第480話 湖岸での布陣

 六月十一日。

 王国軍が、エメラルドレイクに到着した。


 ジェイソンから呼び出しがあったので、アイザック達の間に緊張が走る。

 しかし、これは予想されたもの。

 もし、誰かがジェイソンに裏切りを伝えていたとしても、対処できるように準備はしている。

 ここで呼び出しに応じない方が怪しまれるので、大人しくジェイソンのもとへ向かう。

 先日到着していたブリストル伯爵も一緒だ。


 向かう途中、誰もが暗い表情を見せていた。

 これは「裏切り者がいるかもしれない」という心配だけではなく、明日にも戦うかもしれない相手と会う事に対しての葛藤があったからだ。

 相手はジェイソンなので、どうしてもその事を意識してしまうせいだ。

 腐っても王族である以上、この思いは避けられないものだった。

 だが「やっぱりやめよう」などと言う者はいない。


 ――ジェイソンを捕らえ、自分の行動が過ちだったとわからせる必要がある。


 誰もが、そう思っていたからだ。

 だから暗い顔はしていても、目には強い力を宿していた。


 本陣に到着すると、そこにはアイザックが予想していなかったものが視界に入った。


(うわっ、でけぇ! こんなの作ってたのか!)


 ランカスター伯爵が「ロッジを建てた」と言っていたので、アイザックはログハウスのようなものを想像していた。

 しかし、目の前にあるのは屋敷と呼んでも遜色のない代物だった。

 ジェイソンを騙すための急造品だと思われないように気合を入れたのだろう。

 戦場に作るには、もったいない気がした。

 だが、そこまでするから効果も期待できる。

 ロッジの造りから、ランカスター伯爵の意気込みが感じられた。


 ジェイソンは食堂にいた。

 大きな建物とはいえ、人が集まって話せる場所が限られるのだろう。

 さすがに会議室までは作る余裕がなかったらしい。


「諸君、よくきてくれた。特にソーニクロフト侯、貴公まできてくれた事を嬉しく思う」

「はっ。エンフィールド公より、魅力的な提案を受けた事。ファーティル王国に未来を望めない事。そして、ジェイソン陛下の広大な思想に感銘を受けた事により、リード王国に降ると決めました」

「ソーニクロフト侯を歓迎する。座ってくれ」


 ジェイソンに促され、アイザック達は席に座る。

 本来ならアイザックはジェイソンの次席に座るところだが、ソーニクロフト侯爵やニコラスと共に末席に座った。

 これは彼らの寝返りを説明するためである。


「陛下もお疲れでしょうが、まずはご報告を。ソーニクロフト侯爵家は、私の説得により寝返りを約束してくださいました。その証明として、ニコラスをウェルロッド侯爵家に人質として預ける事を了承していただきました。その他にも積極的な協力をしていただく予定です。その内容は、ご本人から説明していただきましょう」


 アイザックは、ソーニクロフト侯爵に話を振った。

 これは予定通りの流れである。

 ソーニクロフト侯爵には、一芝居を打ってもらう事になっていた。


「リード王国が攻めてくるという知らせは、私のところで止めています。ファーティル王国では、リード王国軍は国内を通過するだけで、そのままロックウェル王国へ攻め込むという話になっております」

「ほう」


 ジェイソンが微笑む。

 ソーニクロフト侯爵の話が事実ならば、ファーティル王国を攻める時には完全な奇襲になるという事だ。

 しかも、ソーニクロフト侯爵領を安全に通過し、王都付近での奇襲である。

 そのまま一気に王都を陥落させる事も可能だろう。

 アイザックの策に乗った甲斐があったと喜んでいた。


「そして、私が・・積極的な協力をするべきだと進言しました。今、ファーティル王国で兵糧を要所に集めさせています。主にソーニクロフトと王都のアスキスにです。十万の兵を半年は養える量が集まっています。きっと陛下の覇道の手助けになるでしょう」

