第494話 因縁の氷
フレッドが出撃したあとしばらくして、ジェイソン達は湖畔のロッジに集まって作戦会議を行っていた。
とはいえ、会議の内容は薄い。
現状の確認しかできることがなかったからだ。
「キンブル将軍は裏切り、ウィルメンテ将軍の部隊も動きを止めたあと、ウェルロッド侯爵軍に降伏」
「本陣に残っているのは九千ほど。しかも、誰が裏切っているのかわからない」
誰もが口にはしないが「降伏するしかない」という考えを、誰もが持っていた。
しかし、降伏しても命の保証はない。
あるのは、ジェイソンくらいだろう。
近衛騎士団員の「魔法を使える」という希少価値も、相手側がどこまで認めてくれるのか分からないという問題があった。
上手く売り込めても、厳しい状況になるだろう。
「誰か、打開策はないのか?」
騎士団長の言葉に、皆が目を伏せた。
この状況を切り抜ける方法など、思いつくわけがない。
――敵を倒す方法か、脱出する方法。
そのどちらかを思いついたのなら、とっくの昔に提案しているはずだ。
この状況をひっくり返すような策を思いつけるのは、皮肉にも敵対しているアイザックだけだろう。
故に、打開策があったとしても先んじて対策されている可能性が高い。
フィッツジェラルド元帥が生きていれば、まだ交渉の余地があったかもしれない。
それだけに、フレッドの暴挙を止められなかったのが悔やんでも悔やみきれない。
「キンブル将軍に同行した者達は裏切ったのか?」
「いや、殺されたのかもしれんぞ。魔法が使えるとはいえ、数で押されては抗いきれん」
「それにしては戦う音が聞こえなかった。裏切り者がいて、不意打ちを受けたのかもしれん」
「ならば、この中にも?」
――三百騎もの近衛騎士団が、キンブル将軍に自由な行動を許している。
近衛騎士団内部にも裏切り者がおり、キンブル将軍と共謀して黙らせたのだろう。
場合によっては、皆殺しにされている可能性もある。
という事は、この場に残っている他の将軍達も怪しい。
いや、近衛騎士団員すら信じられない。
信じられるのは、ジェイソンに協力した近衛騎士団の幹部だけだと考えてもいい状況だ。
誰もが疑心暗鬼になっていた。
「やめよ。過去の話ばかりをしていて、未来を切り開けるとでも思っているのか?」
そこにジェイソンが冷や水を浴びせる一言を放つ。
誰もが「お前のせいだよ!」と思いながらも、キンブル将軍の話をやめた。
「船は調べたのか?」
「船は一艘もございませんでした。桟橋は残っていましたので、ランカスター伯が撤去したのでしょう」
「ランカスター伯も、最初から裏切るつもりだったという事が確定したわけだな」
ジェイソンの目は憎悪に満ちている。
だが、それでも口調は落ち着いていた。
ニコルに関しない事ならば、まだ冷静さを保てるようだ。
「魔法でどうにかできないのか? ロッジを解体するなり、木を切るなりして船を作れそうなものだが」
「形だけならば舟らしきものは作れます。ですが、水に浮くかはわかりません。どこか一か所でも水漏れがあれば、沈んでしまいますので」
「沈む舟には誰も乗りたくはないですからね」
一人の将軍が放った言葉に、皆の視線が集まる。
その視線で、今の発言が失言だという事に気付いた。
「これは失礼致しました。他意はございません」
「まぁいい。このような状況では、皮肉の一つも言いたくなるだろう。少し休憩だ。水を用意しろ」
ジェイソンは一服入れるため、飲み物の用意を命じる。
従者が人数分のグラスを用意し、水を注ぐ。
まずは毒見役が一口飲み、少ししてからジェイソンが飲む。
六月の半ば、季節は夏である。
常温で保管されていた水は、当然ぬるい。
昔ならば、これは当たり前の事なので気にはならなかった。
しかし、今のジェイソンには物足りないものとなっていた。
「氷は作れるか?」
「ええ、もちろんです!」
ジェイソンに「打開策が浮かんだのか!」という期待に満ちた目が集まる。
「ならば、氷を作ってもらおうか」
だが、それはすぐに失望へと変わった。
ジェイソンが、グラスを差し出したからだ。
(こいつ! エンフィールド公に首を差し出してやろうか!)
