第439話 新たな問題
アイザックの考え通り、アマンダ達は家まで押し掛けてはこなかった。
しかし、家にも待ち伏せしている者がいた。
――ブリジットである。
「これ、受け取って」
ブリジットは包帯を巻いた手で、アイザックに雑な刺繍が入ったハンカチを手渡してきた。
彼女もバレンタインデーにハンカチを送ろうとしたのだろう。
アイザックは彼女の努力に涙した。
「ブリジットさん……」
「アイザック……」
二人は、しばしの間見つめ合う。
そして、アイザックがブリジットの手を取った。
「意外と大胆なのね」
ブリジットは頬を赤らめるが、アイザックが次に手に取ったのは包帯の結び目だった。
サッと包帯を外す。
包帯の下には傷一つない綺麗な手があった。
「ちょっと! 何するのよ」
「いや、エルフなんだから怪我くらい簡単に治せるだろうなって思って。あと、母上から刺繍を習っていたのを見ましたが、もっと上手く刺繍できてましたよね? バレンタインデーにハンカチを渡すという事を忘れていて、慌てて作ったのを誤魔化すために包帯を巻いていた……なんて事はないでしょうね?」
「くっ!?」
ブリジットが顔を背ける。
その反応が、すべてを物語っていた。
「アイザック、やめなさい!」
二人のやり取りを見かねて、リサが止めに入る。
「ブリジットさんだって、わざとやったわけじゃないはずよ。ただちょっとだけ忘れていただけじゃない。そんなに責めてあげないで」
「いや、どう考えてもわざとだよね? ハンカチだけならともかく、包帯を巻いている時点で騙す気しかないじゃないか! 今の流れで僕が責められるのはおかしくない?」
「くっ!?」
リサも、ブリジットの擁護は無理筋だと思っていたのだろう。
彼女も顔を背けた。
その反応を見て、アイザックは確信する。
(薄々とは気付いていた。けど、今回で確信した。二人は協力関係にある!)
リサは以前からティファニーやブリジットを庇ってきた。
それは長い付き合いがあるからだと思っていたが、それ以外にも理由がある。
――アイザックの第一夫人に、ブリジットかティファニーが選ばれると嬉しい。
前にリサがそんな事を話していた覚えがある。
だからだろう。
「友達だから」の一言では済まないほど、彼女らのサポートに力を入れている。
信頼している者が裏切っていた事に気付き、アイザックは大きな衝撃を受ける。
「そもそも、今まで練習で縫ってきた中に刺繍入りのハンカチくらいあるでしょう? それを使えば、こんな小細工しなくてもよかったんじゃないですか?」
ブリジットが、ハッとした表情を浮かべる。
その時、小さな笑い声が聞こえた。
「ブリジットさんらしいね」
笑っていたのはティファニーだった。
彼女は今までと変わらないブリジットの姿を好ましく思っていた。
だが、すぐに悲し気な表情に戻る。
――自分とチャールズの関係も、昔のまま変わらなければよかったのに。
そう思うと、また泣き出してしまいそうだった。
「……とりあえず、ティファニーの愚痴でも聞いてあげてよ。そうしたら、今日の事はからかうネタに使ったりしないからさ」
ティファニーをリサに預けながら、アイザックは「前にも似たような事があったような気がする……」と既視感を覚えていた。
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翌日、アマンダにはいつもの元気がなかった。
元気が取り柄の彼女も、さすがに一日では立ち直れなかったようだ。
それはジュディスも同じだったようで、昼食を一緒に食べにこなかった。
(これでいいんだ……)
アイザックは――
「バレンタインデーで徹底的に避けたのは正解だった」
――と確信した。
好意を持ってくれている相手を自分からフラねばならないのは心苦しい。
だが、これで彼女達も新しい相手を探し始めるはずだ。
「彼女らの人生にとっては、その方がいい」と思い、アイザックも謝るような事はしなかった。
この状況に、ほくそ笑んでいたのはロレッタだった。
なぜかわからないが、アマンダとジュディスがアイザック争奪戦から脱落した。
たった一日で強力なライバルが消え去ったのだ。
彼女は心に余裕を持てるようになり、いきなりアイザックにがっつくような真似をせず、節度ある距離を保っていた。
アイザックにとって、平穏な日だったと言える。
――しかし、平穏は一日だけだった。
