第421話 フレッド、騎士の誓い

 ハンググライダーを披露したあと、アイザック達はエリアスのもとに呼び出された。

 彼は満面の笑みを浮かべていたが、操縦者は緊張で足を震わせて、今にも卒倒してしまいそうな様子を見せていた。


「いやー、素晴らしいものを見せてもらった。しかも、空を飛ぶというだけではない。未来の事まで考えて作っていたとはな。驚かされたぞ」


 エリアスは、アイザックと操縦者の肩をポンポンと叩く。

 アイザックは笑顔で応対していたが、操縦者は肩を叩かれたタイミングで腰が抜けて尻もちをついてしまった。

 彼の顔色が真っ青になる。


「も、もうしわけ……」

「陛下に対面した緊張と、労をねぎらっていただいた喜びで力が抜けてしまったようですね」

「言われずともわかっている。この程度で機嫌を損ねたりせんよ」


 アイザックが口を挟むが、エリアスは「そんな事をしなくていい」と笑って返す。

 その笑みが操縦者には、慈愛に満ちた笑みに見えたので「さすがは賢王様だ」と器の大きさに感動した。


「もちろん、あなた方の協力があってだという事も理解している。感謝する」


 エリアスは協力してくれていたエルフやドワーフにも声をかける。

 興奮しながらも、彼らへのお礼も忘れなかった。

 アイザックは「一息つかせるための間だ」と察して、操縦者に手を貸して体勢を立て直してやる。

 片膝を突いてひざまずく形になったので、その体勢のままにしておく。


 エルフ達と握手を交わし終わると、エリアスは操縦者をチラリと見る。

 座っているのを確認すると、彼に声をかける――かと思われたが、アイザックに声をかけてきた。


「人は空を飛べると証明できた。しかも安全に・・・な」


 エリアスはニヤリと笑う。

 彼が何を言いたいのかは、聞かずともわかった。

 しかし、アイザックはそれを受け入れるわけにはいかない。


「いえ、まだ安全ではありません。魔法によって治療されているから無傷に見えるだけで、落下して大怪我する時もあります。今のところ死者は出ていませんが、いつ首の骨を折って即死するかはわかりません。王族や貴族が飛ぶのは、飛行技術が成熟し、それを伝える方法が確立されてからです。あとは二人乗りのものが開発されて、操縦技術を伝えられるようになればというところでしょう」

「なにっ、それはいつになる!?」

「少なくとも半年から一年は先になるでしょう。急いで事故が起きては意味がありません。安全が確保されてからです」

「なんと……」


 ようやく空を飛べるかと思ったら、またお預けを食らってしまった。

 エリアスは露骨なまでに落胆する。

 だが、駄々をこねるような真似はしなかった。

 人目があるというのもそうだが、以前にも「安全の確保ができるまでは飛ばさせる事はできない」と言われていたからだ。

 しかし、空を飛んでみたいという気持ちは強いので、落胆までは隠せなかった。


「一年先とは限りませんが、それでも無理のない範囲で急がせますので、今しばらくお待ちください」

「頼むぞ。空を飛べる日を待っているのは私だけではないだろうからな。なっ」


 周囲の者達も、気付かぬうちに自然とうなずいてエリアスの言葉を肯定していた。

 誰もがアイザックとエリアスの会話に耳を傾けている隙を狙い、ウォリック侯爵に忍び寄る者がいた。

 その者は小さな声で語りかける。


「そういえば、エンフィールド公が会いにいったそうだな。何か急ぎの話でもされたのかな?」


 ――それはウィンザー侯爵だった。


 彼はアイザックがウォリック侯爵に会いにいったという話を聞き、どのような行動を取っていたのかを確認しようとしていた。

 周囲の耳目がアイザック達に集まっている今こそ、こっそり確認するのにいいだろうと思ったからだ。

 声をかけられたウォリック侯爵は「もう確認しにきたのか」と驚いた。

 だが、これは想定済みの状況である。

 すぐに心を落ち着かせた。


「以前から決まっていた約束を、書面にして再確認しただけですよ」


 ウォリック侯爵は、慌てず冷静な声で返答する。


「ほう、それはどのような内容か教えていただけるかな? 王都に到着した翌日に会いにいくくらいだから、よほど急ぎの用だったのだろう? エンフィールド公が急ぐほどの用事ならば、宰相として聞いておいた方がいいと思うのだ。教えてはくれまいか?」


