第465話 ジェイソンとニコルの結婚式
ジェイソンとニコルの結婚式の日が訪れた。
式典は王宮で執り行われる。
この時期になると、各国大使も不穏な雰囲気を感じていた。
やはり、エリアスが公の場に姿を現さなかったのが影響している。
――エリアスが一週間も行方をくらませたまま。
あのエリアスがである。
息子の結婚式を前に、テンションが上がっていてもおかしくない。
なのに、彼は姿を見せなかった。
そもそも、パメラとの婚約が解消された時点で結婚式が中止になっていないのも不思議だった。
事情を知らない者達の間で「ジェイソンがエリアスに何かしたのではないか?」という噂もまことしやかにささやかれていた。
もっとも、リード王国の貴族達はそれが単なる噂に留まらないことを知っている。
ほぼすべての貴族が実情を知らされており、当然、彼らの気分は暗く沈んでいた。
それでも、ジェイソンが気分よく結婚できるために笑顔を作っていた。
「どうしても緊張しちゃう……」
リサが不安そうにアイザックに話しかけてくる。
彼女も事情を説明されていたが、まだ信じられていなかった。
その不安から、顔が強張っている。
「気持ちはわかるけど、スマイルを忘れずにね。最前列だから」
「うん、わかってるけど……」
公爵であるため、アイザックとパメラ、リサの三人は、王族やニコルの親族と共に最前列に座っている。
ジェイソン達が来たら、すぐに表情が見られる場所だった。
しかも、アイザックの隣にニコルの母親のジェニファーが座っていた。
他にも、ジェニファーの生家であるブレナン子爵家の人々も揃っている。
下手な態度を取れば、彼女からニコルやジェイソンに伝わるだろう。
「パメラさんと違って、男爵家出身の私に、この席次は重いかも……」
エリアスの事だけではなく、公爵夫人としての立場の重みも負担になっているようだ。
そんな彼女に、そっと手が重ねられた。
「私も緊張しています。こういうのは立場ではなく、場数をこなしていくしかありません。一緒に慣れていきましょう」
「パメラさん」
――手を重ねたのはパメラだった。
だが、それも仕方ない。
席にはジェニファー、アイザック、パメラ、リサという並びで座っているのだ。
アイザックの手がリサには届かない距離にある。
第一夫人として、パメラに気遣ってもらうしかなかった。
「エンフィールド公、本日は出席してくださり感謝しております」
ジェニファーがアイザックに話しかけてきた。
彼女の顔色が悪いのは、リサのように緊張しているからというだけではないだろう。
この一週間、彼女は気が気ではなかったはずだ。
ニコルがウィンザー侯爵家を敵に回すような行動をしただけでも発狂ものだろう。
だが、心を削るような思いをしたのは、それだけではない。
ニコルに協力した女子生徒の屋敷が、謎の失火によって焼失していたからだ。
幸いな事に、なぜか使用人達は事前に避難していたため死傷者はでなかったが、代々受け継がれてきた財産は失われてしまった。
しかし、ジェニファーの恐怖心を煽るのには十分だったらしい。
彼女はジェイソンに誘われるまま王宮で暮らすようになり、周囲との接触を断っていた。
一応、ネトルホールズ男爵家の屋敷は無事だった。
アイザックにとってテレンスは恩師であり、ニコルも友人であるという事から配慮されたのだろう。
だからこそ、アイザックが味方でいてくれる事のありがたみを強く感じていた。
それでも、まず言っておかねばならない事がある。
「あのっ……。娘がパメラ様には誠に申し訳ない事をしました。謝っても謝りきれない事ですけれども……、申し訳ございませんでした。エンフィールド公が取りなしてくださらなければ、取り返しのつかない事になっていたでしょう。本当に感謝しております」
ジェニファーの言葉に、アイザックも少し思うところがあった。
「……ニコルさんの応援をしていらっしゃらないので?」
「滅相もない! パメラ様を押しのけて王太子妃になるなど、考えもしなかった事でございます。もちろん親から見ても可愛く育ったので、もしかしたら殿下のお手つきになれるかもという淡い期待はしておりましたが……。それだけです。それ以上の事など望んでいませんでした」
