第490話 ウィルメンテ将軍の突撃を前にして阻める者はなし
フレッドの動きは、キンケイド男爵からも見えていた。
擲弾兵に襲い掛かってくるのかと思ったが、そうではないらしい。
ウェルロッド侯爵軍の最右翼にいる部隊を狙っているように見える。
「これは……。どうだ、届くか?」
「あの距離に届かせるのは無理です。飛び散った鉄球が当たる事を願うくらいでしょう」
「よし、当たらずともかまわん。右翼側にいる兵は、敵の騎兵に向かって投擲せよ!」
キンケイド男爵は、素早く攻撃命令を出す。
擲弾兵は、元々投石兵だ。
動く相手に投げつける訓練もしている。
見当違いのところには投げないだろうという判断だった。
しかし、キンケイド男爵の狙い通りにはいかなかった。
さすがに数の少ない手榴弾では、騎兵を想定した演習まではやれなかったからだ。
石とは重さが違うし、速さも違う。
先頭集団から外れてしまう。
フレッドが見抜いたように、先頭に被害を与える事ができなかった。
――だが、それが功を奏した。
手榴弾は、騎兵に届く前に空中で爆発する。
負傷はせずとも鉄球の直撃を受けた馬や、音で驚いた馬がバランスを崩して倒れ、前方と後方とで分断される形となった。
後方を駆けていた騎士団員達は、勢いを削がれた事と、ダミアンの部隊が動いていない事から足を止める。
騎士団員の戦意が、どん底にまで落ちていた証拠である。
彼らの間では示し合わせてもいないのに「このような戦いで命を懸ける必要はない」と、フレッドを見捨てる方向で自然と意思が統一されていた。
その一方、止まらずに先頭を走っているのは、フレッド。
そして、ウィルメンテ侯爵家から連れてきた側近ばかり。
彼らは足を止めなかった。
しかし、すぐに突撃行動を取っているのが自分達だけだと気付く。
「ウィルメンテ将軍、騎士団員が付いてきておりません!」
「怖じ気付いたか。だが止まるわけにはいかない。このままいくぞ!」
「このままですか!」
「そうだ、俺達だけでもいく! 必勝の信念があれば勝てる! いくぞ!」
「あっ、お待ちを」
フレッドは馬の足を速める。
部下達も、渋々付いていくしかなかった。
彼らは、フレッドの友人を中心とした者達。
機密の漏洩を防ぐため、ウィルメンテ侯爵からは「フレッドを守れ」としか言われていなかった。
「機を見てフレッドを捕らえろ」とは言われていないのだ。
フレッドを見捨ててしまえば、自分達は必ず厳しい罰を受ける事になると思いこんでいるので、フレッドの命令が嫌であろうが、付いていくという選択しか選べなかった。
彼らは知らない。
ウィルメンテ侯爵が「内戦のついでにフレッド派がいなくなってくれれば助かる」と考えていたという事を。
王宮での会話から、ウィルメンテ侯爵はフレッドの事を完全に諦めていた。
ローランドの当主就任の邪魔になりそうな彼らは、もう不要なのだ。
フレッドの殉死という形でいなくなってくれれば、彼らの家に補償をするだけで済むので好都合だとすら思われていた。
フレッド達、五十騎の騎兵が駆ける。
ウェルロッド侯爵軍の右翼に突入し、そのまま突破。
エンフィールド公爵の旗がある、後方の部隊を狙うつもりだった。
「俺はウィルメンテ将軍だ! 我こそはと思う者はかかってこい!」
フレッドは名乗りを上げ、ウェルロッド侯爵軍へと先陣を切って突入した。
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「うわぁ……。気のせいかな? 多くの兵士がのたうち回っているようにしか見えないのだが……」
「私にもそう見えます」
ランドルフは、擲弾兵の戦果を見て、引いていた。
彼の側近もだが、ダッジの参謀達も顔を青褪めさせていた。
「これが戦争の形が変わる瞬間というわけか」
ランドルフは感慨深げに空を見上げる。
まだ若いと思っていたが、もう自分の年では新しい戦争の形に付いていける自信がない。
アイザック達の世代に、椅子を譲るべきかと真剣に考え始める。
「敵の騎兵が動き出しました。一個騎士団か、それより少ない数です。右翼へ向かっています」
そこに報告が入ってきた。
王国軍の精鋭とはいえ、一個騎士団が動いただけで動揺する者はいない。
誰もが落ち着いて報告を聞いていた。
「右翼か。ならば、あちらに任せよう。一個騎士団程度ならば対応できるだろう」
ランドルフの楽観的な意見に、反論する者はいなかった。
王国騎士団は強いとはいえ、誰もが「千騎程度で何ができる」と見くびっていたのだ。
「擲弾兵の攻撃で馬の足が止まり、落馬する者が続出! ほとんどの騎兵が突撃をやめました。突撃を続けているのは百騎以下の模様」
さらなる報告を受け、ランドルフの周囲には弛緩した空気が流れた。
「手榴弾は敵を倒すだけではなく、馬を驚かせるのにも使えるようですな」