 ウィンザー侯爵は、ウォリック侯爵が落ち着いて答えているので「婚約の話ではないだろう」と思っていた。

 アマンダに婚約を申し込んだのならば、わざわざ尋ねずともウォリック侯爵が周囲に言い触らしているはずだ。

 だから、アイザックは婚約の申し入れをしていない。

 ならば何を話にいったのかが、ウィンザー侯爵にとって気になるところだった。


 ウォリック侯爵は、本当の事を話したいという気持ちになっていた。

 ウィンザー侯爵には、領内が混乱した時に資金や食料の支援をしてもらっている。

 彼には恩義がある。

 だから、問いかけに応えたい。

 だが、それはクエンティン・・・・・・ウォリック・・・・・個人としての感情だ。

 ウォリック侯爵・・・・・・・としては、話すわけにはいかない。

 汚染された土地の浄化は、ウォリック侯爵家長年の悲願。

 恩義があろうとも、ウォリック侯爵家の未来のためには言えなかった。


「ウィンザー侯にはお話ししたい。したいところですが……、宰相閣下・・・・にはお話できませんな。この一件はエンフィールド公が取り仕切っているので、公から直接伺っていただきたい」


 ウォリック侯爵は心苦しさを感じながらも、はぐらかす事しかできなかった。

 しかし、恩義を感じているのも事実。

 少しだけ話せない理由をサービスした。

 そのサービスの部分が、ウィンザー侯爵に大きな衝撃を与える。


(まさか本当にウォリック侯まで寝返っていたとは……)


 ウィルメンテ侯爵の場合、すでに協力をするというサインをしていた。

 だが「ウォリック侯爵を味方にしている」というのは、アイザックの言葉だけで物証がなかった。

 そのため、ウィンザー侯爵は「まだウォリック侯爵を味方にはできていない」と思っていた。


 しかし、先ほどの――


「以前から決まっていた約束を、書面にして再確認した」


 ――という一言で淡い希望は儚く散った。


 ウィンザー侯爵には、一縷の望みを託した案があった。


 アイザックがアマンダと婚約し――


「パメラとまで婚約すれば、きっと二人の間に軋轢が生じる。それでは父と同じ事を繰り返してしまう」


 ――と考え直して、パメラの事を諦めてくれるのではないかと。


 これは案と言うよりは、願いといった方がいいだろう。 

 ルシアとメリンダのように、妻同士の間での問題を起こす可能性を考えれば、アイザックは反乱を踏みとどまってくれるかもしれない。

 そうなれば、パメラとジェイソンの間を引き裂く必要もなくなる。

 だから、アマンダとの婚約を条件に出したのだ。


 しかし、アイザックは一筋縄ではいかなかった。

 きっと「婚約と同等の協力関係を結んだ」と言って、ウォリック侯爵のサインを見せてくるだろう。

 事態はウィンザー侯爵が望んだ方向と正反対に動いている。

「アマンダと婚約しろ」と言ったせいで、ウォリック侯爵が後戻りできない状況を作ってしまった。

 彼は、もうこのまま反乱に突き進むしかない。

 ウィンザー侯爵は、アイザックの手際の良さに負けを認めざるを得なかった。



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 半ば宴会のように明るい雰囲気のまま、昼食が終わった。

 だが、多くの者達は解散する事なく、そのまま校庭周辺に居座っていた。

 戦技部による模擬戦が開催されるからだ。

 アイザック達もエリアスの近くで家族揃って見物する事になった。


「私達が領地に戻っている間に、あんなものを作っていたなんてね。驚かされたわ」


 ルシアが半ば呆れ気味に話しかけてきた。


「昨年、ジークハルトが残念がっていましたからね。喜ばせてあげるため、空を飛ぶという夢を実現しておいておこうとしたんです。来年からは父上から領主としての仕事を学ばねばならないので、こういう事ができるのも今だけでしょうし」

