第524話 マーガレットのお土産

 屋敷に入ると、山積みになった袋が目に入った。

 使用人が、重そうに運んでいる。


「現金で六百億リード。これがあなたへのお土産よ。王になる事はできても、立場が安定していないと困るでしょう」


 マーガレットが小声でささやく。

 アイザックが王になるという事を、周囲に知られないためだろう。


「お婆様、ありがとうございます。屋敷の者には、私が王になる予定だと教えているので、小声でなくても大丈夫ですよ」

「あらそうだったの。余計な心配だったわね」


 マーガレットが笑顔を見せる。

 その笑顔は明るいものだったが、アイザックには腹黒いものが見えていた。


(俺が王になるって聞いたら、頼まれもしてないのに実弾を用意してくるんだもんな。さすがに政治の立ち回りをよく知っている)


 ――実弾。


 この場合は、鉄砲の弾を指しているのではない。

 政治家が選挙活動で配る賄賂の隠語の方である。

 マーガレットは、アイザックが王になると聞き、即座に金を集めた。

 知らせを受けて、すぐに王都へ向かわなかったのは、金を集めるためである。


 実弾は有効だ。

「私が当選すれば、あなたが得をする政策を実現する」などという報酬の後払いとは違い、先払いで受け取れるのだから。

 金銭の授受であれば、候補者が落選しても問題はない。

 後援をする側にとっては、取りはぐれる事のない報酬だった。


「屋敷にある売ってもかまわない物は、すべて商人に預けてきました。新しいドワーフ製品などは、また買えばいいだけですからね。陛下の本葬の頃には、その売上金と寄付金を持ってくるでしょう」

「それは助かります。即位したあとの立場を、しっかり確保しておきたかったですから。でも、王都の商会にも自主的に寄付金を出してもらっているので、商人に厳しい王だと思われてしまうかもしれませんね」

「そのくらいは、あとで利益誘導をしてやればいいでしょう」

「もうやっています」

「あら、さすがね」


 二人は顔を見合わせてクスクスと笑う。

 今回はアイザックの思い込みではなく、悪い顔をして笑っていた。


 ――二人ともが。


 この流れに、パメラ達はついていけなかった。

 しかし、言わねばならない事もある。

 アイザックのために。


「あの……、それではお金で王位を買ったとか言われる恐れがあるのではありませんか?」


 ――金を配る。


 それ自体が危険な行為だった。

 もちろん、リード王国に公職選挙法などという法律はない。

 だが当然、金を受け取った相手は「金で王位を買いにきた」と思うだろう。

 それでは王としての威厳を保てない。

 パメラは、アイザックのためを思って「やめたほうがいいのではないか?」と尋ねた。

 彼女の心配を解消しようと、優しい笑顔を見せる。


「大丈夫だよ。今回の戦争の経費は、ウェルロッド侯爵家が受け持つと伝えているからね。経費に少しばかり上乗せされるだけさ。エリアス陛下を救出せんと一生懸命戦った人達に感謝の気持ちとしてね」

「そう、ですか……」


(そういえば、こういう人だったわ)


 パメラは政治活動を「感謝の気持ち」と言ってのけたアイザックに少し引いた。

 だが、すぐに「そういう人だった」と思い直した。

 アイザックは権謀術数に優れ、暗闘を得意としている人物である。

 この程度の問題は、息を吐くのと同じくらい自然なものなのだろう。

 否定するべきではないと感じたのだ。

 そのままのアイザックを受け入れようと考え直す。


「今のは言い方が悪かったね。ただ前提として、僕がすでに全貴族の支持を得ているという事を忘れないでおいてほしいんだ。これはあくまでも王としての地位を、より安定させるためのもの。王位を奪ったりするための行動じゃないんだよ」


 だが、アイザックはパメラに引かれた事に気付いていた。

 慌てて弁解しようとする。


「ええ、理解しているつもりです」

「それはあまり理解してない時の返事だよね!?」


 悲しい事に、パメラが気を使ってくれている事が、アイザックでもわかってしまった。

 新婚早々に夫婦間に亀裂ができてしまいそうな状況に、アイザックはうろたえる。

 そこに救世主が現れた。


「理解できなくても仕方ないわよね」


 ――リサだ。


 彼女は、アイザックの事をよく理解していた。

 だからこそ、その事にだけはパメラに負けないという自信があった。


「パメラも学校の成績はよかったそうだけど、アイザックは学校で学べない事にも秀でているの。特に政治的な駆け引きは幼い頃から経験しているアイザックには追い付けない。だから理解できない事を言っても、その裏に何かあるはずだって考えるようにするといいわよ。これは慣れるしかないわ」

「リサにはわかったの?」


 パメラの問いに、リサは笑いながら目を逸らす。


「私は学校の成績も人並みだったから……。でも、周囲に人がいるのに話すくらいだもの。誰かに聞かれても問題のない内容だっていう事はわかったわ」

「なるほど……。つまり人に聞かれても問題のない内容だった。もしくは使用人の口から噂が広まる事を計算して、何かをしようとしているというところでしょうか?」

「そうそう、そういう感じ。言葉通りに受け取る前に、アイザックの発言の意図がどういうものか考える癖をつければ、受ける衝撃も小さなものになるわ」


(リサ、それはイマイチフォローになってない……)