ティファニーから「告白はしておらず、婚約もしない」と聞いたアマンダ達が、またアイザックに積極的にアプローチをかけてきたのだ。
しかも、卒業式が近い時期という事もあり、必死さも違う。
バレンタインデーに逃がした分を取り戻そうと、彼女達のアピールにも力が入っていた。
休み時間に、アイザックは助けてくれた友人達に礼を言った。
彼らの尊い犠牲のおかげで、アマンダ達から逃げ切れたからだ。
この時、アイザックは驚愕の事実を知る。
――アイザックの人気はそれほどではなかった。
これはルーカスの情報である。
三年生はアマンダ、二年生はロレッタが、他の女子生徒に「アイザックに手を出すな」とプレッシャーをかけていたらしい。
だから、学生最後のバレンタインデーに突撃していたのは、完全に統制できていない一年生の女子生徒がきたのだ。
しかし、それでも一人だけなので、彼女達の統率力はなかなかのものである。
ちなみに一番人気はカイだった。
アイザックとは違い、男爵家の次女、三女でも狙っていける家柄が高評価の要員だった。
次点はフレッドだ。
他のゴメンズと違って、彼は婚約者がいない。
酷い扱いをするところを見られなかったのがよかったらしい。
アイザックとは違い、アマンダのような強力なライバルもいなかった。
とりあえずチャレンジする者が多かったそうだ。
ゴメンズの中では、マイケルだけは意外と人気があった。
彼はチャールズやダミアンと違い、領地持ちの伯爵家の嫡男である。
危険ではあるものの「ワンチャンいけるかも?」という期待で、親が突撃させていたとの事。
アイザックの友人の中では、レイモンドの親が子爵で代官職に就いているという好条件だったが、彼の人気も低かった。
それは婚約者のアビゲイルによるものだった。
彼女は家庭科部での交友関係を利用し「レイモンドに近付く女を許さない」と周囲に圧力をかけていた。
多少は独占欲もあっただろうが「アイザックの友人」という立場を悪用させないためでもある。
彼女なりに、レイモンドの立場を考えての行動だった。
ポールとルーカスは、実家が代官職ではないので人気がなかった。
やはり高収入の当てがないと、第二夫人、第三夫人の座を狙う魅力が落ちるようだ。
それならば、ほどほどの男子生徒の第一夫人を狙う方がいいと思われていた。
個人の魅力だけではどうにもならないらしい。
ただし、人気に関してジェイソンだけは別格である。
普通は側室狙いでも、気軽にハンカチを渡したりはしなかった。
王族の婚約は、バレンタインデーで左右されないのだ。
そこは童話とは違い、空気を読まされていた。
バレンタインデーの話で、アイザック達は盛り上がる。
こうして友人と話している間は、アマンダ達の攻勢をどう切り抜けるかを考えずにいられたからだ。
しかし、そうゆっくりもしていられない。
新たな問題がアイザックのもとへ迫っていたからだ。
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バレンタインデーから数日後。
帰りのホームルームにて。
「アイザックくん。自宅からの伝言で、客人が訪ねてきているから今日はまっすぐ帰ってきてほしいそうだよ」
担任のニールが、アイザックに伝言を伝える。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうと言いたい。サンダース子爵からの伝言をエンフィールド公に伝えた。これは他の教師にも自慢できるだろう。内容に関しては極秘で話せないとでも言っておけばいいからな」
ニールは楽しそうに話す。
ピストの突然の退職により面倒を負わされたと思ったが、最終的には担任を受けてよかったと思えるようになっていた。
それにアイザックは揉め事に首を突っ込むが、騒動の主犯ではない。
マイケルの担任などに比べると「このクラスの担任で本当によかった」と断言できるくらいだった。
「学生生活も残りわずかだ。最後の最後でハメを外さないように」
最後に全生徒に向かって注意喚起して、ニールはホームルームを締める。
静かにしていた生徒達が、ざわざわと騒ぎだす。
これからどうするかを話している。
アイザックの隣にいたアマンダも、不安そうに口を開いた。
「客人って、もしかしてドワーフの女の子とかだったり……」
彼女の心配は――
