第492話 理想の騎士の姿
ウェルロッド侯爵家の本陣には、分厚い槍衾が敷かれていた。
そのせいでフレッド達は、なかなか陣内に突入する事ができずにいた。
兵士達は積極的に討ち取りにはこないが、これ以上先へはいかせないという強い意思が見える。
さすがにフレッドも、強引に割って入る事はできず、ウロウロとしながら隙を探してばかりだった。
「フレッドー!」
どこか突入しやすいところはないかとウロウロしていると、彼を呼ぶ声が聞こえた。
声の主は馬で兵をかき分け、フレッドの前にまでやってくる。
相手の顔は、フレッドもよく見知ったものだった。
「ここより先へは一歩たりとも行かせはしない! このポール・デービスが相手だ!」
「ポールか……。見逃してやるから帰れ。お前では、俺の相手は無理だ」
フレッドは、露骨にガッカリしてみせた。
今までポールに負けた事など一度もない。
マットかと思っていただけに、張り合いがなくなってしまった。
その態度に、ポールは怒りを覚える。
「やってみなければわからないだろう!」
「やらずともわかるさ。お前は今まで一度も俺に勝った事がないじゃないか? 俺の目的はアイザックだけだ。昔のよしみで見逃してやる。ほら、帰れ」
「お前のそういう無神経なところが嫌いだったんだ! 覚悟しろ! 俺がお前を討ってみせる!」
本来ならば、大軍を前に怯えていないといけないのはフレッドのはずだ。
なのに、彼は尊大な態度を見せてくる。
その態度が、ポールを余計にイラだたせていた。
「たかが一騎士ごときが、将軍との一騎打ちを望むなど許されると思っているのか?」
マークがフレッドの前に割って入ろうとする。
だが、それをフェリクスが防いだ。
「二人の邪魔をしないでほしいな。君の相手は私が引き受けよう」
「易々とウィルメンテ将軍との一騎打ちをさせるなど認めてたまるか! ロートルは下がっていろ!」
マークが槍で素早く突くが、フェリクスは軽く払いのける。
「私は君より年を取っているが、まだギリギリ三十代だぞ。ロートル扱いは酷いな。では、強引にでも一騎打ちするしかない状況を作らせてもらおう」
フェリクスが左手を上げ、フレッドの供回りに向かって振り下ろす。
ロックウェル王国の元指揮官達は、彼らに殺到していった。
フェリクス自身も、マークに向かって槍を突く。
それをマークは受け流した。
「さぁ、この状況でも二人の一騎打ちを邪魔できるかい?」
「貴様ぁ!」
マークも、さすがにもう追い詰められたと観念した。
そもそも、一万以上の規模の軍を相手に、三十騎で攻撃を仕掛けるのが無謀だったのだ。
だからといって降伏したりはしない。
それはフレッドが望んでいないからだ。
ここまでくれば最後までフレッドに付いていくだけである。
「せめてウィルメンテ将軍の名誉を守るため、一人でも多く道連れにしよう」と、彼はポールの邪魔をするのではなく、フェリクスの命を狙う方向に切り替えた。
フェリクスがマークを抑えてくれた事に、ポールは心の中で感謝する。
彼の気遣いを無駄にしないため、ポールはポールでフレッドと決着を付けねばならない。
「場は整ったようだな。フレッド、勝負だ!」
「仕方ない。前菜として軽く平らげてやるよ」
ポールとフレッドの戦いも始まった。
馬上槍試合のように馬を走らせ、お互いに槍を繰り出す。
両者ともに槍は鎧をかすめ、体に衝撃を与える。
「むっ!?」
かつてないほど、ポールの槍から強い力を感じられた。
フレッドは、今までの彼とは違う事に気付く。
(そうか、結婚したからか。背負うものができたから、それがポールに力を与えているんだ。だが、それなら負けはしない。俺は世界最高の女性のために戦っているんだからな!)
