第491話 フレッドの対処
ウェルロッド侯爵軍の本陣でも、ランドルフ率いる先陣の異変を感じ取っていた。
「王国軍が攻撃してきても、何とかなる数だとは思うんですけどねぇ……。擲弾兵が失敗したのでしょうか?」
「どうだろうか。右翼側がざわついているように見えるが……。擲弾兵は中央だろう?」
アイザックとモーガンが、ランドルフの部隊を心配していた。
王国軍が本格的に仕掛けてきたのなら、支援に動かなければならない。
しかし、大軍が襲い掛かってきたのなら、伝令を送ってきているはず。
その動きがないので、対処はできているはずだった。
「爆発音がしていたので、擲弾兵を避けて攻撃を仕掛けてきたのではありませんか?」
ダッジが現在の状況で予測できる意見を述べる。
「そうなのかな? ソーニクロフトで戦った時と違って、距離があるからわかり辛いな」
「こういう時こそ気球の出番では? 見張りを載せれば、戦場を見渡せるでしょうに」
「ダメダメ。気球を飛ばすのには、エルフの助けがいる。リード王国の人間だけで内戦の始末をつけるという目的から外れてしまうよ。戦場で使うとしたら、他国の戦争にエルフが協力してくれるようになったらって事になるね」
ダッジに言われるまでもない。
アイザックも気球の戦争利用を考えていた。
しかし、今回の内戦における「他国の影響の排除」という理念から外れてしまう。
もったいないとは思うが、数ある発明品の中でも実戦に使うのは手榴弾だけということになっていた。
「協力してもかま――いたっ」
「爺様、発言には気をつけてくれ……」
マチアスの不用意な言葉を、クロードが頭を叩いて止める。
「そうは言うがな、ワシらだって元々はリード王国の国民だったのだぞ。手伝おうとして何が悪い」
「もう二百年も前の事だろう。過去をいつまでも引きずるのはよくない。そんなんだから婆様に『昔の事をネチネチと言う男らしくない人』とか言われていたんだぞ」
「それは関係ないだろう!」
なぜかマチアスとクロードの口論が始まる。
周囲にいた者達は「戦場でやる事か?」と思ったが、場に似合わぬ口論が平静を取り戻してくれている事に気付く。
そのせいで誰も二人を止めず、家族喧嘩を微笑ましく見守っていた。
だが、その雰囲気を壊す報告が入る。
「敵軍の騎兵がサンダース子爵の部隊を突破! こちらに向かってきます!」
「なんだと!」
いくらウェルロッド侯爵家の兵が弱いとはいえ、ランドルフの部隊には訓練が終わっている部隊を優先的に配備している。
王国騎士団相手でも、簡単に突破を許すはずがない。
明らかな異常事態である。
(また計算違いが起きたか! やめてくれよ、精鋭揃いの王国騎士団員が全員敵になったとかいう展開は!)
予想外の出来事ばかりで、アイザックも泣き言を漏らしてしまいそうになる。
しかし、まだ諦めるわけにはいかない。
迎撃可能な数かもしれないからだ。
「敵の数は?」
「およそ……、三十騎ほどです! 多めに見たとしても五十騎は超えません!」
「三十!?」
報告を聞き、アイザック達の驚きの声が重なった。
アイザックは、モーガンと顔を見合わせる。
「いくらなんでも、父上の部隊に削られ過ぎでは?」
「あの王国騎士団が、そこまで数を減らされるほど弱いわけがない。擲弾兵にやられたのではないか?」
「動いている相手に当てる訓練まではできていないので、それはないでしょう」
「では、ランドルフ達がやったというのか?」
「わかりません。そもそも、そんなわずかな生き残りで、こちらに向かってくるなど自殺行為です。奴らが何を考えているのかも、まったくわかりません」
王国騎士団は精鋭揃いだ。
数が多いとはいえ、ウェルロッド侯爵家の軍が容易に勝てる相手ではない。
そうなると、あの右翼側の部隊の指揮官がよほどのやり手だったか、王国軍の数が少なかったかだ。
不思議な事が続くものだと、アイザックは戦場の難しさを実感させられる。
