第532話 第二の二虎競食の計

 シルヴェスター達との話し合いには、ダッジやフェリクスも同席させたいと申し出る。

 その事に対して、ロックウェル王国側から拒否はされなかった。


 会談の席には、ビュイック侯爵らしき人物もいた。

 モーガンくらいの年齢で、渋みを感じさせる男ではあるが、その瞳はアイドルを見た少年のような輝きでアイザックを見つめていた。

 なぜそのような目で見られるのかわからず、アイザックは不気味さを覚えていた。


 まずは挨拶を交わす。

 やはり、初見の男はビュイック侯爵だった。

 宰相自ら足を運ぶ理由がわからないが、対処可能だとアイザックは考えていた。

 皆が席に座るが、ビュイック侯爵だけは立ったままだった。


 ――彼はアイザックが予想していなかった行動にでる。


「エンフィールド公、申し訳ございませんでした!」


 ――初手、謝罪。


 それにより、彼がシルヴェスターに同行してきた理由がわかった。


(そうか、フェリクスの時の謝罪か)


 アイザックは、フェリクスを生け贄にしようとした事を非難していた。

 ロックウェル王国の経済再建を邪魔するための嫌がらせに過ぎなかったが、やられた方の心には深く刻まれていたようだ。

 おそらく、指揮官達を引き抜いた事に対する感謝も言ってくるだろう。

 エリアスの葬儀については連絡したが、次期国王になるという事までは、まだ言っていない。

 リード王国のキーマンになりそうなアイザックとの関係を改善するため、宰相自ら足を運んできたのだろう。


 そう思ってくれるのはありがたいが、アイザックにはアイザックの都合がある。

 彼の願った通りに話を進めてやる義理などなかった。


「いえいえ、謝罪は無用です。むしろ、ビュイック侯に感謝しているくらいなのですよ」

「感謝……、でございますか?」


 アイザックがおかしな事を言い出したので、ロックウェル王国側の出席者は怪訝な表情を見せる。

 笑顔を見せて、アイザックは隣に座るダッジの肩をポンと叩いた。


「実はダッジ前元帥の助言のおかげで、簒奪者共の反撃を未然に防げたのですよ。それに、あのトムを討ち取ったサンダース子爵が率いる部隊を正面から突破した王国軍精鋭部隊を、フェリクス殿が食い止めてくれたのです。彼らがいなければリード王国の内戦が長引き、ファーティル王国に援軍を送るどころではない状況に陥っていたでしょう。彼らが国を出て行くきっかけを作ってくださった、ビュイック侯のおかげだと感謝しています」


 アイザックの言葉は、ただダッジとフェリクスを褒めているというものではなかった。

「ビュイック侯爵のせいで、ファーティル王国を狙う絶好の機会を逃した」という事を、この機会に伝えておこうとしていた。

 これでビュイック侯爵の立場が悪くなれば、ロックウェル王国の経済振興政策は頓挫するかもしれない。

 現に、シルヴェスターが彼を見る目が変わっていた。


(成功だな)


 アイザックは成功を確信した。

 ダッジは元帥、フェリクスはフォード伯爵家を背負う人物であり、戦場でも一軍を指揮していた。

 二人の価値は、ロックウェル王国の人間の方がよく知っているはずだ。

 だからアイザックが褒めてやれば、二人を惜しむ気持ちが、より一層強くなる。


 ――ロックウェル王国内でのビュイック侯爵の立場を悪いものにし、ダッジ達の評価を上げる。


 彼らが頑張ってくれたのは事実である。

 アイザックが褒めても損をしない一石二鳥の策だった。

 ダッジ達も面子が保てるし、国元にいる家族も鼻が高いだろう。

 アイザックは、ビュイック侯爵の反応を見る。


「それはよろしゅうございました。二人がエンフィールド公のお役に立てて何よりでございます」


 だが、ビュイック侯爵はアイザック達が予想したものとは違った反応を見せる。

 慌てふためくのではなく、笑顔で「それはよかった」と答えたのだ。

 この反応にアイザック達ではなく、シルヴェスターが反応した。


「ビュイック侯! なんだ、その言葉は! いくらエンフィールド公に心酔しているとはいえ、今の言葉は聞き流せんぞ!」


 アイザックに媚びを売るような言葉に、シルヴェスターは声を荒げた。

 国の命運を左右しかねない問題にもかかわらず、彼が「アイザックの役に立ててよかった」と答えたからだ。

 しかも、逡巡する事もなく。

 これは他国の者達の前であろうとも、見過ごせる問題ではなかった。


「よいではありませぬか。我が国は戦後の混乱から立ち直ったばかり。ファーティル王国への再侵攻など不可能でした。ならば、エンフィールド公のお役に立てた事を喜びましょう」