「エルフもアイザックくんと婚姻関係を結ぼうとしていたんだから、ドワーフも考えてもおかしくない」
――というものだった。
アイザックも彼女の考えがわかったので、笑って答える。
「違うよ。ドワーフは血の繋がりよりも、技術の繋がりに重きを置いている。今更婚約者候補なんて送ってこないよ」
「そう、ならよかった」
アマンダが安堵の表情を見せる。
アイザックは「ドワーフの婚約者の話があるって言っておけば、当面の間彼女を躱せたんじゃないか?」と気付き、もったいない事をしたと悔やんだ。
「おそらく、フェリクスさんじゃないかな。そろそろ戻るって連絡もあったし」
「あぁ、勧誘のために派遣していたっていう。……戻ってくるの早くない?」
カイが会話に混じってきた。
彼の疑問ももっともなものだ。
しかし、早い理由は聞いている。
「そこが気になるところなんだけど、協力者のおかげでスムーズに進んだらしいんだ。フォード伯爵家なら顔も広いだろうし、先代に世話になった人が手伝ってくれたのかもね」
「それなら納得だな。落ち着いたら紹介してくれよ。俺も……、レオ将軍の事とか話したいし」
彼は名を上げるきっかけになったレオ将軍の事が気にかかっているようだ。
確かにフェリクスなら、どんな人物だったのかよく知っているだろう。
だが、アイザックには気がかりな事があった。
「いいのか? どんな将軍だったかはともかく、殺した相手の私生活の情報とかは聞かない方がいいんじゃないか?」
カイが気に病まないかという事だ。
「かまわない。有名な将軍を偶然討ち取ったというだけで終わりたくない。その先に進むためにも、何でもいいから知っておきたいんだ」
しかし、心配は無用だったようだ。
彼は彼なりに考え、前に進もうとしている。
ならば止める必要はない。
落ち込んでしまった時に慰めてやればいいだろう。
「わかった。しばらくは報告とか事後処理で忙しいだろうけど、話す機会を用意しておくよ」
「助かる」
(そういえばフレッドも……。まぁいいか)
フレッドもフェリクスに会いたがっていたが、彼に会わせると面倒になりそうなので、当分は言わずにおこうとアイザックは考える。
「じゃあ、今日は先に帰るね」
アイザックは最後に「また明日」と声をかけて帰っていった。
教室に残されたカイは、アマンダに「アイザックくんとの会話を邪魔された」と膨れっ面を向けられ「助けてくれ」とルーカスにすがる視線を向けていた。
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屋敷に戻ると、玄関ホールで秘書官見習いが待っていた。
彼だけではなく、アーヴィンやハキムもいるので、軽く報告するためにアイザックの帰宅を待っていたのだろう。
「やぁ、お疲れ様。フェリクスさん――じゃなかった。フェリクス護衛の任ご苦労だった。何か問題はあったかい?」
まずはアーヴィンに尋ねる。
とはいえ、問題があったとは思えない。
あったのなら、彼ら護衛が負傷しているはずだからだ。
「護衛任務にはございませんでした。ただ政治的な問題が発生しておりまして……」
アーヴィンが秘書官見習いに視線を向ける。
政治的な問題は、騎士ではなく秘書官の彼から報告があるという事だろう。
アイザックはうなずいて見せ、彼の報告を求める。
「フェリクス殿の勧誘は、やはりロックウェル王国側に不満を持たれてしまいました。ロックウェル王国から抗議の使者と、ビュイック侯からの釈明の使者が同行しております」
「抗議はともかく、釈明の使者も一緒にきているの?」
「はい」
抗議の使者は想定の範囲内だったが、釈明の使者まで出してくるとは思わなかった。
どうやら、ビュイック侯爵への嫌がらせは効き過ぎたらしい。
ただの言い掛かりだとアイザック本人が誰よりもわかっている。
釈明されても反応に困るだけだ。
(真剣な顔をしながら適当に聞き流すか)
面倒だとは思うものの、それくらいなら問題はない。
むしろ、それだけ効果があったのだと前向きに考える事にした。
「なるほど、それは対応を考えておこう。勧誘した指揮官達に問題はありそうだったかい?」
「リード王国に強い恨みを持っており、周囲と上手くやっていけそうにない者は面接で落としました。戦闘技術に関しましては、アーヴィン達が腕を確かめてくれましたが……。フェリクス殿は閣下の望み通りの人材を集めたとは言っていましたが、部隊の指揮能力に関しましては我々では判断する事が難しく、閣下の判断待ちとなっております」
