第502話 草の根活動

 まだ戦後の事について語りたそうにしている者もいたが、会議は解散となった。

 精鋭を選抜しようと、それぞれ足早に自陣に戻る。

 アイザック達も戻ろうという話になったが、その前に寄るところがあった。

 近くのウリッジ伯爵軍のところである。

 総大将として、彼らの被害を確認しようとしていた。

 祖父や父を先に帰し、アイザックはウリッジ伯爵やアーサーの案内で、負傷者が集められた場所に向かう。


 ウリッジ伯爵軍やブランダー伯爵軍の負傷者は、偶然・・近くで街道整備をしていたエルフの出稼ぎ労働者が治療を行っていた。

 マチアスやクロードも、彼らと共に治療に当たってくれていた。


「本来ならば助からなかった者達の命も救われました。治療を手伝ってくださった事、感謝の言葉もありません」

「目の前の怪我人を見捨てるわけにはいきませんから」


 クロードが答えながら、アイザックに近付く。


「一度にこれだけ多くの負傷者を見た事で、人間に不信感を持ち始めている者も現れています。ご注意ください」


 彼は小声でアイザックに忠告をしてくれた。

 その表情から深刻なものだというのがわかる。


「ファーティル王国の救援に向かった時は、戦場に向かうのを了承してくださった方々でしたしね。争い事とは無縁だったはずの街道整備で、戦傷者の治療をやらされるとは思っていなかった方々には不満が残るのも当然です。人間の都合で振り回した事は申し訳なく思っています。せめて報酬だけでも奮発させていただきましょう」

「そうしていただけますと助かります。詳しい事情を知れば感情は和らぐでしょうが……。まだ詳細を発表するわけにはいかないのでしょう?」

「ええ、外国への正式な発表は、エリアス陛下を救出してからという事になりますね」


 ファーティル王国やアーク王国といった外国にも現状は知られている。

 しかし、それを国として正式に認めるかどうかは別問題だ。

 現在は公然の秘密という事になっている。


 エルフの出稼ぎ労働者達もアイザックの演説を聞いていたが、それが事実かどうかを知る術がなかった。

 せいぜいがマチアスやクロードから話を聞く程度である。

 だが、二人はアイザックに近いため無条件で信じるわけにはいかない。

 詳しい情報が出回るまでは、エルフ達の不信感は拭えそうになかった。


「エンフィールド公が他国との関係を重視しているという事は、今までの行動でわかっていただけるかと思います。これまでの対応で、信じてほしいとしか今は言えませんね」


 クロードも、両者の関係が悪化するのを望んでいない。

 エリアスが救出されるまでは、その場しのぎでやり過ごすしかないと諦めていた。


「ここから王都まで騎兵で一週間ほど。エリアス陛下を救出し、王都における政治的な混乱を収めたあとなので、王国全土に知れ渡るにはニ、三週間はかかるでしょう。多少の余裕を見ても、一ヶ月ほどで王都からの知らせが入るはずです。それまでは仕方ないと諦めるしかないですね」

「そうなりますね」


 クロードは、チラチラとアイザックを見る。

 先ほどまでの会議の内容が気になっているようだ。

 だが、リード王国のトップが集まった重要な会議だとわかっているので尋ねたりはしなかった。

 彼は挨拶をしたあと、治療を続けるために持ち場へ戻っていった。

 クロードを見送ると、アイザックは治療の順番を待っている兵士のところへ歩みよる。


 ドラゴンの鱗で作られた鎧を着た男が、ウリッジ伯爵を連れて近づいてきたのだ。

 地面に横たわっていた兵士達や、応急手当をしていた兵士達が慌てて立ち上がろうとする。

 それをアイザックは手の仕草で制止する。


「そのままでかまわない。負傷者が無理に動こうとしなくていい」


 アイザックはそう言うが、兵士達は寝たままでいいと言われても、そのまま受け取っていいものか迷う。

 ウリッジ伯爵やアーサーに視線を投げかけ、どうすればいいかの答えを求める。

 ウリッジ伯爵が「そのままでいい」とうなずいたので、負傷兵達は居心地の悪さを感じながら横たわったままでいた。


「よくぞブランダー伯爵軍の猛攻撃を支えてくれた。諸君らの奮闘により、裏切りによる影響を最小限に抑えられた。その働きはエリアス陛下やウリッジ伯を助けただけではない。リード王国全体を救うものだった。今この場を取り仕切る最高責任者として感謝する」


 アイザックが兵士に手を差し伸べて、握手を求める。


「あ、あの……。私は汚れていますので……」


 この行動には、ウリッジ伯爵達ではなく、兵士自身が誰よりも驚いていた。 

 相手は男爵や子爵ではない。

 王族に次ぐ立場である公爵閣下である。

 話す事さえ恐れ多い立場の者に握手を求められて、素直に手を取れるわけがない。

 それも血や泥で汚れた状態では無理だ。


 だが、アイザックは気にしていない様子だった。

 兵士がためらっているのをわかっていて、自ら手を取った。


「国を守った勇士が汚いはずがないだろう。よくやってくれた。ありがとう」

「お、お、お褒めいただき光栄です」


 兵士の声は上擦っていた。

 ウリッジ伯爵にすら声をかけられた事がないのに、さらに上の存在から感謝の言葉をかけられたのだ。

 兵士の理解を越えた事態に、思考がフリーズする。

 返事ができただけ上出来という状態だった。


 兵士の言った通り、アイザックの籠手は血や泥で汚れた。

 籠手越しとはいえあまり気持ちのいい感触ではない。

 それでも、アイザックは嫌な顔一つ見せなかった。


(こういった行動の一つ一つが兵士の士気を高める。もう必要ないかもしれないけど、やれる事はやっておこう)