「強行突破したという事は、降伏の使者ではありますまい。玉砕覚悟で戦い続けるほど、ジェイソン陛下に忠誠を誓っている者達なのではありませぬか?」
ダッジが冷静な分析を語る。
忠誠を捧げる相手がエリアスなら、まだ信じてもいいかもしれなかった。
だが、相手はジェイソンである。
「そのような者がいるものか?」と、アイザックは懐疑的だった。
「あ、あ……」
見張りの兵が何かに驚いている。
皆の視線が彼に集まった。
「どうした、報告しろ」
「ウィルメンテ侯爵家の旗が見えます!」
「ウィルメンテだと!」
本陣が騒然とする。
思わぬ名前が出てきた事で、動揺が広まる。
そんな中、アイザックは冷静だった。
思い当たる人物がいたからである。
「フレッドか」
「フレッド? あぁ、フレッドか」
モーガン達は、一瞬「ウィルメンテ侯爵まで裏切ったのか」という可能性が頭をよぎったせいで慌ててしまった。
アイザックの呟きでフレッドの事を思い出して、すぐに落ち着く。
「しかし、将軍ともあろう者が、あのようなわずかな手勢で突撃するかな?」
「やるでしょう。王妃殿下に勝利を捧げるとかなんとか言って、突撃を仕掛けたのではありませんか? それならわずかな兵しかいないのも理解できます。普通の騎士なら、馬鹿らしくなって戦う意義を自分に問いかけるでしょうから」
「騎士団員がフィッツジェラルド元帥に説得されていれば尚更か。フレッドが突破できたのは……、フレッドだからだろうな」
「フレッドだからでしょうね」
二人とも少数の騎兵でフレッドが突破できた理由が、すぐに頭に浮かんだ。
――兵士達がウィルメンテ侯爵の顔色を気にして、手加減してしまった。
それ以外に思い浮かばない。
ウィルメンテ侯爵は味方なだけに、気にするなというのは無理というものだろう。
「特に父上が気にしてそうです」
「ケンドラの義兄となる者だからな」
二人は溜息を吐く。
フレッドは、こちらで対処しなくてはならないようだ。
正直、アイザック達にとっても面倒臭い相手である。
「討ち取っておいてくれてもよかったですのに」
「無理だろうな。戦力が拮抗しているのならばともかく、一方的ななぶり殺しはランドルフにはできんだろう」
「自分にできない事を僕にやれと?」
「カービー男爵がいるではないか。彼ならば――」
「アァァァイザァァァック!」
フレッドの叫び声に、アイザック達はビクリとする。
かなり距離が離れているにもかかわらず、殺意が籠められているとはっきりわかるほどの迫力だった。
これほどの殺意を向けられた事は、今までにない。
名前を呼ばれたアイザックは、ビクリと体を震わせる。
「お前のような裏切り者は許せん! このフレッド・ウィルメンテ将軍が討ち取ってくれる! そこで待っていろ!」
しかし、続く言葉までは届かなかった。
アイザックは「何か言ってるな」としかわからなかった。
恨みの籠った叫びで、力を使い果たしたらしい。
だが、フレッドの声が届く範囲にいた者達は違う。
特に貴族達は「ウィルメンテ!」と、家名で怯え始める。
誰もが「こちらにこないでくれ」と願っていた。
――その願いは叶わなかった。
フレッドが中央に向かって攻撃を始めると、ウェルロッド侯爵軍は動揺し始める。
「マズイ、なんとかしないと!」
現場の貴族では、フレッドの対応は荷が重い。
彼に対応できるアイザック達が、決断せねばならなかった。
「フレッド本人は、どうでもいい。ウィルメンテ侯がどう思うかだけが問題です」
「こちらに攻撃を仕掛けてきたのだ。ウィルメンテ侯も、この状況ならばやり返しても文句は言わぬだろう。カービー男爵なら致命傷を与えずに捕獲する事もできるのでは?」
わかっていても、決断するのは難しかった。
今後の事を考えれば、ウィルメンテ侯爵の不興を買いたくない。
だが、フレッドのために無駄な被害を出したくもない。
マットを出すのが無難な状況だった。
(しまった! ウィルメンテ侯に、もっと恩を着せる形でカニンガム男爵を帰しておけばよかった! これじゃあ、こっちが借りを作る形になってしまう!)
