第441話 掘り返される過去の発言

 アイザックに問われても、ダッジは堂々とした態度をしていた。

 その態度は、まったくやましいところがないように見える。

 しかし、相手は元帥にまで上り詰めた人間。

 演技をしている可能性もあるので、見たままを信じるわけにはいかない。


「年齢的には隠居してもよかったのですが、まだ体は健康なので現役でやれるという思いもありました。それにフォード元帥を打ち破った若者と、落ち着いて話してみたかったというのもあります。それに――」


 言いにくいのか、ダッジは少し恥じらうような表情を見せた。


「支度金が魅力だったというのもあります。ダッジ伯爵家は……。いえ、ロックウェル王国の貴族は貧しいですから。息子達に家督以外にも何か残してやりたかったのです」


 恥じた理由は、金目当て・・・・だかららしい。

 アイザックも「そういえば」と思い出す。


「フェリクス、今回はいくら使ったんだい?」

「十億リードほどです」

「十億……」


 ――貴族としては、金に目が眩むのは不名誉な事。


 しかし、十億リードとなれば話は変わる。

 豊かなリード王国で広大な領地を持つウェルロッド侯爵家ですら、十億リードの現金は大金である。

 貧困に喘ぐロックウェル王国の貴族ならば、心が揺れてもおかしくないのかもしれない。

 最初に五億リード分の手形を渡していたので、商人から追加で五億借りたのだろう。

 それほどであれば、元帥相手だろうと礼を欠く金額ではないかもしれない。

 アイザックはモーガンに視線をやり、彼の意見を求める。


「十億リードならば……。支度金としては失礼はないかもしれんな。フェリクス同様、ご子息に家督を譲ってこられたのだろう?」

「ええ、今は息子に家督を譲っています。ですので、貴族の当主が他国に寝返ったというよりは、隠居した老人が出稼ぎに出た程度に考えていただいてよろしいかと思います。それと、私が受け取ったのは五億リードです」

「五億!」


 アイザックとモーガンの言葉が重なる。

 失礼はないと考えていた金額の半分である。

 そんな金額でダッジが国を捨ててくるとは思えず、目を大きく見開く。

 二人の反応を見て、フェリクスがすぐさま補足する。


「申し訳ございません。言葉足らずでした。総額で使ったのが十億リードです。五億リードは皆様からすれば少ないと思われるかもしれませんが、ロックウェル王国の貴族にとって、外貨は大変価値が高いものなのです。その辺りの事を私では詳しく説明できませんが……」


 フェリクスが周囲を見回す。

 すると「私が説明致します」とダッジの側近が名乗り出た。


「皆様も通貨の価値は同じではないとご存知でしょう。ロックウェル王国の通貨であるミルと、リード王国の通貨リードは額面が同じ一万であっても価値は同じではありません」

「国の経済が安定しているかなどによって価値は変わる、だったかな」

「その通りです」


 彼はアイザックの呟きに反応する。


「四年前までは、一万ミルと五千リードが同じ価値でした。ですが敗戦により国内が大混乱になり、一万ミルあたり五百リードを切るほどにまでミルの価値が下がったのです」

「ちょっと待ってください。そこまで通貨の価値が下がったのなら、食料品の輸入にも支障が出たのではないですか?」


 話の途中ではあったが、アイザックは気になったところを質問する。


「いえ、食料品に関しては・・・・・・・・周辺国の温情で・・・・・・・以前と同じ価格で売ってもらえました」


「温情」というわりに、彼の表情に感謝はなかった。

 それもそうだろう。

 食料を支援する出費よりも、これから先もロックウェル王国を食い物にした方が稼げるという判断が透けて見える。

「食い物だけはやるから、そのまま奴隷のように働き続けろ」と言われているのと同じだ。

 温情とは程遠い。

 ロックウェル王国の者達が好意的に見れるはずがなかった。


「今はいくらか戻ってはいますが、戦前の水準からは大きくかけ離れています。それに両替商がミルを外貨に両替するのを渋るので、為替レート以上に外貨は価値のあるものとなっております。閣下はご家族のためだけではなく、我らのためにも恥を忍んで外貨を得るという選択をしてくださいました」