(さすがに親子揃ってというわけじゃなかったか)
ニコルの母親の言葉に嘘はなさそうに見えた。
となると、やはり有力者の子弟を狙ったのはニコル個人の犯行だろう。
(実際はどうかとか関係なく、歴史家に『幼い頃の家庭環境が、彼女に多大な影響を与えた』とか書かれてそうだな)
「男をたぶらかした100%の悪女」というよりも、同情の余地があるだけ、ニコルにはマシなのかもしれない。
もっとも、それは死後の事。
生きている間に名誉の回復など行われないだろう。
彼女には、ジェイソンと共にリード王国の歴史に名を残す悪人となってもらわねばならないからだ。
だから、ジェニファーともあまり親しくするつもりはない。
「なるほど、確かにニコルさんはお美しい。親に期待するなというのは無茶な要求でしょう。ただニコルさんが何を考えていたかに関わらず、選んだのはジェイソン殿下です。殿下の決断を否定されるのですか?」
「そ、そのようなつもりは……。パメラ様には悪い事をしたと思っただけで……。申し訳ございません」
(このお方も、他の子達と同じ。この年頃の男の子は、そういうものなのかしら?)
――ニコルのやる事を無条件で肯定する。
ジェニファーは、アイザックがフレッド達と同じだと思っていた。
ジェイソンの名を出してはいるが、その言葉にはニコルを庇う気配が感じられたからだ。
リード王国でも指折りの名家の令息達を魅了する娘に、驚きよりも疑問が先に立つ。
「美人っていうだけで、そこまで影響力があるのね」と、呆れてすらいた。
だが、ニコルを処罰しようとしていないのがわかっただけでも収穫である。
この様子ならば、パメラだけではなく、ウィンザー侯爵家も抑えてくれるだろう。
一人の貴族としては複雑だが、母親としては一安心といったところだった。
しばらくすると宮廷楽団の演奏が始まった。
(あっ、この音楽聞いた事あるやつだ)
結婚式で定番のクラシックが流れた事で、アイザックは懐かしさを覚える。
もっとも前世では無縁のものではあったので、懐かしいという思いだけしかなかった。
「まもなく王太子殿下がお越しになられます」
典礼官がジェイソンとニコルの到着を告げる。
出席者は全員立ち上がった。
「王太子殿下、ご入来!」
扉が開かれると、ジェイソンが祝福の言葉を受けながら祭壇のもとへと歩いていく。
新郎であるジェイソンよりも、この結婚式の進行を任されたセスの方が緊張しているように見えた。
実際、緊張しているのだろう。
――ただし、王太子の結婚式を任されるという大役にではなく、目の前の男が実の親を監禁するような人物だという事実で。
裏事情を知っているだけに、セスも逃げ出したい気分だろう。
だが、エリアスのために逃げ出す事はできない。
そんな事をすれば、貴族がセスを許さないはずだ。
中でも、エンフィールド公爵という一歩間違えれば悪魔と認定されてもおかしくない男が、きっと怒る。
彼は最後までやり遂げるしかなかった。
この段階で、事情を知らない人間がボソボソと話し始めた。
息子の結婚式だというのに、エリアスとジェシカが現れない。
「これは確定だろう」と、これから起きるであろうリード王国の混乱について確信を抱いていた。
しかし、リード王国の貴族がなぜか落ち着いているので「国王ご夫妻はどうされた?」と騒ぎ立てる者はいなかった。
「新婦の入場です」
次はニコルの番だった。
今はまだ女男爵としての扱いだが、この結婚式後には王太子妃として扱われるようになるだろう。
ニコルは父親の代わりに、伯父のブレナン子爵の手によってエスコートされて、バージンロードを進む。
アイザックは「私が王太子妃。もうすぐ王妃よ」とほくそ笑むニコルの姿を想像していたが、今の彼女は結婚を喜び、恥ずかしがる一人の乙女だった。
案外、結婚式というものに憧れていたのかもしれない。
彼女はしずしずと歩いていた。
予想外の姿ではあるが、アイザックはもっと気になるところがあった。
(豪華、といえば聞こえはいいけど……。なんだかフルアーマーだとか重装型とかが頭に付きそうなドレスだな……。ゆっくり歩いているのは、ドレスのせいでもあるのか?)