「そうよね、来年には領主として学び始めないといけない……。もうそんな歳なのよね」


 ルシアは息子の成長を実感させられる。

 行動自体は大人顔負けではあったが、ルシアにとっては子供だった。

 今でも子供だと思っているが、そろそろ親になる年齢だという事に感慨深いものを感じていた。


「領主になっても、きっと何かを作ってくれると期待しているよ。ペースが落ちるにしてもね」


 ジークハルトが、アイザックに期待をかけてくる。

 アイザックとしては「ゆっくりさせて」と言いたいところだが、事を成すまでは我慢である。


「アイデアが浮かんだら、職人に作ってみてもらうよ。今回もほとんど職人やドワーフの人達が完成させたようなものだし。あっ、模擬戦が始まるよ」


 明確な返答を避け、アイザックは話を逸らした。

「できたらやる」は便利な言葉である。

 今までは本当にやってきた実績があるので、これでジークハルトは誤魔化された。

 彼の視線が校庭へと移ると、アイザックは気付かれぬようホッと息を吐く。


 模擬戦は下級生から順番に行われた。

 あまり迫力はないが、時折鋭い動きをする者がいる。

 そういう者達は、すでに武官への道が約束されているか、これからスカウトされていくのだろう。

 アイザックも、いつかは彼らのような若者を誘うようになっていくのかと思うと、もうじき学生ではなくなるという事を実感する。


 試合は進み、やがてポールとカイの出番になった。

 腕の近いもの同士が組まれるので、特に意図した組み合わせではないはずだ。

 アイザックは二人に声援を送る。

 だが、送られる二人の耳に、アイザックの声は入ってこなかった。


 ポールは、これからの人生が決まると言っても過言ではない。

 カイは結果を残しているし、レイモンドは科学部でアイザックの手伝いをしていた。

 しかし、ポールには実績がない。

「アイザックの友人だから引き立てられた」と後ろ指を指される事になる。

 せめて模擬戦では、カイに勝っておきたかった。


 カイにも、ポールとは違う悩みがあった。

 彼は偶然敵将を討ってしまったため、武官達から嫉妬されている。

「ただあの時、戦場にいただけだ」と陰口を叩いているのを聞いてしまった事もある。

 実績のないポール相手に無様に負ければ「ほら、やっぱりな」と言われかねない。

 偶然もあったとはいえ、敵将を討ったのは自分の力だ。

 公然と侮辱されたくはない。

 陰口を陰口のままで終わらせるため、最後の模擬戦に力が入る。


 二人の戦いは、睨み合いから始まった。

 お互いに様子見の一撃を応酬し合い、やがて剣戟は激しくなっていく。

 戦い方は違えども、二人の実力は伯仲したもの。

 いつまでも続くかと思われたが、やがてポールがカイの体勢を上手く崩して一撃を入れた。


 ポールは喜び、カイは悔しがる。

 だが、アイザックは二人を称えた。

 カイも負けたにせよ、アイザックよりは強い事は確かである。

 自分にできない戦いを見せてくれた事を称賛したのだった。


 これにはカイも悔しさが和らいだ。

 模擬戦では負けたが、戦場で負けたわけではない。

 命の懸った戦場では、あの大人しいランドルフですら鬼神と化す。

「本番では負けないようにしよう」と、カイを立ち直らせた。


 彼らの戦いが終わると、最後の試合となるフレッドとニコルの闘いが始まる。

 こちらには教師の「扱い辛い生徒同士で戦わせよう」という意図が透けて見えたような気がした。


 しかし、ニコルも実力はある。

 同年代の男子生徒にも力負けしない、女子生徒とは思えぬ身体能力を持っているからだ。

 だが、フレッドを負かせてやろうとは思っていないはずである。

 身体能力の差はなくとも体重差があるし、フレッドには「侯爵家嫡男の俺が負けるはずがない!」という決め台詞もある。

 いくらニコルでも、フレッドを叩きのめす事はないだろうと思われていた。


 ――その読みは正しかった。


 ニコルは素早い動きで翻弄するが、決め手に欠けた。

