第509話 慰霊碑建立

 六月十五日。


 アイザックは、湖畔に建てられたロッジの近くに二つの慰霊碑を立てさせた。

 一つはフィッツジェラルド元帥やウリッジ伯爵家といった、エリアスのために戦った者達のもの。

 もう一つは、ジェイソンのためのものだった。


 だが、今はどちらも名前は彫られていない。

 どちらも、民衆に失われたと知られるのには大きすぎる名前だからだ。

 今は、この戦闘で失われた者達の慰霊碑だとしか知らせていない。

 それは、祈りを捧げるために呼び出された司祭達も同様だった。

 秘密を知るのは、この戦闘に参加した貴族達だけである。

 これは彼らに戦死者と、簒奪者とはいえ王族のジェイソンの事を軽んじていないと証明するためのものだった。


(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……)


 かつて大叔父のハンスに「お前は信仰心が足りない」と言われたアイザックの姿は、そこにはなかった。

 今のアイザックは、満員電車で突然の腹痛に襲われたサラリーマンよりも深刻かつ真剣に、ジェイソンの冥福を神に祈っていた。

 化けて出るような事だけはしてほしくなかったからだ。

 その真剣に祈る姿は、周囲の者達にも比較的好意的に受け取られた。


 慰霊祭が終わると、アイザックはランカスター伯爵のもとへ向かう。

 次に出陣するのは彼らだからだ。


「ランカスター伯、ご武運を。と言っても、もう戦闘はないでしょうけどね」

「キンブル将軍か、ウィルメンテ侯が、王都の近衛騎士を片付けてくれてそうですな。ですが、エリアス陛下救出のためにも手は抜きません!」

「ええ、ランカスター伯爵家の活躍を期待しています」


 これで挨拶は終わり、解散かと思われたが、ランカスター伯爵はまだ言い残した事があるようだった。


「まだなにか?」

「いえ、その……」


 彼はそっとアイザックの耳元に顔を寄せる。


「ジュディスの占いですが……。もし、あれが実現するとなると問題では?」

「あれですか……。ここまでは上手く進んでいるので、おそらく大丈夫でしょう。不安要素があるとすれば、ブランダー伯がどのような動きをしていたかくらいですね」

「だといいのですが……。未来は定まっていない。自分達の手で変えられる。かつてエンフィールド公がおっしゃっていたお言葉を信じるとしましょう」

「ええ、そうしましょう。ですが、油断せぬようお気をつけて」

「もちろんです。では」


 出陣するランカスター伯爵を見送ると、アイザックは思索にふける。


(まぁ、ジュディスの占い通りにいってないと困るんだけど……)


 アイザックの計画で一番いいのは、キンブル将軍が王都に着いた時にエリアスが殺されている事だ。

 アイザックが王都に近い位置にいればいるほど、どうしても関与が疑われてしまう。

 遠いところにいるうちに終わった方が安全でいられる。

 そのために忠臣の演技をしてきたのだ。


 だが、アイザックは占いの結果を知ってしまった。

 そのせいで、今の自分が正しい行動を取れているのか不安になる。


(問題は、ブラーク商会が上手くやってくれているかどうかだよなぁ。まさか一日で終わるとは思っていなかったからな)


 彼らには「王国軍が出陣し、エメラルドレイクから軍が戻ってくるまでの時間を逆算し、到達前に偽伝令を送り出せ」と命じている。

 もしブラーク商会が「もうちょっと先でもいいだろう」と時期を逃せば、大問題だ。

 アイザックが王都に着いてから、自らの手でエリアス降ろしを行わねばならない。

 その場合は、貴族達の支持もあまり得られないだろう。

 近衛騎士団の手によって、始末しておいてもらわねば、正直なところ困る。

 だが、それでも始末はつけねばならなかった。


(お前が悪いんだぞ、エリアス。無茶振りばっかりするから)


