第464話 一世一代の大博打
会合はスムーズに進んだが、それぞれが傘下の貴族を説得するのには難航した。
みんなをひとまとめにして説明すればいいというものではないからだ。
あまり大々的に説得して回れば、その動きはジェイソン側に知られてしまう。
「信頼できる」とわかっている者はいいが、そうでない者には慎重に接しなければならない。
結婚式までに、すべての貴族を説得するのは難しそうだった。
「――というわけなのですよ。殿下の結婚式では、我々に従っていただけますね」
「まさかそのような事が……。かしこまりました。協力させていただきます」
そのためウェルロッド侯爵家では、三代で個別に説明をしていた。
それでも間に合うかはわからない。
今はただ、やれる事をやるしかなかった。
「お屋敷に到着しました時、グレーブス子爵とすれ違いましてな。顔色が悪いので何事かと思っていたのですが……。おそらく私もあのような顔色をしているでしょう。お恥ずかしながら、体が震えてきました」
「私も知らせを聞いた時は、震える思いでした。どうしていいかわからず、すぐ父上に相談しにいったくらいです。リスゴー男爵も恥じる必要などありません」
アイザックは優しい声をかける。
「ですが、一番恐ろしい思いをしておられるのは陛下です。その恐怖は震えるどころでは済まないでしょう。今、安全な場所で行動できる我々が震えている余裕はありません。時が来れば行動するという心構えをしておいてください。私達で陛下をお助けするのですから」
そして力強い言葉をかけた。
すると、リスゴー男爵の震えは、怯えからくる震えから武者震いへと変わっていった。
「そうですね、一番お辛いのは陛下です。我らがお助けしないと。……しかし、エンフィールド公は前々から見破っておられたのですね」
「……何をです?」
「ジェイソン殿下の事ですよ。確かドワーフと接触する前くらいの時期だったでしょうか。『私と
「え、あぁ、あの時の事ですか」
(あれっ? 俺、ジェイソンって言ったかな?
もしかしたら、リスゴー男爵は衝撃のあまり、記憶を「アイザックとジェイソン」の二人に改竄してしまったのかもしれない。
それはそれでアイザックには都合がいいので訂正はしなかった。
「昔の事なので忘れてほしいですね。色々と考慮していなかった頃の発言ですので」
「ジェイソン殿下は、エンフィールド公が不安を覚えた頃から変わられなかったという事ですね。しかし、あの頃と比べると、エンフィールド公は本当に変わられましたな。剛と柔を上手く使いこなすようになられました。恐れによる支配ではなく、信頼による統率をされるようになりました。おかげさまで私も100%、エンフィールド公を信じて行動できます」
アイザックは「あんまり人に知られるとまずいのでやめてね」という意味で言ったが、そうは受け取られなかった。
リスゴー男爵は「ジェイソンがまともに成長しうる事を考慮していなかった」という意味で受け取っていた。
「そう言っていただけると嬉しいですね。私もその信頼を裏切らないよう全力を尽くします。殿下の結婚式に出席する予定のご家族にも、慌てず落ち着いて説明をお願いします」
「かしこまりました」
アイザックは、ニコリと笑みを浮かべた。
しかし、心中はあまり穏やかではなかった。
(いつもこうだったら楽なのになぁ)
大体は、このようにスムーズに進む。
だが、時には泣き出したりする者もいて、落ち着かせるのに苦労する時もある。
誰が誰を説得するかはモーガンが決めているが、比較的説得の難易度が低い者はランドルフに優先して割り振られていた。
無理のないようにという配慮であるが、それでもちょっとは自分も楽をしたいという気持ちがアイザックにもあった。
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とはいえ、アイザックにもお楽しみの時間があった。
ブラーク商会の商会長であるオスカーとの話である。
彼には重要な話をしなくてはならない。
突然、呼び出されたオスカーは、顔を真っ青にしていた。
まずは彼を落ち着かせる必要を、アイザックは感じていた。
「緊張する必要はありませんよ。重要な話ではありますが、あなたにも利益のある話ですから」
「そういっていただけるのはありがたいのですが……。王宮に出入りしている商人達の間で、
どうやらオスカーは、エリアスに関する事を知ってしまったようだ。
(あの
アイザックは、ジェイソンの情報統制が甘い事に怒りを覚えたが、すぐに怒りの熱は冷めた。