その理由に気付くと、フレッドは合点がいった。
自身もニコルのためなら、無限の力が湧いてくるような気がしていたからだ。
馬を返し、再度ぶつかり合う。
「くぅっ!?」
ポールの胸を貫くまで、あと一歩というところだった。
しかし、先にポールの槍が鎧に当たり、その衝撃で槍の軌道が逸らされてしまった。
「やるじゃないか。学生時代に、ここまで鋭い突きが出せていれば、俺から一本くらいは取れたかもな」
「やれたさ、これくらい」
ポールの返事に、フレッドは首をかしげる。
「ならなぜやらなかった?」
「なんでだろうな。お前にそこまで親切に教えてやるつもりはない」
「お前が死んだら聞けなくなるだろう。気になるじゃないか」
「そういう事は勝ってから言え!」
会話で止まっていたが、ポールが再び馬を走らせ始める。
フレッドも迎え撃とうと、馬を走らせた。
「今度は仕留める」と渾身の力を籠めて槍を繰り出すが、またしてもポールの槍が先に届いた。
「ぐあっ!」
今度は衝撃だけではなく、左肩に激しい痛みを覚えた。
確認すると、肩当てが壊れ、ドクドクと激しく出血している。
それが意味するものは一つ。
「馬鹿な! 俺がポール相手に不覚を取っただと!?」
フレッドには信じられなかった。
学生時代まで――いや、将軍になってからも、誰にも負けた事はなかったからだ。
今までいい勝負をする者がいても、いい勝負止まりだった。
――この重要な場面で敗北してしまうかもしれない。
フレッドは恐怖した。
アイザックに負けた事はある。
だが、それは頭脳においてだ。
武芸ではない。
「得意分野で負けるはずがない。ありえない」と、この状況をフレッドは認められなかった。
「待て! 今日は調子が悪いようだ。軍を突破したあとだから疲れているのかもしれない。また後日にしよう」
「そんな話が戦場で通じるかぁ!」
ポールの槍が、フレッドの胸を貫く。
胸を突かれた衝撃と痛みで、フレッドは滑り落ちるように落馬した。
「な、ぜ……」
(なぜだ? なぜ俺が負ける……)
フレッドは、徐々に体から力が失われていくのを感じていた。
そんな中、考える事は「死ぬかもしれない」という事ではない。
自分が負けた事に関してだった。
「フレッド、お前の無神経なところは本当に嫌いだった。だけど、夢に向かって真っすぐなところは好きだったよ」
声の方に視線を向けると、ポールが馬上から見下ろしていた。
彼の目には憐憫の感情が色濃く含まれている。
(やめろ、そんな目で見るな。それは俺がするはずだった目だ)
――強いだけではなく、倒した相手のために心を痛める事ができる最強の騎士。
かつて自分がなりたかったもの。
今のポールの姿は、まさにフレッドがなりたかった騎士の姿だった。
(……どうして、どうしてこうなった? 俺がポールに負ける? 馬鹿な、あいつは俺に勝った事がなかったはずなのに)
フレッドが地面に横たわり、相手を見上げさせられたのは、父とマットの二人だけである。
彼らのどちらかならばともかく、ポールに負けるのは、フレッドには理解できなかった。
(ポールが強くなった? 俺が将軍になって、腕を磨く時間が減ったから? 俺はどこで間違った?)
――どこで間違ったのか?
その疑問は、フレッドに大きな疑問を抱かせる事になった。
死に面した彼の脳裏に、今までの事が走馬灯のように駆け巡る。
フレッドは、武芸以外の事にも間違いがあった事に気付く。
(……なんで俺は、フィッツジェラルド元帥にあんな事をしてしまったんだ? あんな事、ありえない行為だ。俺は主君のために命を懸ける男を殺すような人間だったか? あれこそ俺が理想とする姿だったのに?)