 元々、簒奪を考えていたのは、パメラと安全に結婚するためだ。

 ジェイソン亡き今、彼女との結婚がもとで非難される要素はない。


 ――だが、エリアス自身に大きな問題があった。


 今までなんとか乗り越えてこられたが、いつまたドラゴン対策のような無茶振りをされるかわからない。

 命の危険が及ぶような命令までされては、見過ごしていられない。

 安心安全な結婚生活を過ごすためにも、エリアスには退場してもらわねばならなかった。


(ミルズもミルズだ。俺を信頼して全部任せた。あいつも見過ごせない)


 ――信頼して全権を任された。


 それは忠臣であるならば光栄な事だろう。

 だが、アイザックは違う。

 ミルズに対しても、エリアスと同じ危うさを感じていた。

 いつかはエリアスと同じように「任せるぞ」と、アイザックに無茶な仕事を丸投げしてくるだろう。

 それでは困る。


 ――アイザックは仕事を丸投げされたいのではない。

 ――丸投げしたい側なのだから。


(頼むぞ、ブラーク商会!)



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 六月十八日。


 この日の夕食は、ウィンザー侯爵達と取る事にした。

 明日には彼らも出発する事になっているので、次に会うのは王都になるからだ。


「戦場の後始末を手伝ってくださり、ありがとうございました」


 アイザックは、ウィンザー侯爵とセオドアに自らの手で酒を注ぐ。

 これは義父と義祖父のご機嫌取りである。


「他家に比べて出立までに時間があったので当然の事。ウェルロッド侯爵家のためだけではない」

「倒した敵も、元々は仲間だったからね。死者を弔う気持ちは変わらないよ」


 彼らも身内の集まりだという事を認識しているので、アイザックを義理の息子として扱っていた。


「ちょうど、こちらも礼を言っておきたかったのだ」


 ウィンザー侯爵が目配せをする。

 その視線の意味を察知したモーガンが、人払いをする。


「礼とは?」

「ジェイソンに報復する機会を与えてくれた事だ」


 モーガンとランドルフが目を見開いて、一斉にアイザックを見る。

 見られたアイザックは、心外だという態度を見せた。


「何の事だかさっぱり……」

「問題が問題なだけに、そう答えるとはわかっていた。だが、あの配置にしたのは、そういう事だったのだろう?」


 ウィンザー侯爵は、ニヤニヤと笑う。


「ブランダー伯爵家に不安があったのならば、ウェルロッド侯爵家の隣に配置して警戒しておけばいい。ウォリック侯やウィルメンテ侯を湖側に配置する事もできた。なのにそれをせず、ブランダー伯の軍を湖側に置いた。当然、北岸を警戒するのは比較的安全な東側の軍が担う事になる」

「こちらとしても、一番恨んでいるのはジェイソンだった。パメラを愛していると言って結婚し、形だけでも王妃として立てるという道もあったのに、あっさり捨てようとしただけなく命まで奪おうとした。たとえ王族であっても、許し難い行為だった。報復の機会を与えてくれた事を感謝する」


 セオドアも、アイザックが報復の機会を用意してくれたと思っていた。

 黒幕に感謝するのもおかしな気分だったが、あっさり踊らされたジェイソンの責任は重い。

 ニコルを側室として迎えるだけならば、今のジェイソンでも味方していただろう。

 ウィンザー侯爵家を舐めた罪は重い。


「恨んでいるだろうとは思っていましたが、そこまでだったとは……」


 ランドルフの表情が暗くなる。

 恨みがあるとはいえ、相手は王族。

 あわよくば命を狙うというのは、彼には考えられない事だった。

 しかし、家の名誉のために戦うという選択がある事はわかっていた。

 ただ、王族相手というのが考えられなかっただけである。


「そもそも、リード家を王として戴いたのは、最初に国を作ろうと言い出したからに過ぎない。建国への貢献度を考えれば、4Wの初代当主の誰かが王になっていてもおかしくなかった。リード家は国をまとめるための代表だったに過ぎん。無礼な振る舞いをしたジェイソンを殺してしまっても、深刻な問題ではなかろう」

