第十七章 王位簒奪編
第498話 アルタ会談
エメラルドレイク南西の村、アルタ。
村の郊外に張られた陣幕の中に集まる事になっていた。
この地をアイザックが選んだのは、ロッジが嫌だったというだけではない。
地図を見た時に「アルタ前」という言葉が頭に浮かんだのも大きかった。
アイザックは即座に、この地で会談を行う事にした。
アルタ前でウィンザー侯爵達と合流し、そのまま陣幕の中に入る。
中にはウォリック侯爵とウィルメンテ侯爵に、ウリッジ伯爵、王国軍の主だった将軍達が揃っていた。
彼らは立ちあがってアイザックを出迎える。
誰もが複雑な表情をしていた。
素直に「ジェイソンが死んでよかった」という態度に出せなかった。
ジェイソンは腐っても王族である。
王室への敬意なしと見られるわけにはいかなかった。
それは「エリアスに恨みはあるが、ジェイソン個人には恨みがない」ウォリック侯爵も同じだった。
アイザックは、マットやノーマン達を連れて上座へ向かう。
椅子に座る前に、一度周囲を見回す。
「お待たせしました。ジェイソン陛下を捕らえる事はできませんでしたが、王国軍は無力化する事ができました。これでエリアス陛下の救出が上手くいく確率もずっと高くなりました。これも皆様のおかげです」
まずは軽い挨拶を行う。
だが、本番はこれからだ。
アイザックは表情を引き締める。
「ですが、一段落ついたと気を抜くわけにはいきません。喜ぶ前に、まずは各自報告を行いましょう。現状を知り、対応が必要なものを優先して行う。それが今求められている行動でしょうから」
アイザックの言葉からは「まだ油断はしない」という意思がはっきりと見えた。
出席者達も、気を引き締め直す。
「では、まずウェルロッド侯爵家から報告致しましょう」
アイザックは、ランドルフに視線を向ける。
目配せを受け、ランドルフが立ち上がって説明を始める。
――まずはウェルロッド侯爵が率先して情報を出す。
情報を隠せば、今後の政治的優位を得るためだと思われかねない。
不信を抱かせぬため、率先して情報を提供する姿勢を見せるためだった。
「我が軍はウィルメンテ将軍が率いる部隊から攻撃を受けました。直ちに迎撃を行い、そちらにいる騎士ポール・デービスが、ウィルメンテ将軍を一騎打ちで討ち取りました。供回りはウィルメンテ侯爵家から派遣された者だったので、遺体や捕虜はウィルメンテ侯爵家に送り届けています」
――フレッドが死んだ。
ウィルメンテ侯爵が、一際暗い顔をしていた理由を皆が察した。
いくらフレッドがジェイソンに協力していたとはいえ、さすがに嫡男を失えば悲しみは大きいはずだ。
涙を見せていないのは、侯爵としての意地だろう。
皆の視線が彼に集まっている。
それを知ってか、ウィルメンテ侯爵は立ち上がり、剣の鞘に手をかけた。
マットやポールが、即座にアイザックとウィルメンテ侯爵の間に入る。
だが、それは杞憂となる。
ウィルメンテ侯爵は、ベルトから鞘を取り外していただけだからだ。
彼は外した剣を、鞘ごとポールに差し出した。
「ポール、よくやってくれた。フレッドはウィルメンテ侯爵家の嫡男であり、ジェイソン陛下の友人でもあった。交友関係は、おそらくお前が考えているよりもずっと広い。反逆者とはいえ、中には『なぜ殺した』とお前を責める者もいるだろう。その時に、私から認められたと言い返せば黙るはずだ。それでも言い続けるのなら、その者はウィルメンテ侯爵家にとっても敵であると見なすと約束しよう。この剣は、その約定の証だ」
「えっ……、あの……」
ポールは戸惑っていた。
これはウィルメンテ侯爵の態度に困っているのではない。
他家の者から許可なく褒美を受け取ってもいいのか判断に困っているせいだ。
彼はアイザックを見ると、アイザックはうなずいて返した。
「ありがたく頂戴します」
アイザックから許可が出たので、ポールはうやうやしく剣を受け取る。
「捕虜になっていたのならば、私が自らの手で始末していたところだ。罪人として処されるよりも、一騎打ちで敗れた方がフレッドも幸せだっただろう。本当によくやってくれた。ウィルメンテ侯爵として、フレッドの父として感謝する」
「捕らえる余裕もないほど、ウィルメンテ将軍が強かっただけです。力及ばずに申し訳ありません」
「いや、模擬戦を見た限りでは、君も良い腕をしていた。君のような若者が相手で、フレッドも悔いはないだろう」
ウィルメンテ侯爵は、ポールからアイザックに視線を移す。
「エンフィールド公は、この者をどうねぎらうつもりなのでしょうか?」
アイザックよりも多くの褒美を与えれば、アイザックの面子を潰す事になってしまう。
だが、露骨に「褒美を与える」という表現を避けた。
そのため「どうねぎらうのか?」という言葉で、アイザックに探りを入れる
「もちろん、私としては
アイザックは、ウィルメンテ侯爵へ心ばかりの支援を行う。
――フレッドを討ち取った功績=将軍を討ち取った功績。
