第489話 フォスベリー子爵の決断
擲弾兵の指揮官には、バーナード・キンケイド男爵が任命されていた。
かつては王都の屋敷の警備を任され、その後はランドルフの軍師になっていた男である。
今回は軍師の役目を降ろされてしまったため、擲弾兵を任されたのだった。
アイザックやモーガンのいる本陣には、ダッジやフェリクスといった者達がいる。
ランドルフのところには、前元帥の参謀だった者達がいた。
彼らは、キンケイド男爵のように「専門的な教育を受けただけ」という者とは比べられないほど、戦闘の経験を積んだ者達である。
だが「リード王国の誰よりも経験豊富だから」という名目があるとはいえ、新参者に椅子を奪われて面白いはずがない。
そこで、アイザックの発案により、擲弾兵の部隊を率いてもらう事にした。
――公爵発案の新兵器を装備した部隊。
それを任せるのだ。
周囲には「軍師の座から降ろされた」ではなく「新部隊を任されるほど信頼されている」と思われるだろう。
栄転という形での異動となっていた。
しかし、キンケイド男爵自身はあまりよく思っていない。
その理由は、擲弾兵の編成にあった。
元投石兵の擲弾兵は二百。
そして擲弾兵一人に対して、大盾を持った兵士二人に、火種を持った兵士と予備の手榴弾を運ぶ兵士が一人ずつ付く。
盾兵は敵に接近するまで擲弾兵を弓矢から守る。
「投げる」という性質上、弓兵よりも射程が短い。
命懸けで擲弾兵を射程圏内に送り届ける役目であった。
火種を持った兵士は、火種だけを持っているわけではなく、水の入ったバケツも持っている。
擲弾兵が負傷し、足元に手榴弾が落ちた時に自爆しないよう火を消すためである。
予備として水の入った樽も背負っている。
そして、予備の手榴弾を運ぶ兵士。
これは火種を運ぶ兵士に持たせようという意見もあったが、アイザックが事故を避けるために一人追加させたものだった。
危険予防は重要である。
導火線が偶然火種に触れて自爆など目も当てられない。
安全のための編成だったが、それがキンケイド男爵にとって不満でもあった。
歩兵は歩兵、弓兵は弓兵、騎兵は騎兵。
そういった統一された兵科で編成された部隊ではなく、混成部隊だというのが不安である。
新しい兵科を実際に運用した時、どんな問題が出てくるかわからない。
彼も誉れある仕事だとはわかっていたが、失敗した場合に「エンフィールド公の名声に傷をつけた」と言われかねない危険な仕事だという事もわかっていた。
そして、失敗する確率が高そうだとも思っていた。
――だが敵に接近し、第一射を放ったあと、それは間違いだったと気付いた。
訓練は見ていたが、あれはあくまでも鎧を着た的に過ぎない。
――人間に対して使った時、どうなるか?
それを恐ろしいまでに思い知らされた。
アイザックが考えていたように、致命傷でなくても鉄球を受けた者は戦意を失っていた。
元々不利な状況だったのに加え「怪我をした」という事実が、心を打ち砕いたのだ。
もちろん、それだけではない。
その心理的ダメージは、よく訓練された兵士達の冷静さをも上回るもの。
かすり傷の者であっても、爆音による驚きと合わさり、自分が致命傷を負ったと思いこんでしまうほどだった。
投擲で届く距離なので、擲弾兵達にも弓兵の悲鳴が聞こえる。
その悲鳴に、自分達がやった事に戦慄した。
彼らの悲鳴が「痛いっ! 痛いっ!」や「負傷した! 助けてくれ!」といったものではなかったからだ。
誰もが「うぎゃぁぁぁーっ!」や「あぁぁぁーっ! あぁぁぁーっ!」など、言葉にならない悲鳴をあげている。
恐怖と混乱が合わさり、本能的に痛みを訴える叫び声ばかり。
死に直面した者達が放つ感情の籠められた悲鳴が、擲弾兵達の心を激しく揺さぶっていた。
そもそも、擲弾兵達は雨のように降る矢に怯えていた。
擲弾兵の攻撃は、意外な事に手榴弾を投げた者達が敵を心配する事になった。
弓兵の中には油壺だと思ったのか、地面に落ちて割れないように受け止めようとする者がいたからだ。
そういった者達に「あぁっ、馬鹿! やめろ!」と声をかける者もいたくらいである。
手榴弾を受けとめた者の手は吹き飛び、頭上で撒き散らされた鉄球はより広範囲に被害を与えた。
その時には「あぁ……」と肩を落とした者もいた。
それ故に、心に強く響いたのだろう。
これは内戦である。
ジェイソン一派はともかくとして、命令に従うだけの兵士達に恨みはない。
自分達が作り出した惨状に、成功を収めたはずの擲弾兵達の士気は大きく下がっていた。
「閣下、いかがなされますか?」
キンケイド男爵の副官が尋ねる。
どうとは「第二射を行うかどうか?」という意味だろう。
簡単な言葉だ。
しかし、今のキンケイド男爵には、すぐに理解できなかった。
(こいつ、あれを見ておきながら追い打ちをかけろというのか?)
