第479話 包囲網の懸念
ダッジは緊張した面持ちで、皆の前に立っていた。
アイザックに「やる気はあるのか?」と疑われた事により、これが一種のテストのようなものだと感じていたからだ。
彼の考えは正しい。
もし役に立たないと判断されたら、本当にアイザックの家庭教師として扱われてしまう。
もう「参謀」だとか「補佐」などという、アイザックをサポートする立場にはなれないだろう。
彼の意気込みは本物である。
先に出発し、エメラルドレイク周辺の状態を確認してきたくらいだった。
「まずは戦略目標である、ジェイソン陛下の捕縛について」
ダッジは新参のよそ者だ。
もう「陛下」と呼ぶ必要のない状況であっても、ジェイソンは王族である。
呼び捨ててリード王国の貴族達の心証を損ねないために、ジェイソンに陛下を付けていた。
「懸念の一つであった、湖を横断しての逃走。これは舟が撤去されていたので、おそらく大丈夫でしょう」
「それはエメラルドレイクが戦場になると聞いて、真っ先にやった事だ」
ランカスター伯爵が、前準備を整えていてくれたらしい。
「怪しまれず、南岸に布陣してもらうにはどうすればいいのか? そう思った時、王都を出た事のないジェイソンに、エメラルドレイクの美しさを見物してもらう事を思いついた。湖岸にロッジを建て、船や漁師小屋を移設する。そして、景色が映えるように庭師によって手を加える。あそこに一泊させるのにはいい口実だろう。それだけではない」
ランカスター伯爵は胸を張って、誇らしげにしていた。
「演説台も同時に建設した。出陣式は王都で行われる。本来ならば我らはすでに出陣しているところだが、東に手を伸ばす第一歩という歴史的な瞬間を我らも味わいたい。そう伝える事で、エメラルドレイク近辺で我らが待っている事の説明とする。これならば怪しまれずに待ち伏せする事ができ、ジェイソンを街に入れずに湖岸へと押し止める事ができる。どうだ?」
「お見事です。ランカスター伯は、相手の警戒を解くのに必要な事をやってくださりました」
「私はエンフィールド公の外部相談役なのだ。事前の準備くらい、やってみせるとも」
「エンフィールド公の? なるほど、さすがですな」
ダッジは舌を巻く。
ランカスター伯爵は、モーガンの前の外務大臣である。
そのような男が隠居もせず、当主のままで他家の相談役になっているという。
異例の事だ。
(だが、エンフィールド公が頼りにするのもわかる気がする)
外部相談役という役職は知らない。
しかし、その名称から、アイザックが相談を持ち掛ける相手だという事はダッジにもわかった。
今も計画の穴を、的確に埋めてくれた。
ランカスター伯爵は、きめ細かな心配りのできる男であり、アイザックが頼りにするのもわかる気がした。
(そういえば、そんな事を言った事あったなー)
だが、アイザックは「そこまで誇らしげにされても恥ずかしい」と思うだけだった。
「では最初の懸念が解消されたところで、布陣の問題についてお話しいたします」
ダッジは地図を広げ、駒を置いていく。
それは今後展開される包囲網の布陣であった。
「まずは西の西側諸侯の軍ですが、こちらはブランダー伯爵家の裏切りがなければ突破を許さないでしょう」
「ブランダー伯の裏切り?」
ウィンザー侯爵が口を挟む。
彼の目は、アイザックに説明しろと語っていた。
「マイケルが外務大臣になった事で、ジェイソンに積極的に協力をしていたと思われても仕方のない状況になりました。ブランダー伯はマイケルを大事にしているようなので、裏切る可能性もあると考えています」
「そのような気配はなかったが……」
「私達と同じですよ。ジェイソンに形だけの忠誠を誓い、味方のフリをしている可能性もあります。ですが、王都でウォリック侯やウィルメンテ侯が捕縛されたという話は聞かないので、ただの杞憂かもしれません。しかしながら、可能性の一つとしてダッジに裏切った場合を考えさせています」
「万が一というわけか。そういう事ならば悪くない」
ウィンザー侯爵だけではなく、ランカスター伯爵達も納得した。
あくまでも非常時に備えるだけ。
いきなりブランダー伯爵家に奇襲を仕掛けるわけではないので、考えるだけならいいだろうと思っていた。
「ブランダー伯爵家が裏切った場合、どこに布陣しているのかによって影響が変わります。ウォリック、ウィルメンテの両家の間に布陣していれば、両家の連携を断ち、王国軍の半数でも突破は可能となるでしょう。しかし、両家が隣合わせで布陣していれば連携を取りやすく、不測の事態にも一塊として対応できるはずです」
