第568話 ロックウェル王国が受けた仕打ち

「私はかつて弱い立場にありました」


「エリアスの後継者としてふさわしくない行動ではないのか?」と聞いていたのに、アイザックは過去の話を始めた。

 しかし誰も口出しなどせず、黙って彼の話を聞く。


「家督争いで兄上は傘下の貴族から圧倒的な支持を得ており、私には勝ち目はありませんでした。ジェイソンの時もそうでした。僭称したとはいえ、王太子であったのは紛れもない事実。一貴族が対抗できる相手ではありませんでした」


 ほとんどの者が「王太子という立場があっただけのジェイソンよりも、当時のお前のほうが発言力あっただろう」と思ったが、やはり言葉にはせず黙っていた。


「そんな力のない私が取った方法とは何か? 地道に根回しをする事でした。秘密裏に味方を増やし、相手が行動する時には詰んでいる状況を作る。それが私のやり方です。では、ファーティル王国とロックウェル王国を吸収したリード王国は、ファラガット共和国やグリッドレイ公国から見て、どう見えると思いますか?」

「無論、大国……。いえ、超大国に見えるでしょう」

「元々リード王国は大国でした。そこに両国が加われば、不満があっても黙るしかない相手になるでしょう。では『これまでは仕入れ値を限界まで下げる事で楽に稼げていたのに、リード王国のせいで稼げなくなった』という状況になった時、ファラガット共和国の商人達はどう思うでしょうか?」


 ここまでアイザックの話を聞いて、この場にいた者達はアイザックが何を恐れているのかを理解した。


「不満に思うはずです。しかし表立って反発して、超大国となったリード王国を敵に回すような事はしないでしょう。資金の豊富さを活かし、時間をかけて裏工作をしてくるかもしれない。だから先に叩き潰すという事でしょうか? やはりそれは、平和的な方法ではないと思われますが」


 ビュイック侯爵達は「予防戦争を起こすつもりなのだ」と考えた。

 相手が万全の態勢を整えるまで待つ必要などない。

 有利な状況のまま一撃を加え、不埒な考えを捨てさせようというのだろう。

 その考えはわかる。

 しかしアイザックの考えは、エリアスの後継者としては不適格な考えである。

 その点が引っかかっていた。


 アイザックは、彼らの疑問を感じ取っていた。

 だから、その疑問を拭い去ってやろうとする。


「いいえ、私は平和を望んでいます。しかしながら、平和を望むのなら、戦争を絶対に避けねばならないという事にはならないでしょう。時には戦争も行うという覚悟を見せるからこそ、周辺国はリード王国に手出しをしなくなるのだと考えています」


 ――攻撃的な防衛政策。


 利害関係が衝突する相手国に対して及び腰を続ければ、相手も引く事なく、次々に譲歩を迫られてしまう。

「時には一戦も辞さない」という覚悟を見せる必要もあった。


「この考え方が、大臣達に反対された理由です。今までは同盟国に囲まれていたので、他国を威圧する必要などありませんでした。ですが、ファーティル王国を併合すればロックウェル王国が、ロックウェル王国を併合すればファラガット共和国などが隣国になります。リード王国の・・・・・・平和を維持するためには、従来の方針を踏襲するだけではいけない。そう考えているのですけどね」


 アイザックが力なく笑う。

 まるで己の無力さを実感し、諦観したかのような笑顔だった。

 その姿を見て、ギャレット達は驚いていた。

 彼らは、正しいと思った事ならば強引に命じていてもおかしくないという人物像をアイザックに持っていた。

 貴族に反対されて力なく笑うアイザックなど、想像した事などなかっただけに、その衝撃は大きい。


(自分が正しいと信じ、望む方向に人を操る人間ではなかったのか)


 やはり、一人で何事もこなすよりも、できない事があったほうが人間味がある。

 アイザックが身近に感じられたため、彼らの中で少しだけアイザックの評価が上がる。


「陛下、それだけではないでしょう? 今の話だけでは、私達が戦争を恐れる臆病者だと思われてしまうではないですか」


 しかし、すぐにモーガンから指摘が入る。

 この流れにギャレット達は「どういう事だ?」と疑問に思った。

 またしてもアイザックが力なく笑う。

 だが、今度は諦観した笑いではない。

 大人にいたずらが見つかった子供のような笑顔だった。


「ギャレット陛下ならおわかりいただけると思うのですが……。戦後、一生懸命に戦ってくれた貴族達に与える褒美に困った事はありませんか? ただお金を払うだけではなく、領地を与えたいと思った事は?」