「ウィンザー侯! この場に身内しかいないとはいえ、その発言は危険です!」


 ウィンザー侯爵のあまりにも危険な発言は、本人ではなくランドルフが驚く。

 しかし彼は、すぐにやれやれと呆れた表情を見せる。


「そういえばセオドアも、アイザックに決闘を申し込もうとしていたくらいですしね……。ウィンザー侯爵家は、誇りを傷つけた相手に遠慮しないようですね。ウィンザー侯爵家の男は恐ろしい……」

「それをウェルロッド侯爵家の人間が言うのか?」


 今度は、セオドアが呆れる。

 彼は婿養子である。

 それに対し、ランドルフはウェルロッド侯爵家の直系だ。

 平凡な代とは言われているが、それでもセオドアと比べものにはならないほど危険な血筋の男である。

 謙遜にしてもやり過ぎだと思っていた。


「これでもウィンザー侯は丸くなったほうだ。二十代の頃であれば、さっさと反旗を翻して、貴族派を反王家一色に染めていただろう。あの頃は近寄りたくもなかった」


 モーガンが、皆にウィンザー侯爵が血気盛んな若者だったと語る。

 すると、ウィンザー侯爵は恥ずかしそうな表情を見せた。


「ウェルロッド侯。先代にひと睨みされただけで、怯えすくんだ小者の話はやめてほしいな。せっかく知る者が減ってきたというのに」

「我らの息子世代なら、父上がどのような者だったかはよく知られているので笑ったりはせぬでしょう。アイザックは父上の事を知りませぬが……。本人が恐怖を振りまく存在なので問題ないはずです」

「なんですか、その扱いは……」


 聞き捨てならない方向に話が動き始めたので、二人の祖父の話にアイザックが口を挟む。


「ほんの半年前には、こうなるなど誰も思わなかった。こちらも色々と思うところがある。この程度の軽口などよいではないか」


 アイザックは「思うところ」に心当たりが多すぎるので、強く言い返せなかった。

 ウィンザー侯爵は含みを持たせた言葉で「少しくらいからかわれてもいいだろう」と、アイザックを黙らせた。


「とはいえ、いつまでも家族団欒の時間とはいかんな。このあとはどうなる?」

「このあとですか? キンブル将軍が、エリアス陛下を救い出す事ができれば、それで終わりとなるでしょう。リード王家は安泰というわけです」

「なるほどな」


 この場にはランドルフがいるので、ウィンザー侯爵は深く追及しなかった。

 だが、アイザックの言葉の意味を、よくわかっていた。


(キンブル将軍次第で、今後が大きく変わる。つまり、王都にはすでに矢を放っているというわけだな。それがいかなるものなのか、よく見定めさせてもらおう)


 ――エリアスを救い出せれば終わり。


 このような内戦が引き起こされたのは、エリアスの監督不行き届きが原因である。

 その責任を取らせようというのだろう。

 おそらく、裏でエリアスの暗殺でも企んでいるのだろうとウィンザー侯爵は見抜いた。

 それと同時に、暗殺が失敗すれば、何食わぬ顔で今まで通り仕えるつもりなのだろうとも見抜いていた。


 ――ジェイソンが引き起こした混乱を利用する。

 ――混乱が落ち着いて利用できなくなれば諦める。


 至ってシンプルな選択である。

 重要な選択を決断する際に、複雑な条件を用意しては決断が鈍ってしまう。

 時には割り切りの良さも重要だと、ウィンザー侯爵もわかっていた。

 しかし、王家への忠誠心が薄れていた彼でも、アイザックの割り切りの良さに、どこまでの範囲が含まれているのかまでは想像できなかった。

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