第478話 出陣の時

 五月下旬。

 ウェルロッド侯爵家が軍を動かす時がきた。

 時期的に、そろそろ西側諸侯の軍が王都に到着する頃である。

 先にランカスター伯爵領に到着し、迎え撃つ準備をする必要があったからだ。


 ――ジェイソンとの闘いに向かう。


 まだ八歳のケンドラも、戦争にいくという意味がわかっていないものの、その異様な雰囲気を感じ取っていた。


「私達は貴族の義務を果たそうとしている。もしかしたら、もう会えなくなるかもしれない」


 ランドルフがケンドラに優しく諭すように話しかける。

 そして、泣きそうになっている妹の姿を見て、アイザックが厳しい目で父を見ていた。


「だけど、みんなで笑って暮らすためには戦わないといけない時もあるんだ。そして、今がその時だ。でもね、私だってまだ死ぬつもりはない。アイザックの結婚式だけじゃなく、お前の結婚式も見たいからね。だから泣き顔じゃなくて、笑顔で見送ってくれないかな?」

「うん……」


 ケンドラはランドルフに笑顔を見せようとしたが、それでも感情には勝てなかった。

 ポロポロと涙を流し始める。

 彼女は父に心配をかけまいと、泣き声は上げずに噛み殺していた。

 妹の健気さに、アイザックはもらい泣きしてしまいそうになっていた。


「本当に大丈夫なのですか?」


 パメラも心配しているらしく、アイザックに尋ねてくる。


「起こり得る不測の事態はダッジを中心に検討させているところだよ。僕一人では考えられる範囲に限りがあるからね」

「勝てる状況でも油断はしていないという事ですね。安心しました」


 言葉とは裏腹に、パメラはまだ何かを言いたそうにモジモジしていた。


「どうしたの?」

「実は……、月のものが遅れています」

「それって!」


 言われずともわかる。

 パメラに妊娠の兆候があるという事だ。


(ついに俺が父親になる時がきたか!)


 アイザックのテンションが上がる。

 思わず、パメラのお腹に手をやる。

 そんなアイザックを、パメラが笑う。


「気が早いですよ。色々とあったので、精神的な原因で遅れている可能性もありますから。わかるのはもう少し経ってからでしょう。だから……、無事に帰ってきてください」

「わかっている。僕だって死ぬつもりはないよ。必ず帰ってくる。絶対に」


 妹のケンドラですら、あれほどまでに可愛いのだ。

 我が子なら、もっと可愛く感じるだろう。

 まだ気のせいかもしれないと言われても、どうしても期待してしまう。


「次はリサさんの番ですね」

「えっ、いきなり言われても……」


 アイザックではなく、リサが動揺する。

 いつかはそうなるとわかってはいたが、もう少し心の準備をしておきたかった。

 アイザックがクスリと笑う。


「いきなりじゃないよ。パメラが妊娠したかもしれないから、すぐにとはしない。まるでパメラの代わりみたいだからね。戦争から帰ってきてからなら心の準備もできるだろう?」

「それならまぁ……」


 リサはアイザックが戻ってきてくれるのかが心配だった。

 戦場へ向かう以上、無事に帰るとは限らないからだ。

 前回も負傷したという話を聞いているので、本当は行ってほしくなかった。

 だが時代が、王国中の貴族がアイザックを求めている。

「行かないで」の一言が多くの人々の運命を変えると思うと、彼女には言えなかった。


 彼女を慰めながら、アイザックは一つの疑問が思い浮かんでいた。


(恋人に「必ず帰ってくる」って言うのは死亡フラグだけど、言いたくなる気持ちもわからなくもないな)


