第496話 復讐するは我にあり
「船を補強しろ! 溶けて崩れてしまうぞ!」
ジェイソン達は、予想していたよりも厳しい状況におかれていた。
氷が溶けるのが想定よりも早く、常に船を補修していなければならなかった。
湖の上では、水死という危険との戦いが続いている。
そこに、新手が現れた。
「前方に船団が!」
「避けられないか?」
「そもそも船の操り方など知らんぞ」
「無理に方向を変えようとすれば転覆するかもしれん」
ジェイソンの周囲で、近衛騎士がうろたえ始める。
「このまま突っ切る事はできないのか?」
「できない事はないでしょうが……この状況で弓を射られでもしたら防ぎきれません」
魔法は船が溶けないように維持するためと、移動するために使われている。
ギリギリの人数でやりくりしているので、戦闘をするような余裕はない。
万事休すという状況だった。
「いくら奴らでも、王に向けて弓を放つような無法者はいないだろう。いけるはずだ」
「そうでしょうか……」
ジェイソンの発言を不安に思う者ばかりだったが、多少速度を緩めながら前へ進む。
船団まで二百メートルといったところで、一人の騎士が叫ぶ。
「奴ら、弓に矢をつがえているぞ!」
様子を見ていたものが叫ぶのと同時に矢が放たれる。
即座に近衛騎士は、魔法を使って水の壁を作った。
幸い、周囲には水がある。
湖の水を利用する事で、無から生み出すよりも素早く、魔力の消費を少なくできる。
非常時だからこそ、近衛騎士として訓練してきた即時対応能力が活かされていた。
「ジェイソン! 王国歴五百一年、六月十三日の金曜日。今日、この日が貴様の命日だ!」
水の壁の向こう側から、怒りの籠った声が聞こえた。
その声には聞き覚えがある。
「その声はセオドアか! 王に弓を引くとは、貴様、正気か!?」
「正気かなどと貴様に問われたくはない! そもそも、貴様を本物の王と認めてなどいない! 放てー!」
文字通り、セオドアは王に向けて弓を引いた。
二射、三射と矢を放つ。
しかし、それは水の壁に阻まれて、一本も届く事はなかった。
だが、ずっと壁を作り続けるわけにはいかない。
水の魔法を使える者にも、魔力の限界があるからだ。
代わりに風の魔法を使える者が、風で矢を払い落す。
セオドアの攻撃に対応できている事に安心するが、ジェイソンは船足が止まった事に気付いていた。
思っていたよりも船が溶けるのが早い。
船体を維持するために水を凍らせる事ができる者は、船の補強に回っている。
推進力を提供していた風の魔法使いは、矢の迎撃に必死になっていた。
防ぐだけで手一杯となり、それ以外の行動ができないのだ。
この状況に、ジェイソンは危機感を覚え始める。
「おい、早く船を動かせ」
「攻撃を防ぐだけで精一杯です」
「お前達の魔力はどれだけ残っている? 今すぐに動かさねば、こちらが不利だ! 船が溶けるのを待つだけになるぞ!」
ジェイソンの指摘と同時に、他の船から悲鳴があがった。
大きな火球を作り出して反撃しようとした一隻の船が崩壊したのだ。
氷が溶け、鎧を着た人間の重みに耐えられなくなったために、底が抜けてしまった。
その船に乗っていた者達は、一度悲鳴をあげたあと、すぐに静かになった。
鎧の重みで泳ぐ事ができず、水中に沈んでしまったからだ。
氷の舟の上で寒いくらいにもかかわらず、他の船に分乗している者達の背筋に汗が流れた。
それは恐怖による冷や汗だった。
「火炎魔法を使うな! 船が溶けるぞ!」
騎士団長による注意が飛ぶ。
言われるまでもなく、誰も使う気などない。
しかし、この状況は非常に危ういものだった。
弓を防ぐために魔法で障壁を作るのをやめられない。
船の補修や移動にも魔法を使わねばならないという状況でもある。
だが、使えない。
矢を防ぐのに精一杯で、船の補修に回す手が足りないのだ。
――少人数で脱出したのが裏目に出てしまった!