今まで友人の結婚式や、テレビで見たものとは違い、凄まじく盛り付けられている。
アイザックの記憶にあるウェディングドレスとは重厚感が違った。
運動能力の高いニコルだから大丈夫だろうが、ティファニーだとふらついてしまうだろうなと思ってしまうほどである。
アイザックは「そういえば、俺も十歳式の時には金のボタンとか重く感じたよなぁ」と昔を思い出す。
「あのドレス、一年前から用意し始めていたそうですよ」
パメラがアイザックの耳元でささやく。
噂で聞いたのだろう。
それが事実であれば、前々からパメラを裏切ろうとしていた証拠である。
ドレスを作った職人を割り出せば、証言も引き出せるだろう。
だがアイザックは、そんな事をするつもりはなかった。
そんな事をせずとも、このあとジェイソンの評価は地に落ちるからだ。
パメラも、それはわかっている。
ジェニファーもすぐ近くにいるので、アイザックからの返事を期待してはいない。
それでも、一言言ってやりたかっただけだったのだ。
――あれは自分を裏切っていた証拠だと。
やがてニコルはジェイソンのもとに到着し、ブレナン子爵からジェイソンへと引き渡される。
そして、二人揃ってセスの方向へ向き直った。
二人とも照れ笑いの表情を浮かべていた。
「本日はお日柄もよく、新たな絆が結ばれる日として――」
セスのスピーチが始まる。
王太子の結婚式とはいえ、特に目新しいもののない無難な内容である。
この辺りは真剣な表情をしながら、アイザックは聞き流していた。
「新郎ジェイソンは、ニコルさんを健やかなる時も、病める時も――」
(あっ、これは知ってる!)
聞いた事のあるフレーズになると、アイザックは反応した。
「――死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守る事を、ここに誓いますか?」
ジェイソンは「生涯愛する事を誓いますか?」と問われると、力強く「誓う」と答える。
ニコルも同じ事を尋ねられ、同様に誓うと答えた。
(死がふたりを分かつまでとか言ってたけど、別れの日がそう遠くないような気がするんだけどなぁ。大丈夫かな?)
アイザックは他人事のように余裕を持って二人の姿を見ていた。
だが、その余裕はすぐに消し飛ぶ。
「このふたりの結婚に異議のある者は今すぐ申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」
セスが大きな声で周囲に語りかける。
その言葉が原因だった。
(あれ、このフレーズもどこかで聞いたような……。あぁっ!)
アイザックは、ネイサンの十歳式の時に、自分が言った事を思い出した。
『僕を後継者だと認めたのならば、永遠に口をつぐめ! 二度と異議を唱えようなどと考えるな! このアイザック・ウェルロッドこそが正当なる後継者だ!』
傘下の貴族達に文句を言わせないために放った言葉だ。
有無を言わせぬ良い言葉が浮かんだと思っていたが、結婚式で使う言葉だとは気付いていなかった。
(いやだぁぁぁ、あんな重要な場面の言葉、絶対みんな覚えてるよ! なんで誰もつっこんでこなかったんだよぉ!)