 どうしても言ってしまいたくなる言葉だ。

 それに「必ず帰る」と言った者が戦死するのなら、毎回とんでもない数の戦死者が出ているだろう。

 フラグはフラグに過ぎない。

 そのフラグを決定づける最後のフラグをへし折ってやればいいだけだ。

 すでにジェイソンが他国に戦争を仕掛けるフラグをへし折ろうとしている自分になら、それができるとアイザックは信じていた。




 翌日、出陣前に妻達と別れのキスを交わす。

 そして、安心させるように話しかけた。


「ドラゴンの鱗は頑丈だし、魔法も効かない。この鎧なら大丈夫だよ」


 アイザックが選んだ鎧は、当然ドラゴンの鱗がふんだんに使われたドワーフ製の鎧だった。

 曾祖父の鎧は縁起が悪いので、そもそも選択肢には入らなかった。

 修繕されて、宝物庫に眠ったままである。


「じゃあ、行ってくるよ」


 アイザックは馬にまたがる。


「どうかご無事で」

「無事を祈っています」


 彼女らも覚悟ができていたのだろう。

 パメラとリサはすがりついたりせず、アイザックを見送ってくれた。

 同じようにモーガンとマーガレット、ランドルフとルシアが別れを済ませていた。


「アイザック。子供の頃は、あなたがここまでの大物になるとは思っていませんでした。このままの勢いで、いけるところまでいきなさい」

「もちろん、そのつもりです」


 マーガレットの別れの挨拶は、別れを惜しむようなものではなかった。

 彼女はアイザックの背中を押す言葉をかける。


「あなたは無茶ばかりするから、無茶はしないでと言っても聞かないでしょうけど……。もう家庭を持つ身だという事だけは忘れないで」

「一家の長という事はわかっています。妻を泣かせるつもりはありません。安心してください」


 アイザックも好きで無茶をしていたわけではないのだが、ルシアはアイザックには命知らずなところがあると思っているらしい。

 彼女らしい心配の仕方だった。


「また会えなくなるのが寂しいから、早く帰ってきてね」

「あぁ、わかった。すぐに済ませて帰るよ」


 ケンドラは戦争というものをよくわかっていない。

 しかし、家族と会いたい時に会えないという寂しさは知っている。

 もう帰ってこないかもしれないと思うと、わからないなりに怖さを感じていた。


「では、いってきます」


 アイザックは馬から降りて、ケンドラを抱きしめてやりたい気分になっていた。

 だが、馬から降りたら、もう次は乗る事ができないような気がしたので、なんとか耐える。

 馬を歩かせながら、見送りに出ていた使用人に声をかける。


「ドーラ、留守中はパメラ達の事を頼むよ」

「お任せください」


 かつてメリンダの住む別館で働いていた彼女は、今ではエンフィールド公爵家付きのメイド長となっていた。

 彼女にあとの事を頼む。


「カール。王都から帰ってきてすぐだけど、また花壇を任せる」

「閣下がお帰りになられる頃に、満開の花で出迎えられるよう精一杯やらせていただきます」


 アイザックが学生の間、花壇の世話をしてくれていた庭師にも声をかける。

 このように、アイザックは目に付いた者に声をかけていく。

 中には、あまり見覚えのない者もいた。

 王都にいる間に採用された者達だろう。

 彼らは「いつか、みんなのように名前を覚えてもらおう」と誠心誠意働く事を心に誓っていた。


 領民達も街道沿いに出て、アイザック達を見送る。

 相手が誰かは知らされていないが、ドラゴンの鎧を身に付けたアイザックが出兵するのだ。

 今回はランドルフとの最強タッグに、モーガンまでいる。


 ――向かうところ敵なし。


 領民達には、歴代最強と言われる一族の出陣が最高のパレードのように見えていた。

 あとは凱旋を待つだけである。



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 エメラルドレイクにウェルロッド侯爵軍が到着した。

 アイザック達は主だった者達と護衛だけを連れて、東の街アンソンに向かう。

 そこでウィンザー侯爵やランカスター伯爵が集まっているからだ。

 彼らだけがいるはずだったが、意外な人物もいた。


「お久しぶりです」

