第440話 働きすぎたフェリクス
「閣下、ただいま戻りました。こちらはダッジ前元帥です。背後にいるのはダッジ殿の参謀達で、皆も頼りになる者達ばかりです。閣下が希望通りなされました人材の中でも、最上級の者達を揃えられたかと思います」
(希望、通り……。揃える……)
モーガンの鋭い視線がアイザックに突き刺さる。
その目でアイザックは、抗議の使者は元帥を引き抜いてきた事に対するものだとわかった。
だが、希望通りと言われても、そんな覚えはない。
どこの誰が「元帥を引き抜いてこい」などという無謀な要求をしたというのか。
問題は、
ここで「こんな人はいらない」などと言おうものなら、ダッジの面子とプライドを傷つける事になる。
「どうして連れてきたのか?」と尋ねるにしても、慎重に行なわなければならなかった。
「ロックウェル王国の指揮官を引き抜くとは聞いていたけど、まさか元帥閣下を引き抜いてくるとはなぁ。先ほどまで、ウェルロッド侯爵家の軍には熟練者が少ないから頼もしい限りだねと話していたんだ」
アイザック達が帰ってくるまで相手をしていたランドルフが、フェリクスの大戦果に感心する。
(何言ってくれてんのぉぉぉ!)
次期当主であるランドルフが歓迎の言葉をかけていたのなら、今更「やっぱり帰って」とは簡単に言えなくなってしまった。
今後の計画を話していない弊害が、ここにきて現れてしまった。
モーガンも頭を抱えている――かと思いきや、少し悩んだ表情を見せているだけだった。
ダッジの姿を確認した時は驚きのあまり腰を抜かしていたが、表情には出さないよう努めているのだろう。
そこは外務大臣の意地なのかもしれない。
「お久しぶりです。停戦交渉以来ですね。元帥という地位に就いていたとはいえ、今はただのザカライア・ダッジですので、ダッジとお呼びください。閣下の下に付くのですから、元帥などという仰々しい肩書きなど不要です」
「いえ、それはまぁ……。今後の話次第ですね。まだ正式に決まったわけではありませんし、敵国だったとはいえダッジ元帥の功績には敬意を払いたいですから」
アイザックとモーガンはダッジと握手を交わし、彼らを座らせる。
アイザックが最初に話しかけたのは、やはりフェリクスだった。
「報告書には目を通していたけど、元帥を引き抜いただなんて重要な情報はなかったはずだけど……。どういう事かな?」
「ダッジ殿は、ファーティル王国と幾度も戦っております。国境での小競り合いなども含めると数え切れぬほどにです。いくら閣下の臣下になるためとはいえ、ファーティル王国を無事に通過できるかはわかりませんでした。ダッジ殿の他にも多くの者達を連れて、焼いた街や村の近くを通ってこなければなりませんでしたので。ウェルロッド侯爵夫人のように、敵意を持たれている方の方が多いでしょうから、安全のために手紙には書けませんでした」
相手の格が格なので、ランドルフだけではなく、マーガレットとルシアも同席していた。
ルシアは特に何もないようだが、マーガレットは違った。
長年ファーティル王国と戦ってきた相手なだけに、彼女は複雑な思いを持っていた。
表面を取り繕う事もできず、歓迎しているとは言い難い表情をしている。
「ダッジ元帥には叔父を討ち取られていますから。私だけでなく、ファーティル王国出身の者なら、多かれ少なかれ恨みは抱いているでしょう」
マーガレットがフェリクスの言葉に同意する。
二百年続いた関係は、双方に深い怨恨を残しているようだ。
「そういうわけですので、途中で誰かに手紙を盗み見られる事を警戒して詳細は書けませんでした。エンフィールド公が付けてくださった護衛がいてもファーティル王国内の移動は危険を感じるものでしたので、ダッジ殿の存在は特に隠す必要があると思ったのです。……ですが、閣下の希望に沿ったものではなかったようですね。危険を冒してでも、お伝えするべきでした」
手紙の中身を盗み見るというのは、諜報活動では一般的なやり方だった。
アイザックの部下になったとはいえ、ファーティル王国にとってフェリクスは要注意人物。
伝令が寝ている時に、こっそり魔法を使って内容を盗み見るくらいはするだろう。
彼が警戒するのも当然だった。
「いや、まぁ……。凄い人を勧誘してくれた事は評価しているけど……。希望には沿ってはいないかな」
ダッジの前ではあるが、アイザックはハッキリと言う事にした。
これはうやむやにしていい問題ではないからだ。
「僕は『百や千の兵を率いる指揮官』を勧誘してきてほしいと言ったはずだよ。さすがに一国の軍を指揮する元帥を勧誘してきてほしいとは言わなかったはずだ。いや、それどころか高官を勧誘しないようにと注意したよね? なのに、なぜダッジ前元帥に声をかけたのか教えてほしい」
