第488話 フレッドの暴走
王国軍本隊は、キンブル将軍の後に続くべく進軍の準備を進めていた。
そこに悲報が入る。
「キンブル将軍の部隊が停止、軍を反転させ始めました!」
「なんだと!」
椅子に座っていたジェイソンが、驚きのあまり立ち上がる。
「何かの間違いではないのか?」
「間違いではありません」
ジェイソンの質問に答えたのは、フィッツジェラルド元帥だった。
彼は覚悟を決めており、近衛騎士に取り囲まれたままでも心静かな面持ちをしていた。
「キンブル将軍達が従うのは先王陛下です。ジェイソン陛下ではありません」
「貴様っ! 謀ったな!」
フィッツジェラルド元帥の言葉に激昂したジェイソンが、彼を切り殺そうと剣に手をかける。
だが、それは意外な者に止められた。
「お待ちを! 今、殺すのは得策ではありません!」
――ジェイソンを止めたのは近衛騎士団長だった。
「裏切り者を庇うというのか!」
「違います。殺すのはいつでもできます。ですが、生かしておけば、交渉の材料に使えるかもしれません。今は選択肢を一つでも多く残しておくべきです」
彼はフィッツジェラルド元帥を助けようとしたわけではなかった。
雲行きが怪しくなってきたため、少しでも状況を良くする材料を残しておきたかっただけである。
殺すのは鬱憤晴らしにしかならないが、生かしておけば何かに利用できる。
使い道がないとわかれば、その時殺せばいいだけだ。
今のところは、殺さない方が多くの利益を期待できる。
それだけだった。
彼の進言は、今のジェイソンでも理解できるものだった。
しかし、キンブル将軍達を裏切らせたのは、きっとフィッツジェラルド元帥が説得したからだろうという事もわかっていた。
簡単に許せるものではない。
フィッツジェラルド元帥は、そんなジェイソンの様子に気付いていた。
だが、それでも彼は己の役割を果たそうとする。
「陛下、まだ間に合います。先王陛下も、実の息子の命までは取らないでしょう。私も自らの身命を賭して、先王陛下にお願い申し上げます。ここは降伏し、未来へと繋げていただきたい」
――ジェイソンに降伏を勧める。
それが彼が本陣に残った理由だった。
無用な血を流さぬためにも、ここで説得せねばならない。
本当にエリアスがジェイソンを助命するかはわからないが、その可能性を見せる事でジェイソンに考え直させるのも重要だ。
リード王国に生きる者同士で血を流す必要などない。
一刻も早く降伏してほしかった。
そして、命を賭けるというのも本心だった。
アイザックに知らされるまで、エリアスが幽閉された事を知らなかった。
王国軍の頂点に立つ者として不覚極まりない事である。
その罪がエリアスに許されたとしても、元帥として罪に見合った責任を取らねばならない。
ジェイソンの助命嘆願が叶おうが、ダメだろうが、戦争が終われば命を以って責任を取るつもりだった。
ならば、ジェイソンの説得のために命を使う事など惜しくもない。
元帥として、最後の仕事をこなそうとしていた。
ジェイソンを止めた近衛騎士団長も、フィッツジェラルド元帥の申し出に賛同するべきだと考えていた。
彼はジェイソンとは立場が違う。
だがそれでも、首謀者のジェイソンを甘い処罰で済ませたのであれば、近衛騎士団にだけ厳しい処罰をするわけにはいかなくなる。
処罰には不公平を感じさせないバランスが必要なのだ。
「魔法を使える人間」という希少性を考えれば、教会に入れば命は見逃してもらえるという可能性もあった。
この状況ならば、ジェイソンも元帥の提案をありがたがって受け入れるだろうと考え、近衛騎士団長は警戒を緩めた。
――だが、彼らは今のジェイソン達の事を見誤っていた。
「今ならば、まだ王妃殿下と共に田舎での蟄居謹慎で済ませてくださる可能性もございます。何卒、何卒ご決断――」
フィッツジェラルド元帥は、最後まで話す事ができなかった。
背後から胸を剣で貫かれてしまったからだ。
「田舎暮らし? そんな暮らしは彼女には似合わない。彼女は世界の中心にいてこそ輝く人なんだ!」
――刺したのは、フレッドだった。
彼は怒り狂った形相で剣を握っていた。
あまりの迫力に、近衛騎士ですら咄嗟に動く事ができなかった。
しかし、すぐに立ち直った団長が動く。
フレッドを突き飛ばし、剣を抜く。
「医療班! すぐに治療を施せ!」
ジェイソンが負傷した時のために待機していた、治療魔法を使える近衛騎士に元帥を助けろと命じる。
彼らもフィッツジェラルド元帥の生死は重要な事だとわかっているので駆け寄るが、すぐに手が止まった。
「胸を貫かれています。これだけの深手はエルフでもないと……」
「かまわん、やれ! 無理だというのはやってから言え!」
近衛騎士団長は必死になって治療しろと命じる。
だが、ジェイソンが彼を止めた。
「いや、その必要はない。裏切り者にはふさわしい末路だ」