また一艘、氷が崩れる。
今回は船べりが壊れ、腰かけていた騎士が湖面に落ちた。
「うわっ、うわっ」
「早く直せ」
「ちょっと待て、ぐわっ!」
破損個所を直そうとした時、魔法障壁に大きな穴ができた。
そこから矢が雨のように降り注ぎ、近衛騎士達に襲い掛かる。
もう船の修復どころではない。
「撃つのをやめてくれ!」
近衛騎士の悲鳴のような叫びは無視される。
降り注ぐ矢を防ぐために魔法で頭上を守る。
だが、最も重要なのは足元だった。
船べりの亀裂からひびが大きくなり、船が中央付近で真っ二つに割れる。
一人の騎士が船にしがみつこうとするが、溶けかけた氷に捕まる事ができず、そのまま水中に没した。
その光景は、騎士団長達にも危機感を与える。
「陛下、降伏しましょう。ここで死んでしまえば、王妃殿下とも二度と会えなくなってしまいます」
彼はジェイソンの扱い方を察していた。
最近の行動を見る限り、ニコルを絡めて説得すれば上手くいく。
そう確信するだけの事が、目の前で起きていたからだ。
彼の思った通り、ジェイソンは迷いを見せる。
「しかし、奴らは私を殺すつもりでいる。ならば、降伏を申し出るなどみっともない真似はするだけ無駄だ。それよりも、奴らの船に接舷して奪い取る事はできないのか?」
船足こそ止まったが、慣性で双方の距離は百メートルほどにまで近付いている。
一気に接近し、船を奪い取ってしまうのも手だと、ジェイソンには思えた。
「無理です。せめて最初に接触した時に、足を止めずに突っ込んでいればなんとかなったかもしれませんが……。一度船足が止まり、奴らも距離を取っている状況では近づけません」
この状況で徐々に加速していく余裕などない。
当然、セオドア達も矢を放つのを止めないだろう。
足を止めた時点で、ジェイソン達は詰んでしまっていた。
その事に、今気付く。
「陛下、降伏を申し出るしかありません! あちらからは言わずとも、こちらから申し出れば無下にはできないはず。何卒、ご決断を!」
「降伏を申し出るか……」
――それも一つの手か。
そう考えた時、ジェイソンの頭に一つのひらめきが浮かぶ。
(降伏を申し込む前に、まだやれる事があるな)
滑って転びそうになるのを必死に堪えながら、ジェイソンは立ち上がった。
誰もが彼の言葉に期待する。
「セオドア、聞こえているか?」
まずは呼びかける。
だが、セオドアからの返事はなかった。
下手に返事をすれば、そのまま交渉になってしまうかもしれなかったからだ。
ジェイソンも返事を期待していない。
まずは自分の話を聞かせるのが目的だった。
「聞こえているだろう。この距離ならば聞こえているはずだ。お前は大きな思い違いをしている。アイザックは、パメラの事を愛してなどいない。私がニコルと結婚できるようにするために、仕方なく引き取ったのだ!」
――だが、ジェイソンが話そうとしているのは、近衛騎士団員が期待したものではなかった。
雲行きに不安を感じ、騎士団長がジェイソンを止めようとするが、彼は足を滑らせてアゴを打って悶絶する。
その間に、ジェイソンは話を続ける。
「元々、アイザックはニコルの事を好きだった。だが、奴は自分では幸せにはできないと悟り、私に譲ると決めたのだ。その時、アイザックがパメラを引き受け、ウィンザー侯爵家を黙らせると申し出てきたのだ。しかし、やはりニコルの事が惜しくなったのだろう。私を亡き者にし、彼女を奪い返さんと企んでいる! いいのか? お前達もアイザックに騙されているのだぞ! 私を殺せば、次はパメラだ。そして、ウィンザー侯爵家が潰されるだろう!」
ジェイソンが狙ったのは、アイザックとセオドアの離間工作だった。
セオドアに頭を下げて許しを請うのは、パメラの事で非があると認めるようなもの。
それはニコルのためにもできなかった。
だから、アイザックとウィンザー侯爵家の協力関係を壊しに動く事にしたのだ。
事実を暴露する事で、セオドアの怒りをアイザックに向ける。
そうすれば攻撃は止むはずだ。
(パメラを味方にするのではなく、ウィンザー侯爵家を一時的に味方に付けると考えれば、まだ耐えられる)
ジェイソンとしても、セオドアを味方にしようとするのは苦肉の策だった。
相手は、あの憎きパメラの父親である。
しかし、それも一時的なもの。
個人ではなく、家を味方にすると思えば耐えられる範疇である。