「あの音には私も驚いた。馬ならばもっと驚くだろう」
「突撃機動中に落馬するとは哀れな……。死者も出ているはずです。降伏勧告と救助を行ってもいいかもしれません」
ダッジの参謀達にも、相手を憐れむ余裕があった。
ブランダー伯爵の裏切りでどうなるかと思われたが、そちらはウォリック侯爵家などが動いてくれている。
こちらは擲弾兵の攻撃で、敵を圧倒している。
不確定要素はなくなり、あとは勝敗が決するのを待つだけだと思っていたからだ。
――だが、この戦いは彼らが考えているほど簡単には終わらない。
「大変です! 突撃中の騎兵の中に、ウィルメンテ侯爵家の旗があります!」
「な、なんだとぉ!」
ランドルフが馬から落ちそうなほど慌てる。
彼の側近達からも落ち着きがなくなった。
「フレッドが、あの部隊を率いているという事か!? まずい、戦闘を避けさせろ! 伝令を出せ!」
慌てながらも、ランドルフは必要な命令を出す。
――あのランドルフが、必死になって戦うのを避けようとするほどの男。
当然、ダッジの参謀達は興味を持った。
そこで近くにいたランドルフの秘書官に声をかける。
「寡聞にして存じませんが、そのフレッドというお方はお強いので?」
「強いかどうかどころではありません」
「論ずるまでもない武勇の持ち主というわけですか」
しかし、そこまで強いのなら名前を聞いた事があるはずだ。
なのに、フレッドという名前は聞いた事があるようなないような、そんなおぼろげな印象しかなかったので不思議に思っていた。
「いえ、そうではありません。フレッドというのは、ウィルメンテ侯爵家の嫡男であるフレッド・ウィルメンテ将軍の事です。もし討ち取りでもすれば、ウィルメンテ侯爵家との関係が悪化するでしょう。両家の今後の関係を考えれば、捕虜にして、ウィルメンテ侯の手に委ねなければならないのです」
「あぁ、なるほど。そういう意味で避けておられるのですか……」
参謀達は「ランドルフのような男が他にもいたのか?」と少し期待していたのだが、違ったので落胆する。
それを見て、秘書官は「フレッド自体は雑魚だ」と受け取られたかもしれないと考えた。
「もちろん、将軍になるだけの実力はお持ちだと思いますがね」
慌てて補足する。
だが、参謀達の表情から「フレッドの面子を守るための言葉だ」と見抜かれている事を察した。
幸いな事に、参謀達も「それは嘘ですよね」などという追及をしてこない。
お互いに気まずい愛想笑いを浮かべ、聞かなかった事にしてくれた。
彼らも軍の中枢部にいたので、空気を読む事くらいは容易い事だったのだ。
「道を開けて通してやれ! アイザックなら上手く対処する方法を思いつくはずだ! 下手に手出しさせるんじゃない!」
必死に戦闘を避けようとするランドルフの姿を見て、参謀達は「このお方は、腕っぷしで解決できない事には弱いのかな?」と思い始めていた。
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ウェルロッド侯爵軍、先行隊の右翼を預かるグレーブス子爵は泣きそうになっていた。
彼の預かる街は、エルフとの交易中継地点として繁栄を享受している。
――豊かになれば、人が増える。
――人が増えれば、豊かになる。
――正の連鎖で、順風満帆の人生を送る事ができていた。
だから、今回の戦争では豊かな街を治める代官としての責任を果たすため、三千もの兵を動員したのだ。
なのに、彼らの働きを見せる機会はなさそうだ。
それどころか、失態を犯してしまうかもしれない状況に陥っていた。
「やめろー、殺すな! 絶対に殺すんじゃないぞ!」
――フレッドが名乗りを上げて、先頭に立って突撃してきた。
その事の意味を、グレーブス子爵もわかっていた。
フレッドは「俺はウィルメンテ将軍だ!」と、堂々と名乗っている。
それでは「知らずに殺してしまった」と、ウィルメンテ侯爵に弁明する事もできない。
いくら裏切り者が相手とはいえ、地方貴族の子爵風情が手出しをするには厳しい相手だった。
もしフレッドが他国の貴族であれば、問答無用で襲いかかっていただろう。
戦場では、他国の人間の爵位など気にする必要などないからだ。
むしろ、侯爵家の嫡男など、手柄首としては最高である。
だが、今は迷惑極まりない相手でしかない。
グレーブス子爵は、
ランドルフに命じられるまでもなく、彼はフレッドを傷つけまいと必死になっていた。
「むやみにウィルメンテ将軍に手を出すな! 絶対に見逃せー! 後ろの騎兵だけを狙うんだ!」
おかげで、戦場ではあり得ない命令を出す羽目になってしまった。
彼だって「迎撃しろ!」だとか「敵を殲滅しろ!」という格好いい命令を出したかった。
もっと勇ましい姿を部下に見せたかった。
それがこの様である。
泣きたくもなる。
(なんで、わざわざ名乗り上げてから突撃してくるんだ!)
