第570話 技術供与の要請
だいたいの方針が決まると、あとは王家や貴族の取り扱いに関しての話が進んだ。
その他にも話し合う事はあったが、一日で解決できるものではない。
ひとまず解散となり、一度身内で語り合う時間を作った。
ロックウェル王国との話し合いが上手く進みそうなので、アイザックにも時間が必要だったからでもある。
アイザックには他に会わねばならない相手がいた。
――ノイアイゼンの大使であるヴィリーである。
彼とは重要な話があるため面会を申し入れる。
新王アイザックの呼び出しとあり、彼はすぐさま応じてくれた。
「ロックウェル王国の国王陛下が足を運ばれておられるのに、私を呼び出されるとは……。もしや、紹介していただけるのですか?」
ロックウェル王国は豊富な地下資源を産出する国だと知られている。
それは最近になって人間と交流を持ち始めたドワーフ達も当然知っている事だ。
だから彼が「ギャレットを紹介してもらえる」と真っ先に思うのも当然の流れだった。
「もちろん、ご紹介いたしますよ。何しろ、彼らはこれからリード王国の一員になるのですから」
「ほう、それは伺ってもよろしい話ですか?」
「正式な公表はまだですがね。実は――」
アイザックは簡単に状況の説明をする。
ロックウェル王国の現在の経済状況から、リード王国に合流する流れをである。
説明を聞いたヴィリーや、同行者は目を丸くして驚いていた。
「まさか結婚一つでそこまで大きく事が動くとは……。おめでとうございます。今回呼び出されたのは、私たちにロックウェル王国との取引を考えてほしいという事でしょうか?」
「それもありますが、もっと重要な話があります」
アイザックは一度紅茶を飲み、一息ついた。
そうせねばならないほど重要な話だと、ヴィリーに覚悟させる時間を作るためである。
「実はファラガット共和国には休戦協定の協定違反の懸念があります。ドワーフが奴隷になっている可能性があるようです」
「なんですと!」
――協定違反。
地域によって異なるものもあるが、種族ごとの自決は大前提となっている。
だからリード王国周辺のエルフやドワーフは、仲間内で集まって国や集落を作る事になっていた。
その休戦協定を破るという事は、また種族間戦争を起こす原因となるものである。
「かの国のウォーデンという街にドワーフが隠されているという話を、ギャレット陛下から伺いました。ですが焦らないでいただきたいのです」
「なぜですか? 協定違反は許し難い事ですぞ!」
ヴィリーは拳を握りしめながら勢いよく立ち上がる。
今にも飛び出しそうな雰囲気。だった。
「だからです。私も疑いがあるという話を聞いただけですから。ファラガット共和国に関する話で、ギャレット陛下を無条件で信じるわけにはいきません。それは先ほどご説明しましたように、両国の関係が最悪ですから。嘘を言ってリード王国に戦争をけしかけているだけかもしれませんので、確認する時間をいただきたいのです」
アイザックは「ファラガット共和国を攻める手伝いをしてほしい」などとは言わなかった。
そんな事を言えば「嘘を吐いて戦場へ連れていこうとしている」と思われてしまう。
ドワーフの力は欲しいが、焦って仕損じては意味がない。
まずは彼らの信頼を勝ち取れる方法で話を進めるつもりだった。
だから、今は慎重な態度を見せていた。
「それと、ノイアイゼンにも確認作業をお願いしたいのです。ファラガット共和国や、その前身であるウィックス王国に残った者の記録がないかどうかを。現地住民との関係が良好だったため、自主的に残っていたという可能性もありますから。協定違反だと決めつける前に、調べられるだけ調べましょう。間違いだったら大変な事になりますからね」
「……確かにその通りです。失礼いたしました」
ヴィリーは椅子に座り直す。
彼は焦った自分を恥じて少し頬を赤く染めていた。
彼もお茶を飲んで落ち着こうとする。
「それともう一点、本国に確認していただきたい事があるのですよ。火薬の配合率と製造方法を教えていただけませんか?」
お茶を飲もうとしていたヴィリーの手が止まる。
しかし、これは重要な問題だ。
すぐに答えず、ゆっくりと茶を飲みながら考えをまとめる。
「まるで原料が何かを知っておられるような言いぶりですな」
ヴィリーは、まず確認するべき事をするべきだと考えた。
火薬の作り方を漏らしそうな人物に心当たりはある。
だが、早合点をしてはいけない。
先ほどしたばかりなのだ。
同じ過ちを繰り返す事ほど愚かな事はない。
だから、まずは確認する事こそ優先すべき事だった。
「知っていますよ。硫黄に硝石、あとは木炭でしょう」
アイザックも聞き返される事は予想していた。
だから余裕を持って答える。
しかし、ヴィリーの目は余裕がなかった。
険しい視線をアイザックに向けていた。
「おおかた、ジークハルトあたりが漏らしたと考えておられるのでしょう。それは違います」
アイザックに否定され、ヴィリーは少しだけ冷静さを取り戻した。