 だが、ビュイック侯爵は平然としていた。


「ファーティル地方の奪回を諦める事を含めての方針転換です。ならば、方針転換後にチャンスがあったと悔やんでも仕方ありません」


 どうやら、彼は割り切りがいいようだ。

 いや、良すぎるのかもしれない。

 だから、フォード伯爵家の当主となっていたフェリクスまで切り捨てたのだろう。

 しかし、国を改革するというのならば、それくらいの人物でなければいけないのかもしれない。

 アイザックは、ビュイック侯爵を「ウリッジ伯爵のように自分の信念を優先する男かもしれない」と警戒する。

 ダッジ達は、ショックを受けないビュイック侯爵の姿に肩透かしを食らった気分だった。


「それはそうかもしれんが……」


 ファーティル王国を滅ぼすのは、ロックウェル王国にとって長年の夢である。

 それをあっさり諦めろと言われても、シルヴェスターは簡単には納得できなかったようだ。

 納得している振りはしているが、不満が表情に出ていた。


「まぁよい。座れ。これでは話ができん」

「はっ」


 とはいえ、シルヴェスターも国を代表してきている。

 身内のゴタゴタを、いつまでも見せるわけにはいかない。

 話を進めようと、立ったままのビュイック侯爵に座るよう命じた。

 ビュイック侯爵が着席すると、シルヴェスターは溜息を吐いた。


「エンフィールド公ならば、エリアス陛下をお救いしていただけると信じていたのだが……。残念だ。本当に残念だ」


 まず彼は、尊敬するエリアスの死について嘆いた。

 真の王者たる姿を見せられて以来、彼はエリアスの信奉者となっていたからだ。

 だが、アイザックを責めたりはしない。

 大使から、王宮を解放した時の状況を聞いているからだ。


 アイザックは、救出できるギリギリのところだった。

 それも、前もって予想していなければできないほど素早い行動だ。

 ただ一点、ブランダー伯爵の裏切りだけを見抜けなかったのが、唯一かつ致命的な失敗である。

 だが、あれほどまでに華麗な手腕を見せたのならば、最後の一手も抜かる事なくやり遂げてほしかったと思わずにはいられなかった。


「それは私達も残念に思っています。あと一歩、もう少し手を伸ばせば届くようなところで、陛下を助けられなかった。本当に悔やまれます……」


 当然、アイザックも心の底から悔しそうな表情を見せる。

 それは忠臣としての顔を保つために必要なものだった。


「シルヴェスター殿下は、エリアス陛下に対して本物の敬意を持って接しておられたとお見受けします。本来ならば、両国の友好の懸け橋となるものだったでしょう。ですから、殿下にだけ特別にお教えする情報があります。……次期国王として、私が内定しております」

「なんとっ!」


 シルヴェスターが、目を丸くして驚く。

 ビュイック侯爵や秘書官、護衛といったロックウェル王国側の者達全員が同じような反応をしていた。


 アイザックは内定の経緯を話し始める。

 リード王国の公爵位に関する特殊な事情は知られていたが、継承権が剥奪されずに残っていたままだった事に驚いたのは、彼らも同じだった。

 そして公爵という立場でありながら、次期国王の選定に関して口出ししないと言っていた事にも、また驚かれていた。


「エリアス陛下をお救いできなかった私が跡を継ぐなど考えられませんでした。ですが選ばれた以上は、エリアス陛下の後継者として穏健な政策も継承するつもりです。その一環として、ロックウェル王国への対応の変更を考えています」

「対応の変更とは?」


 シルヴェスターが聞き返す。

「エリアスの政策を引き継ぐ」とアイザックが言っているので、あまり不安そうにはしていなかった。


「ダッジ、フェリクスの両名が、褒美として貴国との取引を見直してほしいと言っています。鉱物資源を戦前の価格で取引するように戻してほしいとね。自らの利益ではなく、いまだ祖国のために尽くそうとしている。そんな彼らの心意気に応えたいと思っているのですよ」