彼もまた、ニコルへの発言に憤慨していた。
もちろん、フィッツジェラルド元帥に悪気があったわけではない。
ただ、
とはいえその一点は、ジェイソンとフレッドの二人にとっては見過ごせないほどの大罪に値した。
「あぁ……」
しかし、それはジェイソンとフレッドにのみ通じる事。
彼ら以外の者達は、フィッツジェラルド元帥の死に意気消沈していた。
最後の助け舟が沈んでしまった。
いや、自らの手で沈めてしまった。
一度は希望が見えただけに、その失望はより大きいなものとなっている。
――だが、こんな状況でも諦めない者達がいた。
「陛下、私にお任せください! 私がアイザックを討ち取ってみせましょう!」
「あぁ、先ほどの行動を見る限り、奴が首謀者だ。あの裏切り者を殺せば状況が変わるかもしれない。それに――」
「アイザックだけは見逃すわけにはいかない」
――このまま見逃せば、ニコルはアイザックの手に落ちてしまう。
二人にとって、当たり前の共通認識だった。
そうなるのを防ぐには、アイザックを殺すしかない。
ニコルを奪うために裏切った男を見逃すわけにはいかなかった。
「敵軍を突破し、アイザックの首を取る。あのような男に、王妃殿下を渡すわけにはいきません。この命に賭けても、やり遂げてみせます!」
「さすがはウィルメンテ将軍、その言葉を待っていた。わが友、そして我が妻の忠実なる聖騎士よ。信頼できる将軍がお前しかおらぬのが辛いところだ」
ジェイソンは周囲を見回す。
誰一人として、積極的に打開策の提案をしてこないのだ。
残った将軍達は信用ならない。
ジェイソンも、さすがに信頼できるのがフレッドのみという状況を心細く思う。
だが同時に、窮地において信頼できる友がいる事を頼もしく感じていた。
「脱出の方法は、こちらで考えておく。お前が奴を討ち取ってくるのを楽しみに待っている」
「……いえ、待たないでください」
「なぜだ?」
フレッドの言葉に、ジェイソンは不穏なものを感じて聞き返す。
「ウェルロッド侯爵軍を追い払ったとしても、私の部隊だけでは他の軍まで防ぎ切れません。状況次第ですが、私は南を突破して王都へ向かいます。陛下には先に脱出していただきたい」
「ウィルメンテ将軍、いやフレッド。そういう事なら、先に脱出しておこう。私の事は気にせず突っ走れ! そして、アイザックを討ち取るのだ!」
「はっ!」
二人は、まるでウェルロッド侯爵家を倒せることが当然のように話している。
それを周囲は「いや、それは無理だろう」と思いながらも、指摘する事ができなかった。
ジェイソン達が常軌を逸しているという事はわかっている。
そして、どうせフレッドの部隊が残っていても、このままでは周囲からすり潰されるだけ。
それならばいっそ、万に一つでもフレッドたちが大金星をあげてくれる可能性に賭けた方がまだ希望があるように感じたから、彼らを止めなかったのだ。
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フレッドが任されている部隊の兵数は三千。
――ダミアン率いる第三騎士団。
――フォスベリー子爵の率いる歩兵部隊。
――弓兵部隊。
――そして、ウィルメンテ侯爵家から連れてきた側近五十騎。
側近の中には、かつてニコルを襲ったマーク・ウォーデンもいた。
フレッドは彼にチャンスを与えるために、領地から呼び出していたのだった。
フレッドの部隊は本陣を離れ、南へと移動する。
目標はアイザックの首一つである。
だが、彼らの前にはランドルフ率いる一万五千の兵が立ちふさがっている。
まずはランドルフの部隊をどうにかせねばならなかった。
そこでフレッドが立てた策は――意外にも正攻法だった。
――最初は弓兵を前に出し、弓を撃ち合う。
――次に騎兵を突撃させて敵の陣形を乱し、歩兵が攻撃する。
騎兵が先か、歩兵が先かは指揮官の好み次第だが、さほど珍しいところのない戦術である。
フレッドにも正気が残っていたのか、誰もが「定石どおりだ」と思う戦い方を選んでいた。
しかし、この状況で取るべき戦術ではない。
ウェルロッド侯爵家は二つに軍を分けている。
半分ずつに分けたとすると、目の前の部隊は一万五千前後。
五倍の数の敵に正攻法で挑むなど正気の沙汰ではない。
ここはむしろ頭がおかしいと思われる作戦の方が正常で、普通の作戦を取る事の方が異常であった。
だが、将軍が命じる以上は仕方がない。
弓兵部隊の隊長は、渋々と命令に従っていた。
(せめて歩兵の指揮官がフォスベリー子爵でなければなぁ……)
彼は、どちらかといえばエリアス派である。
本来ならば、ウェルロッド侯爵家にすぐさま降伏したいところだったが、背後にはダミアンやフォスベリー子爵が率いている部隊がいる。
ジェイソン派の代表的な存在であるダミアンは言うまでもなく、彼の実父であるフォスベリー子爵もジェイソン派としての動きを見せていた。