アイザックがそう評価する事で、フレッドをただの裏切り者ではなく、将軍にふさわしい男だったと評価する。
ウィルメンテ侯爵の「どうしようもない息子を育てた男」という評価を、いくらか和らげる事ができるだろう。
そして、周囲には「友人のポールに手柄を与えたいのだな」とも思われるはずなので、ウィルメンテ侯爵を庇っているという認識は薄れるはずだった。
「なるほど。それでは私も、この者にフレッドの暴走を止めてくれた感謝の気持ちを後日送る事に致します。騎士ポール、フレッドの暴走を止めてくれた事、心より感謝する」
ウィルメンテ侯爵も、フレッドの遺体が送られてきた時に名誉回復の方法を考えていた。
――フレッドを討ち取った者に恨み言をぶつけるのではなく、討ち取った者を評価する事で侯爵としての体面を保つ。
次男、三男ではなく、長男で嫡男のフレッドを殺されても「裏切り者をよく討ち取った」という態度を見せる事で、公私混同をしたりはしないという武人として堂々とした姿を見せる。
これにより評価の低下を抑え、潔さを見せる事で評価を高めようとしていたのだ。
ポールにどんな褒美を与えるのか気遣ったのも、すべては保身のためである。
(これで最低限の面子は保てる)
ウィルメンテ侯爵は、そう考えていた。
しかし、他の出席者達のほとんどは「次男がいるし、フレッドを切り捨てても影響が少ないからだろう」と見抜いていた。
とはいえ、表立って指摘するような無粋な者はいなかった。
実際に、どのような考えで動いているかは関係ない。
ポールを順当に評価しているウィルメンテ侯爵の行為を茶化すような真似をすれば、茶化した者が悪者となる。
誰も文句をつける事ができなかった。
――出席者の意識をフレッドの事から逸らしつつ、ポールに正当な評価を与える事で器の大きさを示す。
ウィルメンテ侯爵にとって、一石二鳥の策だった。
(多少なりとも考える時間があれば、この程度の難局は乗り切るか。このあとも乗り切ってほしいものだ)
アイザックは、ウィルメンテ侯爵の保身術を高く評価する。
思えば、十歳式でも即座に父親を切り捨てる判断をした男だ。
「フレッドをどう切り捨てるか」という事に関しては、これまで十分すぎるほど考える時間があった。
これくらいは難しい問題ではないだろう。
「ウェルロッド侯。フレッドの手により、貴軍の兵を失ったはずです。その補償はこちらでさせていただきます」
「いや、それは問題ない。戦前に話したように、この戦争で失われた兵や装備は、すべて当家で補償させてもらう――と言いたいところだが、それではそちらの気がすまんだろう。当家が受けた損害に限り、折半としよう」
「お心遣い痛み入ります」
モーガンとも話がついたところで、ウィルメンテ侯爵は席に戻る。
表情は暗いままだが、心の中では難局を乗り切ったとガッツポーズを取っていた。
この流れは理想的なものだったからだ。
ウィルメンテ侯爵は、アイザックがローランドとケンドラの婚約を危険視していると思っている。
だからこそ、アイザックに
こちらが風下に立てば、その優位に立ったという余裕から、警戒を緩めてくれるかもしれない。
フレッドの事は残念だが、これから先のウィルメンテ侯爵家の事を考えれば、却って大きな利益となる可能性もある。
上手く窮地を乗り切る事ができたと、喜んですらいた。
「それでは報告の続きをお願いします」
「はい」
ランドルフも一つの山を乗り越えたウィルメンテ侯爵を見て、胸を撫でおろしていた。
「ウィルメンテ将軍が率いていた部隊には、フォスベリー子爵とフォスベリー騎士団長の部隊が含まれておりました。しかし、彼らと交戦する事はありませんでした。それはフォスベリー騎士団長を、フォスベリー子爵が討ち取ったのちに自決。兵に降伏するように命じていたからです」
「フォスベリー子爵が自決……」
フォスベリー子爵を知っているウォリック侯爵が反応する。
彼の後ろに座っていたウェリントン子爵も、顔を歪めていた。
やはり、親友の死は堪えたようだ。
この流れで、アイザックが動く。
「自決の理由はわかりません。ですが息子が反逆者となり、エリアス陛下のためとはいえ、自身もジェイソン派として動いていた。その事が大きな負担となっていたのでしょう。フィッツジェラルド元帥の工作を成功させるためとはいえ、スパイを命じた私の責任を痛感しています」
アイザックは、真剣な顔に変わった。
「気になっているのは、フォスベリー子爵夫人の事です。フォスベリー子爵がジェイソン派にすり寄っていたのは、スパイを頼んでいたからです。家族や親族が裏切り者という、いわれなき誹謗中傷を受けはしないかと心配しています。できましたら、フォスベリー子爵はフィッツジェラルド元帥に情報を流すためにジェイソン派のフリをしていただけで、本心から裏切っていたわけではないという事を周知していただきたいのです」
ダミアンの罪は、フォスベリー子爵が命を懸けて贖ったのだ。