「……あります。よく仕えてくれた者達に肥沃な大地を持つ領地を与えてやりたい。そう思わなかった時はありません。それはロックウェル王家の長年の夢でありましたから」


 そこまで答えれば、アイザックの考えをなぜ貴族達が反対するのかがわかった。

 ファーティル王国やロックウェル王国を併合すれば、国土は二倍に増える。

 だがその国土にはすでに領主がおり、彼らから領地を取り上げる理由がない以上、リード王国の貴族に与える領地はない。

 だから、同盟国ではないファラガット共和国を狙っているのだろう。

 しかし「なぜそのような理由があるのに、貴族は反対するのだろうか?」とも疑問に思う。


「アイザック陛下は、貴族達に内戦の褒美として領地を与えたいとお考えなのでしょう。それに反対されるとは意外ですね。リード王国の貴族は、とてもお上品のようで」


 そこでギャレットは、誰が強く反対しているのか炙り出そうとした。

 アイザックが無視できない発言力を持つ相手ならば、当然この場にも呼ばれているはずである。

 プライドがあるなら「お上品お嬢様なようだ」と言われて、黙ってはいないだろう。

 誰が反対しているのかを見て、反応を見ようとしていた。

 宰相であるウィンザー侯爵などの有力貴族が反対しているようであれば、借款の踏み倒しなども考え直さねばならない。

 だが、それ以外の者であれば、アイザック次第でどうとでもなる。


 ギャレットとしては、国庫の負担が軽くなるほうがありがたい。

 表に引きずり出して、説得しようとしていた。


「争いを恐れているわけではありません。『攻撃を仕掛けてくるかもしれない』という想像を前提に、戦争を仕掛ける事に正義がないから反対しているのです」


 ――反論したのはウリッジ伯爵だった。


(なるほど、彼が強く反対しているわけか。アイザック陛下といえども、彼の言葉は無視できないのも無理はない)


 ウリッジ伯爵の噂は、ロックウェル王国にまで届いている。


 ――真っ先にジェイソン打倒を訴えた男。


 ジェイソンは腐っても王太子である。

 エリアスの身柄を手中に収めていたという事もあり、表立って戦おうと言い辛い状況である。

 その誰もが言い辛い事を、声高に訴えた男だ。

 反骨精神旺盛で、不当な侵略戦争に反対してもおかしくない。

 それに内戦では、ウリッジ伯爵家が最も大きな被害を出している。

 ただの副大臣に過ぎないと軽んじられる相手ではなかった。


「私はファラガット共和国に戦争を仕掛けてもいい理由はあると思っています」


 だが、アイザックは理由があると言い出した。


「ギャレット陛下、貴国の通貨がどう扱われているかに関して説明していただけますか? ロックウェル王国側から説明していただければ、こちらが正義だと言い切れはしなくとも、ファラガット共和国やグリッドレイ公国が悪ではあるとわかってもらえるでしょう」

「なるほど、あの件ですか」

「私は報告を受けるだけでしたが、大臣達は皆が情報の精査に必死でしたから、全員にすべての情報を伝えきれていないのですよ」

「三日では足りませんでしたか。わかりました。私から説明させていただきましょう」


 ――ファラガット共和国やグリッドレイ公国が悪であるという証拠。


 それがどのようなものなのか、皆が気になっていた。

 ギャレットは一度咳払いをしてから話し始める。


「我が国の通貨に価値はない。そう言って貨幣の交換レートを不当に安くされているという話はご存知かな?」


 ギャレットは、反対の急先鋒であろうウリッジ伯爵に問いかけた。


「存じております」

「では交換された貨幣。特に金貨や銀貨が同じ重さのインゴットよりも安くなっているという事は?」

「それは初耳です」


 ここまで聞けば、不穏なものを十分に感じ取れていた。

 ギャレットは最後の一押しと思い、感情を込めて続きを話す。


「取引の多いファラガット共和国やグリッドレイ公国の商人達は、我が国の貨幣を手に入れたあと、鋳潰してインゴットへと作り直しているのだ。そのほうが安く買い取れて、高く売れるからという理由で」

「なんですと! なんという仕打ちを!」


 ――貨幣を鋳潰す。


 貨幣を鋳潰してはいけないという法律もあるが、これはそれを超えた国家の面子を潰すものだ。

 数枚程度なら、ミスをしたのだと大目に見る事もできるが、組織的に行われているとなれば大問題である。

 言うなれば「貨幣の発行権を持っているロックウェル王国という国に価値はない」と言っているのと同じ。

 戦争を仕掛けられてもおかしくないほどの問題だった。


「金や銀を買い取るより、貨幣を交換したほうが安いという状況になっている。だが、我が国は貨幣の両替を断れない。外貨がなくては食料を仕入れられぬからな。もっとも、これはファーティル王国の商人も同様の事を行っているらしいがな」


