第515話 望外の僥倖
「私からも一言よろしいでしょうか?」
身動きの取れない状況を打開するため、一人の男が動いた。
その男は、レーマン伯爵。
エリアスの親友だった男だ。
「無論、歓迎する。私の意見以外を認めないというつもりはないからな」
ウォリック侯爵が、彼の発言を認めた。
これはアイザックを担ぎ上げる案に自信があったからだ。
それに、エリアスの親友だったとはいえ、今はただの伯爵の一人に過ぎない。
いざとなれば、他の侯爵家を味方に付けて、力で押し切ればいい。
対応可能だと判断したからこその余裕だった。
レーマン伯爵は、ウォリック侯爵のようにアイザックのもとへやってきた。
だが、アイザックの隣にではなく、正面に立つ。
やつれた彼に見つめられ、アイザックは視線を逸らしそうになる。
「エンフィールド公、あなたには陛下を助けていただきたかった……」
「申し訳ありません」
アイザックは、後ろめたさから目を逸らした。
しかし、レーマン伯爵は、アイザックを責めるだけではなかった。
「ですが、私ではあと一歩というところまですらこられなかったでしょう。ブランダー伯爵の裏切りさえなければ、エンフィールド公はきっとエリアス陛下を救い出されていたはずです。責める事はできません……」
「批難する事で楽になるのでしたら、どのような言葉であっても甘んじて受け入れますよ」
だが、レーマン伯爵は首を振る。
そして、貴族達の方に振り返った。
「皆に話しておかねばならない事がある。誰にでも話していいというものではないが、今が話すべき時だと思ったからだ。これはファーティル王国も関係がある。ソーニクロフト侯、ロレッタ殿下の件を話してもよろしいでしょうか?」
レーマン伯爵は、事の結末を確認するために部屋の隅で見物していたソーニクロフト侯爵に声をかけた。
ロレッタの事は、ソーニクロフト侯爵も知っている。
独断で話せる内容ではないので、彼に確認を取ろうとしていた。
「私個人の独断で許可を出せるような話ではありませんが……。その話は、ロレッタ殿下にかけられた不名誉な疑いを晴らすものでしょうか?」
「そうなるでしょう」
「皆さんの様子を見る限り、駐在大使を待つ時間も惜しいでしょう。しかしながら、私には権限がありません。ですが、何も聞かなかったという事にはできます。正しい内容であったとしても積極的に肯定は致しません」
「そのお答えで十分です。ありがとうございます」
――何も肯定しない。
そう答えられたのに、レーマン伯爵は感謝した。
ソーニクロフト侯爵の答えで満足したからだ。
――正しい話の場合は肯定しないものの、間違っていれば否定する。
そう答えたも同然だからだ。
このため、これからレーマン伯爵が話す内容が正しければ何も言わない。
間違っていれば否定する。
それで話の真偽がわかるという意味だった。
レーマン伯爵は、皆に視線を戻す。
「では、まずロレッタ殿下がなぜ王位を狙ったと裁かれそうになったのかを説明しよう。ジェイソンが言った事は、まったく根拠がないというわけではなかった。エリアス陛下は、ロレッタ殿下を養女にしようと考えておられた」
会場がどよめく。
それが事実であれば、ジェイソンがロレッタを裁こうとしたのは事実無根というわけではなかったからだ。
戦争を仕掛けるための言い掛かりだと思っていた者が多かっただけに「ジェイソンに逆らったのは尚早だったのでは?」と考える者もいた。
「だが、それはロレッタ殿下が持ち掛けたわけではない。エリアス陛下が望んだ事だったのだ。それもすべて、養女として迎え、エンフィールド公と結婚させるためだったのだ!」
「えっ!?」
会場のどよめきが、さらに大きなものとなる。
しかし、それはすぐに静まった。
この情報を知っている者は限られていたが、薄々察していた者も多かったからだ。
(あのおっさん、本当にロクな事しないよな!)