そんな者達に背中を預けたまま降伏などできない。
すぐさま、攻撃されてしまうだろう。
そうなると、少しは戦うふりを見せながら、降伏する機会を待つしかない。
降伏が恥ずかしいなどとは思わなかった。
他国との闘いならばともかく、これは内戦だ。
しかも正当性は貴族側にあった。
大人しく降伏する方が正しい行いである。
堂々と降伏できる。
(俺が若いからって、こんな部隊に配属しやがって。本当にツイてない)
彼はエリアス派から誘いを受けていた。
本来ならば、キンブル将軍と共に行動していただろう。
しかし、フレッドの部隊を作る時に「若い指揮官には若い兵を」といわれて配属されてしまう。
誰かを配属させねばならない以上、誰かに貧乏くじを引かせねばならない。
その貧乏くじを、若いからと引かされていた。
だが貧乏くじを引かされたのは仕方がない。
今はどこで降伏するかを考えながら、形だけ戦う事を考える時である。
兵士達が本気で戦わないよう願うばかりだった。
「全軍前進!」
フレッドの号令がかかる。
やむなく部隊を前進させる。
ウェルロッド侯爵軍に近付けば近付くほど、数の圧迫感を実感させられる。
ある程度近付いたところで、部隊の足を止めた。
(馬鹿正直に戦う必要はない。弓を放つ間隔を空けて、あちらの被害を軽くして降伏しやすい状況を作ろう)
敵を倒せば倒すほど、恨みを買って簡単には降伏させてくれなくなる。
その事がわかっているので、あえて手を抜くつもりだった。
――しかし、ウェルロッド侯爵軍が、そうはさせてくれなかった。
「止まらないだと!」
驚きのあまり、思わず声が出てしまった。
普通であれば、お互いに弓合戦を行うところだ。
それなのに、ウェルロッド侯爵軍は止まらない。
盾兵を前にして、どんどん進んでくる。
(しまった! あの部隊の指揮官は、退き知らずのランドルフだ! 数に任せて圧し潰しにきたんだ!)
――数に劣る方が正攻法を取り、数に勝る方が定石から外れた手を打ってくる。
彼は戦場の不条理を感じていた。
だが、呆けてはいられない。
このままだと、一方的に圧し潰されて終わる。
降伏する暇すらないだろう。
一度、足を止めてもらう必要がある。
「目標、突出している敵部隊。放てー!」
まずは先陣を切っている千ほどの部隊に狙いをつける。
矢は盾で防がれる。
しかし、彼らの足は止まらない。
(おいおい、嘘だろ? そっちは勝ち戦だっていうのに、なんで命を惜しまないんだ?)
ウェルロッド侯爵軍の異常なまでの士気の高さに、彼は怯えていた。
第二射、第三射と放つが、やはりウェルロッド侯爵軍の先鋒は止まらない。
「もうダメだ。退こう」と思ったところで、なぜかウェルロッド侯爵軍の足が止まる。
(なぜだ?)
そう思った時――
「放て!」
――という号令が聞こえた。
同時にウェルロッド侯爵軍から、丸いものが投げ込まれる。
(油壷か?)
最初はそう思った。
だが、すぐに違うと悟った。
油壷は、攻城戦において使われるもの。
守城側が攻城兵器やはしごといった、攻城側が集まる場所に投げ込むから効果があるのだ。
野戦では効果が薄い。
――では、あれは何なのか?
それは、すぐに思い知る事になった。
――爆炎と轟音。
――絶叫と血煙。
阿鼻叫喚の地獄絵図が一瞬にして作り出された。
指揮官であった彼は騎乗していたが、音に驚いた馬が立ち上がり、馬上から振り落とされる。
「なんだ、何が起こった!」
幸い、受け身を取れたので大きな怪我はしなかった。
すぐに立ち上がり、周囲を見回す。
先ほどまでいた千の兵の内、半数以上が地面に倒れ伏している。
その誰もが言葉にならぬ悲鳴をあげていた。
無事な者達の中には、仲間の治療に当たるものもいたが、状況を受け入れられずに立ち尽くしているだけの者達も相当数いた。
「なんだ、何が起こった……」
他の言葉は出てこなかった。
近衛騎士団の訓練ですら見た事がなかったくらい派手な爆発である。
最初に思い浮かんだのは「エルフが協力している」というものだったが、それでは先ほど投げ込まれたものの意味がわからない。
頭がフリーズしてもおかしくない状況ではあった。
あったが、彼は自分の役目を果たす事を忘れてはいなかった。
「武器を捨て、まずは仲間の治療に専念しろ!」
さすがにこの惨状に追い打ちをかけてはこないだろうと考えたので、この命令を出す事ができた。
唯一の不安は「王国軍の兵士は皆殺しだ」と、ランドルフが命じないかどうかだった。
彼は武器を捨て「戦意を失った」というのを見せ、攻撃の手が止む事を期待していた。
指揮官として、敵の良心に期待するなど下策。
だが、同じリード王国の人間として、追い打ちをしないでくれる事を期待するなというのは酷な事なのかもしれない。
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