弓兵は隊列を組んでいた。
そのため、理想的な形で大打撃を与える事ができた。
しかも、相手は武器を捨てて負傷者の治療に当たっている。
そこに「もう一撃を加えますか?」と尋ねる副官の精神を疑っていた。
だが、副官も役目なので確認しただけである。
本当にやれとは思っていない。
擲弾兵達も「次はどうするのか?」と、キンケイド男爵に視線を集めていた。
「第二射用意! ただし、火を付けるな! 相手の出方を見る!」
待機命令が出たので、擲弾兵達は胸を撫で下ろす。
たった一撃で想像以上に大きな被害を与えている。
「これ以上は必要ない」というのが、指揮官と兵士の区別なく、共通の認識として持たれていた。
これは内戦とはいえ、戦争にまだ情けが残っていた時代だったという証拠である。
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「はぁっ!? なんだあれは!?」
弓兵部隊の後方で待機していたダミアンが叫ぶ。
彼の馬も動揺していたが、少し距離が離れていたのですぐに落ち着いた。
だが、騎乗者の方は簡単には落ち着かなかった。
「魔法ではありませんか?」
「しかし、魔法は近衛騎士しか使えないのではないか?」
「もしや、エルフの援軍か?」
「いや、ファーティル王国から宮廷魔導士が送られてきたのかもしれんぞ!」
ダミアンの周囲で、騎士達が各々の考えを話し始めた。
しかし、その内容に建設的なものはなかった。
ただ動揺し、雑談をする事で落ち着こうとしているだけだった。
結局「アイザックはドラゴンの鱗で作られた鎧を着ているので、ドラゴンの力を使ったのでは?」というおかしな結論に行きついてしまう。
「ダミアン、突撃するぞ」
ダミアンが率いる騎士団と共に行動していたフレッドが、いきなり突撃しようと言い出した。
「閣下、おやめください。何が起きたのかわかっていない状態で近付くのは危険です」
マークがすぐさま諫めに動く。
だが、フレッドは首を振った。
「いいや、わかるさ。俺にはわかる」
フレッドが寂し気な表情を見せる。
「強すぎる力は、近くにいる者を傷つけてしまう。それが如何に守りたいと思っているものでもな」
その語り口は、まるで――
「自分が強すぎる故に、自分がニコルと結婚してしまえば、彼女を傷つけてしまいそうで怖かった」
――とでも言いたげなものであった。
フレッドは、弓兵隊を指差す。
「見ろ、弓兵隊の惨状を。あのような強い力は、味方の近くでは使えないはずだ。ならば、近付けば勝てる!」
フレッドにも弓兵隊をズタボロにした理屈はわからないが、その対処法はわかるらしい。
そういった直感による判断は、父ではなく祖父譲りなのだろう。
意外な事に、擲弾兵に対する有効的な対処法を思いついていた。
「それに一度使ったきりで、二度目は使っていない。一度しか使えないドワーフの道具なのかもしれないぞ。誰か、フォスベリー子爵を連れてこい」
今後の作戦を伝えるため、フレッドはフォスベリー子爵を呼び出す事にした。
伝令ではなく、自分の口から伝えたいらしい。
「とはいえ、正面からぶつかっては危ない。そこでだ、この騎士団を二つに分ける。一つは俺が率いて、もう一つはお前だ。先に俺が敵の右翼に突撃するから、そのあとに続いてくれ」
「時間差による波状攻撃というわけですね」
「そうだ」
フレッドがニヤリと笑う。
説明するまでもなく、親友が自分の考えをわかってくれたからだ。
「ですが、将軍が先陣を切るのは危険です。私が先に行きます」