ジェイソンとニコルの結婚式が目前に迫っている。
王宮で働く者達にも装飾品などを売り込むべく、最後の一稼ぎに必死になっているところだろう。
当然、王宮内の動きも自然と耳に入る。
その中でも――
国王夫妻が公の場に姿を見せなくなった。
――という話はホットな話題だろう。
ジェイソンが我が物顔で振る舞い、エリアスが姿を見せない。
そこから様々な憶測が飛び交い、真実に近いものも噂されているはずだ。
オスカーが心配しているのも、おそらく政変が起きた事に対するものだろう。
アイザックは営業スマイルをやめ、真剣な顔になる。
「オスカー、これはエンフィールド公爵としての質問だ。一度しか聞かないから、熟慮して答えよ」
「はいっ!」
いつになく緊迫した表情のアイザックに、オスカーは表情を強張らせる。
「ブラーク商会として、オスカーとして最も優先するべきものはなんだ?」
「最も優先しているものですか……」
(どう応えるべきだ? 普通ならば、リード王国やリード王家と答えるところだが……。エンフィールド公が、そんな無難な答えを求めているのか? それとも、リード王家のために働くという意思を確認したいだけか? わからん、どう応えるべきだ)
オスカーは必死に考える。
どう答えるのが
「一応言っておくが、私の望む答えを考えるだけ無駄だ」
アイザックに釘を刺され、オスカーはドキリとする。
まるで自分の頭の中を見透かされたような気分だった。
だが、相手はアイザックである。
このくらいは見抜かれて当然だと思い、すぐに落ち着いた。
「ブラーク商会が優先すべきは利益です。そして、私も利益を最優先で考えております」
これはかなり思い切った発言である。
オスカーも「エリアスが大変な事になっている」という事を、薄々理解した上での発言だったからだ。
――商人とはいえ、王族ではなく利益を優先する。
本来ならば、この発言は処罰されてもおかしくない。
だが、オスカーは思い切って言葉にした。
このような状況で、アイザックが求めているものはわからない。
しかし「商人を呼んだのならば、商人らしい答えを求めているのではないか?」という考えが、ふとオスカーの脳裏に思い浮かんだ。
アイザックは基本的に、正直な対応をすれば、真っ当な扱いをしてくれる。
ここで騙し討ちをするような理由が思い浮かばない以上、踏み込むのが得策だと考えたのだ。
それは正解だった。
「そんなあなたを見込んで頼みたい事がある」
アイザックは微笑んでいた。
それは今まで見せていた営業スマイルとは比べ物にならないほど、オスカーには邪悪なものに見えた。
彼がマルーン商会を罠に嵌めた時にも、似たような笑顔を見た事を思い出す。
「悪いが、彼と二人にしてくれないか?」
アイザックは人払いをする。
アイザックとオスカー以外では、ノーマンだけが残った。
「……ノーマン。これから話す事を聞けば驚くだろう。だが『リード王国に仇なす者を討て』という陛下の勅命に背くものではない。余計な事を考えず、私に忠誠を尽くせるか?」
彼の扱いに困ったが、アイザックは「出ていけ」とは命じなかった。
ここでチャンスを与える事も重要だと思ったからだ。
「閣下、その質問はいい加減くどいですよ。仮にリード王家と天秤にかけたとしても、私は閣下を選びます」
「すまない。細心の注意を払わないといけない事だからね。どうしても言ってしまうんだ」
ノーマンに向けられた苦笑は自然なものだった。
だが、すぐに邪悪な笑みがオスカーに向けられる。
「グレイ商会は、ドワーフとの交易でよくやってくれている。しかし、それは取引に関してのみ。物流に関しては、ブラーク商会に頼るところが多い。これは長年お抱え商人として手広くやってきたおかげだ。グレイ商会も、すぐに真似はできないだろう」
物流は人を増やせばいいというものではない。
高価な品を運ぶ以上、手癖の悪い者は省かねばならないからだ。
信頼のできる者を育てるのには時間がかかる。
こればかりは、濡れ手に粟といった感じで稼いでいるグレイ商会も一朝一夕にはできない。
ウェルロッド侯爵領で広大な物流網を作り上げているブラーク商会の力は、まだまだ強大だった。
「しかし、いつかは追い抜かされる。今の調子なら、私が当主になるまでにブラーク商会に取って代わる規模へと育つだろう。そして、私が当主になり、お抱え商人となれば……」
その先は言うまでもない。
ブラーク商会を軽く追い抜くどころか、グレイ商会はリード王国でも有数の規模にまで成長するだろう。