「ロックウェル王国軍の兵士を動かして、どの程度の力量か確かめさせてもらうわけにはいかないもんね」
個人の武勇に関しては問題ない。
そして、指揮能力に関しても問題ないだろうとアイザックは思っていた。
ロクでもない人材を引き抜いてきても、フェリクスの評価を下げるだけだ。
リード王国で生きていくしかない彼にとっては致命的だろう。
実力面で申し分のない人材を集めてきてくれているはずだった。
「しかし、本当によかったのでしょうか? フェリクス殿は閣下の望み通りだと言っていたのですが――」
「旦那様のご帰宅です」
秘書官見習いが何か言おうとしていたが、使用人の言葉でかき消された。
「お爺様が?」
アイザックは首を捻る。
帰宅の時間にはまだ早い。
抗議の使者が来るのは予想済みである。
慌てて帰ってくるわけがない。
(さては使者をやり過ごすために帰ってきたな)
長旅の疲れもあって、使者はイラついているかもしれない。
抗議初日の感情的な非難を浴びせられるのが嫌で帰ってきたのだろう。
そう考えるのが自然なようにアイザックには思えた。
ちょうど玄関ホールにいるので、アイザックは皆と共に祖父を出迎える。
――すると、すぐに間違いだったと気付く。
馬車から降りてきた祖父の顔色が優れなかったからだ。
「アイザック、話は聞いたか?」
「ちょうど今報告を受けていたところです。抗議の使者はそちらに行ったようですね」
「ああ、そうだ」
彼とは対照的に、アイザックは肩をすくめて余裕の表情を見せる。
「でも仕方ないですね。お爺様はウェルロッド侯爵家の当主であり、外務大臣でもあるのですから」
「よくもまぁそこまで他人事のように……。あとで困るのはお前なんだぞ」
モーガンは疲れたように溜息を吐いた。
「しかし、事実関係をフェリクスから聞かねばならんのは変わりない。使者の抗議がどこまで真実なのかを確かめねばならん」
「そうですね。では聞きにいきましょうか」
アイザックはモーガンの意見に同意し、アーヴィン達に視線を移す。
「ご苦労だった。出張手当などは後日支払う。下がっていいよ」
「まだ報告していない事があるのですが……」
「いいからいいから。あとの事はフェリクス本人から聞くから今日は休んでくれ」
アイザックは、秘書官見習いの気持ちがわかる気がした。
――あとから現れた新人に負けたくない。
――だから、自分の口から報告したがっているのだろうと。
だが、それはそれである。
簡単な報告を聞く分には問題ないが、詳細な報告を聞いている時間はない。
「客人」というからには、フェリクス以外にも何人か指揮官候補が同行しているのだろうと思われる。
初の顔合わせから時間にルーズな男だと思われたくはない。
そのため、アイザックはカバンを使用人に渡し、着替える事なく最初の挨拶だけする事にした。
モーガンと共に応接室に向かう。
使用人が扉を開ける前にノックをし、アイザックとモーガンの到着を知らせる。
部屋の中で複数の動く気配があった。
アイザック達を出迎えるために立ち上がったのだろう。
中からランドルフが「どうぞ」と声がかけられたので、使用人がドアを開ける。
――中には、予想もしなかった人物が待っていた。
(えっと……。誰だっけ……)
名前は忘れたが、顔は覚えている。
アイザックが離間の計を仕掛けるため、元帥杖をコッソリ送り届けようとした相手だった。
彼はフェリクスと共に並んで立ち、その背後には複数の精悍な顔つきをした男達が立っていた。
おそらく彼かフェリクスの部下なのだろう。
「将……軍……」
「違う。ダッジ元帥だ」
アイザックの呟きを否定すると、モーガンの体がよろける。
すぐさまアイザックと使用人が抱きかかえ、席へと連れていく。
(元帥!? なんで? あぁ、フォード元帥がいなくなったから後任に……。えっ、でも抗議の使者って元帥直々に足を運ぶものなのか? いや、でも抗議の使者は爺さんのところにいって……。どういう事だ?)
アイザックは詳細に報告を受けなかった事を後悔する。
脳裏に「国際問題」の言葉が浮かぶ。
祖父の反応から反乱計画を左右しかねない状況になってしまっているのではないかと恐怖で身を震わせた。
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