第487話 謝罪の使者
「詫びとは?」
(ナイス、爺ちゃん!)
ウィルメンテ侯爵とカニンガム男爵が屋敷を訪れていた時、モーガンは王宮にいた。
ブランダー伯爵を保証していたウィルメンテ侯爵の言葉を知らない彼が、カニンガム男爵からわけを聞きだそうとした。
その行動に、アイザックは心の中でガッツポーズを取る。
モーガンに問いかけられたカニンガム男爵は、呑気なアイザックとは違い、その身を強張らせていた。
それだけ重大な用件なのだろう。
「じ、実は……、ウィルメンテ侯がブランダー伯は信用できると保証した時の事です」
「保証……。あぁ、その話はランドルフから聞いている」
カニンガム男爵は、自分を見る周囲の目が厳しくなったと感じた。
それもそのはず、ブランダー伯爵を信用できると
彼が裏切った今、責任を追及されるのは当然である。
このような状況でなければ「代理を送ってくるなど言語道断」と切り捨てられていてもおかしくなかった。
(あぁ、その事ね)
周囲の緊迫した雰囲気とは違い、アイザックには余裕があった。
ブランダー伯爵が裏切ったとはいえ、すでにウォリック・ウィルメンテ両侯爵家が穴を埋めに行動している。
今は厳しい追及をする必要を感じなかった。
むしろ責任を追及して、ウィルメンテ侯爵に裏切られるような真似はしたくないとすら考えていた。
(まさか、こんなにすぐ弁明の使者を送ってくるとは。ウィルメンテ侯は思慮深いだけじゃなくて行動力もあるみたいだな。この状況は、むしろチャンスだと考えた方がいいのかもしれないな)
この問題はアイザックも無関係ではない。
――人の上に立つ者として、進言を聞き入れたアイザックにも責任がある。
アイザックが周囲の目を気にせず「お前があんな奴を保証したからだ!」と開き直れるなら、自分の責任は小さくできる。
しかし、
最高責任者と最終責任者はイコールではある必要はない。
ないが「俺は悪くない。お前だけが悪い」と、責任から逃れようとする者に人がついてくるだろうか?
これにはアイザックも「ついてこない」と断言できる。
自分自身、部下に責任を負わせるような上司の下に付くのは真っ平ごめんだからだ。
ウィルメンテ侯爵に責任を被せて、自分にとって都合の良い方向に持っていく事は可能だ。
しかし、誰かが――
「ウィルメンテ侯の進言を受け入れたのは誰?」
――と一言漏らすだけで、アイザックの優位は崩れ落ちる。
責任を押し付けるよりも、責任を取った上で、それ以上のリターンを得られる方法を選んだ方が得策である。
その事は以前から考えていた。
だから、アイザックはウィルメンテ侯爵に恩を売る方向で動こうと決断する。
「ウィルメンテ侯は失態を演じてしまった事を悔いております。汚名を返上するため、決死の覚悟で闘いに挑む所存でございます。また、戦後には被害を受けたウリッジ伯爵家への支援も、ウェルロッド侯爵家だけには任せず、必ずや手助けいたします」
下手な弁明など、アイザックには効かない。
何をどう考えても、カニンガム男爵には「失敗した分だけ精一杯頑張ります」という弁解しか思い浮かばなかった。
ならば、できる事を正直に話す事しか思い浮かばなかった。
だが、それが功を奏したのだろう。
アイザックが馬から降り、カニンガム男爵の肩に手を置いた。
「ブランダー伯を味方にできるという進言。それを受け入れたのは誰だか覚えていますか?」
「それは……、エンフィールド公です」
「そう、私です。進言したのはウィルメンテ侯でも、受け入れたのは私です。ウィルメンテ侯一人が悪いわけではありません」
カニンガム男爵は顔をあげる。
今、まさに「絶体絶命の窮地で、救いの手が差し伸べられる」という稀有な経験をしている事に驚いたからだ。
すぐさま心の中で、神に感謝の祈りを捧げる。
「ウィルメンテ侯は、ケンドラの義父となるお方という事が脳裏をチラつかなかったわけではありません。ですが、今回はそれだけで庇っているわけではありません。あれはマイケルが外務大臣に就く前の話です。状況が大きく変わってしまった以上、ウィルメンテ侯の責任を追及するのは酷というものでしょう」
「エンフィールド公……」
貴族間のパワーバランスを考えれば、将来親族になるとはいえ、ここで力を削っておいた方が得策である。