 彼女の実力はかなりのものだとアイザックにもわかるレベルだが、どっしりと構えたフレッドには通用しなかった。

 慌てずニコルの動きに対応し、時折盾で押して体勢を崩そうとする。

 手数は少ないが、手が出ない・・・・・ではなく、気を使っている・・・・・・・という印象を受ける。

 やはり、ニコルに怪我はさせたくないのだろう。

 アイザックの周囲にいる者達も、フレッドが弱いなどとは言わなかった。


 しばらくして、ニコルがフレッドの動きに慣れてきたと思われたところで、フレッドが動く。

 パターン化したあしらい方から一変、一気にニコルを仕留めにいった。

 本気で盾を押し付けて、ニコルの体勢を崩す。

 これにニコルは対応できず、尻もちをついてしまう。

 彼女の身体能力の高さは本物だが、まだまだ経験が足りなかったようだ。

 倒れてしまったので、模擬戦では彼女の負けとなる。

 場数をこなしているフレッドの順当な勝利に終わった。

 フレッドはニコルに手を貸し、起き上がらせる。

 これで試合は終わったように見えた。


 ――だが、フレッドの行動は終わらなかった。


 立ち上がらせた彼女の前にひざまずき、手の甲にキスをする。


「なにぃ!」


 ウィルメンテ侯爵が大きな声を出して驚く。

 フレッドがニコルに何を話しているのか聞き取れないが、何を言っているのかは明白だ。


 ――僕は君の騎士になる。


 これは想いが叶わない相手に、自分の恋心を騎士としての忠誠心に変えて女性に捧げるというもの。

 それは基本的に上位者相手に行うもの。

 侯爵家の嫡男が男爵家の当主に行っていいものではない。


 しかし、ここで慌ててフレッドを殴りにいくのは侯爵家の当主としてふさわしくない行動である。

 すでに行ってしまったものは仕方がない。

 あとで何かの間違いだったと説明する方法を、ウィルメンテ侯爵は慌てながらも考え始めた。


 フレッドの行動を見て、周囲もざわつき始める。

 普通ならありえない行動であるし、いつもニコルの周囲でばかりありえない出来事が起こるからだ。

 そんな中、アイザックだけが心の中でガッツポーズを取っていた。


(そうか、フレッドは友情を取った……のか? まぁ、ジェイソンの説得に応じたんだろう)


 フレッドは「ニコルの夫」ではなく「ニコルを守る騎士」という選択を選んだ。

 という事は、ジェイソンを夫にした逆ハーレムルートが進んでいるのだと思われる。

 フレッドの選択が「ジェイソンとの友情から、一歩退く事を選んだ」というものかはわからないが、アイザックの大望を成就させるのに一歩進んだという事は事実。

 アイザックにとっては歓迎するべき事態だった。

 それに、無条件で歓迎していられる理由もある。


(今回はアマンダに何かする様子もないから、黙って見ていられて楽だなぁ)


 今のフレッドに婚約者はいない。

 略奪愛にはならないので、被害者もいない。

 強いて言うならば、ウィルメンテ侯爵が困るくらいだろう。

 何が起こっているのかわかっていないケンドラに「なんだか大変そうだねぇ」と呑気に語りかけていた。


 ――しかし、世の中はそう甘くはなかった。


 モーガンに肩を叩かれる。


「マズイぞ」


 祖父の視線を追うと、ウィンザー侯爵が「希望を見つけた」という表情で、ウィルメンテ侯爵を見ていた。

 アイザックも、モーガンの言葉の意味を理解する。


(あっ……。今ならニコルを暗殺しても、ウィルメンテ侯爵家のせいにできる千載一遇のチャンスだ! ニコルがやばい!)


 ウィンザー侯爵が反乱を渋っているのはわかっている。

 ジェイソンを惑わす悪女を一人殺すだけで、多くの人間が反乱などという臣下の道を踏み外す行動を取らずに済むのだ。

「国の未来のため、孫娘のため」と思えば、彼も躊躇しないだろう。


 アイザックも、他人事のように見ている場合ではない。

 またしても仲裁に動かねばならない問題だという事を、強く思い知らされてしまった。

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