「ソーニクロフト侯、どうしてここに?」

「ヘクター陛下から言伝を預かっております。『我が国は報復としてリード王国に攻め込むような事はしない。エンフィールド公を支持する』との事です」

「それは心強い!」


 ――リード王国ではなく、ウェルロッド侯爵家に協力する。


 ヘクターは、アイザックとの約束を忘れていなかったようだ。

 ここで他国の介入を許すと、内戦後に収拾がつかなくなる。

 ファーティル王国が静観してくれるというのは、援軍にきてくれる以上にありがたい事だった。

 アイザック達はソーニクロフト侯爵と固い握手を交わす。


「ソーニクロフト侯が来訪するという先触れがきた時は何事かと思ったのですが、ファーティル王国は積極的な協力をしてくださると聞いて安心しましたよ。物資の支援もしてくださるそうです」


 ランカスター伯爵の表情が緩んでいる。

 最初は抗議の使者がきたと思っていたのだろう。

 攻め込まれる時はランカスター伯爵領が真っ先に狙われる位置にあるので、どう対処するか悩むところだ。

 抗議の正反対である協力の申し出という事で、背後の安全が保たれた事に、他の誰よりもランカスター伯爵が安堵していた。


「戦争がいつまで続くかわかりませんので、十万の兵が半年は戦えるだけの糧食をソーニクロフトに集積し始めました。要請があり次第、運び込む事ができます」

「そちらも台所事情は苦しいだろうに……。すまぬ」


 モーガンが申し訳なさそうに答えると、ソーニクロフト侯爵はニヤリと悪い笑みを見せた。


「そう思うのなら、供与・・という形で受け取ってくれると助かるのだがな」

「いや、そこは貸与・・という形にしていただきたい」

「貸与でも構わぬと申し付けられてはいるが、陛下は残念がられるだろうな」


 供与と貸与では、同じ量の食料を受け取っても意味合いが変わってくる。

 供与は、ただで貰うという事。

 のちのち恩を返さないといけない。

 ヘクターが残念がるというのならば、おそらく「ロレッタとの結婚」などを頼んでくるつもりだったのかもしれない。


 それが貸与ならば大きく変わる。

 貸与は貰うのではなく借りるだけ。

 利子を付けて返せばいいだけだ。

 物で返せばいいだけなので、という返しにくいものよりも、何を返せばいいのかわかりやすい。

 

 今現在、楽な状況を作りたいのならば供与の方がいいが、先の事を考えれば返済しないといけなくても貸与の方がいい。

 モーガンは義兄相手でも、そこは譲らなかった。


「支援はありがたいが、支援を必要とする状況にならないのが一番ではある。早期決着に全力を尽くそうではないか」


 ウィンザー侯爵も、無駄に他国からの恩を作りたくはなかった。

 しかし、長期化した時の保険ができた事に関しては心強く思っていた。


「そうですね。実はダッジ前元帥に見落としがないか検討してもらっています。皆で報告を聞き、検討しませんか?」

「……私もよろしいので?」


 ソーニクロフト侯爵が、自分もに含まれているような気がしたので聞き返した。


「ソーニクロフト侯に知られても、王国軍に知らされないよう見張るのは簡単です。長年、ファーティル王国を苦しめてきた男が、どのような考えをするのか気になりませんか? 協力に対するちょっとした見返りという事でどうでしょう」

「そういう事であれば是非とも」


 ダッジの考えを知りたいというのもあるし、アイザック達がどのような戦略で行動しているのかが気になっていた。

 ソーニクロフト侯爵に断る理由などない。

 彼は快諾した。


「では話のできる場所に移動しましょうか」


 アイザックも、ダッジがどのような答えを出したのかが気になっていた。

 その答え次第では、今後は冷や飯食らいになってもらう事になるかもしれない。

 これから先、人を大事にするだけではいけない。

 ダメな人材は切る事も必要になってくる。


(最初の例になるかどうかは、ダッジのやる気次第だ)


 せめて、次のチャンスを与えようと思う程度には頑張っていてほしい。

 でなければ、彼を連れてきたフェリクスの評価まで落ちてしまうからだ。

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