 彼はそれ以上語らなかったが「閣下の苦渋の決断を無下に扱わないでいただきたい」と目で語っていた。

 今の話が事実であれば断り辛い。

 元帥の誇りを捨ててまで、身近な者達のために決断したという事なのだから。

 アイザックは「聞くんじゃなかった」と後悔する。


(インフレ……。そうだよな、ウォリック侯爵領でも商人が商品の価格を吊り上げたんだ。大混乱に陥ったロックウェル王国を食い物にするくらい容易だろう)


 戦争が終わった事で、ロックウェル王国との問題は終わったものだと思っていた。

 国内が混乱していると聞いても、完全に他人事だった。


 だが、ロックウェル王国で生きる者にとっては「困難」の一言では済まない状況だ。

 価値が跳ね上がった外貨を求めるのも理解できる。

 五億リードとはいっても、彼には実質的に十億リード以上の価値があったのかもしれない。


「金の話になったところで伺いたいのですが、召し抱えていただける場合……。どのような条件になるのでしょうか?」


 ダッジが本題を切り出してきた。

 この条件が難しい。

 おそらく金銭面の比重が大きいと思われるが、金だけ渡せばいいというものでもないだろう。

 前元帥にふさわしい待遇にもしなければならない。

 そんなもの、アイザックにはさっぱりわからなかった。


「さすがに元帥という要職にあった方の待遇を、この場の流れで軽く決めるわけにはいきませんが……」


 問題をとりあえず先送りにしようとする。


(でも、自分で何も決められない奴だと思われると、後々の関係に影響がありそうだな。何かないか……。あっ、そうだ!)


 ふと人材の勧誘に関わる話を思い出す。


 ――それは石田三成と島左近の話だった。


 十億リードと五億リードという数字が出たおかげで思い浮かんだ。

 アイザックの貴族年金は十億リード。

 五億リードといえば、ちょうど半分である。

 アイザックは「半分出せばいける」と考えた。


「もちろん、外交を始めとする諸々の問題が解決できればの話という事は念頭に置いておいていただきたいですが、金銭面の条件ならば……。私が公爵の年金として受け取っているのが十億リード。その半分、五億リードを俸禄としてお支払い致しましょう」

「ほう」

「ダッジ前元帥の実績は、少し調べれば簡単にわかります。ですが、側近の皆さんの活躍に関しては、我が国では詳しく調べられないでしょう。彼らの事をよく知っているダッジ前元帥の俸禄から能力に応じた給金をお支払いいただく。というのがよろしいのではないでしょうか?」


 アイザックは「自分の貴族年金の半分を渡す」という手段を選んだ。

 かつて石田三成は、島左近を雇うために自分が貰っている俸禄の半分を提示したという。

 ウェルロッド侯爵家の収入も使えるので、正確には半分ではない。

 だが、ダッジは五億リードの支度金で動くのだ。

「五億リードも支払う」と言えば、失礼には当たらないだろうと考えたのだった。


 ダッジの側近に関しては、丸投げにする事にした。

 彼らの中にも序列があるはずだ。

 同じ待遇にしても不満を持たれるかもしれない。

 ならば、序列を知っている人物に丸投げにするのが一番である。

 それで不満を持たれるとすれば、ダッジの責任だからだ。


 この申し出に、ダッジは思わず息を呑む。

 最初は「憐れまれているのか?」とも思ったが、すぐにそれは間違いだと気付いたからだ。

 アイザックは領地からの収入・・・・・・・ではなく、貴族年金・・・・から俸禄を支払うと言った。

 フォード元帥に打ち勝った男が貴族年金の半分を与える――自分と同格として扱うと言っているのだ。

 窮状を打ち明けたにも関わらず、アイザックは足元を見ようともしなかった。


 しかも、それだけではない。

 ダッジの側近を直臣に取り立てようともしなかった。

 これは能力や実績がわからないというのもあるだろうが、ダッジには自分への配慮だと思えた。

 アイザックが直臣に取り立てれば、名目上は彼らと同列になってしまう。

 それでは、ダッジの面子が丸潰れだ。

 面子を守るために彼らは陪臣とし、ダッジの下に置く形にしたのだろう。


(金に関する話だけで、器の違いを思い知らされてしまったな……)


