と言われて追い出された。

 レーマン伯爵夫人を信用していないというわけでもなさそうなので、自分で子育てをしたいという気持ちが強いのだろう。

 それに反対はしないが「過労死」という言葉が頭に浮かんでしまうので、適度な休憩は取ってほしいところだった。


「自分で子供を育てたいと思う事がいけない事ですか?」

「そうじゃない。体を壊さないように適度な休憩をしてほしいと言っているだけだよ」


 このやり取りも何度目だろうか。

 埒が明かないので、アイザックは最終手段を取る事にした。

 ルシアのもとへ行き、彼女の手を取った。


「ママー」


 ルシアがビクリと体を震わせる。

 アイザックが彼女の事を「ママ」と呼んだのは、幼い時だけだからだ。


「パメラが話を聞いてくれないよ。ママからも言ってやって、言ってやって!」

「あ、アイザック……」


 ルシアは驚きのあまり、「陛下」と呼ぶのを忘れ「アイザック」と名前で呼んでしまった。

 まるで駄々っ子のようなアイザックの変貌ぶりに、出席者達は呆気に取られていた。

 この場に居合わせた女官達は、今日、この場に居合わせた自分の不運を呪った。

 あと、シフトを決める女官長も一緒に呪われていた。


 しかし、これがアイザックの隠された本性というわけではない。

 すべてはパメラのための演技だった。

 ルシアの手を離すと、パメラに向き直る。


「パメラ、今のを見てどう思った?」

「えっ、キモッ」

「パメラ! なんて事を!」

「陛下に謝罪しなさい!」


 ウィンザー侯爵と、セオドアが慌ててパメラを非難する。

 だが、アイザックが手の仕草で彼らを止めた。


「そうだな。では、ザックが事あるごとに『ママァ』と泣きついてくる大人にしたいか?」

「それは……、嫌です」

「だろう?」

「でも、親離れするには早すぎます!」

「その通りだ」


 アイザックは優しい笑顔を見せながら、パメラの頭を撫でる。


「子供の親離れを練習させるんじゃない。親が子離れをする練習をするんだ。今は赤子だからといって安心してはいけない。このままいくと、いつ子離れするか、どの程度するかが難しくなる。だから寝る時間を確保するくらいは、子供と離れる時間を作ってほしいんだ。そうすれば適度な距離感もわかってくるだろう。体を壊さない事。それを一番に考えてほしい」

「それは……」


 アイザックの言葉には一理あった。

 パメラも疲れを感じていたのは確かである。 

 だが「前世の母は一人でやっていた」という思いがあり、自力でやってみたいと考えていた。

 しかし、今思えば祖父母に手助けをしてもらっていたという話を聞いていた事を思い出し、人の手を借りるのも悪くはないと思えてくる。

 ウィンザー侯爵家の面々も「無理はするな」という視線を投げかけてきていた。


「……わかりました。では昼寝をするくらいの時間は任せていこうと思います」

「わかってくれてありがとう」


(本当に助かった。これで相談もできる)


 彼女の体を気遣ったのは本心である。

 だが同時に「機嫌悪そうだし、相談しにくいなぁ」と思っていたのも事実だった。

 それは前世の妹である彼女くらいにしか相談できない内容だった。

 彼女が心身共に健康になってくれる日を、アイザックは待ち望んでいる。

 多少恥ずかしい思いもしたが、その第一歩が上手くいった事に満足していた。

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