「兵糧はあって困る事はありません。事前に準備しておいてくれるのは助かります」


 フィッツジェラルド元帥が、ソーニクロフト侯爵の配慮に感謝する。

 彼はアイザックの手が回っている事を知っている。

 実際は、エリアス派への支援だろうという予測はついていた。


 だが、裏工作を知らない者達は違う。

「王都アスキスまでは簡単に攻め込む事ができる」と思っているので、ソーニクロフト侯爵は兵糧を奪いやすくしてくれたのだという意味で受け取っていた。


「そこで念のために伺っておきたい事があるのですが……」


 ソーニクロフト侯爵が、媚びる視線をジェイソンに向ける。


「西半分をソーニクロフト侯爵家にいただけるとの事でしたが、アスキスの扱いはどうなるのでしょうか?」


 ファーティル王国の王都アスキスは、ちょうど中央部にある。

 裏切りの対価として西半分をもらえるという約束ではあるが、そこにアスキスが含まるかどうかは大きな違いである。

 ニコラスとロレッタが結婚し、ソーニクロフト侯爵家が今の王家に取って代わる存在となる。

 だが、王都を領有しているかどうかの差は大違いだ。

 やはり「正当な支配者」という印象を国民に与えるには、王都を領有しておいた方がいい。


 しかしリード王国としては、アスキスを直接統治しておいた方が新たな支配者としてアピールしやすい。

 ソーニクロフト侯爵家に与えるよりも、直接統治の方がリード王国には都合がいいのだ。

 簡単に「褒美として与える」とは言えない問題だった。

 ジェイソンも考え込む。

 ここでアイザックが援護を行う。


「最初の一歩というのは、何事においても大事なのではありませんか? 特に協力者を厚遇する事により、今後の切り崩しも容易になるという副次的効果もございます。それにソーニクロフト侯爵家にアスキスを任せた方が、我らのためにもなります。ファーティル王国の民も、王都を直接支配するソーニクロフト侯に恨みを向けるでしょう。陛下にとって悪い話ではありません」


 アイザックの歯に衣着せぬ言い様を心配して、ジェイソンはソーニクロフト侯爵の様子を確認した。

 彼は動揺したりせず、堂々とアイザックの言葉を受け止めていた。

 その様子から、裏切り者と後ろ指を指されるのを覚悟をしているように見える。


(それもそうか。アスキスを支配するどうこうの問題ではない。この場にいる時点で、すでに裏切り者なのだ)


 ――どうせ裏切り者だと思われるのなら、汚名を一手に引き受ける。


 アイザックあたりが言いくるめたのであろう事は想像に難くない。

 それならば、アスキスはソーニクロフト侯爵家に譲ってもいいかもしれないと、ジェイソンは思い始めた。


「……よかろう。アスキスを含む、ファーティル王国の西半分をソーニクロフト侯に協力の見返りとして与える」


 ジェイソンの目的は、ファーティル王国だけではない。

 もっと広い範囲を見ている。

 アスキスにこだわってケチがつくよりは、次の段階へ弾みをつける一手を打った方がマシである。

 ならば、アスキス一か所くらいはくれてやればいい。

 そう踏ん切りを付けた。


「ありがとうございます! 我らソーニクロフト侯爵家は、ジェイソン陛下の御為に微力を尽くします」

「精一杯、務めさせていただきます」


 ソーニクロフト侯爵に合わせて、ニコラスは感謝の言葉を言う。

 ニコラスとしては、芝居とはいえ複雑な心境だった。

 ほんの二ヶ月前には、ジェイソンに殺されそうになるところだったのだ。

 その相手に、媚びへつらうのは辛い。

 しかし、これも必要な事だとわかっている。

 怪しまれないよう、必死に表情を作っていた。

 そんな彼を見て、ジェイソンがフフフッと笑う。


「ニコラス、無理はしなくていいよ。君はまだ未成人だから、貴族としての経験が浅い。過去の恨みを簡単に割り切る事はできないだろう?」

「いえ、恨みなど……」

「そうかな? フフフッ」


 ジェイソンは、ニコラスの本心を見抜いているのだろうか。

 恨んでいないという言葉を笑って流した。

 だが、恨んでいる事を問題にする気配はない。

 むしろ、愉快そうな表情を浮かべていた。


「皆が従順に従うばかりではつまらない。君が大人になって力を付けた時、まだ恨みを忘れていなかったら立ち向かってくるといい。そういった苦境が私を大きくしてくれるだろう」


 どうやら、ジェイソンは事態が上手く進み過ぎている事に不満を持っていたらしい。

 ニコラスが強大な敵として、敵対してくる事を楽しみにしているようだ。


(言っている事は格好いいんだけど、実際は敵ばかりなんだよなぁ……)