「いや、ダメだ。俺の考えが間違っているかもしれないからな。それに俺の考えが正しければ、先頭が一番安全な場所になるから、やはり俺が行くべきだろう。任せろ」
「将軍ともあろうお方が、それでよろしいので?」
「いいさ。俺は将軍だからな。俺が決める!」
胸を張って語るフレッドを見て、ダミアンが噴き出した。
「まったく、真っ先に突撃したいだけなんだろ? わかった。背中は任せろ」
「おう、頼むぜ」
二人は拳を合わせる。
親友だけあって、信頼関係は十分にあった。
連携すれば、ウェルロッド侯爵軍にも勝てるとすら二人は思っていた。
二人のやり取りが行なわれている間に、フォスベリー子爵が供回りと共に到着する。
彼は弓兵の惨状を見て、目を大きく見開いて驚いていた。
「相手が動く前に動かねばならないので、手短に説明する。敵は魔法かドワーフの道具を使って弓兵を壊滅させた。だが、敵に近付けば、あの強力な攻撃はできないはずだ。だから我らは騎兵を率いて突撃し、アイザックの首を狙う。フォスベリー子爵は、弓兵の救出をしながら正面から牽制してほしい」
フレッドは、今やらなければならない事、やってほしい事を素早く説明する。
フォスベリー子爵も命令は理解できたが、どうしてもわからない事もあった。
「第三騎士団だけでは防がれるのではありませんか? 謎の攻撃を避ける事ができても、すぐに囲まれてすり潰されてしまいます」
――圧倒的大軍への突撃だという事を忘れているのではないか?
フレッドは敵の攻撃を避ける事だけを考えて、相手の数を考えていない。
その事をフォスベリー子爵は指摘した。
そして、もう一つの道を指し示そうとする。
「降伏という道もあります。弓兵の状況を見る限り、ここで降伏しても恥ではありません。むしろ、部下の命を――」
「黙れ、この敗北主義者が!」
フォスベリー子爵の言葉を遮ったのは、フレッドではない。
――ダミアンだった。
「一戦も交える事なく降伏を口にするなど信じられない! それでも一隊を任される王国貴族か!」
「しかし、ダミアン――」
「戦場では、フォスベリー団長と呼んでもらおう! 騎士団長の方が優位な立場である事を忘れてもらっては困る!」
「……はい、フォスベリー団長」
歩兵は平民の兵士が多いが、騎士団は貴族に縁を持つ者が多い。
それに騎乗して戦うという技能を持つのだ。
序列としては、歩兵よりも騎士の方が明確に上となる。
その事を、ダミアンは持ち出していた。
「ダミアン、お父上に失礼だぞ」
フレッドが取りなす。
フォスベリー子爵は「わかってくれたか」と期待したが、そうではなかった。
「だが、そう言いたくなる気持ちもわかる。最初から降伏しようと考えている者に勝てるはずがない。必勝の信念を持って敵に当たらなければならないんだ! やはり、この状況で頼れるのはお前くらいだな」
結局は、彼もダミアンに同調してしまった。
形だけ、たしなめただけだった。
「それにアイザックの目的もわかっている。奴の狙いは王妃殿下だ」
「なんだって!」
フレッドの言葉に、ダミアンとフォスベリー子爵が驚く。
だが、二人の驚きのベクトルは、まったく違っていた。
「王妃殿下の事を忘れられず、力尽くで奪い取ろうとしているというのが、陛下と俺の共通の見解だ。だから……、わかるな?」
「あぁ、あいつは殺さなければならなくなった! 見逃す事なんて絶対にできない!」
「そうだ。必ずやってのけねばならない」
フレッドとダミアンは、熱い視線を交わし合う。
――周囲を置いてけぼりにして。
周囲にいた者達も、最初は「一合も交える事なく降伏はしたくない」と思っていたが、だんだんと「もう降伏したい……」と思うようになっていた。