 アイザックは、そう思った。

 だが、二人が協力し合って理解してくれようとしている。

 水を差すまいと、反論を控えた。



 ----------



「――という事がありましてね。身内相手でも言葉の使い方に気を付けないといけないと強く実感させられました」


 パメラが王都にきたので、ウィンザー侯爵も呼んで夕食を取った。

 夕食後、アイザックとモーガン、ウィンザー侯爵の三人は別室で話していた。

 その時にアイザックは、パメラの反応がちょっとショックだったと話す。

 二人の祖父が苦笑いを浮かべる。


「パメラも政治闘争についての教育をしているとはいえ、実際にやってきたわけではないからな。王妃となれば、これから嫌でも経験していくだろう。じきに慣れていく」


 ウィンザー侯爵は、他人事のように話しながらワインを飲む。


「今はリサが落ち着いてはいるが、むしろ彼女の方が心配だな。第二王妃とはいえ、王妃殿下と呼ばれる立場になるのだ。アイザックの妻に嫌がらせをする者はいないだろうが、本人が王妃という立場の重責に耐えられるかどうか」


 モーガンは、リサを不安視していた。

 公爵の妻というだけでも重荷だったのに、王妃となれば数倍重いものになる。

 王妃は国の顔でもあるのだから。


「それはパメラが助けてくれるそうです。私の見えるところだけ協力し合うというのではなく、見えないところでも仲良く協力し合ってくれている事に助かっています。これもウィンザー侯爵家の教育の賜物でしょう。感謝しています」


 アイザックは、ウィンザー侯爵に媚びを売る。

 とはいえ、助かっているのは本当なので、この言葉に偽りはない。

 それに、媚びを売っておかねばならない理由もあった。


「それにしても、もうパメラを懐妊させたとは。エンフィールド公は打つ手が早いだけのお方ではないようですな」


 ウィンザー侯爵が、からかう口調でパメラの妊娠について触れる。

 二人が結婚してから四ヶ月ほど。

 それでもう結果が出ているのだ。

 毎日のように頑張っていたのだろうという事が容易に想像できる。

 若かりし頃を思い出し、つい軽口が出てしまった。


「は、早くなんてないですよ。人並みです。……見比べた事はないので、たぶん」


 アイザックは、早い・・という言葉を違う意味で受け取った。

 明らかに落ち着きをなくし、動揺する。

 モーガン達は、それがどういう意味かを察して大声で笑う。


「そんなに笑わないでくださいよ、もう」


 アイザックは、頭を掻いて笑いが収まるのを待つしかなかった。

 二人の笑いが落ち着いたところで、反撃に出る。


「ウォリック侯やウィルメンテ侯が戻ってくる前に、お義爺様に言っておかなければならない事があったんです」

「ほう、あの二人が戻る前に」


 話が一気にきな臭くなった。

 ニヤついていたウィンザー侯爵も、これには真顔に戻る。


「以前、二人の協力を得ていたと話していたではありませんか。あれ、嘘です」

「なにっ!?」


 さすがにアイザックをからかっている場合ではなくなった。

 和やかな時間が、殺伐とした時間へと変わる。


「ウォリック侯とは話がついていたのではないのか? だから、次期国王について意見を述べないと言ったのではないのか?」

「いいえ、あれはウォリック侯がそうするだろうと思って、行動を予測してのものです」


 アイザックは、ウィンザー侯爵に一連の流れを説明した。

 粘着質なウォリック侯爵を利用し、彼に推薦させたところなどは、ウィンザー侯爵もただただ驚くしかなかった。

 だが、レーマン伯爵に関しては、アイザックも想定外の事だった。

 その他にも、ウォリック侯爵達とどう口裏を合わせていたのかや、偽伝令についても正直に話す。


「そういうわけで、ウォリック侯やウィルメンテ侯を共犯者だと思って話すのはやめていただきたいのです。私が陛下を死に追い込んだ真犯人だと気付かれてしまうかもしれませんしね」

「なんて事だ……。完全に騙されてしまった……」


 ウィンザー侯爵も、貴族社会で長年生きてきた男である。

 その彼が、アイザックの言葉に騙され続けていた。

 これまでの印象で大きく見過ぎていたのかもしれない。

 いや、アイザックが自分の事を大きく見せるのが上手かったのだろう。

 完全にしてやられたと天を仰ぐ。


「不確定要素が多いままだと、お義爺様も踏ん切りがつかなかったかもしれませんからね。4Wが結託して王家に対抗できるという状況になっていると思わせたかったのです。騙して申し訳ありませんでした」

「確かにウォリック侯やウィルメンテ侯が味方だと思っていなければ、パメラを切り捨てるという選択を取っていたかもしれない。家の存続のためにな」


 ウィンザー侯爵は、大きな溜息を吐く。

 思い返せば、昔からアイザックの手のひらで踊らされていた。

 そして、最後の最後まで騙され続けたのだ。

 貴族派筆頭としての自信を失いそうになる。


「騙された事に関して、ご不満をお持ちになるのはもっともなもの。ですが、私が何もしなければパメラを喪っていたかもしれません。でも、今は違います。ウィンザー侯爵家はパメラを喪うどころか、再び王家の外戚となる事になったのです。その結果で怒りを収めていただけませんか?」

「王家の外戚か……。まぁいい。ジェイソンがあのまま王として君臨するよりはマシだ。パメラと生まれてくるであろう曾孫のために、宰相として頑張らせてもらおう」

「パメラと曾孫のためですか……。それは手厳しいですね」


 ――宰相として働くのは王となるアイザックのためではない。


 今度はアイザックが苦笑いを浮かべる番である。

 だが、アイザックは諦めたりはしなかった。

 彼もまた、諦めの悪いタイプである。


「ならば、王として家臣の忠誠心を引き出せるように頑張るだけです」

「ほう、では期待させてもらおう」


 二人は視線を交わし、ニヤリと笑う。

 その二人の姿を、モーガンは「あとで私がウィンザー侯爵に愚痴をこぼされる事になるな」と達観した目で見守っていた。

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