これは他家の陣営との連絡に時間がかかる故の問題である。
無線機がないため、即時の意思疎通が難しい。
ブランダー伯爵家が両家の間に布陣して裏切った場合、どちらが王国に対応し、どちらがブランダー伯爵家に対応するのか相談できない。
どっちつかずの対応になり、王国軍の突破を許してしまう可能性があった。
「ですが、これは対処可能な問題です。先に到着している我らが、野営の準備をしておけば対処できます。各家の布陣してほしい場所に、必要なテントやかまどを用意する。軍の規模が違うので、両侯爵家に布陣してもらいたい場所は指定できるでしょう」
ダッジは懸念を示すだけではなく、解決方法も考えていた。
侯爵家の軍は、およそ一万五千。
それに対し、伯爵家は五千ほど。
さすがに一万五千人分のテントが用意されている場所に、五千の兵で割り込みはしないだろう。
ウォリック侯爵家と、ウィルメンテ侯爵家が連携を取れる状況を作り出す事は容易なはずだった。
「先代か先々代の時代でしょうが、彼らと戦った時は正規軍にも匹敵する力量を持っていました。両侯爵家の連携が取れるのであれば、西側の心配はないでしょう。失礼を承知で申し上げますが、不安があるのは東側です」
「ウォリック侯爵家やウィルメンテ侯爵家と比べれば、練度に差があるからだな」
戦力に不安があると言われたウィンザー侯爵と、ランカスター伯爵はあまりいい顔をしなかった。
しかし、それは承知している事である。
指摘されても反論したりはしなかった。
「これも昔の経験ですが、ウィンザー侯爵家やランカスター伯爵家の軍に苦戦した覚えがありません。王国正規軍相手には勝てないでしょう」
ダッジは歯に衣着せぬ物言いをする。
それをウィンザー侯爵達は、やはり止めなかった。
今は面子を気にしている時ではない。
勝利するために必要な行動を取る時だとわかっていたからだ。
「フィッツジェラルド元帥が王国軍を離反させる予定だそうですが、半数を離反させても王国軍なら突破口を開く事ができるでしょう。ジェイソン陛下に従う兵の数次第では戦局はどう転ぶかわかりません。東に逃げられても、やはり戦略目標は達成できません」
ダッジが地図を指し示す。
「包囲を突破後、軍と行動を共にするとは限りません。軍を小規模の部隊に分けて散開して追っ手を混乱させ、平民に変装して王都に向かう。または他国へ落ち延びるという行動を取られたら、禍根を残す事になります。エリアス陛下を救出できても、リード王国は紛争の種を残す事になります」
「なら私達は騎兵を援護に動かせるように準備しておこう。騎兵で側面を突けば、王国軍の足は止まるだろう」
ランドルフが対策を述べる。
それは妥当なものだった。
「フィッツジェラルド元帥が、ジェイソンの背後を突いてくれればいいのだがな。さすがにそこまで期待するのは酷だろう」
モーガンの願望は、実現する可能性は低そうだった。
いくらジェイソンに従っているとはいえ、つい先ほどまで味方だった者達に襲い掛かるのは心理的な抵抗があるはずだ。
利害関係のある指揮官クラス以上ならともかく、兵士達は命じられても動けないだろう。
「戦わずして敵の数が減る。それだけでもありがたいと思うべきでしょうね」
アイザックも、フィッツジェラルド元帥が兵を率いて戦ってくれるとは思ってはいなかった。
そもそも、そこまで割り切りのいい人物なら、少しは噂が流れているはずである。
そのような噂を聞かない以上、離反工作をしてくれているだけ感謝しなければならない。
「王国軍の半数である一万五千前後。それだけ離反させていただければ、ウェルロッド侯爵家からの援軍で東側はしばらく耐えられるでしょう。ですが、一万程度しか離反できなかった場合、西側からの援軍がやってくるまで防ぎ切るのは厳しいと思われます」
できれば聞きたくはなかった言葉である。
しかし、耳を塞ぐ事はできない言葉でもあった。
ソーニクロフト攻防戦で、ウェルロッド侯爵家は包囲下にあったフォード元帥の軍に痛い目に遭わされた。
それはランカスター伯爵家の軍も同じである。
正面切って突撃を仕掛けられた場合「一兵も漏らさずに防ぐ」というのは厳しいだろう。
「フィッツジェラルド元帥の働きが予想を下回った時の事を考慮しておくべきでしょう。これは元帥の能力の問題ではなく、状況が裏工作を許さなかったという状況を想定してのものです」
王都の状況がわからない以上、彼が自由に動けるという前提で物事を考えるのは危険だ。