「ジークハルトから聞いていれば、作り方もご存知のはず。
そうなると、疑わしいのはピストやノイアイゼンに出入りしている商人達だ。
ドワーフの誰かから聞いた可能性が高い。
そんな彼に、アイザックはフフフッと含み笑いをしてみせる。
「情報を盗んだという事でもありません。これも科学の力なのですよ」
「カガク、ですか」
「錬金術師のやっている事と考えればわかりやすいでしょうか。どのような薬品を混ぜれば、どのような反応を起こすかを予想するための学問です。私もピストから科学を学んでいますのでね。火薬という存在を認知すれば、どの薬品が必要かは逆算で導き出せるのですよ」
ヴィリーは息を呑んだ。
――完成品から逆算して原料まで判別する。
一見簡単そうに思えるが、それがどれほど難しい事か。
原料だけではなく、どのような工程を経ているかなども考えねばならないからだ。
「ですが、配合率は試してみないとわかりません。でもその実験で死傷者が出たら困るでしょう?」
「だから教えてもらいたいというわけですか……」
(それが同胞を助ける交換条件というわけか)
ヴィリーは、そう考えた。
そうでなければ「ドワーフが奴隷にされている」などという話と一緒に持ち出してこないはずだからだ。
何はともあれ、本国に相談しなくてはいけない事態になった。
「遠くないうちに、リード国立理化学研究所を設立する予定です。これは化学を体系化、一般化するための組織です。火薬の配合率を教えていただく見返りとして、ドワーフからも研究希望者を受け入れようと思っています。私も協力しますが、パメラが所長に就任する事になるでしょう」
「王妃殿下が……」
(という事は、研究所に力を入れそうだな)
パメラは頭がよく、面倒見もいい理想の王妃だと言われている。
だが、それでも限度がある。
勉強ができるからといって、研究者として優秀とは限らないからだ。
きっと彼女がアイザックと結婚する事になった経緯を考え、王妃としての箔をつけてやりたいと思ったのだろう。
ヴィリーは、そう考えていた。
ならば、この話は悪いものではない。
研究開発には人材や機材が必要であるが、最も必要なのは予算である。
アイザックが「パメラに箔をつけてやりたい」と考えているのなら、研究予算はケチらないはずだ。
それにドワーフは既存技術を洗練するのは得意だが、新技術の開発は苦手としている。
研究成果を共有してくれるのであれば、ドワーフにとって大きな利益となる。
「こちらからも資金を提供してもいいくらいの話だと思います。ただし、火薬を悪用されないか心配する者も多いと予想されます。ファラガット共和国方面に残る者がいたかどうかを調べるのはともかく、火薬の配合率を教えるのには反対される可能性も考慮しておいていただきたい」
「無論、そのつもりです。『対価を用意したのに教えないとはどういう事だ!』と恫喝するのは、ゆすりやたかりです。その時は諦めて、こちらで実験させる事にします」
アイザックの言葉は「もう完成間近だ」と言っているも同然だった。
その意味を、ヴィリーは考える。
(こちらに歩み寄ってくれているという事か?)
最初に思い浮かんだのは、ドワーフとの関係を考えて譲歩してくれているというものだった。
そのまま自力で開発もできたというのに、アイザックは教えを乞うてきた。
ドワーフの面子を守るために、自力での開発という名誉を捨てた。
次に浮かんだのは、技術を盗んだと言われぬための予防線だ。
ドワーフ側に配合率を聞いておけば「教えたのはそちらだ」と言えるようになる。
両国の間で揉め事になりそうな火種を潰す事ができる。
そして最後に、ドワーフと敵対しないかという警戒だろうと考えた。
ファラガット共和国が本当にドワーフを奴隷にしていた場合、ノイアイゼンはかの国だけではなく、リード王国の人間に対しても悪感情を持つ事になるだろう。
人間という種族自体に悪感情を持つ事は十分に予想される事態だ。
技術交流などで、リード王国に対しては友好的なムードを維持したいのかもしれない。
(いずれにしても、本国の指示を仰がねばならないな。それとアイザック陛下は、やはり油断ならない相手だと伝えねばならない)
火薬の存在から、原料を逆算して割り出すなど常人にできるものではない。
政治家としてだけではなく、研究者としても油断ならない相手である。
唯一の救いは、アイザックがドワーフに対して友好的な事だ。
好き勝手やられたら、今頃は頭を抱えていただろう。
だがヴィリーも、アイザックが「材料は知ってるけど、どう作ればいいんだろう?」と悩んでいると知っていれば、余裕のある態度を見せていても違った印象を持ったはずだ。
しかし、ドワーフの奴隷に関する話と原料を言い当てた事で彼は動揺してしまい、アイザックを実像以上に大きく見てしまっていた。
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