 ダッジはアイザックに感服する。

 金銭面での話をしただけ。

 それだけでウェルロッド侯爵家内だけではなく、リード王国内での立場もどのようなものになるかを教えられた。

 只者ではないとわかってはいたが、改めて力量の差を思い知らされる。


 そして、アイザックを見事にウェルロッド侯爵家の後継者に育て上げた、モーガンとランドルフにも敬服した。

 特にランドルフに対する評価はうなぎ上りだった。

 アイザックやモーガンがダッジの扱いに頭を抱える中、彼だけはうろたえなかった。

 その威風堂々とした佇まいは、一騎打ちでトムを討ち取った剛の者にふさわしいものである。

 ただ「剛と柔で似ても似つかない親子だな」とも思っていた。


「なるほど……。今の話を聞いただけでも、フェリクスの話に乗ってよかったと思うものでした」


(よし! 一億とかケチらなくて正解だった!)


 ダッジが思っていたよりいい反応をしてくれたので、アイザックは心の中でガッツポーズを取る。

 この流れで、ついでに言っておきたかった事も言えそうだ。


「もしも話し合った結果雇う事ができないとなった場合、支度金の返還は求めません。戦争中に仕掛けた事への謝罪として受け取ってください」


 彼らは金に困っていると打ち明けてきた。

 ならば、すでに支度金は使っているかもしれない。

「お金が返せないので働かせてください」と言われる前に、アイザックは先手を打つ事にした。

 これで心置きなく帰る事ができるはずだ。


「支度金は家族に渡しただけではなく、周囲の者に分け与えてきております。もうエンフィールド公にお返しする事はできません。心苦しいながらも、そのように言っていただけると助かります」


 アイザックの目論見は成功した。

 だが、同時に失敗もしていた。

 その気前の良い対応振りに「この方の器は、どれほど大きいのだろう」と、ダッジ達の興味を強く惹いてしまったからだ。


「まさか大使を務めていた娘婿の事を持ち出されるとは思いませんでしたが、戦争中に計略を仕掛けるのは当たり前の事です。どうか、お忘れください」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、こちらの方こそ心が軽くなる思いです」


(言ってみてよかった)


 とりあえず、過去の事を持ち出されて雇ってくれと言われる事はなさそうだ。

 その事にアイザックは安堵する。


「しかしながら、エンフィールド公が先ほど仰った通り、ダッジ殿を雇うかどうかはロックウェル王国の使者と話してから。今すぐに決めるというわけにはいきません。場合によってはお帰り願うという事も、心に留めておいていただきたい」

「ええ、わかっておりますとも」


 アイザックの気前の良さが悪い方向へ作用しそうだったので、すかさずモーガンが止めに入る。

 ダッジ達に「ここまで高評価されるのなら、仕官は確実だな」と思われるのは避けたかったからだ。

 ダッジも催促する気はないと意思表示をする。


 ――今はまだフェリクスから誘われただけ。


 まだ正式にアイザックやモーガンから誘われたわけではない。

 むしろ、迷惑そうにしているくらいだ。

 催促して機嫌を損ねるのはよろしくない。

 ここは引くべきだと考えていた。


「しかし、さすがはエンフィールド公。ビュイック侯が師と仰ぐだけはあるな」

「師と……仰ぐ……?」


(師匠じゃなくて、支障ならまぁ……。意味はわかるんだけど……)