自分が何を言っていたのかに気付き、アイザックは身悶えたくなる。
しかし、結婚式の最中に悶え苦しむなど、本物の奇行である。
しかも最前列でやるわけにはいかない。
唇を噛んで、必死に堪えようとしていた。
「では、誓いのキスを」
セスが大事な場面に進めてくれたおかげで、アイザックは意識をそちらに向けられた。
「ニコル、ついにこの時がきた」
「う、うん」
ジェイソンが、まるで普通の女の子のように恥じらうニコルの肩に手を置き、彼女の唇にキスをした。
彼らに会場が割れんばかりの拍手が贈られる。
唇を離したジェイソンが、出席者に照れ笑いを見せた。
そして、軽く手を振って拍手に応える。
すると、また大きな拍手が起きた。
だが、この瞬間が彼らの幸せの絶頂期となるだろう。
――出席者の大半が、心から祝っていないのだから。
エリアスが危害を加えられないようにするために、ジェイソンの機嫌を取っているだけに過ぎないのだ。
そう遠くないうちに報いを受けるとわかっているから、彼らも我慢して祝福できていた。
でなければ、拍手の代わりに「陛下を解放しろ!」というシュプレヒコールが起きていただろう。
ある程度、拍手が静まってきたところで、ジェイソンは拍手を止めろと仕草で指示する。
「私達の結婚を祝福してくれて嬉しく思う。だが、今日はこれだけじゃない。陛下は体調不良のため、退位される。そのため簡略されたものであるが、私の戴冠式もこの場で行う」
ジェイソンの言葉に会場中が――ざわめかなかった。
大多数の貴族は、すでにアイザック経由で説得されているので、比較的冷静に受け止めていた。
驚いているのは、ジェイソンが即位するという事を知らなかった者達である。
――友好国からの出席者。
――信頼されなかったために話を持ち込まれなかった者。
――時間が足りなかったせいで、話が回らなかった者。
――そして、ニコルの親族。
ブレナン子爵家の者達が「何も聞いていなかったのか?」と、ジェニファーに尋ねるが、彼女は固まっていた。
彼女では埒が明かないと、アイザックに声をかけるが――
「殿下が話しておられる。騒がないでください」
――と一蹴されてしまう。
ニコルの親族は、大人しくジェイソンの話を聞く事しかできなかった。
だが、黙っている者だけではない。
「お待ちを! 陛下が体調不良だというのであるならば、王妃殿下はどうなさっておられるのでしょうか? 面会は叶いますか?」
ジェシカの生国である、アーク王国の使者が彼女の事を尋ねた。
エリアスの体調不良は、リード王国にとって非常に重要な出来事なので、黙っていたのはわかる。
しかし、彼女が息子の結婚式に出てこない理由がわからない。
会って話をしてみる必要がある。
「母上は流行り病に罹ってしまわれた。当面の間、面会はできない」
ジェイソンは、あっさりと断った。
面会を断る理由として、流行り病という理由を使ったのはよかった。
だが、それはそれで「国王夫妻が病に倒れている」という危うい状況を打ち明けるものでもあった。
エリアスとは違う理由にするべきだっただろう。
しかし、アイザックにとっては都合のいいものだった。
ジェイソンが危機感を煽れば煽るほど、その危機から救った者の求心力は高まる。
国内だけではなく、国外にも影響があった方いい。
「後ほどご説明致します。ですから、今しばらくジェイソン殿下の戴冠式を見守っていただけませんか?」
「なっ……!」
アイザックが制したため、使者は言葉が詰まる。
言葉に困った彼は周囲を見回し始める。
そして、リード王国の貴族が騒いでいない事に気付いた。
どう考えてもおかしな状況である。
これは、本当にあとで説明を受けねば納得できそうになかった。
「ありがとう、エンフィールド公。これで戴冠式が滞りなく進められる」
「臣下として当たり前の事をしたまでです」
使者が黙ったと見て、ジェイソンは微笑む。
アイザックも微笑みを返した。
彼らのやり取りが行なわれている間にも、戴冠式の準備は教会関係者によって進められていた。
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