なのに、アイザックは責任を分かち合おうとしてきた。
「あとはお前に任せた」と最前線に逃げた親友との器の差を思い知らされ、カニンガム男爵は泣きそうになっていた。
「まさか、マイケルが外務大臣になるというのが、ウィルメンテ侯には予想の範疇だったのですか?」
「そんな事はありません! 完全に予想外の出来事でした!」
「そうでしょう。私も予想できませんでした。そして、あれがブランダー伯が裏切るきっかけになったと思っています。しかし、マイケルを大臣にするなどという暴挙は誰にも予測できないものです。『それを予測した上で進言しろ。外れたら責任を取れ』というのは、あまりにも無茶というもの。責任を押し付けたりはできません」
アイザックは、庇うだけではダメだとわかっていた。
そこで、厳しい意見を求めてモーガンに視線を移した。
「ウェルロッド侯はどう思われますか?」
いきなり話を振られて、モーガンは戸惑っていた。
だが、それを表に出したりはしない。
この状況で自分に話を振られた意味を考え、アイザックが求めているであろう答えを導き出した。
「エンフィールド公のお考えは一考の余地があります。私も同意したいのですが、そうはいきません。もし、これでエリアス陛下に何かあれば、誰かが責任を取らねばならないでしょう。どうしてもウィルメンテ侯への責任追及は避けられません。ブランダー伯から攻撃を受けているウリッジ伯も一言言うだけでは収まらないでしょう。この場で決められる事ではありません」
――アイザックが飴なら、モーガンは鞭。
そういう役割分担が必要だと思い、あえて厳しい事を言った。
孫との共同作業に頬が緩んでしまいそうになるが、必死に堪える。
「そうですね、すべてはエリアス陛下を無事にお救いできるかどうか次第です。今の段階でどうこう言えるものではありませんでした。それにアーサーさんの前で、今すぐに話すような事でもありませんでした。無神経な発言、申し訳ありません」
アイザックの言葉の後半は、アーサーに対して向けられていた。
「いえ、お気になさらず。ブランダー伯を味方に誘った経緯は存じませんので、私が口出しできる問題ではありませんし……」
アーサーは、こう言うしかなかった。
これからウェルロッド侯爵軍で保護してもらう立場だ。
表立って批判する事は難しい。
「この流れは計算されてのものか?」と疑うが、それを誰かに聞くわけにもいかない。
後日、父と話し合ってほしいと答える事しかできない自分に、彼は悔しさを覚える。
「カニンガム男爵、ウィルメンテ侯への責任の追及は避けられないかもしれません。ですが、ウィルメンテ侯一人にだけ責任を押し付けたりはしません。功を焦って、討ち死になんて事態になる方が困ります。戦後の事も考えねばならないのですからね。ウィルメンテ侯に無理をしないようにお伝えください」
「エンフィールド公……。そのお言葉だけで十分です。ウィルメンテ侯も心強く思われるでしょう。必ずや、そのお言葉をお伝え致します!」
モーガンは厳しい事を言っていたが、そちらは問題ではない。
アイザックがウィルメンテ侯爵を庇おうとしてくれた事が重要だった。
なぜなら、ウィルメンテ侯爵が最も恐れていたのは、アイザックの不興を買う事だからだ。
そのアイザックから責任の一部を受け持つという言葉を引き出せた。
大手柄と言っても過言ではないだろう。
カニンガム男爵が拍子抜けするほど、あっさりと話が進んだ。
「やっぱり今のはなしで」と言われる前に、彼は護衛と共にウィルメンテ侯爵のもとへと帰っていった。
(ここで恩を売っておけば、あとで役立つだろう。『情けをかけるなんてとんでもない愚か者め!』と裏切るようなタイプでもないだろうし……。大貴族としてのプライドが、そんな事をさせないはずだ)
アイザックが庇ったとはいえ、エリアスが死んだ場合、ウィルメンテ侯爵は罪悪感にさいなまれる事になるだろう。
その罪悪感を利用して、自分に有利な状況へ持っていく事は可能だ。
それを考えれば、多少は甘いと思われても十分なお釣りがある。
「アーサーさん。ブランダー伯を信じた私やウィルメンテ侯も悪いですが、一番悪いのはブランダー伯です。その事をご留意いただければ助かります」