本来ならば、そこにはブラーク商会がいるはずだっただけに、オスカーも悔しさを感じる。
「だが忘れてもらっては困るのが、グレイ商会は
「エンフィールド公爵家のお抱え商人……でしょうか?」
これはアイザックの状況が昔とは違う事によって、現れた選択肢である。
昔は未来を担保に協力をさせるしかなかったが、今は違う。
新たに公爵という肩書きを使った切り札を使えるようになっていた。
だが、アイザックがブラーク商会に用意していたのは、それだけではなかった。
「それもある。でもそれだけじゃない。協力次第では、王家ご用達という道も拓けるだろう。やる気はあるか?」
「やります!」
アイザックの提示した条件は破格だった。
当然、それ相応の難しい仕事を任されるという事だが、それくらいは気にするものではない。
利益が欲しいというのは誰だって思うもの。
商人である以上、彼もその欲は人一倍強い。
アイザックが悪い笑みをしていても、迷わずに「やる気がある」と答えた。
その意欲は買わねばならない。
「結構。まずは現状を教えようか」
まずはオスカーに、王宮内の情報を教える。
ある程度は予想していた内容だけあって、オスカーにも驚きはあったが小さなものだった。
「やはり、そのような事になっていましたか……。今回の用件は戦費の調達をしたいというものでしょうか?」
「それはウェルロッド侯爵家が支払えないほどの出費になったらという事になるだろう。やってほしい事は他にある」
金の無心ではないというアイザックの言葉に、オスカーは嫌な予感がした。
「まずは何人か用意してもらう。ただ人選には気をつけてほしい。ほしいのは正規兵になりすませるだけの礼儀作法や言葉遣いができる者。だが、王国軍に顔見知りがいない者を数名。これは消えてしまっても誰も気にしないような者が望ましい。あとは王国正規軍の装備一式を人数分と伝令が持つ旗を手に入れてくれ。彼らを秘密裏に始末する者達も用意してほしい」
――王国正規軍の伝令になりすまし、何かをやらせようとしている。
アイザックの要求は想像しやすいものだった。
ノーマンも、オスカーも「伝令を使ってエリアスの解放を命じるのだろう」と考えた。
しかし、アイザックの考えは違う。
大違いだ。
「そして彼らには、こういう内容の指令を頼みたい」
部屋の中には三人しかいない。
それでも内容を話す時には、つい声をひそめてしまう。
アイザックの頼みを聞いた二人は、心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
「まさかそのような事を!」
「閣下、それは先日言っていた内容と違うではありませんか! 再考なさるべきかと!」
オスカーは驚くだけだったが、ノーマンは考え直すように促してきた。
だが、アイザックには考え直すつもりなどなかった。
「確かに先日の会合で言っていた事とは違う。だが考えてみてほしい。私が陛下より受けた勅命は『リード王国に仇なす者を討て』だ。これはその適用範囲をどこまで広げるかという問題に過ぎない」
「しかし……、適用範囲を広げすぎではありませんか?」
「私はそうは思わない。二度とこのような事態を起こさぬためには必要な事だ。そうは思わないか?」
「それは……、私にはわかりません」
アイザックがやろうとしている事は、
しかし、今は普通ではない。
ならば、許されるかもしれない。
――だが、それでもノーマンには抵抗があった。
「他の方法はないのですか?」
「ない。あるのなら、先に他の方法を提示している」
「そ、そうですよね。それが閣下の導き出した答えなのでしたら……。私は従うのみです」
ノーマンは「聞くんじゃなかった」と後悔する。
それでも、アイザックの案を肯定した。
彼が仕えるべき相手は、エリアス・リードでもジェイソン・リードでもない。
――アイザック・ウェルロッド・エンフィールド公爵だからだ。
そのアイザックが最善の策だと言うのならば、ただ信じるのみである。
ノーマンが、この案を吞み込んだと見ると、アイザックは標的をオスカーに移した。
「どうだ? 我らは共犯関係だ。十分な見返りは与える。その代わり、切り捨ててもかまわない実行犯を用意してほしいだけだ」
「確かに、エンフィールド公爵家や王家のお抱え商人になるというのは望外の喜び。ですが、それだけでは協力できません」
一気に商人のトップに立つチャンスではあるが、オスカーはそれだけでは満足しなかった。
アイザックは目を細めて、彼をジッと見る。