元々、近衛騎士団の幹部がジェイソンについたのは、エリアスの扱いに不満を持ったからだ。
その中で最もたるものが、氷を作るために冷蔵庫へ魔力を供給する事だった。
今回は魔力を供給するどころか、直接氷を作れと命じてきたのだ。
道具扱いをされ、不満は頂点に達する。
しかし、彼らの怒りをわかっているはずのジェイソンは、至って平静のままだった。
「少しでも頭を働かせるためだ。今は優先順位を考え、不満を抑えておけ」
「はっ」
ジェイソンに命じられるがまま、近衛騎士団長が氷を作る。
だが、その内心では憤激していた。
(これで何も思いつかなければ、お前の首を持って降伏してやるからな!)
怒りながらも、自分のグラスにも氷を落とす。
少し汗ばむ気温の中、鎧を着ているのだ。
冷たいものが欲しくなる。
一度覚えた贅沢は簡単には忘れられないものだ。
他の者達も「頭を冷やして考えるため」と、次々に追従する。
彼らの姿を見て、ジェイソンはエリアスの事を見直していた。
(たかが氷、されど氷。近衛の不満を知っている私でさえ、氷を求めてしまった。父上は氷の価値を高く見積もっていたからこそ、冷蔵庫のような道具を重用していたのだろうか?)
暑い日の氷水には、やみつきになる魅力がある。
一杯飲み干すと、ジェイソンは水のおかわりを催促する。
グラスに水が注がれると、カランと音がした。
氷が水に浮き、グラスに当たった音だ。
それに気付くと、ジェイソンはフフフッと笑う。
「今度は何か思い浮かばれましたか?」
「あぁ、これもエンフィールド公のおかげだな」
「エンフィールド公の?」
誰もが顔を見合わせた。
言うまでもなく、この場にアイザックはいない。
とうとうジェイソンの頭が、完全におかしくなったかと思い始める。
ジェイソンは氷の入ったグラスを軽く振って回す。
グラスの中で、氷がカラカラと音を鳴らした。
「氷だ。氷が我らを救う」
(アイザック、お前は私をこの地で捕らえたかったのだろう? だが、詰めが甘かったな。お前が父上に渡した道具のおかげで、私はニコルの元へ帰る事ができそうだ)
またしてもジェイソンが笑う。
それも愉快そうに。
周囲の者達は、やはり「陛下がおかしくなられた」と正気を疑っていた。
――彼の案を聞くまでは。
「グラスの中を見よ。氷は水に浮く。ならば、氷で船を作ればいいではないか」
「氷で……」
皆がグラスの中を覗き込む。
確かに氷は水に浮いている。
しかし、本当に船に使えるのかは、まだわからない。
不安な表情を隠せなかった。
「木は隙間を埋めるのが難しいが、氷は容易いはずだ。浸水したとしても、水を凍らせればいいのだからな。幸い、水はいくらでもある。船に穴が開いても、簡単に修復できるだろう?」
続くジェイソンの言葉に、近衛騎士は顔を見合わせ、希望に満ちた表情を浮かべる。
「できます! 無から氷を作り出すよりも、水を凍らせる方が少ない魔力で氷を作り出せます。湖を渡り切る事もできるでしょう!」
「ならば、さっそく取りかかれ。脱出するぞ!」
「はっ!」
近衛騎士達は水を飲み干し、湖へと向かった。
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「フフフッ、この方法はアイザックも見抜けなかったはずだ」
氷の船に乗り込みながら、ジェイソンはほくそ笑んでいた。
アイザックを出し抜いた事と、この場を切り抜けられる妙案を浮かんだ事による、自画自賛の笑みだった。
「このような舟を思いつかれるとは、さすがは陛下です」
「さっそく対岸に向かいましょう」
近衛騎士団員は、ジェイソンに「氷を作れ」と言われた時は殺意すら芽生えていたが、今は違った。
「素晴らしい打開策を思いついてくれた」と、ニコニコと笑顔を見せている。
ジェイソンとは一蓮托生の立場である以上、脱出方法があるならば、それに越した事はない。
喜んで脱出用の船を作っていた。
しかし、氷の船にも問題がある。
馬を乗せるほどの大きさを確保できなかった事だ。