ダッジに不満を持たれようが、これは聞いておかねばならない。
場合によっては、送り返す事もできるかもしれないからだ。
「はい……」
フェリクスは大手柄を立てたと思っていた。
これまで話していた感じだと、ランドルフも歓迎してくれていた。
しかし、アイザックとモーガンは違う。
迷惑だと言わんばかりに戸惑っている。
大きなミスをしてしまったのではないかと、心臓が締め付けられるような思いをしていた。
「最初はフォード伯爵家に縁のある者達に声をかけましたが、人員整理の対象になった者は数名のみ。まとまった人数を集めるには至りませんでした。そこで人員整理の対象者を知っているダッジ殿に相談したのです」
ここまでは理解できる内容だった。
元帥ならば、誰がクビになったかのリストを持っている。
部下が路頭に迷うよりは、それが他国であろうと仕官先を斡旋してやりたいとも思うはずだ。
そこまではいい。
なぜダッジ本人までもがやってきたのかが気になるところだった。
「フェリクスから相談を受けた時、私は迷っていました。部下が職を失う中、自分だけがのうのうと元帥の座に就いていていいのかと。そこで軍の縮小に対する抗議として辞任する事に致しました。もちろん、エンフィールド公の下で働いてみたいというのもありますがね」
ダッジがフェリクスの後を継いで理由を話した。
――軍の縮小に不満を持っている。
それもよくわかる理由だった。
責任感の強い人物であれば――
「自分が軍の最高権力者の座に就いている時に、部下を路頭に迷わせる事になってしまった。なんと不甲斐ない事だ」
――と気に病む事もあるだろう。
例えそれが前任者の責任であっても、現在の責任者として責任を取らねばならない。
ダッジが、その責任を取ったというだけであれば問題はなかっただろう。
軍を辞めたあと、再就職先を探すのも彼の自由だ。
しかし、抗議の使者がきている。
その理由は、彼らが話した会話の中に重要なポイントがあった。
そこにモーガンが反応する。
「勧誘を始めてから、ダッジ元――ダッジ殿が元帥を辞したというのか……」
もう侯爵家当主だとか、外務大臣だとかの面子は関係ない。
モーガンが彼らの前で頭を抱える。
アイザックも机に突っ伏してしまいそうだった。
(わざと嫌がらせしてるのか? もしかして、俺に報復しようとか考えてる?)
ダッジが不満を持っていて、抗議の辞任をしたのが事実かどうかは関係ない。
いくらなんでもタイミングが悪すぎる。
ロックウェル王国側から見れば、露骨なまでの引き抜きにしか見えないだろう。
――元帥を引き抜く。
これは宣戦布告と取られても不思議ではない。
元帥という職に就いている以上、軍に関する情報はすべて把握している。
軍の配備状況や防衛施設の情報だけでも、大きく国防を揺るがすものである。
ロックウェル王国が経済的な奴隷という立場にあり、他国が攻めてこないとはいえ見過ごせるものではなかった。
リード王国に向かうダッジが暗殺されなかったのが不思議なくらいだ。
もちろん、それだけではない。
軍の最高位にある者が他国に引き抜かれたとあっては、ロックウェル王国の面子が丸潰れである。
何としてでも、ダッジを返してもらいたいはずだ。
できれば穏便な形で帰ってきてもらうのが、ロックウェル王国側の望みだろう。
モーガンが外聞を気にする事なく、頭を抱えるのも当然だった。
一国の元帥を引き抜いたのだ。
これはもうウェルロッド侯爵家の問題では済まない。
リード王国の問題である。
外務大臣としても頭を抱える大問題だが、他にも大きな問題がある。
「なぜこの時期に元帥を引き抜いたのか?」と疑問を持たれる事だ。
――軍の拡張はドワーフを警戒するもの。
――兵士だけを集めても、
――だから部隊指揮官を集めた。
ここまでなら、エリアス達も納得するだろう。
だが、元帥やその側近まで引き抜くのはやり過ぎだ。
深読みする者がいれば、アイザックの企みに気付く者も出てくるかもしれない。
「頼もしい者達をよく集めてくれた」と素直に喜べはしなかった。
アイザックも頭を抱えたい気分だった。
もうじき卒業式という大切な時期に、とんでもない問題を持ち込まれてしまった。
もしロックウェル王国が報復としてファーティル王国に攻め込めば、反乱どころではなくなる。
それどころか、ジェイソンの暴挙を皆が受け入れられるようになる時間まで作る事になってしまう。
人前でなければ「何を考えているんだ!」と叱りつけていただろう。
しかし、フェリクスはまだすべてを話していない。
