第516話 新王アイザック(仮)

 アイザックは泣いていた。


(まだだ、まだ早い。ここで油断したら、これまでの苦労が台無しだぞ)


 自分を支持してもらえるよう、地道な根回しを続けてきた事が功を奏した。

 努力が実った事が何よりも嬉しかった。

 だが、収穫の時はまだである。

 収穫前に台無しにしないよう、今はまだ焦ってはいけない。


 エリアスが王位を譲ってもいいと考えていたというのは意外な事実だったが、それはどうでもいい。

 今の状況を考えれば、実質的にアイザックは自力で王位にまでたどり着いたと言えるだろう。

 パメラを手に入れ、王位を手に入れた。

 その事よりも、自分の力で勝ち取れた事が嬉しかったのだ。


(俺だって、やればできるんだ……。一国の王が俺を養子にしてもいいと思うくらい……)


 ――前世では、何者にもなれなかった。

 ――いや、何者かになる前に死んでしまった。


 だが、今世では違う。

 歴史に名を残すような事を成し遂げたのだ。

 この世界がゲームを元にしていると知っていたとはいえ、本当にここまでこられるとは思っていなかった。

 もうすぐやり遂げられると思うと、自然と涙腺が緩んでしまった。

 泣いてしまえば、弱い男だと思われてしまう。

 涙を隠すために、皆に背を向けたのだった。


(それにしても、ミルズの子供達には悪い事をしたな。さすがにあれは計算外だった。あんな死に方も……)


 アイザックにとって計算外だったのは、ミルズの子供達だった。

 ネイサンを殺し、彼の分まで名を残そうとした時には、彼らは生まれていなかった。

 だから、彼らに関しては申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだった。


 だが、エリアスの方は違った。

 自分の事を高く評価してくれていたとしても、彼を殺すのは覚悟済みである。

 多少は心が動いたが、彼の事だけで涙を流すほどの衝撃はなかった。


 ――ただし、それが慣れて心が強くなったのか、人として劣化したのかという判断に迷う程度には良心が残っていた。


 アイザックは涙を拭い、深呼吸をして心を落ち着かせる。

 踵を返し、皆がいる方へ向き直る。

 最後の仕上げを行わねばならないからだ。


 まだアイザックを歓迎する声があがっていた。

 手をあげ、仕草でその声を静める。


「私が王位に就く事を支持してくださる方が大勢おられる事がわかりました。では、反対される方はおられませんか? 不安要素があれば、今のうちに言っておいていただけた方が助かるのですが……」

「あります!」


 アイザックも反対意見が出るという事はわかっていた。


 ――しかし、まさかドワーフの大使であるヴィリーから出るとは思わなかった。


「何言ってるんだ?」という視線が集まり、隣にいたジークハルトが「うへぇ」という声を漏らしてしまう。


「エンフィールド公が王になれば、新技術の開発どころではなくなってしまうではありませんか! 私は『大使を危険な目に遭わせられないから、安全性が高まるまでダメだ』と言われて、まだハンググライダーに乗らせてもらえておりません! エリアス陛下も、空を飛ぶ事を楽しみにしておられました! 他の方ではダメなのでしょうか!」


 ヴィリーは、号泣し始める。

 本気で空が飛びたかったようだ。

 アイザックが王位に就く事で、研究開発に使う時間の減少を恐れている。

 自分勝手な意見ではあるが、大使である以上、それはドワーフ全体の意見だと考えてもいいだろう。

 むしろ、ドワーフの意見を隠すことなく正直に話していると感謝するべきかもしれない。


「リード王国の方々がエンフィールド公を必要としているように、私達にとってもかけがえのない貴重な存在だという事です。エンフィールド公が即位なされれば、一時的には落ち込むかもしれませんが、両国の友好関係に変わりはありません」


 だが、ジークハルトは焦っていた。

 慌ててフォローに入る。


(なんで僕が、こんな事をしなくちゃいけないんだ……)


 本来ならば、これはヴィリーの役割だ。

 そして、アイザックが王になるのを嘆くのは自分の役割である。

 こういう時に、冷静でいられた者が損をするのは勘弁願いたいところだった。

 しかし、口出しをしてしまったのだ。

 最後まで話す必要がある。


「ですが、私達の関係は変わるでしょう。今まではウェルロッド侯爵家の嫡孫、およびエンフィールド公爵との付き合いでした。しかしながら、王位に就かれれば、国王陛下との付き合いは国との付き合いと同義になります。これまでは個人的に便宜を図ってきましたが、これからは国家間の取引となり、私個人の判断では便宜を図れなくなります。特に武具の扱いに関しては、難しいものとなるでしょう」