アイザックは、失敗を悟った。
あちらの面子を考えれば、いくら裏切り者とはいえ、さすがに嫡男を殺されて黙ってはいないだろう。
一気に厳しい状況になってしまった。
「マット、フレッドの練習相手をした事があるだろう? 致命傷を与えずに捕らえる事ができるか?」
「できるかできないかで言えば、できます。ですが、周囲の騎士を排除せねば難しいでしょう」
「騎士か……」
アイザックは、モーガンを見る。
彼は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
「そういえば、フレッドに近い人間を供回りとして付けたとウィルメンテ侯が言っていた。あの騎士達は、ウィルメンテ侯爵家の者の可能性が高い」
「供回りもウィルメンテ侯爵家の者ですか……」
そうなると、ウィルメンテ侯爵家傘下の貴族の子弟という可能性が高い。
という事は、ウィルメンテ侯爵だけではなく、他の貴族達からも恨みを買うかもしれない。
それにアイザックも知る、同級生も混じっている可能性もあった。
アイザックでも、この問題について簡単には決断できなかった。
――そこに救いの手が差し伸べられる。
「あの……、発言してもよろしいでしょうか」
アーサーが、恐る恐ると言った様子で発言の許可を求めた。
「何か打開策でも思いつきましたか?」
それにアイザックが食いつく。
今はどんな意見でもほしい。
「責任は取るから積極策を言って、きっかけを作ってくれ」とすら考えていた。
「ウィルメンテ侯が軍を動かされる時に『もしフレッドと戦う事になっても遠慮はいらん! ジェイソン派は徹底的に叩き潰せ! エリアス陛下への忠義を示すのだ!』と、おっしゃっていました。無傷で捕らえるという事に、こだわる必要はないのではありませんか?」
アーサーの言葉で、場が静まり返る。
遠くの兵士達の雄叫びなどがよく聞こえた。
「アーサーさん! その言葉、本当ですか!」
「ええ、本当です。他の者達も聞いています」
アーサーは自分の供回りや、護衛としてついてきてくれているウォリック侯爵家の騎士達に確認を取る。
皆が事実だとうなずいていた。
これにアイザックは、満面の笑みを見せた。
「フレッドが無事でなくてもかまわないというのなら、周囲の騎士を排除しても文句は言ってこないでしょう! 遠慮なく戦えます!」
「アーサー! それはとても素晴らしい情報だ! よし! 後日、私の秘蔵のワインを贈らせてもらおう!」
アイザックとモーガンが、露骨なまでに喜ぶ。
政治的な配慮をしなくていいのなら、フレッドは怖い相手ではない。
今の彼らにとって、フレッド達は自殺志願者の集団でしかなかった。
「では、早速迎撃を――」
「閣下、私に行かせてください!」
アイザックがマットに命じようとしたところで、フレッドの対応に名乗り出る人物が現れた。
「ポール!?」
「ウィルメンテ将軍とは、昔からの因縁があります。過去を清算するためにも、私に機会をお与えください!」
「因縁……。あぁ」
(フレッドが、ネイサンのところで遊んでいた時の事を忘れていなかったか)
ポールやレイモンドは、ネイサンの友達の中でヒエラルキーの低い位置に置かれていた。
フレッドにも、よくない対応をされたのだろう。
その時の恨みが残っているのかもしれない。
学生時代にも、戦技部でわざと負けないといけなかった不満もあるはずだ。
フレッドに思い知らせてやりたいという気持ちは強いだろう。
ダメだと一蹴するより、チャンスを与えてやった方がいいだろうと、アイザックは考えた。
「今は見栄や意地を抜きにして、正直に答えてほしい。フレッドに勝てるという自信はあるのか?」
「本気で戦えば、十回に八回か九回までは勝つ自信があります!」
「八回か九回か……」
返答を聞いて、アイザックは迷う。
逆に考えれば、10%から20%の確率で友人を失うという事だからだ。
前世でプレイしていた野球ゲームでは、練習の失敗確率が10%や20%なのに、体感では50%以上の確率で失敗していた。
10%という数字は、けっして甘く考えていい数字ではない。
それならば、大人しくマットに行かせるべきだと考え直し始める。
「閣下、ポールなら大丈夫です。二人と手合わせをした感触では、ポールに軍配が上がります。まず負ける事はないでしょう」