「ロレッタ殿下の曾祖母は、リード王国の王女だった。三代以上離れてはいるものの、両国の良好な関係などを加味して、準王族として扱う事にした。それは養女にするための第一歩だったのだ。その動きを、ジェイソンは乗っ取りだと思いこんだのだろう。いや、野心のために利用しようとしたかもしれない。だから、ロレッタ殿下に非はなかったという事は理解してほしい」
レーマン伯爵の話に、ソーニクロフト侯爵は満足していた。
おそらく、このあとの話も、ファーティル王国にとって望み得る限りいい流れになりそうだったからだ。
「エリアス陛下は、エンフィールド公を高く評価しておられた。だから、ロレッタ殿下を養女とし、リード王家との結びつきを強くしようと考えておられたのだ。リード王国のために、ジェイソンを支えてくれると信じて!」
レーマン伯爵は、心底悔しそうな表情を浮かべる。
その考えは、ジェイソンの手によってぶち壊されてしまったからだ。
話を聞いていた者達も、悔しそうにしていた。
「……実はそれだけではなかった。ジェイソンに何かあった場合、エンフィールド公に王位を譲ってもいいとまで考えておられた。ロレッタ殿下との婚約は、リード王家の血を濃くするためでもあったのだ」
「えええぇぇぇ!」
これには、アイザックも驚く。
モーガン達も驚いていた。
彼らのような感情を押し殺すのに慣れた者でも、声を抑えるのに苦労するほどだった。
「そうだったのか?」とアイザックに視線を投げかける。
だが、アイザックも聞いた事がない話である。
首を振る代わりに、目を左右に動かして「聞いていない」という動揺を見せて答える。
これが事実なら、穏便な形で王位を譲ってくれる相手を、わざわざ亡き者にしてしまったという事だ。
さすがにアイザックも動揺を隠せない。
「本来ならば、ジェイソンに何かあった場合、ミルズ殿下が継ぐのが筋である。だが、エリアス陛下はそう考えてはおられなかった。ミルズ殿下に王は務まらない。伯爵位でも与えて、政治に関わらせず、芸術に没頭できるようにしてやりたい。陛下は、そう考えておられた」
レーマン伯爵は、次にウィルメンテ侯爵を見る。
「エリアス陛下は、又従兄弟であるウィルメンテ侯を信頼しておられた。ジェイソンのあとを任せるのも、ウィルメンテ侯にしてもいいと考えられていたくらいに。だが、そうはしなかった。ウィルメンテ侯が王位に就けば、息子のフレッドが王太子となる。陛下は『最強の将軍』ではなく『最強の騎士になる』と公言して憚らないフレッドを、評価していなかった。だから、後継者としての優先順位を低く考えられていたのだ」
――ウィルメンテ侯爵本人の実力ではなく、後継者のフレッドを不安視していた。
フレッドはウィルメンテ侯爵にとって、大きな弱点だった。
どう甘く見積もっても、大物にはなれそうになかったからだ。
侯爵家の嫡男としては、元帥や将軍になるという夢を持っていてほしいところである。
なのに、フレッドは騎士を目指していた。
王の器ではないと言われても仕方がないものだった。
レーマン伯爵の言葉にも信憑性があった。
「もしも、ウェルロッド侯爵家のお家騒動で嫡男の座を追われていれば、エンフィールド公を養子にしようとまでお考えだったのだ。先ほどウォリック侯がおっしゃったように、エリアス陛下は継承権があるとわかっていて公爵位を授けられた。私は……。私達、エリアス陛下の友人としては、エンフィールド公に王位を継いでいただくのが一番いいのではないかと考えている」
この
思わぬ事実に、アイザックも驚いていた。
(まさか、俺に王位を譲ってもいいと思っていたなんて……)
だが、いくらエリアスでも「アイザックに王位を譲ってもいい」とまでは言っていない。
これはレーマン伯爵を始めとした、エリアスの友人達による独断での行動だった。
――もしも、ウィルメンテ侯爵が王になればどうなるか?