 ジークハルトは、暗に「手榴弾の供給に支障がでるかもしれない」と伝える。

 その程度の事で即位を考え直しはしないだろうし、アイザックもこの程度の事はわかっているだろう。

 わざわざ言うまでもない事ではあったが、ヴィリーのフォローのためにあえて言った。

 これで話を聞いていた者達が「どんな便宜を図ってもらっていたのだろう?」と、意識を逸らしてくれれば万々歳である。


 ジークハルトの苦悩を感じ取ったエドモンドが、彼を助けてやろうと動く。

 エルフとドワーフは長年友好関係にあり、今も続いている。

 とはいえ、ヴィリーや有力者の一人であるジークハルトを助けておけば、どこかで役に立つだろうという打算もあったが。


「エルフは、エンフィールド公の即位を歓迎致します。これまでの付き合いを考えれば、エリアス陛下と同じ協調路線を取ってくださると期待できます。どこの誰だかわからぬ外国の者が王になり、エルフを我が物とせんという野心を持たれるかもしれないという事を考えれば、エンフィールド公に即位していただきたい」


 エドモンドは、エルフはアイザックを支持すると表明する。


「もちろん、ウィルメンテ侯を始めとした、他の方が即位されても友好的な関係を維持する努力を続けるという点には変わりございません。次期国王にエンフィールド公が選ばれなければ、関係を断つというわけではございませんので、その点誤解なきようお願い申し上げます」


 そして、フォローを忘れなかった。

「新国王の選出などという、国の命運を左右する事にエルフが口出しした」と難癖を付けられぬためだ。

 この点は、支持を表明しているだけにデリケートな問題である。

 慎重に慎重を重ねても、不足という事はない。


 それは、あのマチアスでもよくわかっていた。

 クロードにつま先を軽く踏まれ、今まで見た事のないくらい力の入った目で睨まれていたからだ。

 いつもなら失言してしまいそうなマチアスも、今回ばかりは黙っていた。


「ファーティル王国としては、現状では返答できる事はありません。ヘクター陛下が直接関わる問題ですし、私は大使ではありませんから」


 ソーニクロフト侯爵も、この流れに乗って意思表示をしようとする。


「私個人といたしましては友好関係が続くよう努力いたします」


 ヘクターには、リード王国の王位を継承する権利がある。


 ――ファーティル王国とリード王国、両国の王になる。


 これはとても魅力的だ。

「私にも権利がある!」と言い出す可能性も十分にあった。

 だから、今はまだ努力するとしか言えなかったのだ。


 それはリード王国の貴族もよくわかっていた。

 もし、そうなれば新たな戦乱の火種となる。

 だがそれでも、アイザックならばなんとかしてくれるだろうという期待を持っていた。


「皆さんの気持ちは伝わりました」


 アイザックが落ち着いた態度で言葉を発する。


「おぉ、ではっ!」


 ウォリック侯爵が期待に満ちた表情を見せる。


「王になる事を引き受けてもかまいません。ただし、条件があります」

「おや、皆が決めた事に従っていただけるのでは?」


 そして、すぐに表情が曇った。

 アイザックが条件を出すというのだ。

 無理難題を押し付けて「それができないのならば断る」と言われるかもしれない。

 ウォリック侯爵の不安が増していく。

 アイザックは、クーパー伯爵に顔を向ける。


「今のリード王国は非常に厳しい状況に置かれています。この状況を乗り越えるには、経験豊富な人材を適切な場所に配置せねばなりません。それに反対されるようであれば、対処が厳しくなります。私の人事案に反対されるのであれば、即位しても難しい事になるでしょう」


 アイザックの言葉に、クーパー伯爵は何かに気付いたような表情を見せる。

 それから、少し寂しそうな顔を見せた。


「私には宰相の任は重すぎました。宰相の職を辞任させていただきます」


 ――適切な人員配置を行う。


 そのような話をした時に、アイザックは視線を向けてきた。

 それが意味するのは「お前は宰相には不適格だ」という事だろう。

 醜くあがく事はせず、クーパー伯爵は素直に辞任を申し出る。


「宰相の任が重過ぎるかはともかく、空席となった法務大臣を任せられる人物が他に思い浮かびません。ニコル・ネトルホールズ女男爵に、マイケル、チャールズといった簒奪に関わった主要人物を裁かねばならないのです。経験豊富な人物でなければ難しい仕事になるはずです。あなたにお任せしたい」


 アイザックとしても、宰相はウィンザー侯爵に任せたいところだった。

 そこで、クーパー伯爵の面子が立つ形で宰相を辞任してもらった。

 これならば、国の大事のための配置転換という名目を作る事ができる。

 アイザックは、次の行動に移る。


「ウリッジ伯。あなたはエリアス陛下が監禁されたと聞き、誰よりも早く『ジェイソン討つべし』と声をあげた。あなたの正義感と行動力は素晴らしいものです。法務副大臣として、クーパー伯を補佐していただけませんか?」

「まだ不安はあるものの、息子も領地を任せられるようになりました。謹んでお受けいたします」


 領地の運営は息子に任せられるという事もあり、ウリッジ伯爵は即答した。

 彼も今の状況を憂いており、国の中枢で国家の立て直しを手伝いたいという気持ちがあった。

 この申し出は、渡りに船というところだった。


「ウィンザー侯。先ほど申し上げたように、経験者が必要な時です。宰相に戻っていただけますか?」

「色々と話したい事もございますが……。今はまだその時ではないでしょう。老骨に鞭打って、国の立て直しに協力致しましょう」


 ウィンザー侯爵も、アイザックの頼みを了承した。

「もしや、自分を宰相に戻す算段までしていたのか?」と考え、アイザックの深謀遠慮に改めて驚かされる。


「ウェルロッド侯には、マイケルが捕らえられ空席となった外務大臣をお任せしたい」

「マイケルが何をしでかしているのか不安ではありますが……。前任の私がやるしかありますまい。引き受けましょう」


 モーガンは「マイケルの尻拭いか……」と嫌そうではあったが、王となるアイザックを補佐するためには必要な事だと思い、渋々ではあったが引き受けた。

 これ以上ないほどの貧乏くじだろう。


「ジェシカ殿下の生国であるアーク王国との関係は確実に悪化するでしょう。それに加え、ファーティル王国を始めとする他の同盟国との関係も難しいものになるかもしれません。ランカスター伯。あなたには、外務副大臣としてウェルロッド侯を補佐していただきたい」

「なるほど、経験者が必要な時ですな。やらせていただきましょう」


 ランカスター伯爵も、リード王国を取り巻く状況がマズイとわかっていた。

 このまま何もしなければ、国が割れるかもしれない。

 内戦ではなく、同盟を打ち切った周辺国に切り取られるという形でだ。

 愛する家族のためにも、最悪の事態を避ける努力を惜しむつもりはなかったので、アイザックの協力要請を快諾する。


 これで空席となった宰相と法務大臣、外務大臣の席が埋まる。

 特に不当な扱いを受けていたウィンザー侯爵は「宰相として必要だ」という扱いを受けたので、名誉を回復できるはずだ。


 宰相を辞任したクーパー伯爵の名も、さほど傷付かないはずだ。

 たかが数か月で、実力の有無はわからない。

 元の鞘に収まったと思われるだけで、宰相に不適切だったとは思われないだろう。


「レーマン伯。エリアス陛下のご友人方には、国葬の準備を手伝っていただきたい。当然、国葬は今最も重要な事ですが、その準備だけやればいいという状況ではなくなっています。私も取り仕切りますが、見落としをしてしまうかもしれません。エリアス陛下の国葬で手抜かりがないようにしたいのです」

「かしこまりました。エリアス陛下とミルズ殿下の事はよく存じております。安らかに天国に逝けるよう、精一杯やらせていただきます」


 レーマン伯爵も了承してくれた。

 それもそのはず、葬儀の喪主はアイザックだが、葬儀の準備を任されるのは名誉な事だ。

「エリアスの国葬の準備をした」と、代々語り継がれる名誉となる。

 アイザックの側近への第一歩としても十分なので、断る理由もなかった。


「キンブル将軍には、元帥として王国軍を立て直していただきたい」

「陛下を救えなかった私に元帥など……」


 キンブル将軍は、肩を落としていた。

 誰が見ても落ち込んでいる。

 そんな彼に、アイザックは発破をかける。


「キンブル将軍! 確かにエリアス陛下をお助けできなかった。それは私達も同じです。あなた一人の罪ではない。そのように自分を責め続けたせいで、民まで救えなくなってしまったら、エリアス陛下に面目が立ちますか? エリアス陛下が愛された民を守る。それも将軍としての道でしょう!」