 ギャレットは、黙って話を聞いていたソーニクロフト侯爵に視線を投げかける。

 ソーニクロフト侯爵は困った表情を浮かべた。


「一部の商人が行なっているという噂は聞いた事があります。ですがロックウェル王国とは取引量も少ないので、ファラガット共和国に比べれば極わずかでしょう」


 彼はできる限り波風を立てぬよう「わずかだ」という言葉に力を込めていた。

 ギャレットは苦笑いを浮かべる。


「貴国には戦後の賠償などをまともにしておらん。それくらいは賠償金代わりだと思って目をつぶろう。だが、ファラガット共和国は許し難い。こちらが食料を輸入するために関係を切れないとわかっていて足元を見てくるのだ。友好的な関係を築こうとしても、あちらもそうだとは限らんぞ」

「今の話が事実であるならば、確かに否定しがたいですが……」


 ギャレットの話を聞き、ウリッジ伯爵の心が揺れ動いた。

 その隙をアイザックは見逃さなかった。


「もし両国を併合した場合、リード王国の貨幣を十分な量を流通させる事はできるのか? そう財務大臣に問いかけたら、難しいという返答をもらいました。当面の間は、両国の貨幣を金の含有量に応じた価値があると保証して使わせるしかないでしょう。その場合、安い金塊が手に入ったとしか思っていなかった者達が『わかっていれば貨幣のまま保有していた』『損をした』と思い、逆恨みされる事になるかもしれません。これも想像を前提にした行動です。しかしながら、無視できるものでもないでしょう」


 アイザックはあえて言わなかった事がある。


 ――ロックウェル王国の貨幣の価値を、リード王国が保証する。

 ――その代わり、借款は返すので不満を抑えてほしい。


 という交渉手段についてである。

 これならば、ファラガット共和国側にも後ろめたいところがあるので、裏で画策される可能性も低いだろう。

 だが、アイザックは火種を求めている。

 だからあえて触れなかったのだ。


 モーガンやウィンザー侯爵といった者達も、そういった方針を取れる事に気づいていた。

 気づいてはいたが、彼らもあえて指摘しなかった。

 ウェルロッド侯爵家は繁栄し、ウィンザー侯爵家も王妃を輩出しているので今後は繁栄すると思われている。

 強く反対すれば「お前達だけが繁栄を享受できればいいのか!」と、他の貴族達に非難されかねない。

 百戦して百勝とはいかないだろうが、戦争に勝てる確率は高いならば、やってもいいだろうと考えていたため黙っていた。


「ウリッジ伯、このような薄汚いやり口をするファラガット共和国を信用できますか?」

「難しいと言わざるを得ないでしょう。いくらロックウェル王国が弱っているとはいえ、ここまでやるとは……。いくらなんでも信じ難い事です」

「商人共はやる」


 ウォリック侯爵が話に加わってきた。

 ウリッジ伯爵は、彼を見る。


「奴らの頭の中にあるのは利益だけだ。そこに誇りも何もない。ファラガット共和国は力のある商人が議員として国家方針を決めているそうではないか。ならば国自体が腐っていると見ていいだろう。叩き潰してもかまわん」


 商人によって領内に混乱を起こされたウォリック侯爵の言葉には重みがあった。

 ウリッジ伯爵も唸り、黙り込むしかできなかった。

 アイザックは意外なところから援護をもらえて助かる思いだった。

 この機会を逃さぬよう行動に移す。


「戦争を仕掛けるにしても、ただ力押しをすればいいというわけではありません。戦後の統治なども含めて軽く考えてみました。概略ではありますが、一度確認してください」


 アイザックの言葉に合わせ、ノーマン達、秘書官が作戦計画の写しを出席者に配っていく。

 中身を見ると誰も彼もが難しい顔をした。


「陛下、これは正義から程遠いものではありませんか?」


 一度は黙ったウリッジ伯爵も、そう尋ねてしまうほどである。


「我々は正義ではないかもしれないと言いましたよね? それに長い目で見れば、民衆は悪逆非道な統治から解放されるのです。正義はありませんが悪い事ではないでしょう。ギャレット陛下はどう思われますか?」


 ギャレットは、アイザックの質問に大きな声で笑って返した。


「この戦争計画を評するなら悪辣・・の一言に尽きます。ですがこの計画が成功すれば、我が国の民にとってアイザック陛下は英雄・・となるでしょう」

「そうなると助かりますね。リード王国の一地方として統治しやすくなります」


 ギャレットがニヤリとすると、アイザックも同じように笑みを返した。

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