 人の上に立つ者として兵に媚びるのはダメだが、ねぎらうのはかまわない。

 前世で読んだ本では、兵士と同じ物を食べ、同じ所に寝て、負傷した兵士の膿を吸い出す将軍の話があった。

 多少ならば兵士に寄りそってもいいだろう。

 人の口コミも馬鹿にはできないので、草の根活動も必要だ。

 それに今回はブランダー伯爵を止めたという事もあり、褒める理由もある。


 アイザックは、一人一人に声をかけていく。

 もちろん兵士だけではなく、貴族達にもである。

 負傷者が横たわっている場所を回った。

 しばらく回っていると、明らかに様子が違う場所を見つけた。

 武器を持った兵士が周囲に立ち、見張っているようだ。


「あれは?」

「あそこには、ブランダー伯爵軍の負傷者を集めています。彼らも……、リード王国民ですから」

「なるほど」


 ウリッジ伯爵には、ブランダー伯爵家の者達に思うところがあるはずだ。

 だが、それでも私怨を我慢して、エルフの治療を受けさせている。 

 彼の矜持が、そうさせているのだろう。


「貴族の負傷者もいるのかな?」

「います。第一騎士団により後方を遮断され、撤退する事ができずに負傷した者が、それなりの数おりましたから。もし会いに行こうとお考えでしたらおやめください。危険です」

「……ならば、治療が終わった者を連れてきてほしいですね。彼らの中に入るのが危険でも、こちらに呼び寄せるのであれば大丈夫なはずです。どうしても聞いておきたい事があるんですよ」


 困ったウリッジ伯爵は、マットと視線を合わせる。

 マットも貴族の一人くらいならば、アイザックを無傷で助けられる自信があった。

 問題なしとうなずく。


「一人ならば……。ですが、近付き過ぎないでいただきたい」

「ここで私が負傷する事の意味はわかっています。気を付けますよ」


 アイザックも無理をするつもりはない。

 何より、痛い思いをするのは嫌だった。

 

 ウリッジ伯爵が部下に命じて捕虜を連れてこさせる。

 連れてこられたのは、かつてアイザックが金を貸した男爵だった。

 彼はアイザックの存在に気付くと、顔に恐怖の感情を貼り付かせた。


「どうしても気になっていたのですよ。あなた方が、なぜブランダー伯に協力したのか? その理由を教えていただけますか? 家族を人質に取られたなどの理由があれば、エリアス陛下も考慮してくださるかもしれません」


 そんな彼に、アイザックは無表情で問いかける。

 さすがに周囲の手前甘い顔はしない。

 だが、言葉には甘いところがあった。

 アイザックが何を考えているのかわからないが、男爵は「まだ処刑の時じゃない」という事がわかり、少し落ち着きを取り戻した。


「ブランダー伯は金を貸してくれたのです」

「それならば、私も貸したはずでしょう? 裏切りを知らせることもできたのでは?」


 アイザックの疑問に、男爵は首を振った。


「確かにエンフィールド公には感謝しております。ですが……。ですがブランダー伯は、傭兵への支払いで本当に困っていた時に真っ先に貸してくれたのです。先祖伝来の品を売ろうか、娘を商人に嫁がせるか……。どうするか追い詰められていた時に、ブランダー伯は貸してくださったのです。本当に困った時に差し伸べられた手はありがたいものでした」


 男爵の目が潤み始める。


「王家やエンフィールド公から受けた恩よりも、ブランダー伯への恩の方が大きい。そう思ったので、その恩を返すために一度だけ家の命運をブランダー伯に託そうと、皆で話し合って決めました。最初で最後の一度になりそうだとはわかっていましたが……」


 彼の言葉は涙声になってかすれていた。


 ――すべて覚悟の上での一度限りの奉公。


 敗北する可能性が高いとわかっていながらも、彼らはブランダー伯爵についていった。

 アイザックも彼らが困った時に金を貸していた。

 だが、その時返済する相手はブランダー伯爵であり、そのきっかけはアイザックが作ったようなもの。

 マッチポンプのように思われてしまい、感謝の密度が薄くなってしまったのだろう。

 そのため、彼らは最も感謝しているブランダー伯爵を選んだ。


 アイザックも気持ちはわからなくもないが「もう少し実利を求めてもよかったのではないか?」と思ってしまう。

 しかし、彼らの気持ちをよくわかる者もいた。


「王家への忠義を忘れた事は許し難い! だが、恩義を忘れぬその意気や良し!」


 ――ウリッジ伯爵だった。


 彼はアイザックに近寄るなと言っておきながら、本人は捕虜に近付いて肩を叩いていた。


「もちろん、私はお主らを許さん。受けた被害の賠償はしてもらうし、財産の没収も辞さない。だが、その心意気を汲み取り、私的な制裁は行わないよう呼びかけよう。すべてエリアス陛下の判断に委ねる」

「ウリッジ伯……。かたじけない……」

「次があるとは思えんが、生き残るような事があれば、次はエリアス陛下のためにその命を使え。いいな」


(えぇ……、そんな事を勝手に約束しちゃっていいの? 当主が戦死した家とか恨んでそうだけど)


 ウリッジ伯爵の言葉に、アイザックはドン引きしていた。

 思わずアーサーを見る。

 彼は父の行動に思わず天を仰ぎながら諦めていた。

 そういう人物だと知っているだけに、止めても無駄だとわかっているのだろう。

 傘下の貴族にどう説明するか頭を悩ませているようだった。


(財産の没収とか言ってるけど、借金がある奴らがどこまで支払えるか……。こっちでフォローしないといけなくなりそうだ)


 アイザックは「なぜブランダー傘下の貴族が素直に裏切ったのか?」という事がわかったが、それ以上に味方にも面倒臭い貴族がいる事をひどく思い知らされる事となった。

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