――だが、返ってきたのは了承の返事ではなく、嘲笑だった。
セオドアは、ジェイソンを嘲り笑う。
「馬鹿か貴様は! エンフィールド公が、ウィンザー侯爵家の不満を抑えるためにパメラを引き取ったのは皆が知っている事だろう。それもお前がしでかした卒業式での事だ。もう忘れたか」
「違う、そうではない!」
ジェイソンは「卒業式以前からアイザックと話がついていた」という事を言っていたのだが、セオドアは卒業式の事だと笑い飛ばした。
もちろん、セオドアもアイザックが昔から裏で動いていた事を知っている。
アイザック本人から聞いていたので、おそらくジェイソンよりも事情を理解していた。
だからこそ、ジェイソンの「ニコルを狙っている」という言葉が、まったくの見当違いであるとわかっていた。
念のため、周囲にいる者達には、卒業式の事を思い出すようにアピールをする。
こうする事で、ジェイソンが核心に迫るような事を言っても、聞いていた者達は「アイザックを悪者扱いするために大袈裟な事を言っている」と思ってくれるだろう。
手段に極めて大きな問題はあったが、娘を愛してくれている相手なのだ。
アイザックの立場を揺るがすような種は潰しておいた。
「違うだと? 結婚間もないが、すでにパメラが懐妊したかもしれないという報告を受けている。夫婦仲は良好だ。その点では、貴様に感謝している。貴様のような男と結婚せずに済んだからな」
ついでに、アイザックが撒いた種が芽吹いたという事も公表する。
「それは奴の演技だ! もしくは結婚したから義務で行ったものが、偶然上手くいっただけに過ぎない。騙されるな!」
「黙れ! もう十分騙されたとも! 信じていた娘の婚約者にな!」
さすがにジェイソンも、セオドアに話し合いに応じる気がなく、本気で殺しにきている事を感じ取った。
「……本気で私を殺そうというのか!? 王を手にかければ、ウィンザー侯爵家は取り潰しになるぞ!」
「それがどうした! 証拠が残らねば問題はない。他の者達には、近付いた時には船が崩れ落ちて助けられなかったとでも言わせてもらう」
「セオドア、貴様! 薄汚い反逆者め!」
「それは貴様の事だ! 卑劣な簒奪者め! 私が成敗してくれる!」
二人の話は決裂に終わった。
この状況に、絶望を覚えたのはジェイソンではない。
近衛騎士達だった。
もう少しまともな会話だったならともかく、ジェイソンがやった事は交渉ですらない。
ただアイザックを誹謗中傷し、責任を逃れようとしていただけだ。
このままでは、出世や領地どころの話ではない。
無駄に命を失ってしまうだけである。
黙って死ぬのを見ているわけにはいかない。
ジェイソンと同じ船に乗っていた騎士が動く。
「陛下を差し出す! だから助けてくれ!」
一人の騎士が、ジェイソンを背後から羽交い締めにする。
しょせんは利益で寝返った者。
ジェイソンへの忠誠心などない。
自分が助かるための行動を取る。
それを見て、騎士団長はギョッとする。
「待て、やめろ!」
「うるさい! あんたの誘いに乗ったのが失敗だったんだ! こんなところで死んでたまるか!」
「この裏切り者め!」
ジェイソンは振りほどこうと暴れ出す。
「危ないからやめろと言っているのだ! 離せ、暴れるな!」
だが、忠告は遅かった。
船は中央部からへし折れ、ジェイソンと騎士が水中に落ちる。
(くそっ! こうなったのもアイザックのせいだ! あいつが裏切らなければ……)
鎧の重さには勝てないが、ジェイソンは水面に出ようともがく。
しかし、水草が絡みついて思うようには動けなかった。
――エメラルドレイク。
その名を表すように、水草が生い茂っている。
豊富なエサがあるため漁場として賑わっている湖であり、時間によっては、緑色に光り輝く美しい湖面が見える観光地でもあった。
その水草が、ジェイソンを逃がすまいと邪魔をする。
(アイザック、許さんぞ! アイザック――)
ジェイソンは沈みゆく中、意識を失うまでアイザックを呪い続けていた。
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しばらく矢を放ち続け、すべての船が崩壊したところで攻撃を止める。
「あれは氷で作った船だったのか? とんでもないことを考えたものだ。おかげで時間を稼ぐだけで勝手に沈んでくれて助かったがな」