ダッジは、フィッツジェラルド元帥のフォローも忘れなかった。
「そして、ウェルロッド侯爵家が陣取る南側ですが……。ある意味、一番危険かもしれません」
「どういう意味ですか?」
ランドルフが尋ねる。
今のウェルロッド侯爵家は三万の兵を擁し、擲弾兵もいる。
こちらに向かってくるとは思いもしない事だった。
「王国軍が包囲された。その時、ジェイソン陛下は誰の差し金だと思うでしょうか?」
「……エンフィールド公だろうね」
今の言葉で、ランドルフも理由がわかった。
将軍達が止めるだろうが、ジェイソンが首謀者であるアイザックを狙う可能性も残っている。
軍の殲滅や突破ではなく、アイザック一人を狙って全軍が襲い掛かってくれば、下手をすれば討ち取られるかもしれない。
あまりにも無謀な企みではあるが、今のジェイソンなら「ない」とは言い切れないものだった。
「その通りです。それに個人的な恨みだけではありません。エンフィールド公が戦死すれば、エリアス陛下派の諸侯の間で主導権争いを生み出す事ができます。今は経験豊富なウェルロッド侯やウィンザー侯がおられますが、いつまでもおられるわけではありません。代替わりした時に、派閥争いが表面化するでしょう。その時、ジェイソン陛下が存命であれば、担ぎ出す者が現れる可能性があります」
――ジェイソンは、エリアスが助け出されたあと幽閉される。
エリアスの一人息子であり、やはり直系の後継者という立場は強い。
事件を起こしたので継承権の剥奪と、二度と表舞台には出られないよう幽閉はされるだろうが、命までは取られない可能性が高いと思われていた。
そう考えている者は多い。
ダッジも、その一人だった。
争いでは、使えるものは使う。
幽閉されているジェイソンを正統な後継者として担ぎ出し、傀儡にして実権を握ろうとする者が出てくる可能性はある。
ジェイソンにも復権のチャンスが訪れるという事だ。
しかし、それもアイザックがいなければの話である。
今、リード王国でジェイソンの処刑を主張できるのは、アイザックだけだ。
そして、ジェイソンの復権を阻止できるのもアイザックくらいだろう。
一時の屈辱を味わったとて、未来に期待を残すのならば、今この場でアイザックを殺すしかない。
ウェルロッド侯爵家に総攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にあった。
「しかしながら危険が迫ったからといって、すぐさま逃げるような真似をすれば、閣下の評判に関わります。王国軍を迎撃する用意はしておくべきでしょう」
「手榴弾があるではないか。あれで撃退できるのでは?」
「無理です」
モーガンの疑問に、ダッジはハッキリと否定した。
アイザックは天を仰ぐ。
ダッジにも、手榴弾の弱点を見抜かれてしまっていたからだ。
「なぜだ?」
「相手が数百、数千ならばともかく、万を越える相手には擲弾兵が少なすぎるからですよ」
ダッジの代わりに、アイザックが答えた。
「せめて千名ほどいれば、交互に投げる事によって近寄らせない事ができます。ですが、今の人数では隙ができてしまいます。駆け寄ってくる敵に対して投擲できるのは二度か三度が限度でしょう」
アイザックの知る、前世の手榴弾であれば、ピンを抜いて投げるだけなので隙は少ない。
だが、今の手榴弾は原始的なもの。
手元で爆発せぬよう、導火線が火薬に着火するまで十秒以上の余裕を持たせている。
鎧をきた兵士でも駆け寄ってくれば、二度目の投擲の時には目前に迫ってきているだろう。
整列して、ゆっくりと迫ってきてくれない限り、一方的な攻撃とはいかないはずだ。
「ダッジも気付いていたんだね」
「訓練を見ていて気付きました。扱いが難しい武器なので、安易に擲弾兵を増やせばいいというものではありません。閣下のおっしゃる通り、従来の兵士が必要とされる時代は、まだまだ続くでしょう」
ダッジは包囲網の弱点を検討する際に、擲弾兵がどの程度期待できるかを調べていた。
その時に、擲弾兵の弱点を見抜いていたのだ。
彼は、アイザックの言った「やる前に諦めるな」という言葉の重さを実感させられる。
まだまだ従来の兵士を必要とする時代は続く。
という事は、自分の存在も無価値ではないのだと、前向きに取り組むきっかけとなっていた。
「その擲弾兵というのは?」
ウィンザー侯爵が、至極当然の質問をする。
「擲弾兵というのは――」
彼の疑問に、アイザックが答えた。
その概要を聞き、ウィンザー侯爵達は目を丸くする。
「ドワーフの道具を使った新兵器か……。恐ろしそうだが、ダッジ殿の言うように、弱点もあるものらしいですな」