これはウォリック侯爵との関係がどうなるかという意味ではない。
レーマン伯爵達との関係がどうなるかである。
これまで、レーマン伯爵達は
もし、ウィルメンテ侯爵が国王になってしまえば、その立場は失われる。
ウィルメンテ侯爵には、すでに人脈が築かれており、友人としても、側近としても割って入るのは非常に困難だ。
他国の王族でも同じである。
例えば、ファーティル国王であるヘクターや、王太子のマクシミリアン。
彼らもリード王家の血を継いでおり、王族と呼べる血筋である。
だが、彼らがリード国王となれば、やはり側近として近付くのは難しい。
王族として十分な側近に恵まれており、人脈にも困っていない。
それは他の者達も同じだった。
リード王家の王女が嫁入りするとすれば、他国の王族やそれに近しい家が選ばれる。
どこも付け入る隙がない。
その点、アイザックは取り入るのに最適だった。
エルフやドワーフにまで人脈を広げているが、その交流範囲は広く浅くというものだ。
まだ若いだけに、深い関係を築けているのはウェルロッド侯爵家の者達くらいだろう。
妻の実家であるウィンザー侯爵家とも、まだ深い関係を築き上げられていないはずである。
――だからこそ、チャンスだった。
「エンフィールド公は、まだお若い。突然、王にと言われても何をすればいいのかわからず、さぞかしご不安でございましょう。私共でよろしければ、エリアス陛下がどのような事をなされていたか。どのようなお考えをされておられたかをお教えできます。エリアス陛下のご遺志だと思い、即位をしていただきたく存じます」
王都にいたおかげで早く訃報が届き、他の者達よりかは早く立ち直る事ができた。
そこで、気心の知れた友人達を集め、口裏を合わせる事にしたのだ。
もちろん、レーマン伯爵達は、エリアスの死を悼んでいないわけではない。
まだ悲しみからは、完全に立ち直れていないくらいである。
だが、生き残っている者達は、まだこれから先も生きねばならない。
しかし、それも貴族として死んだような状態では意味がない。
――できれば権力に取り入り、社交界で胸を張って生きていたい。
そう思ったから、エリアスの言葉を捏造して、アイザックを王に担ぎ上げようとしていたのだった。
ウォリック侯爵が出しゃばらなければ、レーマン伯爵が動いていただろう。
彼は、先を越された事が残念で仕方なかった。
だが、流れに逆らう事なく、さらに強い流れにしようとしていた。
「ロレッタ殿下との婚約が進むのであれば申し分ございません。ですが、エンフィールド公がどうしても嫌だとお考えならば、強要は致しません。薄くなっているとはいえ、御身にもリード王家の血が流れているのです。堂々とリード王家をお継ぎください」
レーマン伯爵は、アイザックの前にひざまずく。
アイザックにとっては嬉しい流れではあるが、上手く進み過ぎて怖くなってきていた。
もしもテレビのある時代であれば、隠れていたエリアス達が「ドッキリ大成功!」と書かれた看板を持って現れるのではないかと疑っただろう。
その心配をしなくてもいいだけ、まだマシだった。
この流れに乗り遅れてはならないと思っていたのは、レーマン伯爵だけではない。
他の者達も同様である。
「私の話も聞いてほしい!!」
レーマン伯爵に続いたのは、ランカスター伯爵だった。
彼は前に出る事はせず、その場で話を続ける。
「ジュディスの事を公には聖女と呼ばないようにという通達があったはずだ! だが、陰で皆がジュディスの事を聖女と呼んでいる事は知っている! 大司教猊下の事を、神の使徒だと言っている事もだ! では、あの時の事を、思い出してほしい。もう一人、奇跡の立役者がいたという事を!」
そういえばと、皆の視線がアイザックに集まった。
「私は、エンフィールド公も神に選ばれし者だと思っている! 神に選ばれし者が王位に就くのになんの支障があるというのか!」
ランカスター伯爵も、アイザックを王に推そうとしていた。
これもやはり、ジュディスを嫁がせるための行動だった。
現状、パメラとの間に割り込ませるのは難しい。
――では、神に選ばれし者が聖女を娶るという形を作ればどうか?
これならば自然である。
昔話でも、英雄と聖女が結婚するというのはよくある話だ。
アイザックが王位に就く箔付けにもなる。
ウィンザー侯爵も、ウォリック侯爵も、ジュディスとの結婚を反対する事はできないはずだった。
「私も王位に固執するつもりはない。また、ウォリック侯が懸念したように、他国から王位継承権を持つ者を呼び寄せるよりかは、エンフィールド公にお願いした方が安心できるはずだ。私は王位継承権の優先権を、エンフィールド公に譲ると明言する」
王位継承権の優先順位を考えれば、血縁であるウィルメンテ侯爵の方が優先される。
だから、ウィルメンテ侯爵は優先権を放棄すると公言した。
これでアイザックが王になるための障害は、ほぼなくなった。
「薄くなっているとはいえ、エンフィールド公もリード王家の血を引いている。王位継承には問題ないだろう。もし不足だと思うのであれば、ローランドの子か孫を、エンフィールド公の子孫に嫁がせればいい。それで正統性は保たれたと考えていいはずだ」
そして残った障害も、ウィルメンテ侯爵が潰してくれた。
ローランドの子孫をアイザックの子孫と結婚させれば、リード王家の血も濃くなる。
ロレッタの名前を出さなかったのは、ウィルメンテ侯爵家が今後得られる影響力を考えてのものだった。
ウォリック侯爵の強い反感を前にしては、王位に就いて得られるメリットよりも、外戚として得られるメリットの方が上回っていた。
だから、下手に渋るよりも、あっさりアイザックに王位を譲り渡し、印象をよくしておこうと行動したのだった。
――アイザックが王になる可能性が高い。
ハリファックス子爵も、この流れに乗った。
「エンフィールド公は、世間で噂されているほど恐ろしいお方ではない! ティファニーとの婚約を一方的に解消したチャールズの事を思い出してほしい! 従姉妹に対する酷い仕打ちに対して怒りを覚えながらも、よりを戻したいと考えているティファニーのためにチャンスを与えた! 人を許し、挽回する機会を与えるだけの器量を持たれるお方だ!」
この行動には「ティファニーと結婚してほしい」という気持ちはない。
ただ、孫が王になった時のために、貴族達の不安を払拭するためのものだった。
そして、ハリファックス子爵の言葉に、カイも反応する。
「ハリファックス子爵のおっしゃる通りです! 私は幼い頃、エンフィールド公に対して酷い態度を取っておりました! ですが、エンフィールド公は私の忠勤を称え、許してくださったのです! 一度ダメだと見切ったからといって、そのまま切り捨てるような冷たいお方ではありません! 慈悲の心を持つというのは、私の存在が証明しているはずです!」
カイにも「アイザックが王になれば、側近になれるかもしれない」という打算がまったくないわけではない。
貴族である以上、その考えから離れる事はできないからだ。
だが、これは感謝の気持ちからの行動である。
王になるかもしれないアイザックに、微力ながらも援護をしようとしての発言だった。
この流れを見て、迷っていた貴族達も同調する。
特に中立派の貴族は、積極的にアイザックを支持し始めていた。
アイザックが資金援助をしてくれた事は記憶に新しい。
有力貴族がアイザックを応援しているのなら、反対するはずなどがなかった。
謁見の間が、アイザックに「戴冠してくれ」という声一色になる。
予想以上に多くの人物に応援され、アイザックも悪い気はしない。
アイザックは、玉座の前に立つ。
そして、玉座を見下ろした。
誰もが、そのまま座るものだと思っていた。
だが、アイザックは座らなかった。
ジッと椅子を見つめて、肩を震わせるだけである。
その姿は、本来そこに座っていたであろうエリアスの事を思い出しているかのように見えていた。
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