そもそも、馬が船に乗るのを嫌がるので無理だった。
馬は湖を渡った先で調達しなければならなくなった。
街で素早く調達できるかの運任せとなっていた。
ジェイソンが振り返る。
この脱出に連れていくのは、近衛騎士団の中から信頼できるもの三十名と、積極的にジェイソンを支持した将軍達のみ。
一万近い将兵が置き去りとなる。
残った者達には、死守命令を出している。
一人でも多くの敵兵を道連れにし、時間を稼ぐのが彼らの役目だ。
兵が必死に戦えば戦うほど、貴族連合軍はジェイソンがこの地に残っていると思いこむはずだ。
わずかであっても、その貴重な時間が欲しい状況である。
ジェイソンは「厳しい命令ではあるが、これも人の上に立つ者として出さねばならないものだ」と覚悟を決めて、命令を出していた。
「彼らの命は無駄にはなりません。リード王国の未来を守る礎となってくれるでしょう」
「そうだな。しかし、オールがないのに船は動かせるのか?」
「それは風の魔法でどうにかできます。直進しかできませんが、問題はないはずです」
「そうか。ならば、それを見せてもらおう」
「はっ」
他の舟にも近衛騎士が五名ずつ、六隻に別れて乗り込む。
この割り振りは、魔法の適正を考えられていた。
その理由は、すぐに判明する。
近衛騎士の一人が船の後方に座る。
そして彼らが風の魔法を唱えると、風の力で前へ進み出した。
「ほう、面白いものだな」
「おそらく乗り心地は悪いですので、舌を噛まないよう口を閉じておいてください」
「わかった。あとは任せよう」
ジェイソンも、事が上手く進んでいるので文句はないらしい。
揺れに備えて船べりをしっかりと掴み、対岸に着くのを待つ事にした。
残された者達は、彼らを失望混じりの目で見送っていた。
ジェイソンは自分達だけで逃げ出し、残された者には死守命令を出していたからだ。
王都に逃げるまでの時間稼ぎと、貴族連合軍の兵を一兵でも多く削れという事だ。
もし「ここで私と死んでくれ」と命じられれば、彼らも最後まで戦い続けただろう。
だが、この状況で命令を守ろうという気など生まれない。
「どうする?」
「……俺は部下を連れて降伏する」
とある将軍が降伏の意思を表明する。
そして、近衛騎士達に視線を投げかけた。
「背中から刺されるかもしれんが、それでもかまわん。こんな戦いで部下を死なせられるものか」
「陛下に協力していたのは、先ほど逃げた団長や隊長クラスだけです。私達は好き好んで陛下に協力したわけではありません」
視線を向けられた近衛騎士が言い返す。
彼も無条件でジェイソンに従っていたわけではないからだ。
「ならば、降伏をしてもかまわないと?」
「ええ、もちろんです。疑われているでしょうし、我々が降伏の使者を務めてもかまいません。率先して協力の意思を見せましょう」
「そうか、それなら任せよう」
降伏の使者は危険な役目である。
戦端を開く前ならば降伏をあっさり受け入れてくれただろうが、今はもう戦端を開いてしまっている。
「反逆者の戯言など聞かん!」と問答無用で切り捨てられる可能性もあった。
その危険な役目を引き受けてくれるのなら、喜んで任せるところだった。
「しかし、もう一度降伏勧告をしてもらえんものかな。そうすれば、安全に降る事ができるというのに」
「そこまで期待するのは無理でしょう。まずは兵士達に伝える事を優先しましょう」
「そうだな」
今やるべき事をやるため、湖岸から離れようとする。
その中で、一人の近衛騎士がジェイソンの方へ振り返る。
「幼き頃の陛下であれば、命じられるまでもなく命を懸けてお守りしていただろう。なぜこのような事になってしまったのか……」
――ジェイソンに関わっている、ほとんどの者が思っていた事。
それと同じ事を、彼も感じていた。
このあとすぐ、ブリストル伯爵が降伏を勧告しにやってくる事になる。
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