「……わかりました。エリアス陛下が無事であれば、おそらくウリッジ伯も厳しく責任を追及しないでしょう。私も説得に協力いたしましょう」
「ありがとうございます。ウリッジ伯は、きっとウォリック侯やウィルメンテ侯が助けてくれるでしょう。接近中の王国軍も、フィッツジェラルド元帥が手を打ってくださっているはずです。楽観するのはよくありませんが、あまり悲観的になるのもよくありませんよ」
アイザックは「悲観的に考えるな」と、アーサーに伝える。
だが、それは自分自身に言い聞かせるための言葉でもあった。
(大丈夫、きっと上手くいく。そもそも俺の計画は、ジェイソンが逃げ出しても問題ないものだ。多少は余分に手間はかかるものの、成功させられるはずなんだ。失敗するかもとか思っちゃいけない)
――ブランダー伯爵の裏切り。
それはアイザックに不安を覚えさせるのには十分な事件だった。
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一方、その頃。
王国騎兵の突撃を受けたブランダー伯爵家では、大きな混乱が起きていた。
「死傷者多数! 指揮官の安否確認がまだできません!」
「ウリッジ伯爵軍に押し返されています!」
「前線指揮を執る者がいないため、前線が崩壊しつつあり!」
第一騎士団の突撃は、前線部隊を指揮していた貴族達の命を数多く刈り取っていた。
それが死傷者数以上の被害をブランダー伯爵軍に与え、被害を拡大させていく。
「なぜだ! なぜこちらを攻撃する! ウリッジに一撃を加えれば、そのまま包囲網を崩せるではないか! 勝てる状況なのだぞ!」
「閣下、勝ち目があるかどうかなど関係ありません。彼らはエリアス陛下のために戦っているのです。ジェイソン陛下に味方する者など、我らくらいしかおりません」
「そんなはずがなかろう! 近衛騎士はどうした! 指揮官が裏切らないように見張りぐらい付けているはずだ!」
「すでに攻撃されているのです。見張りを付けていたとしても、すでに無力化されています」
「そんなはずがない! そんなはずが……」
ブランダー伯爵は、がっくりと肩を落とす。
否定しているが、ただ秘書官の語る現実が受け入れられないだけなのだ。
彼もわかっている。
――もう終わりだという事を。
そんな彼の姿を見て、秘書官は周囲に目配せをする。
「閣下、時がきました」
「時だと?」
ブランダー伯爵が聞き返すと、周囲の秘書官や騎士達が集まってきた。
そして、彼らはブランダー伯爵を馬から引きずり下ろし、鎧を脱がせ始めた。
「何をするつもりだ! おい、誰か止めろ!」
当然、ブランダー伯爵は、このような暴挙を非難する。
だが、誰も助けには動かなかった。
ただ事態を見守っているだけである。
ブランダー伯爵は「裏切られた!」という考えが真っ先に浮かぶ。
部下にまで裏切られた悔しさで泣きそうになるが「みっともない姿を見せてやるものか」という意地で耐えていた。
この時、秘書官も馬から降りて、鎧を脱ぎ始めていた。
ブランダー伯爵の鎧が脱がされたのを確認して、彼は声をかける。
「閣下、もうおしまいです。このままではブランダー伯爵家はお取り潰しになるでしょう。今まで働いてきた褒美をいただきたく存じます」
――その身をエンフィールド公に引き渡す。
ブランダー伯爵には、そう言っているように聞こえていた。
そうとしか思えなかった。
しかし、秘書官の考えは違った。
それも正反対に。
「これまでの働きの対価として、閣下の鎧と馬を拝領致します。閣下は私の鎧を着て、領地か王都に落ち延びるなり、自由になさるとよろしいでしょう」
「……何をするつもりだ?」
先ほどと同じ言葉。
だが、そこに含まれている感情もまた正反対のものだった。
「特に何も。ただこの場にいるだけですよ」
頭に血が上ったブランダー伯爵でも、秘書官の言っている事の意味はわかった。
――影武者として、この場に残る。
ブランダー伯爵が逃げ出せば、一気に軍は崩壊する。
だが、形だけでも指揮官が残っていれば、ブランダー伯爵が逃げるだけの時間は稼げるはずだった。
先ほどの「時がきた」というのは「脱出の時がきた」という意味だったのだろう。
強引に事を進めたのも、ブランダー伯爵が認めないとわかっていたからだ。