だが、オスカーはアイザックを恐れたりはしなかった。
「安全の保証をお願いします。それも考えようによっては安全かもしれないというものではなく、絶対の安全をです」
彼は先代の商会長であるデニスの事を忘れていなかった。
デニスは、アイザックに協力したもののモーガンに処刑されてしまった。
――用済みになったら処分される。
それでは困るのだ。
共犯関係というのならば、一蓮托生の覚悟でやってもらわねば困る。
いくら大貴族相手とはいえ、これは言わねばならない事だった。
アイザックは、フフフッと笑う。
「わかっている。ノーマン、ウェルロッド侯から預かった書類を」
「はい」
ノーマンが書類をアイザックに渡す。
最初は、書かれている内容の意味がわからなかったが、今ならわかる。
――モーガンもアイザックの共犯だったのだと。
「あの時の私は未熟だったせいで、デニスには可哀想な事をした。だが、もう違う。今は周囲への根回しもしている」
アイザックが、オスカーに書類を渡した。
そこには要約すると「エンフィールド公の命令で動いた者を罰したりはしない」という内容が、モーガンの署名付きで書かれていた。
「兄上の十歳式の時、私は家族の理解を得ずに物事を進めてしまった。そのせいで、私を処罰できなかったウェルロッド侯の矛先が、デニスに向けられてしまったのだ。同じ轍を踏むような事はしない。安心して協力してほしい」
「なるほど……」
オスカーは必死に書類の一言一句を食い入るように調べる。
相手が相手なだけに油断はできない。
特に「てにをは」にはよく注意し「解釈次第では約束を反故にできる」という抜け穴がないかを必死に探した。
アイザックも彼が警戒する気持ちはわかるので見守っていた。
しばらくして、オスカーは確認を終える。
「書面に依頼内容がはっきりと書かれていないのが気になりますが、書けるものではないので、そこは仕方ないものだと思います」
気になった部分を指摘するが、そこはどうしようもない部分である。
安全を保証するという書類は、当然オスカーが所有する。
万が一、外部に流出した時の事を考えれば、ウェルロッド侯爵家としても何を依頼したか詳細なものは書けないだろう。
オスカーとしては「もっとハッキリと書いてほしい」と求めたいところだが、貴族相手の理不尽なやり取りに慣れているので、これくらいならば許容範囲である。
問答無用で「やれ」と命じられないだけ良心的だと感じていたくらいだった。
「エンフィールド公の独断ではなく、ウェルロッド侯も賛同しておられる。という事は、他にも……」
オスカーは、他にも賛同している貴族がいると考えた。
ウィンザー侯爵家やウォリック侯爵家が真っ先に可能性が高い相手だと思い浮かぶ。
(有力貴族への根回しは終わっていると考えていいだろう。そうなると、もう王家に目はない。それに、もう断る事はできない状況になっている)
アイザックに話を持ち掛けられた時点で、オスカーに逃げ場はなかった。
このような重要な話を断れば、それは即ち死を意味する。
利益を約束されているだけマシと思って受けるしかない。
「さすがに喜んでとは参りませんが、精一杯やらせていただきます。幸いな事に、いなくなっても問題のない者達にも見当がついております。装備に関しましても、一週間ほどあれば足がつかないように用意できるでしょう」
オスカーの頭の中で、誰を使い捨てるかは早い段階で決まっていた。
他も十分に準備可能なものばかりである。
心理的な抵抗を除けば、アイザックの条件は破格のものだった。
「ただ、それだけではエンフィールド公爵家ご用達に抜擢される表向きの理由とはなりません。金銭面での支援をさせていただきますので、それを理由にしてください」
「それもそうだな。表向きには、エンフィールド公爵家ご用達というのは、実質的に肩書きだけ。取引量の多いウェルロッド侯爵家ご用達の方が実利はある。献金に対して報いただけだと周囲は思ってくれるだろう。では、その方向でよろしく頼む」
「かしこまりました。準備ができ次第、ご報告にあがります」
アイザックが手を差し出すと、オスカーはしっかりと握り返した。
この時には、もうオスカーの罪悪感は失われていた。
利益だけではなく、リード王国のための行動でもあるからだ。
オスカーの目から見て、アイザックの笑みは先ほどよりも邪悪さを増していっているように見えた。
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