アイザックの頼みを断る者はいなかった。
周囲の反応を見て、アイザックは満足そうにうなずく。
そして、すぐに神妙な面持ちとなった。
「フィッツジェラルド元帥の名前が出たところで、気になっている情報があります。フォスベリー子爵の部下から聞きましたが、フィッツジェラルド元帥に何かがあったそうですね。他の方から報告を聞く前に、まずはフィッツジェラルド元帥の状態を教えていただけませんか?」
皆の視線が、キンブル将軍達に集まる。
そこからキンブル将軍達の視線が、さらに一人の将軍へと向けられる。
その将軍は、本陣に残っていた将軍の中から代表に選ばれた者だった。
彼の序列が低いから、嫌な役目を押し付けられたというわけではない。
逆に序列が高いからこそ、重要な報告をする役目を託されたのだ。
将軍が立ち上がり、震える声で報告する。
「フィッツジェラルド元帥は……。ジェイソン陛下に降伏を促しているところを、背後からウィルメンテ将軍に刺し殺されました」
ガタンと椅子を倒しながら、勢いよくウィルメンテ侯爵が立ち上がる。
彼は「馬鹿な」だとか「ありえない」などという言葉を言わなかった。
ただ黙って、落ち着きのない目で将軍をマジマジと見つめていた。
驚きのあまり、声が出ないのだろう。
(さすがに、この情報には対応できないか……)
アイザックは無理もないと思った。
王国軍の大半を寝返らせた功労者を、息子が殺したのだ。
しかも、降伏を促すという大切な役目を果たしている時に、背後からである。
先ほどの喜びなど吹き飛び、思考が絶望に染まる。
それは彼に付いてきている側近達も同じ。
フレッドのしでかした事に恐怖していた。
「その時の事を詳しく教えてください」
(やめてくれ、聞かないでくれ!)
アイザックが状況を聞き出そうとする。
ウィルメンテ侯爵は、心の中でやめてくれと叫んでいた。
だが、止められる雰囲気ではないとはわかっている。
だから泣き喚くようなみっともない姿を見せないよう、ギリギリのところで踏ん張っていた。
「キンブル将軍が別働部隊を率いて本陣を離れたあと――」
本陣にいた将軍の話を誰一人として音を出さず、皆が静かに聞き入っていた。
あまりにも信じ難い凶行である。
先ほどの振る舞いによる印象など吹き飛び「息子の教育もできぬ奴め」という視線がウィルメンテ侯爵に集まる。
(さすがに、この状況は切り抜けられないか……)
アイザックは、フリーズしているウィルメンテ侯爵に失望はしなかった。
人には対応できる限界がある。
今回は、その許容範囲を超えたものだ。
仕方ないと思うだけである。
モーガンやランドルフも、ウィルメンテ侯爵を庇うような事はできなかった。
下手に庇えば、武官全員の反感を買う事になる。
文官ですら、不満に思うだろう。
いくら子供同士が婚約しているとはいえ、下手な口出しはできない状況だった。
この状況で余裕があったのは、ウォリック侯爵だった。
今のウィルメンテ侯爵の立場を考えれば、ウェルロッド侯爵から婚約の解消を申し出る可能性すらある。
かつての自分の立場を、ウィルメンテ侯爵が味わう事になるのだ。
できれば先代のウィルメンテ侯爵に味わってほしかったところだったが、それは仕方がない。
ウォリック侯爵はフィッツジェラルド元帥の死を悼みながらも、心のどこかで暗い愉悦を噛み締めるように味わっていた。
「王国軍の混乱を抑えるのに、これからもフィッツジェラルド元帥の力に期待していたのですが……。残念です」
アイザックの言葉に、ウィルメンテ侯爵は「これ以上、奈落に突き落とすような事は言わないでくれ。それよりも助けてくれ」と願っていた。
祈りといってもいいかもしれない。
――その祈りは届いた。
だが、神にではない。
アイザックにである。
「フレッドが悪い。それは変えようのない事実です。ですが、ジェイソン陛下以外にも、彼に道を誤らせた元凶がいます」
「それは誰なのですか?」
ウィルメンテ侯爵が食いつく。
「まだ私の想像に過ぎないですので……。まずは皆さんの報告を聞いてから、お話しましょう」
しかし、アイザックはすぐに答えなかった。
「フィッツジェラルド元帥を失ったのは、リード王国にとって大きな痛手です。そして、我々にとっても。ですが、悲しむのはあとです。今はエリアス陛下救出のため、まずは他の方からの報告を確認し、その情報を元に善後策を練っていきましょう」
アイザックが話を進めようとする。
残念ながら、今すぐにウィルメンテ侯爵を救わないようだ。
ウィルメンテ侯爵も、本来ならば逃げ出したいくらいだった。
だが、エリアスを救う会議の場から逃げ出すような真似をすれば、彼自身も窮地に追い込む事になる。
針のむしろに座っているような状況であろうとも、この場から離れる事はできなかった。
アイザックによって、か細い一本の糸を垂れ落とされていたから。
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