彼の話を聞くまでは、何とも言えなかった。
黙って彼を見つめて、続きを待つ。
「ダッジ殿を誘おうと思ったのは、ご本人の意思もありますが、閣下のお言葉の裏を考えたからです。兵を率いる指揮官がいる。補佐する参謀も必要だ。それが意味するものは何か? その時、閣下のお言葉には『命じたりはしない。どうすればいいかを自分で考えて、自分の責任で行動しろ』という意味が含まれていると考えたのです。ダッジ殿やその側近を誘う事こそ、閣下の本来の望みに沿ったものになるのではないかと確信致しました。どうやら違ったようですが……」
フェリクスは、本当に申し訳ないという表情を見せる。
「祖父には『命じられた事をこなすだけでは及第点。そこに上積みができて一人前』と教えられておりましたので、今こそその時だと思い、勧誘してきたのです」
フォード元帥の薫陶はしっかりと行き届いていたようだ。
本来ならば、これ以上ない大手柄である。
だが、今のウェルロッド侯爵家には余計な行為でしかない。
どう反応するべきか、アイザックは非常に悩まされる。
「なるほど……。高官を誘わなくてもいいというのを、言葉通りには受け取らなかったというわけですか……」
アイザックには「押すなよ! 絶対に押すなよ!」と叫ぶ芸人の姿が、フェリクスと重なって見えた。
政治が絡む話の時に、そんなお約束など求めていない。
だが、それも仕方ない事だった。
フェリクスは尾ひれのついたアイザックの噂しか知らない。
その噂も、以前会った時に事実だと頭の奥深くまで刻み込まれた。
そのため「アイザックの言葉の裏を読まねばならない」と思いこんでしまっていたのだ。
これもアイザックが彼を脅かし過ぎたせいなので、自業自得である。
アイザックは心底困っていた。
祖父は外交問題をどうするか悩み、祖母は複雑な心境で思い悩んでいて、父は頼もしい人がきてくれたと前向きに考えているし、母は迂闊な発言をしないよう様子を見ている。
ここで動けるのは自分しかいない。
問題は、どう動くかだった。
黙って考え込むほど時間をかけるわけにはいかない。
アイザックは笑顔を浮かべてフェリクスに拍手を贈る。
「フェリクスは僕の臣下として精一杯の仕事をして、その忠誠心を見せてくれた。それに関しては感謝するし、今後の扱いにも影響してくるでしょう。ただ、ダッジ前元帥を引き抜いた際の政治的影響を考えてほしかったという思いはあるね」
「も、申し訳ございません」
ひとまず褒めて、注意点を指摘する。
フェリクスは喜ぶより、恐縮したといったという様子で肩をすくめる。
モーガンの様子を見るだけでも、まずい事をしたとわかるからだ。
次にアイザックは、ダッジに少し引きつった笑顔を向ける。
「『言われた事だけをしろ』と厳命しては部下が育たない。ですが『自分で考えてやれ』では、望んでいたものと異なる結果を招く事になる。人の上に立つというのは難しいものですね」
「ええ、その通りです。その塩梅は実務で慣れていくしかありません。世の中には命じられた事だけをしろと言っておいて、臨機応変に動けと叱る者。お前に任せると言っておいて、逐一報告を受けねば気が済まぬ者もおります。そういった態度を見せぬだけでも、エンフィールド公はご立派であられる」
「そういう人にはなりたくなかったので」
アイザックは苦笑いを見せる。
前世の上司がそういう人だった。
「ああはなりたくない」と思っていたので、人に仕事を任せた結果は自分の責任だと思うように努めていた。
もっとも、今回ばかりは「いくらなんでもそれはない」という思いが強かったが。
とりあえず会話をしながら場の雰囲気を変えて、モーガンの復活を待つ事にした。
「元帥ほどのお方をお連れしたのなら無条件で歓迎するのが筋というものですが、こちらの意思疎通が上手くいっていなかったせいで不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。もしよろしければ、当家にお越しになろうと考えられた理由など詳しく教えていただけますか? 家族を連れてきているかなども含めて」
――元帥を辞めたから職を求めてきた。
それだけが理由ではないはずだ。
もしかしたら「リード王国にスパイを送り込む」などの理由があるかもしれない。
元帥直々にスパイ行為をする理由は思いつかないが、そうであってほしい。
それならば彼を送り返す事もできるだろう。
何をするにも、まずは情報を得るべきだとアイザックは行動に移した。
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