今のフレッドは、冷静に自らの行いを顧みる事ができた。
痛く、苦しいはずなのに、頭の中はモヤが晴れたかのように透き通っていた。
己の行動を顧みればみるほど、自分がやった事とは到底思えない事ばかりだった。
(なぜ俺はジェイソンを止めなかった? エリアス陛下を守ってこそ、友の過ちを諫めてこその騎士だろう……。なぜ俺は……、美しいとはいえニコルのために……。なぜ……。こんなの悪夢だ……)
命の火が消えようとしている時、フレッドはポールに向けて手を伸ばそうとした。
――自分が目指したもの。
――そして、もう届かないものに手を伸ばすように。
だが、体は動かなかった。
なぜやってしまったのか自分でもわからぬ愚行の数々に涙しながら、フレッドは意識が消失する最後の時まで、ポールを見つめ続ける事しかできなかった。
「フレッド様ぁぁぁ!」
マークが、フレッドを助けようと近付こうとする。
だがそれは、またしてもフェリクスに阻まれた。
「行かせはしないと言っただろう」
「それは言っていない!」
「……まぁ、確かに『行かせはしない』とは言ってないね。でも、厳密に考え過ぎるのもよくないと思うよ。一騎打ちの邪魔をさせないというのは、行かせないというのと同じ意味なんだからさ」
フェリクスには、自分の言葉足らずを認めるだけの余裕があったが、マークにはない。
その余裕の差が槍捌きで顕著に表れる。
数合の打ち合いのあと、フェリクスの槍がマークの脇腹に突き刺さる。
痛みで踏ん張りが利かず、マークは馬から転がり落ちた。
それでも彼は脇腹を押さえながら、フレッドのもとへ這いずって行こうとしていた。
「内臓がやられているはずだ。その傷では助からんだろう。すぐ楽にしてやる」
フェリクスはトドメを刺そうと、馬を歩かせて近付く。
その時、少しだけ優しさを見せる。
「慰めにはならないだろうが……、君はいい腕をしていた。五年後であれば、立場は逆になっていただろうね」
最後に言葉をかけてから、マークの心臓がある場所に槍を突き立てる。
若者にトドメを刺すのはいい気分ではないが、苦しませる方が酷というもの。
トドメを刺したあと、フェリクスはマークに祈りを捧げる。
だが、いつまでも感傷に浸っている場合ではない。
すぐに配下の者達の様子を確認する。
そちらは彼が心配するまでもなく、一方的な展開となっていた。
あまりにも勝ち過ぎているので、違う心配が思い浮かんだ。
「首を取ったり、戦利品を持ち帰ろうとするなよ! リード王国の者達が見ている。彼らに配慮しろ」
「わかってますよ。いくらなんでも半数の敵を倒しただけで功を誇ったりなどできません。若様も心配症ですな」
「もう私もいい年なんだ。若様はやめろ」
「ロートルと言われて怒っていたご様子ですが?」
「そこまでの年でもない」
「微妙なお年頃なんですね」
返事をしたのは、フォード伯爵家に仕えていた者だった。
彼は戦場には似つかわしくない穏やかな声で、フェリクスと親し気に話していた。
からかうだけの余裕があるという事でもある。
騎士の戦いは、まもなく終わりそうだった。
フレッドに付いてきた騎士は、三十名足らず。
それに対し、フェリクスの部下は五十名ほど。
腕の差よりも、数の差で勝負は決まっていた。
フレッドが死んだ事を確認して、降伏する者も現れ出した。
ほどなくして、戦闘は終わる。
フェリクスは、アイザック達がウィルメンテ侯爵の感情を心配していた事を思い出し、その対処に動く。
「私はエンフィールド公爵家の騎士団に所属しているフェリクス・フォードだ。この部隊の指揮官はいるか?」
彼は近くにいた兵士に声をかける。
エンフィールド公爵の名前が効いたのだろう。
声をかけられた兵士は、すぐに指揮官を呼びにいこうとした。