 会った事もない相手に師匠扱いされている意味が、アイザックにはわからない。

 いや、アイザックだけではなかった。

 ウェルロッド侯爵家の人間は、全員が首をかしげる。


「おや、ご存知なかったのですか? ビュイック侯が経済重視の方針を唱えだしたのは、アイザック・ウェルロッド語録を読んでからなのですが」

「嘘でしょう!」


 アイザックが驚きの声をあげる。

 その語録は、幼い頃調子に乗って聞きかじった事を話し、家庭教師のテレンスが勝手にまとめたアイザックの黒歴史である。

 誰も話題に出さなくなったので、もう忘れられたものだと思っていたが、思わぬところで話題に出てきてしまった。


「なぜあの本が……」


「心底わからない」といった様子のアイザックに、ダッジはクククと笑いを漏らす。


「誰だって調べるでしょう。あのフォード元帥を打ち破った男の事を。商人からアイザック・ウェルロッド語録を知り、数冊買いとったのです」

「そんな……」


 アイザックは恥ずかしさのあまり叫びたくなる。

 しかし、なんとか我慢して顔を赤面させるだけに留めた。

 その反応を、ダッジは「己の未熟さを恥じているのだ」と受け取った。


「確かに内容は荒いものでした。しかし、当時五歳か六歳かの子供が考えたものだというのを抜きにしても、宝石の原石のような輝きを放っておりましたよ」


 ダッジも読んだのだろう。

 彼は「完璧なものでなくとも気にするな」と語る。


「ビュイック侯は特に『国が富むには国民が豊かでなければならない』というところに注目しました」


 ダッジが、ビュイック侯爵の考えを説明し始める。


 彼が言うには――


「税率を五十%にした場合、百の収入を得る者からは五十の税収を得られる。七十%にした場合、七十の税収を得られる。しかし、国民を富ませて二百の収入を得られるようにすれば、五十%の税率でも百の税収を得られるようになる。回り道をする事になるものの、結果的により強大な軍隊を維持する事ができるようになる。収入の増加による物価の上昇などを考えても、経済力が高まるメリットの方が上回る」


 ――という考えに至ったようだ。


 富国強兵とはいうが、それは相応の経済力があるか、国民に大きな負担の上で実現可能なもの。

 ファーティル王国での敗戦で、国民があまり協力的ではない時期に大きな負担はかけられない。

 だから、富国に全力を注ぐ事にしたのだった。

 幸いというべきか。

 ロックウェル王国から戦争を仕掛ける事はあっても、周囲の国から攻め込まれる事はなかった。

 一時的に軍縮を行っても、問題はないだろうという判断をしたのだ。


 しかしながら、職を失う者達にとっては面白いものではない。

 さすがにダッジくらいになれば一定の理解はしているようだが、腕一本でのし上がってきた者達には切り捨てられたようにしか思えないだろう。

 フェリクスが部隊指揮官を早く集めてこられたのは、ダッジの協力だけではなく、国への不満が極限にまで高まっていたからだと思われる。


 だが、今のアイザックはそこまで考えられなかった。


(なんで子供の妄言が一国の政治を変えてるんだよ! それだったら一言『成長した今のお考えを伺いたい』とか聞きにくるだろ。普通は)


 予想もしないところで大変な事になってしまった。

 きっと、ビュイック侯爵の使者は外交的な者ではなく、個人的な使者なのだろう。

 信じられない事続きで、アイザックの思考はフリーズする。


「長旅でお疲れのはず。今日のところはゆっくりされるといい。仕官の話はまた後日という事で」


 アイザックの様子を見て、モーガンは話を打ち切ろうとした。

 彼自身、考えを整理したいところだった。


「そうさせていただきます。明日以降、しばらくは観光などを楽しませていただきましょう」


 当然モーガンも「ダッジは引いたものの、かなりの期待をしている」とわかっている。

 彼としても、問題が起きないのならば優秀な人材はほしい。

 ロックウェル王国の使者に、どう対処するかをアイザックと話さねばならないと感じていた。

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