そのマットが、ポールに肩入れした。
二人共と剣を交えた者の言葉は重い。
アイザックは、ポールの方を行かせてもいいかとまた迷い始める。
だが、今はいつまでも迷っている場合ではない。
素早い決断が必要な時だった。
アイザックは思い切った決断をする。
「よし、ポール。フレッドは君に任せよう。その代わり、絶対に生きて帰ってこい」
「はい!」
当然、ポール一人に行かせるわけにはいかない。
そこでフェリクスに目を付けた。
「フェリクス、ロックウェル王国からきた元指揮官達は騎乗戦闘ができるか?」
「できます。多少の得手不得手はございますが、苦手な者でも一般的な騎士程度の実力は持っています」
「ならば、ポールの支援に回ってくれ。おそらくウィルメンテ将軍よりも、供回りの方が手強いはずだ。手柄を立ててくるといい」
「ありがとうございます」
元ロックウェル王国の武官はまだ雇われたばかり。
フェリクスは「ダッジ達を連れて帰った」という功績があるが、他の者達にはない。
いつまでアイザックの下にいるかわからないが、しばらくリード王国に滞在するなら手柄はあった方がいい。
そういう配慮から、アイザックはフェリクス率いる部隊に出番を用意したのだった。
「すでに万が一にも起きないだろうと思われていた状況が続いている。カービー男爵は私の警護に全力を尽くすように」
「はい、喜んで!」
手柄がないといえば、アーヴィンやハキムも同じではある。
同じではあるが、彼らにはアイザックの警護という重要な仕事があった。
――もう二度と、トムの時のような悲劇は起こしたくない。
マットやトミーは、戦場でアイザックのそばを離れるつもりはなかった。
その気持ちがわかっているので、他の者達も「ポールの代わりに行かせてほしい」とは言わなかった。
エンフィールド公爵騎士団の古参は、誰もがアイザックの警護を優先する事を考え、フレッドの首は二の次という扱いになっていた。
護衛のために残るのが望みだと察したので、アイザックは彼らを残す事に決めた。
それがポールを快く行かせる決断の要因の一つでもあった。
「騎士ポール・デービスよ、ウィルメンテ将軍を討ち取ってこい! 中途半端に捕虜にしようなどと思うな。手加減をせずに全力で戦い、生きて帰る事を優先せよ」
「はっ!」
「騎士フェリクス・フォード。新編の騎士団ではあるが、騎士は歴戦の古強者ばかりだと信じている。ロックウェル王国の武人の力を見せてほしい」
「かしこまりました!」
アイザックは命令を出し、ポールとフェリクスを送り出す。
迎撃態勢を整えたのならば、まず言っておかねばならない事がある。
「アーサーさん、ありがとうございます。あなたの情報がなければ、兵に無駄な被害を出していたかもしれません。助かりました」
「いえ、先に報告しておくべき事でした。そうしておけば、サンダース子爵にも状況を伝えられていたというのに……」
ランドルフのもとには「ブランダー伯爵が裏切った」という内容だけを伝令で伝えてある。
それに比べれば、フレッドをどう扱うかなど些細な問題だろう。
そもそも、弁明の使者としてやってきたカニンガム男爵の事も、動揺させないためにまだ話していないくらいだった。
「どのような事を話したか、一言一句漏らさず伝えなければいけないと責めるのは酷というものでしょう。アーサーさんは必要な事を話してくださいました」
「そのように言っていただけますと心が軽くなります」
「ブランダー伯のように家ごと裏切った、というのならば遠慮は必要なかったのですけどね。……内戦というのは嫌なものですね」
「ええ、本当に。まったくもって同感です」
――内戦だからこそ起きる問題。
それは、きっと各所で起きている。
王国軍に仕官した貴族の子弟などは、親族と争うという事もあるはずだ。
戦後に金銭的な支援をするだけではなく、精神的なケアも必要になるかもしれない。
(問題は山積みだ。ここはやはり、この難題を解決できそうな人に宰相に戻ってもらったり、経験豊富な大臣に戻ってもらったりして任せるべきだな)
アイザックは現在の状況を考慮し、後日どうすれば自分が楽になるかという事も考えておく必要を感じていた。
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