しかし、その必要はなかった。
話を聞いていた本人が前に出てきたからだ。
「オグリビー子爵家のレイモンドです。お疲れ様でした。何かご用ですか?」
「確かエンフィールド公のご友人の……。実は、王国旗の予備があれば分けていただきたいのです。遺体を王国旗で包んでおけば、ウィルメンテ侯の心証もよくなるはずです。裏切り者ではあったが、勇士として扱うという姿勢を見せておくのも悪くないでしょう」
「そういう事であれば、すぐに用意いたします。足りない分は周囲の部隊から集めておきます」
「かたじけない」
彼の考えとは、フレッド達の遺体を王国旗に包むというものだった。
――裏切り者ではあったが、勇敢に戦った事を称える。
そういう意思表示をしておいて損はない。
丁重な形で返還されれば、誰だって悪い気はしないのだから。
これはフェリクス自身が経験した事による配慮だった。
アイザックに曾祖父の元帥杖を返された時には「仇ながらも、あっぱれな男だ」と思ったものだ。
ならば、あの時と同じ事をやればいい。
「息子は立派に戦った」という事実が、ウィルメンテ侯爵の心を慰めてくれるはずだ。
「レイモンド、あとを頼んでいいか? 報告にいきたいんだけど」
近寄ってきたポールが話に入ってくる。
彼の顔色は優れない。
「あぁ、もちろん。……やっぱり辛いか?」
「そうでも――いいや、辛いな。初の実戦が顔見知りっていうのは、思っていたより辛かったよ。たとえそれが嫌いな奴だったとしてもだ。戦っている時は、こんな事を思わなかったのにな」
「悪い事を聞いたな。あとは任せろ。お前はエンフィールド公に報告にいってこい」
レイモンドは水筒をポールに渡す。
受け取ったポールは、二口ほど飲んで水筒をフェリクスに差し出す。
フェリクスは水筒を受け取るが、水は飲まなかった。
ポールとは違い、喉が渇くほど緊張していなかったからだ。
「フェリクスさんはどうされますか?」
「私はここに残って捕虜を見張ったり、遺体の処理の様子を確認しておくよ。エンフィールド公に捕虜の扱いをどうするかを確認してきてくれると助かるかな」
「了解です」
ポールは兵士達に道を開けてくれと声をかけながら、アイザックのところへ向かう。
彼に、兵士達から歓声が贈られる。
フェリクスも彼の後ろ姿を優しい目で見ていた。
「初陣が内戦というのも辛いものだな」
「フェリクスさんの初陣は、どのようなものだったのですか?」
「私かい? 辛かったよ……。伯爵家の跡継ぎだからこそ苦労をしたほうがいいと言われて、トムの部隊に放り込まれたからね。なんであの人は圧倒的な数の敵に無謀な突撃を仕掛けられるのか……」
よほど辛かったのだろう。
フェリクスは遠い目をする。
しかし、それは一瞬の事。
すぐに戻ってきた。
「その点、ウィルメンテ将軍はトムと似ていたのかもしれないね。実力はよくわからなかったが、前に出る勇気は持っていたようだし」
「戦場を知らなかったからこその恐れ知らずとも言えるかもしれませんが……。私の知っている限り、臆病者ではなかったですね」
レイモンドは、フレッドがアイザックに恐れる事なく、食ってかかっていた事を思い出す。
逆恨みにもかかわらず、彼は堂々とアイザックを非難していた。
(……恐れというものがわからないくらいの馬鹿だっただけかも?)
失礼極まりない考えだったが、ふとそんな事を考えてしまう。
「それでは、王国旗とロープを用意させますね」
不埒な考えを振り払うため、自分がやるべき事に意識を向ける。
――死者を貶める必要はない。
そう考えると、レイモンドにもフェリクスの配慮の意味がよくわかったような気がした。
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