「まだ試作段階で、武人の蛮用に耐え得るものかもわかっていません。実戦投入にはもう少し時間がほしかったですね」
「しかし、あるのとないのとでは大違いでしょう。過大な期待をしなければ、戦局に影響を及ぼす可能性もあります」
「そうであってほしいとは思いますが……。兵士達に新兵器があると勇気を与える存在として期待するくらいでいいでしょう」
アイザックも、いきなり実戦で大活躍するとは思っていない。
今は威嚇できれば十分だと思うべきだ。
力を発揮するのは、間断なく前線に鉄の嵐を吹き荒らす事ができるようになってからだと考えていた。
「話が逸れてしまいました。続けてください」
アイザックがダッジに先を促す。
「もし、二万の王国軍が突撃してきたら、閣下は後先考えずに逃げられた方がいいでしょう。一万五千以下なら、なんとか耐えられるでしょう。ウェルロッド侯爵軍は、ここ数年で二倍に増えています。新兵が多く、数による威圧以上の結果を期待するのは酷というもの。数を過信せず、他家との連携を重視されるべきです」
「思っていたよりも厳しい状況なのだな……」
セオドアが頭を抱える。
一か所、包囲網のどこかが決壊するだけで戦略的に敗北しかねない状況だ。
圧倒的有利だと思っていたが、予想は大外れだった。
気持ちが沈み込む。
「ですが、これは『王国軍に逆転の目があるとすれば、どういう状況か?』を想定したもの。実際は混乱し、上手く動けない可能性の方が高いと思われます。楽観的になるのはいけませんが、悲観的になり過ぎても勝機を逸してしまいます。不測の事態を想定し、救援をすぐさま送れるように準備をしておく。それでいいのではないでしょうか?」
ダッジは、アイザックに「この検討結果はどうだ?」と言いたそうな視線を送る。
「現在の不安箇所を指摘してくれた。ダッジには単に私に同行している家庭教師という立場ではなく、ウェルロッド侯爵家本陣にて、作戦行動に助言を与える者として働いてもらいたい」
「喜んでお引き受けいたします!」
ダッジは「アイザックに認められた」と喜んだ。
他国から来た新参者なので「指揮官や参謀に」などとは言えないものの、実質的な軍師ポジションを与えられたからだ。
かつての敵国で積極的に働く事に思うところがないわけではないが、それでも力を認められた事は嬉しいものである。
「ただ、王国軍の離反がスムーズに進むよう、先制の一撃を何か考えておきましょう。こちらからもフィッツジェラルド元帥に支援をしなくては」
アイザックは考え込む。
物理的な奇襲では、離反する兵士達に攻撃してしまいかねない。
精神的な奇襲が必要だろう。
しかし、精神的なものなら意外と簡単かもしれない。
――アイザックには、大義名分があるのだから。
考え込むアイザックを、ランドルフが肘でつついた。
「なんでしょう?」
「アイザック、まだウィンザー侯達に報告をする事が残っているんじゃないか?」
エンフィールド公ではなく、アイザックと呼ぶランドルフの顔はニヤけていた。
ダッジの報告が終わったところで、朗報を知らせろというのだろう。
気持ちはわかるが、アイザックは恥ずかしがった。
「私達に? どのようなものでしょう?」
ウィンザー侯に急かされる。
こうなっては言うしかない。
アイザックは顔を少し赤らめさせる。
「実は……、出陣前にパメラから月のものが遅れていると聞かされました」
「ほう、それは吉報ですな」
「なんとめでたい!」
義祖父と義父は驚きながらも、喜んでいた。
結婚の経緯や、裏事情を知っていても、嬉しいものはやはり嬉しいらしい。
「おめでとうございます」
ランカスター伯爵とダニエルは祝いの言葉をかけながらも、少し残念そうだった。
もしパメラに子供が生まれなければ「相性が悪いのでは?」と、ジュディスを送り込むチャンスもあったからだ。
それはソーニクロフト侯爵も同じ。
ロレッタに聞かせたくない事を聞いてしまったと思っていた。
「この内戦の事後処理が終わる頃には、結果がわかっているでしょう。結果を聞くためにも、皆さんの奮闘を期待しております」
「無論、逆賊ジェイソンになど負けませぬ!」
最後までジェイソンを信じていたのに裏切られてしまったウィンザー侯爵が、力強く応じる。
あとは人事を尽くして天命を待つだけ。
ここまできた以上、あとは勝利を信じて突き進むのみである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます