第562話 世継ぎ、誕生

 一月三日。

 新年会などが一段落し、十歳式の準備が始まった頃。 

 王宮には特別に親族が集められていた。


 ――パメラが破水したからである。


「なぜ王である私が部屋に入れないのだ?」

「出産は女にとって恥ずかしい姿を晒しますので、王妃殿下の名誉のためにご理解ください」


 アイザックもパメラの事を心配しているのだが、それは女官が認めてくれなかった。

 彼は知らなかったが、出産の際に排泄物が出てしまう事がある。

 それを夫に見られて自害した者がいたため、出産の際に男は部屋から締め出されるようになっていた。

 しかし中には「その子供は自分の子か?」と、妻や産婆が共謀しての子供の取り換えを疑う者もいるため、親族の女が出産を確認するのが常識であった。


「陛下、こういう時は待つしかありません。どうぞ、こちらへ」


 モーガンが椅子に座って待つように勧める。

 だが、アイザックは言う事を聞かなかった。


「大変な時なので、手ぐらいは握っていてもいいのでは?」

「陛下のお気持ちもわかりますが、出産は命懸けのもの。専門家が集中できるようにご協力をお願い致します」

「しかし……」


 アイザックも黙って待っているべきだとはわかっている。

 出産が危険な事だというのもわかっているつもりだ。

 だから出産に使うものは煮沸消毒させているし、高濃度のアルコールで手を消毒してもらっている。

 さらに治療魔法を使える女性の司祭や、女性のエルフまで派遣してもらっていた。

 これだけ用意すれば命の危険はないはずだが、それでもやはり「自分のせいでまた死なせてしまうのでは?」と思うと気が気でなかった。


「アイザック」


 ランドルフがアイザックの肩に手を乗せ、あえて「陛下」ではなく名前で呼んだ。


「お前が産まれた時、私も廊下で待っていた。出産とはそういうものなんだ。王という立場で強引に同席しようとして困らせるべきじゃない」


(これもこの世界の常識として設定されたものなんだろうか……)


 前世では出産に立ち会うというのは珍しい話ではなかった。

 なのに、今は許されない。

 その違いがアイザックには受け入れられなかった。

 だが、いつまでもソワソワとしていても仕方ない。


「そうですね、父上……」


 渋々とではあるが引き下がった。

 女官は表情を変えなかったが、内心ホッとしていた。

 リサも中に入っているので、アイザックは「子供だから」と中に入れなかったケンドラを抱き上げる。


「陛下、大丈夫ですか?」


 彼女は心配そうな目でアイザックを見る。

 アイザックは妹をギュッと抱きしめる。


「今はお兄ちゃんでいいよ。……やっぱりパメラの事が心配だよ」

「出産ってそんなに危ないの? お姉さまをそんなに心配するくらいに?」


 ケンドラが出産について不安そうにしている。

 アイザックは妹を不安にさせてしまった事を猛省する。


(お前はまだそんな不安を感じる年じゃない! むしろ嫁にいかなくていいから、そんな心配もしなくていい!)


「私も初めての事に不安を感じているだけだ。一度経験すれば、父上のように落ち着いて待っていられるよ」


 だが我慢して本心とは違う事を話す。

 ここにはウェルロッド侯爵家の者だけではなく、ウィンザー侯爵家の者も集まっていたからだ。

 さすがにパメラではなく、ケンドラへの愛の深さを知られるわけにはいかない。

 そう判断できるくらいの冷静さは残っていた。


「私がこうして心配していると、気を使って不安を口に出せなかっただろう。すまないな、ロイ」


 アイザックは、パメラの弟であるロイに声をかけた。

 誰か一人が取り乱していたら、その場に居合わせた者は一緒になって慌てるのは難しい。

 他人が取り乱すのを見て「自分は冷静にならないと」と思ってしまうからだ。

 まだ子供のロイに気を使わせてしまった事を詫びる。


「いえ、王妃殿下も覚悟の上でしょうから。王妃殿下よりも、陛下のご子息が無事に産まれるかどうかのほうが心配です」


 見た目は子供だが、中身はしっかりとした貴族として成長しているようだ。

 ではなく、アイザックの子供・・・・・・・・のほうを心配していると返事をする。

 しかし、アイザックの目には動揺の色が見えた。

 彼の隣に立ち、頭を撫でる。


「そうは言っても、身内の心配をするのが人というものだ。今は臣下としてではなく、家族としてパメラと生まれてくる子供双方の心配をしてくれていい」

「はい陛下……。いえ、義兄上。ですが姉上は、ああ見えて逞しいところがあるのです。治療魔法を使える者もいるので、姉上の心配は無用でしょう」


 ロイはきっぱりと言い切った。


(あいつ、本性を弟に見破られてやんの)


 アイザックは笑いそうになる。

 義弟のおかげで、少しだけ気分が軽くなった。

 ケンドラを降ろし、モーガンと話していたウィンザー侯爵とセオドアのところへ向かう。


「お爺様達は余裕がありそうですね」

「子供と孫の出産で二度、立ち会っておるからな。跡継ぎとなる男児が一番だが、女児でもかまわぬ。無事に産まれてきてさえくれれば……」


 モーガンは曾孫が無事に産まれてきてくれる事を祈っていた。


「こうして曾孫の出産に立ち会えた。宰相という職も悪くはないのかもしれん」

「義父上は宰相を任されていたため、領都で産まれたパメラやロイの時に立ち会えなかったとぼやいておられましたね」

「アリスが妊娠しているとわかったのが領都にいる時だからな。お前のタイミングが悪い」

「時期を選べないのですから仕方ないでしょうに……」


 ウィンザー侯爵のほうは、孫の出産に立ち会えなかった事を悔やんでいたらしい。

 孫を飛び越えて曾孫の誕生に立ち会えそうなので、少し浮ついている様子だった。

 それに対し、セオドアは落ち着いているようだ。

 ランドルフといい、親の経験が余裕を持たせているのだろう。


(俺もこういう風になれるのかな)


 まだリサだけでなく、ロレッタやアマンダも控えている。

 治療魔法が使える分だけ、ルシアやアリスの時よりマシなのだろう。

 だが、アイザックは慣れる気がしなかった。


 もどかしい思いをしていると、部屋の中で動きがあったような気配がした。

 皆が扉に視線を向ける。

 扉が開かれると、ルシアが姿を現した。


「無事、男児を出産なされました」

「本当に! やった!」


 誰よりも真っ先にアイザックが喜びの声を上げる。

 前世でなら“男児が産まれた”という一言に、ここまで喜ばなかっただろう。

 薄っすらと感動の涙まで流していた。 


「王太子殿下の誕生おめでとうございます!」

「おめでとうございます!」


 家族や待機していた使用人達も、アイザックに祝いの声をかける。

 静かだった廊下が、一気に沸き上がった。

 アイザックは手を振って祝いの声に応える。


「陛下、王妃殿下がお待ちです」


 歓声が収まると、ルシアがアイザックに声をかけた。

 今日の主役はアイザックではない。

 パメラであり、産まれてきた子供なのだ。

 主役を置き去りにしてはいけないと、やんわりと伝える。


「そうですね。会いましょう」


 アイザックが部屋に入ると、まず家族の姿が目に入った。

 マーガレットやローザ、アリス。

 そしてパメラの手を握っているリサだ。

 彼女らが道を開けてくれた事で、ベッドに横たわるパメラの姿が見えた。

 彼女の手にはタオルで包まれた赤子がいた。


「お疲れ様」


 アイザックは、精魂尽きた様子のパメラに声をかける。

 パメラは一瞬「疲れたなんてもんじゃないよ!」という視線を向けたが、そんな元気も残っていないのだろう。

 すぐ普段の彼女に戻った。


「陛下、子供の名前は考えてくれていますか?」


 しかし、彼女の第一声は、アイザックにとって厳しいものだった。


(考えてはいたけど、納得してくれるかどうか……)


 パメラとリサの二人は「せめて最初の子供の名前をちゃんと考えておいてくれ」とアイザックに要求していた。

 当然、「太郎」や「一郎」と言ったものは許してくれないだろう。

 そもそも、この世界では意味が通じないかもしれない。

 だから、アイザックにとって非常に難しい宿題であった。

 廊下で待っていた家族が部屋に入ってくるのを確認してから、息子の名前を発表する。


「その子の名前はザックだ。私の名前の半分から取った。そして、いつか私の半分でもいいから活躍してほしいと願っている」

「そんな名前――」


 パメラは不服そうだった。

 親ならば、子供に自分を越えてほしいと願ってもおかしくない。

「自分の半分でもいいから活躍してほしい」という言葉が許せなかった。


「それは期待し過ぎではないですか?」


 リサが非難めいた声で答える。

 彼女の反応を見て、パメラは口をつぐむ。


「アイザックの半分というのは……」

「誰が真似をできるというのですか」


 ランドルフとセオドアが「それはない」と顔を見合わせる。


「さすがに私たちも、これ以上はフォローしきれないぞ」

「隠居の言葉が頭に浮かぶ年ですからな」


 モーガンとウィンザー侯爵も「曾孫の代までは支えきれない」と語る。


「子供には期待したいでしょうけど、期待が大き過ぎて潰れる心配をしないといけないのでは?」

「ですが王太子殿下という立場を考えれば、期待をかけないというのも問題があるでしょう」


 マーガレットとローザも、無条件で賛同はしなかった。

 やはり思うところがあるのだろう。


「でも初めての子供には期待してしまうものですよ」

「あなたの子は、期待に応えすぎてるけれどもね」


 ルシアとアリスは、名前の良し悪しに触れなかった。

 無事に出産が終わった事で緊張の糸が切れ、軽い雑談といった雰囲気で話していた。


「これで僕も叔父さんかぁ」

「えっ、それじゃあ私、十歳にもなってないのにオバさんになっちゃったの!」


 ロイとケンドラは、自分達が「おじさん、おばさん」という立場になったという感想くらいしか持っていないようだ。


(転生者、それもゲームの攻略情報持ちと同じ活躍は期待できない……か)


 そういった周囲の反応を見て、パメラは少し落ち着く事ができた。

 普通の人間ならば、アイザックの半分もできれば十分かもしれない。

 お腹を痛めた我が子だから、期待度が上がり過ぎていたのかもしれないと考え直す。


「そうね、ザック。いい名前だと思うわ」

「だろう? これからよろしくな、ザック」


 アイザックが、息子の顔を指先で優しく撫でる。

 くすぐったかったのか、泣き声を上げながら、アイザックの指を小さな手で握った。

 それがアイザックの琴線に触れる。


(あぁ赤ん坊の手って、こんなに小さいんだ)


 パメラとの子供であっても、アイザックは可愛がるつもりだった。

 だが、今はもうつもり・・・ではない。

 目一杯、可愛がってやろうと思い始める。

 しかし、同時に不安も込み上げてくる。


(こんなに小さく、か弱い子供を危険に晒してもいいのか?)


 ファーティル王国やロックウェル王国を併合すれば、ファラガット共和国などと国境を接する事になる。

 それにアーク王国も、ジェシカを救えなかったせいで関係がギクシャクしてきている。

 このままでは、ザックが即位している時代に他国と戦争になってしまうかもしれない。


 ――こんなか細い手で戦乱の時代を乗り越えていけるのか?


 そんな心配をしてしまった。


(これまではパメラを手に入れるために頑張ってきたけど、これからはこの子のために頑張ろう。俺が敵を倒しておいてやって、安心して王になれる下地作りを作ってやるんだ!)


 だからアイザックは、息子のために頑張ろうと目標を決める。

 これまでは仕事に逃げているだけだったが、目標が決まればやりやすい。

 アイザックの人生に、新たな道筋が見えた。

 改めて息子の誕生に感謝する。


「陛下、抱いてみますか?」

「ああ、抱き方を教えてくれ」


 赤子を適当に抱き上げてはいけないという事は、アイザックも知っている。

 そこで産婆に抱き方を教わりながら、ザックを抱き上げる。


(軽いはずなのに、なんだか重いな。これが命の重みって奴か……)


 ザックを落としてしまえば死んでしまうだろう。 

 なのに、その命はすべてアイザックの手にかかっている。

 先ほどケンドラを抱き上げた時とは違う重みを感じていた。

 アイザックは、家族に向かって赤子を見せる。


「初めまして、ザック! ……なんだかおサルさんみたい」


 ケンドラの言葉に、アイザックは噴き出した。


「それはケンドラが赤ちゃんの時に、私も思ったよ」

「私はこんなのじゃなかったよ!」

「こういう感じだったわよ。産まれたばかりの時は、こういうものなの」

「うそー」


 ルシアの言葉で、ケンドラは自分がザックのような見た目だったと知るが、すぐには認めたくなかったようだ。

 信じられないといった態度を見せている。

 そして、ザックを見ながらソワソワとし始めた。

 きっと彼女も抱いてみたいのだろう。

 アイザックも息子を抱かせてやりたいが、先に抱いてもらう相手がいたので、ケンドラは後回しにした。


「リサ」


 ――その相手とは、リサである。


「私の代わりにパメラのそばにいてくれてありがとう。この子を抱いてくれないか」

「よろしいのですか?」


 リサは戸惑う。

 正室が産んだ子を側室が抱くのは、あまり歓迎されない事だ。

 もしザックを落としたりすれば、妬んでの行動だと思われかねない。

 だが、アイザックは自分の次はリサに抱いてほしいと思っていた。

 リサはパメラを見る。


「リサはもう私にとっても家族だから信頼しているわ」

「パメラさん……。わかりました」


 リサはアイザックから、ザックを受け取る。

 ケンドラの世話をしていただけあって、アイザックよりも安心感のある抱き方である。

 その光景は「彼らは信頼関係で結ばれている」と、見ていた者達に確信させるのに十分なものだった。

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