フレッドが調子に乗って槍を振り回せば振り回すほど、グレーブス子爵の気分は落ち込んでいった。
そのフレッドはというと、かなりの上機嫌だった。
自分を恐れて、兵士達が道を開ける。
まるで、幼い頃に本で読んだ一騎当千の英雄のような気分だったからだ。
(なんだ、戦争なんて簡単じゃないか。これならアイザックに勝てる。今の俺ならサンダース子爵にだって……。いや、ダメだ。今は欲張る時じゃない)
ランドルフに勝負を挑もうとも考えたが、それはやめた。
今やるべき事は一つ。
――アイザックの首を取る事だけだ。
目的を見失わない、最低限の冷静さを持ち合わせていた。
しかし、フレッドはフレッドである。
落ち着きのないところもあった。
「俺の首を取ろうという気概のある者はいないのか! ウィルメンテ将軍だぞ! お前達、手柄首が欲しくないのか!」
そう叫びながら、馬を走らせる。
だが、誰一人としてフレッドの前に立ちふさがろうとする者はいなかった。
それどころか、恐怖に顔を歪ませて道を開くばかりである。
「ウェルロッド侯爵家は弱兵と聞いていたが、噂通りだな。お前達は、ふぬけばかりか? このフレッド・ウィルメンテと戦おうとする者はいないのか! ウィルメンテ将軍だぞ!」
自分にとって都合のいい流れではあるが、フレッドは落胆する。
ウェルロッド侯爵家に自分のライバルとなる相手はいない。
せいぜいが、マットくらいだろう。
そんな彼が相手だったとしても、今なら愛の力で勝てるような気がしていた。
「むやみにウィルメンテ将軍に手を出すな! 絶対に――」
突破するのに夢中で最後まで聞き取れなかったが、指揮官らしき者もフレッドの事を恐れているようだ。
兵士の被害を減らそうと、距離を取らせようとしている。
この状況に、フレッドは虚しさを感じていた。
(学生時代と違って、命のやり取りをする戦場では、俺の相手がいなくなってしまうのか……。強さとは虚しいものであると聞くが、本当だったようだな)
自分と戦ってくれる相手がいる事の幸せを、フレッドは思い出していた。
しかし、すぐに思い直した。
今はこの虚しさがありがたいもの。
それだけ突破しやすくなるという事だからだ。
フレッドが切り開いた道のおかげで、すぐにウェルロッド侯爵軍を正面から突破する事ができた。
「閣下、残りは三十名ほどです」
すかさずマークが残存兵力を報告する。
フレッドに続く騎兵は狙われていたものの、一度腰が引けた兵では簡単に討ち取るという事もできなかった。
五十騎ほどで突入した割には、多くが生き残っていた。
だが、彼らはフレッドとは違い、鎧に無数の傷が付いていた。
フレッドはその事に気付いていない。
「どうだ、やってみればできるものだろう?」
「……閣下だからこそできる事です」
「第三騎士団が付いてきていれば、アイザックの首を取って、王都に帰還するのも容易だったものを。腰抜け共め、それでも騎士か!」
「フォスベリー団長が付いてこなかったのも気になります。もしや、裏切ったのではありませんか? だとすれば、これ以上は危険です」
マークは、フレッドを止めようとする。
何が起こっているのかはわからないが、仲間の援護が期待できない状況だという事はわかる。
これ以上進むのは自殺行為でしかなかったからだ。
だが、フレッドは首を横に振る。
「確かに何かが起こっているのかもしれない。でも、ない物ねだりをしても無駄だ。俺達だけでアイザックの首を取る!」
正面突破に成功した事に気をよくしたフレッドは、単独で一度突撃する事を決める。
次は突破だけを目的とした突撃ではない。
エンフィールド公爵家の旗がある中央に向かって突破し、その上でアイザックの首を取らねばならないのだ。
当然、反撃は激しいものになるだろう。
きっと、マットも迎撃に出てくるはずだ。
(次の突撃は、俺でも無傷では済まないだろうな)
――マットは必ずアイザックの近くにいる。
それがわかっているだけに、フレッドは一度体を震わせる。
恐れによるものではない。
心を奮い立たせた事で起きた武者震いである。
「一度できた事だ! 二度できない事もない! 総員、我に続け!」
フレッドは、ウェルロッド侯爵軍の本陣に向かって馬を走らせる。
――友と思わせておいて、大事な場面で裏切った男。
――誰もが愛するニコルを奪おうとする卑劣な男。
アイザックの命を狙って。
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