「ダミアン、騎士団の半分を借りていく。フォスベリー子爵は、支援を頼む」
そう言い残して、フレッドは兵を率いてウェルロッド侯爵軍の右翼へと向かい始めた。
残ったダミアンも、すぐにあとに続こうとする。
「待て、ダミアン」
だが、フォスベリー子爵が呼び止めた。
「だからフォスベ――」
――フォスベリー団長と呼べ。
ダミアンは首に刺さった槍のせいで、その言葉を言い切る事はできなかった。
フォスベリー子爵が槍を抜き、ダミアンの体を抱き寄せる。
周囲の者達は驚きのあまり固まってしまったが、すぐに平静を取り戻す。
「フォスベリー子爵、何をされるのですか!」
騎士団員が、フォスベリー子爵に対して槍を向ける。
しかし、フォスベリー子爵は憔悴しきった様子ではあったが、落ち着いていた。
「お前達は降伏しろ。フォスベリー子爵に降伏しろと命じられたと言えば、エンフィールド公は受け入れてくれる」
「なぜそのような……。もしや!?」
騎士団員は、フォスベリー子爵がスパイをしていたのだと気付いた。
「そうだ。私はエンフィールド公と繋がっていた。ダミアンがジェイソン陛下に協力してしまったため、罪滅ぼしのためにジェイソン派の内部からエリアス陛下救出の手助けをしていたのだ。お前達だって、本当は大義のない戦いなどしたくはないだろう?」
「それは……。まぁ……」
「ならば降伏しろ。せめて一戦だけと思う者もいるかもしれんが、こんな戦いで名誉など得られんぞ。エリアス陛下を救出するために一刻も早く降伏し、彼らの手をわずらわせるな」
「……わかりました。ところで、先ほどから降伏しろとおっしゃられていますが、フォスベリー子爵はどうされるのですか?」
「あぁ、私は逃げる」
「逃げる!?」
アイザックと繋がっているのなら、戦場から逃げる必要などないはずだ。
おかしな事を言い出したフォスベリー子爵に、誰もが奇異の目を向ける。
フォスベリー子爵は、周囲の目を気にしなかった。
周囲に反応せず、代わりに自分の副官に視線を向ける。
「今まで苦労をかけたな。だがな、厳しい訓練もお前達の事を思ってやった事だったのだ。恨んでくれてもいいが、無駄だったとは思わないでほしい」
「隊長はどうされるのですか? 逃げるとは?」
「あぁ、私は責任を取らずに逃げるだけだ。私が逃げたと言えば、エンフィールド公には理解してもらえるはずだ。あとを頼む」
そう言い残すと、フォスベリー子爵は剣の切っ先を口に咥え、馬上から飛び降りた。
「あっ!?」
周囲の者達は、フォスベリー子爵の予想外の行動に反応できなかった。
慌てて駆け寄るが、ダミアンの遺体と折り重なるように地面に伏しているフォスベリー子爵は、すでに事切れていた。
この時、誰もが「逃げる」の意味を察していた。
「そりゃあ、ないですよ。隊長……」
フォスベリー子爵は「お前達には、どんな苦境でも諦めずに乗り越えられるだけの訓練を課す」と言ってきた。
その本人が、死んで逃げてしまったのだ。
残された者は、文句の一つも言いたくなる。
だが、もう言えない。
フォスベリー子爵の副官は「あぁ、これで地獄の訓練が終わる」と安心していた。
しかし、その解放感を心から喜べなかった。
厳しくはあったが、だからこそ演習で他の部隊に負ける事はなかった。
「王国軍の中でも精鋭だ」という誇りを持つ事ができた。
鬼のような隊長がいなくなったという安堵感以上に、彼は大きな喪失感を覚えていた。
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