「お前、なぜそこまで……」
このような状況になれば、もうブランダー伯爵を引き渡すしかない。
ブランダー伯爵自身、同じような状況になれば、きっと責任者を引き渡そうとするだろう。
しかし、彼らは違った。
以前から裏で結託していたのに、主君を助けるために行動している。
その理由がブランダー伯爵には想像できなかった。
秘書官は、フッと小さく笑う。
「お世話になったからですよ。他の者達も同じです。世話になった分、間違っている事でも閣下に従おうと決めたのです。それは傘下の貴族達も同様です」
「しかし、私は恨まれているはずだ」
部下はともかく、傘下の貴族からは恨まれている。
ランカスター伯爵家に慰謝料を支払うために、貸し付けていた金の返済を突然求めたからだ。
それは彼らも知っているはず。
(だが、なぜか彼らは私に従っている……)
今思えば、彼らはブランダー伯爵の号令に大人しく従い、ウリッジ伯爵軍を攻撃している。
恨んでいるのなら、こちらに襲い掛かってきてもおかしくない。
なのに、傘下の貴族達には裏切る様子はなかった。
そんな彼の疑問を感じとった秘書官が説明をする。
「傘下の貴族達は、閣下の行動に不満を持っておりました。説得に回った当初、当然のように協力を渋られました。ですが、一度だけは力を貸すと考え直してくださったのです」
「一度だけ?」
「ええ、過去の恩義に応じて一度だけは協力すると応じてくださいました」
秘書官は、貴族達が協力してくれる理由を説明し出した。
彼らは確かに借金の返済を強要された事を恨んでいた。
しかし、恩義も忘れてはいなかったのだ。
例えば鉱山を開発し始めた時、ブランダー伯爵は気持ちばかりではあるが、前祝いとして金を配った事がある。
他にも、事あるごとに気前のいい振る舞いをしていた。
それは鉱山からの収入が入る前からである。
ブランダー伯爵は欲深い人物である。
だからこそ、人に分け与えていた。
「自分が欲しいと思うものは、他の者達も欲しがるはずだ」と考えていた。
周囲に恩を売れば売るほど、その恩は目に見えぬ形で返ってくると信じていたからだ。
だが、その恩は忘れられたと思っていた。
――今回の裏切りに賛同してくれたのは「勝ち目がある」と思っての打算。
そう思っていたが、違ったらしい。
ブランダー伯爵の目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「私欲ではなく、私に付いてきてくれていたというのか……」
それは感謝の涙ではない。
打算ではない彼らの行動に気付けなかった悔恨の涙であった。
「ウォリック侯爵家が混乱に陥った時、閣下は隙を逃さず鉱山開発に手を付けました。一歩間違えれば、ウォリック侯爵家を敵に回す危険があったにもかかわらずです。その判断力と決断力に、我らはよきお方に仕える事ができたと喜んでおりました。今回は相手が悪すぎただけです。……閣下、落ち延びてください。願わくば、命を惜しんで惨めに生き長らえるのではなく、再起を図って前向きに倒れていただきたいというのが、家臣一同の思いです」
秘書官の言葉に、ブランダー伯爵は奮い立つ。
「前向きにとはいえ、まだ倒れるつもりはない。奴らもジェイソン陛下を弑逆したりはせんだろう。王都に行けば、まだ近衛騎士団の残りがいる。奴らを使って王国軍をまとめ、時間を稼ぐ。そのあと、前王陛下を使って和平交渉に持ち込むなどもできるかもしれん。まだやれる事は残っている」
「ええ、閣下ならばきっとやれますとも。今ならば間に合うはずです。早くお逃げください」
「すまぬ……。お主らの家族の面倒は必ず見ると約束する」
ブランダー伯爵は、秘書官の鎧を着て彼の馬に乗り、わずかな護衛を連れて落ち延びていった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、彼は振り返らなかった。
ここで感情に任せて足を止める事の方が無責任である。
まだ諦めはしない。
諦めるのは打つ手が完全になくなってからでも遅くはないとわかっていた。
だから、皆の覚悟を無駄にしないため、王都に向けて必死に馬を走らせる。
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