セオドアは、漂流する残骸を見て一人呟く。
誰かの意見を求めてのものではない。
ただ、自分を納得させるための言葉だった。
「ウェルロッド侯爵邸にて、ブリジット様から氷菓子を頂戴した事がございます。似た色ツヤをしていたので、氷で作った船で間違いないでしょう。近付いて残骸を回収し、氷だという確証を得ておいた方がよろしいのではないでしょうか?」
ルーカスが、セオドアの呟きに反応した。
自分の目で見たにもかかわらず、氷の船という発想には驚きを隠せない。
念のために確認するべきだと進言する。
「確かにその通りだ。船を近づけろ。氷ならば冷たいので、触れればわかるだろう」
セオドアも確認したいという気持ちはあったので、接近を命じる。
もし、ジェイソンの遺体が浮いていれば回収してもいいと思っていた。
だが、遺体は浮いていなかった。
それもそのはず、鎧を着ていたのだ。
フルプレートの鎧を着たまま泳ぐなど不可能である。
浮いていたのは氷と、それにしがみついた生存者だった。
「助けてください!」
騎士団長は、溶けゆく船の残骸にしがみついていた。
彼は船が割れた時、素早く手元の氷を溶かして、掴まるところを作っていたおかげで助かっていたのだった。
「それは氷で作った船か?」
「その通りでございます」
「やはりそうか。時間を稼ぐ戦い方をして正解だったな」
セオドアも彼の姿を見つけ、疑問を確認する。
残骸を回収する手間が省けた。
「くだらん事をしたものだな。エンフィールド公が作った気球やハンググライダーの模造品で逃げれば追い付けなかったものを」
「陛下が氷の船を思いつかれたのです。……これからは閣下のために命懸けで働きますので、早く引き上げてください」
切羽詰まっているのか、騎士団長の声色に焦りが見える。
しかし、セオドアに助けるつもりはなかった。
「ほう、陛下が氷の船を……。良い土産話ができたな」
「閣下の奴隷になります! だから助けてください!」
「いらん」
鬱陶しくなったのか、セオドアは素早く矢を放った。
矢は騎士団長の眉間に刺さり、氷に赤い染みを残して水中へと没していった。
セオドアは湖面を見回す。
ジェイソンがいない事を確認し、吐き捨てるように言った。
「地獄の底でパメラに謝罪するといい」
さすがに鎧を着たまま沈んでしまえば生きてはいないだろう。
ジェイソンに捨て台詞を投げかける。
(復讐は果たした。さすがにパメラもいくらかは悲しむだろうが、必要な事だったとわかってくれるだろう)
「あの……」
セオドアが余韻に浸っていると、またしてもルーカスが声をかけてきた。
「なんだ?」
振り向かず、湖面を見つめたままセオドアは聞き返す。
「地獄の底で謝罪をしろというのは問題があるのではないでしょうか?」
ルーカスの発言は聞き捨てならないものだった。
セオドアは彼の方を振り返り、睨みつける。
「まさか、同級生だったからと情けをかけているのではないだろうな?」
「い、いえまさか……。ただ先ほどの表現だと、エンフィールド公爵夫人も地獄に落ちるから、その時に謝罪しろというようにも受け取れるのではないかと思いましたので……」
船の中に気まずい沈黙が訪れる。
ルーカスは年配の秘書官に、頭を叩かれる。
「馬鹿者。そういう指摘は、閣下が余韻を味わってからするものだ。すぐに指摘するのは無粋だぞ」
彼は、そっとルーカスに耳打ちした。
指摘するなというわけではない。
タイミングを考えろというだけだ。
「も、申し訳ございません」
「謝る相手が違う! あとで閣下にそれとなく謝っておけ。人前ではいかんぞ」
「はい、わかりました」
まだ甘いセオドアだから注意で済んでいるが、ウィンザー侯爵相手であれば処罰ものである。
こういう失敗を積んでいくのも重要だとはわかっているが、ルーカスは生きた心地がしなかった。
セオドアは、もう一度湖面を見つめる。
「ジェイソン、獄卒から地獄の責め苦を永遠に味わうがいい」
(言い直した!)
(聞かなかった事にして言い直したぞ!)
――ルーカスの発言を聞かなかった事にしてくれた。
誰もがセオドアの配慮に気付いた。
だが、彼の顔が赤く染まっている事には、誰も気付かなかった。
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