「……確かにその通りです。せめて王国軍内部のジェイソン派を一掃し、立て直すまではお任せください」

「軍を頼みます」


 キンブル将軍は、アイザックの説得に応じて元帥を引き受けた。

 しかし、あれほど求めてやまなかった元帥という地位が、これほど空虚なものに感じるとは思いもしなかった。


「皆様方に感謝を。これで王位に就く不安が、幾分か和らぎました」


 アイザックは大臣の椅子が埋まった事で、ひとまず安心する。

 特に二人の祖父で宰相と外務大臣を埋められたのは大きい。

 あとは可愛い孫らしく、おじいちゃんに仕事を放り投げ甘えればいいだけだ。

 実務経験豊富な二人なら、どうにかしてくれるだろう。

 これでアイザックの求める条件は整った。

 話をまとめに入ろうとする。


「あの、エンフィールド公。私にはなにかございませんか? どのような事でもお任せを!」


 だが、ウォリック侯爵が「私への指示はないのか?」という表情で割り込んでくる。

 これにはアイザックも「無茶な命令を出されたらどうするつもりだ」と苦笑する。


「ウォリック侯。あなたにはウィルメンテ侯爵家やブリストル伯爵家と共にブランダー伯爵領の接収に向かっていただきたい。他にもウィンザー侯爵家や、ランカスター伯爵家にも手伝ってもらえればと思っています。ですが、どの程度の軍を動かすかは、あとで話し合おうと考えていました」

「なるほど、ウリッジ伯爵家は被害が大きいので外し、王国軍も立て直しが優先。ウェルロッド侯爵家の軍は、王家直轄領内の征圧といったところでしょうか」

「その通りです。もちろん、ジェイソン派の貴族相手に限りますが。軍事に関しては、詳しいウォリック侯やウィルメンテ侯を頼りにしております」

「お任せを! 奴らを根絶やしにしてやります!」


 ウォリック侯爵が胸を張って答える。

 だが、アイザックは目をひん剥いて驚いた。


「いえ、基本的に捕虜にしてください! 彼らは正式な罪状で裁き、罪を悔いさせねばなりません。特に略奪などで民には被害を与えぬように。エリアス陛下は、民が苦しむのは望んでおられないはずですから」

「エンフィールド公がそう言われるのであれば……」


 本来ならば、鉱山の接収を行いたいところだったが、ここでアイザックの不興を買うような真似はしたくない。

 ただ、アイザックならばその分多めに報酬を支払ってくれるだろうという思いもあり、渋々ながらウォリック侯爵は従った。

 彼の反応を見て、アイザックは皆に宣言する。


「これからも、エリアス陛下の政治方針を踏襲する。無駄に民を苦しめぬように気を付けてほしい」


(せっかく王になったのに、革命なんてごめんだからな)


 アイザックは自分の身の安全を考えていたが、その言葉は平民への慈愛に満ちたものと受け取られていた。


「では、それぞれの仕事に戻ってください。まずは日常生活を取り戻す事が最優先です」


 この会合を解散させようとする。

 しかし、それで済ませようとしない者もいる。


「エンフィールド公。少し早いですが、玉座に座ったところを見せていただけませんか? 王の姿を見る事ができれば、皆の気分も落ち着きましょう」


 ウォリック侯爵が、アイザックの玉座に座った姿を見たいと言い出した。

 彼には助けられたので、アイザックもサービスくらいはしてもいいかと考える。

 だが、座る前に周囲の反応を見て「座ってもいい」という雰囲気になっている事を確認する。

 でなければ「あいつ、もう王になった気になってやがる!」と反発されるかもしれないからだ。

 確認が終わると、アイザックは照れながら玉座に座った。

 貴族達が片膝をつき、アイザックに首を垂れる。


(これが王だけが見られる光景か)


 アイザックは王の責任というものをわかっているつもりだったが、今は達成感をじっくりと味わっていた。

 この光景は、ジュディスが占ったものとは違っていた。

 だが、そう遠くないうちに、あの占いは実現するだろう。

 次は王冠を被って、この光景を見る事ができるはずだからだ。

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