 そんな彼の余裕の態度に、アイザックはどう対応していいのか困っていた。

 笑うわけにもいかないし、憐れむわけにもいかない。

「知らないとはいえ、この状況でそれを言えるのは大物だなぁ」と思いつつも、気まずいので止める事にする。


「陛下、お戯れはそこまでに」

「エンフィールド公の言う通りだな。すまなかった。王都の外に出たのは初めてなのでな。少し浮かれてしまっていたのかもしれん」


 アイザックが止めると、ジェイソンは意外と素直に聞き入れた。


「それに、エンフィールド公が予想通りの働きをしてくれたので、安心してしまったのだろう。一部の者が、エンフィールド公は裏切ると主張していたからな」

一部・・の者ですか……」


 アイザックには心当たりがある。

 どうせフレッド達が「警戒しろ」と言っていたのだろう。

 この場にいない事から「頭を冷やせ」と席を外させたであろう事が読み取れる。

 ジェイソンも名前を出さなかったので、アイザックも深く追及はしなかった。


「そのような疑惑を持たれるのも仕方ないでしょう。ソーニクロフト侯爵家は親族です。説得に失敗したら、情を優先してリード王国を裏切るかもしれませんから。……もちろん、私にも情があります。ですが、だからこそ勝てる側にソーニクロフト侯を誘ったのです。それが私なりの情のかけ方です」

「わかっているとも。ソーニクロフト侯を説得しただけではなく、兵糧まで確保してくれたのだ。もう、そのようなふざけた事は言わせない。例え誰であってもだ」


 アイザックは、ジェイソンの信頼を勝ち取ったようだ。

 フレッドなど、付き合いの長い者達よりもアイザックを選ぶと言ってくれた。


(これが本当に忠誠を捧げた相手に言われたのなら、今の言葉は嬉しかったんだろうな)


 そう思わされる言葉だった。


「ありがとうございます。その信頼に応えられるよう、今後もリード王国のために働き続けます」

「うむ、頼んだぞ」


 ジェイソンは、力強くうなずいた。


 ――その相手が、裏切り者だとは気付かずに。


「ところで、出陣式をやってほしいとの事だったが――」

「――是非ともお願いいたします」


 モーガンが食い気味で頼み込む。


「先の戦争でも、当家やランカスター伯爵家は出陣式に参加できませんでした。しかも今回は陛下が偉大な一歩を踏み出す瞬間。我らも歴史的な瞬間に立ち会いとうございます。お言葉をいただければ、兵達の士気も上がりましょう。是非ともお願いいたします」

「わかった、わかった。そう急くな。やらぬとは言っていない。引き受けると答えようとしていたところだ」


 モーガンが勢いよく食いついてきたので、ジェイソンは苦笑いを浮かべていた。

 ファーティル王国へ援軍を送り出す時、モーガンやウィンザー侯爵が出陣式に参加していたのは知っている。

 だがモーガンが言っているのは、そういう意味ではないという事はわかっていた。

 当主だけが参加していればいいというものではないのだ。


 ――整列して、国王の演説を聞く。


 それだけでも、軍の一体感は変わる。

 あまり軍の強くない東側諸侯には大きな事なのだろう。

 これから死を覚悟して戦ってもらう相手だ。

 演説くらいは、どうという事はなかった。


「命を賭して戦場へ向かう者達に言葉を惜しむつもりはない。喜んでやらせてもらう」

「ありがとうございます」


 モーガンに合わせて、他の者達も感謝する。

 その様子に、ジェイソンも満足そうにしていた。


「どうせならば、出陣式は全軍が揃ったところでやるのがよろしいでしょう。明日にはウォリック侯とウィルメンテ侯が到着し、明後日にはブランダー伯とウリッジ伯の軍が到着します。明後日、全軍が集結したところで出陣式を行い、順次出発という事でよろしいのではないでしょうか?」

「それで構いません」


 全軍が集まったところで行動するのは事前に決めていた事。

 自然な流れで集結する事ができるので、否定する必要などない。

 フィッツジェラルド元帥の提案に、皆が賛同する。


「では明後日だな。演説台まで建てられているのだ。私も気合を入れないといけないな」


 ジェイソンが笑うと、アイザック達も合わせて笑顔を見せていた。

 しかし、腹の内では、笑ってなどいなかった。

 失敗を挽回できた事に、心底安堵していた。


(今回のMVPは、ランカスター伯だな)


 宿営地は、王国軍を包囲する形にはなっていない。

 怪しまれないよう、東西に広がる形で布陣している。

 だが、出陣式を行うという名目でなら、自然な形で本陣を取り囲むように動く事ができる。

 計画の詰めの甘さを、周囲の配慮により助けられた事を深く実感していた。

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