「なんと、まだ二人がそこまで国の事を思ってくれていたとは……」


 シルヴェスターは、ダッジとフェリクスの忠義に感動していた。

 二人は胸を張って「当たり前だ」という態度を見せていた。


 これは前もって話していた事だった。

 ビュイック侯爵に「謝罪しろ!」と要求する事は容易だった。

 だが、アイザックは「負の感情ではなく、正の感情で見返してやろう」と持ち掛けた。


 ――恨みつらみをぶつけるより、手放すべきではなかった相手であると思わせる。


 こうする事で、ロックウェル王国に残っている家族も社交界での立場を確保できる。

 ただ相手を貶めるだけが復讐ではない。

 失ったものの大きさを思い知らせる事もまた一つの復讐の形でもあった。

 それにこういう形での報復なら、相手がよほどの馬鹿でもない限り逆恨みはされない。

 フェリクスには物足りなく感じるだろうが、新たな報復を生まぬ仕返しだった。


 そして何よりも、これはリード王国にとって痛手となるような取引でもなかった。

 ファーティル王国とは違い、リード王国とロックウェル王国とでは距離がある。

 安く買い叩く事はできても、鉱物を大量輸送するのは難しい。

 ファーティル王国を通る際に払う通行税や、商隊の維持費などを考えれば利益はない。

 それならば、ウォリック侯爵領やブランダー伯爵領の鉱山をどんどん開発していった方が、自国の利益に直結するのでお得である。


 もちろん他の貴族と相談した上での行動である。

 先の戦争の利権は、ほぼアイザックが獲得したようなもの。

 大きな利益もないとなれば、反対意見はどこからもでなかった。


「ですが、私も国王になれば、彼らへの褒美をそれだけで済ませるわけにはいきません。爵位を与えたいと思います」

「爵位……。しかし、それは……」


 二人の忠義に感謝はしているものの、爵位を与えるという事に関しては、シルヴェスターも渋る。

 それでは、二人が引き抜かれたと周囲に知らしめるようなものだ。

 できれば帰ってきてほしいと思うだけに、即座に肯定できるものではなかった。


「これは、二人の立場が不安定だからというのもあります。特にダッジは『前元帥』と呼ぶべきか、それとも私の家庭教師なので『ダッジ殿』と呼ぶべきなのかと迷う者も多いのです。元々貴国では伯爵家の当主だったという事もあり、一代限りという条件を付けて『ダッジ伯爵』『フォード伯爵』という伯爵位を与えたいのです」


 この申し出に、シルヴェスターは返答を控えた。

 下手に認めれば、一族ごと移住するきっかけを作ってしまいかねない。

 両家共に功労者であるので、引き抜かれるような事は避けたかった。

 だが、ビュイック侯爵は違った。


「現当主とその妻子を引き抜かないという条件を認めていただけるのであれば、許可を出してもよろしいのではないでしょうか? ダッジ殿やフェリクス殿も、妻を呼び寄せたいでしょう。それくらいは認めてやってもよろしいのではありませぬか?」


 二人は隠居して、子供に当主の座を譲っている。


 ――当主が他国に移住するのは問題だが、隠居した者が他国に移住する分には問題ない。


 ビュイック侯爵は、そのように考えていた。

 少なくとも、元帥を輩出した名家に見限られたという醜聞は流れないはずだった。


「しかしなぁ……」

「シルヴェスター殿下の独断では簡単に決められない、難しい問題だとはわかっております。ですが、そこをどうか認めていただきたい。二人の新しい門出を認めてくださるのであれば、ロックウェル王国の未来を左右する重要な情報をお教えしましょう」

「我が国の未来を左右する重要な情報? ……しばし、時間をいただきたい」

「どうぞ」


 シルヴェスターは、ビュイック侯爵や他の随行員とヒソヒソと話を始める。


(すでに俺の側近だと周囲には思われている。ここで無理に拒んでも利益はないとわかっているだろう。だから、二人の爵位授与を認めるさ)


 だが、アイザックにはわかっていた。

 彼らが認めるだろうという事は。


 しばし話し合ったあと、シルヴェスターが出した答えは――


「我が国のフォード伯爵家、ダッジ伯爵家の当主とその妻子を引き抜かない事。また、重職にある側近などを引き抜かない事。この二点を認めていただけるのであれば、二人がリード王国内で地位を得る事を認めてもかまわない」


 ――アイザックが予想した通りのものだった。


「ありがとうございます。では、ヘクター陛下と話した時の事をお教えしましょう」


 アイザックは、惜しみなくヘクターからファーティル王国を譲ってもいいと言われた時の事を話す。

 その内容には、今まで落ち着いていたビュイック侯爵も顔色を変える。

 ダッジ達も彼の顔を見て「ざまぁみろ」と思うものの、祖国の長年の夢が潰えた事に悲しみを覚えていた。


「経済振興政策を施しても、私がこの申し出を受ければ、ファーティル王国を取り戻すのは不可能となるでしょう。それどころか両国の国力を合わせれば、貴国への侵攻すらも可能となるでしょう。残念でしたね」


 アイザックの言葉は、ロックウェル王国の者達にとって死刑宣告のようなものだった。

 経済的に裕福になっても、それ以上は望めない。

 領土の奪回は不可能となり、地下資源がなくなるその時まで、忍び寄る死の気配を味わい続ける事になるのだ。

 国土奪還の夢を見る事すらできなくなるという事は、ロックウェル王国の者にとって辛い事だった。


 アイザックは、ロックウェル王国の人間が持つ希望について、ダッジやフェリクスとの話で知っていた。

 だから、彼らにヘクターからの申し出を打ち明けたのだ。


(踊れ、踊れ! 必死になって、俺とロレッタとの婚約を破談にしてみせろ! じゃないと、お前らが困る事になるぞ)


 アイザックは「フハハハハ」と高笑いをしてしまいそうになる。

 だが、そんな事をすれば意図を見抜かれてしまうかもしれない。

 ほころびそうになる頬を堪えながら、真剣な表情を見せ続けていた。

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