第420話 三回目の文化祭

 文化祭が始まる。

 今年で最後という事もあり、アイザックは卒業前にハンググライダーを使ったイメージ戦略を行うつもりだった。


 校庭は本物の騎馬戦を行えるほど広い。

 着地する場所は確保できる。

 問題は離陸地点だが、これは校舎から離れている科学部の部室近くから飛ばす事にした。

 エルフの魔法で地面を盛り上げ、そこから飛ばす。


 飛ばすのはアイザックが考えたソリ式のものではなく、ハンググライダー本体から操縦者を吊り下げる方式へと進化していた。

 アイザックも「そうそう、前世で見たのはこんな感じだった!」と思ったくらいだ。


 開発者たちが試行錯誤を行い――


「ソリって初心者向けにはいいけど、操縦に慣れてくると邪魔だよね」


 ――と判断して無駄を省いていく過程で、こういう形になった。


 アイザックも文句は言わなかった。

 航空機の専門家ではないので、職人達の工夫を推奨すれども、改良を止めるつもりなどない。

 むしろ、少しでも軽くして飛びやすくするという進化を歓迎し、ボーナスを与えていたくらいだ。

 試験飛行も上手くいっているそうなので、心配はしていない。


 問題があるとすれば、操縦者のメンタル面だろう。

 初めてのお披露目という事もあり、操縦者は人間にやってもらう事になった。

 エリアスを始め、貴族の頭上を飛ぶ事になるのだ。

「平民が高みから貴族を見下した」と言い掛かりをつけられて、無礼討ちでもされないかを心配していた。

 アイザックが「カバーする」と言って落ち着かせたが、それでも心理的負担が大きい。

 操作を誤って人の上に落ちない事を願うばかりだった。


「所属していたのは短い間だったけど、最後は科学部として終わるんだね」

「本当に短かったけどね……」


 レイモンドが準備作業を見守りながら、しみじみと語る。

 すると、ルーカスが「一学期だけって……」と、過去を振り返って遠い目をしながら答えた。

「もう少し先生から学びたかったな」という思いは二人とも同じだが、そう思う感情の方向性は少し違った。


「科学の発展は大切だ。来年とはいかないだろうけど、科学の授業を復活させるつもりだよ。魔法に頼らずに済む技術は必要だからね」

「どうせなら、あと二年早くやってほしかったかな」

「仕方ないよ。勉強会も必要だったし、どちらにせよ部活は続けられなかったよ」


 かなり科学に興味を持っているレイモンドと、強い興味を持っていないルーカスで温度差を感じる反応だった。

 他の生徒も、レイモンドくらい興味を持ってほしいものだ。

 アイザック一人でドワーフを満足させるネタを考えるのも大変になってきた。

 誰かが思いついてくれればありがたい。

 そのためにも、科学の普及は推し進めていきたいと考えていた。


 ある程度準備が進むと、商会員達にあとを任せてこの場を離れる。

 最後の文化祭なのはアイザックだけではない。

 レイモンドやルーカスも、当然最後である。

 婚約者と共に見て回りたいという思いもあるはずだ。

 友人とはいえ、やはり身分の違いによる上下関係がある。

 先にアイザックがこの場を離れる事によって、彼らも立ち去りやすくしたのだ。

 断じて「ケンドラに会いたくなったから」というわけではない。

 まずアイザックは、家族が居そうな場所を考える。


(……よしっ)


 考えてもわからなかったので、とりあえず歩いて探す事にした。

 パッと思い浮かんだのはティファニーのいる家庭科部のところだが、そうとは限らない。

 当然、家族にも付き合いがある。

 友人と共に行動しているかもしれない。

 そうなると、どこにいるのか予測できなかった。

 無駄に考えても仕方がないので、最初に思い浮かんだ家庭科部のところへと向かう。


「アイザックも家庭科部に行くのかい?」

「そうだよ。あぁ、レイモンドもアビゲイルのところにいくのか」


 レイモンドの婚約者であるアビゲイルも家庭科部に所属している。

 なので、目的地が同じだと思った彼が声をかけてきたのだ。

 彼はうなずく。


「もっていう事は、アイザックもか。アマンダさん目当て?」

「いや、ティファニーのところに家族が立ち寄ってないかなと思ってね。なんでアマンダさんが出てくるのさ?」

「まだ進展がないんだろ? てっきり、もう一度話を切り出すのかと思ったんだ」

「いくらなんでも文化祭の最中に切り出す話じゃないよ」

「でも、今はまだその時じゃないって言い続けていたら、いつまで経っても切り出せないよ」

「そりゃそうだけどさぁ……。何かアイデア出してよ」


 家庭科室に向かうまでの間、どのようにアマンダやティファニーに断りの言葉を切り出すかを話していた。

 しかし結論は出る事なく、到着までの間に、ただの雑談と化していた。

 目的地に到着するが、そこに家族の姿はなかった。

 だが、だからといってそのまま踵を返すような真似はできない。

 ティファニー達に一言声をかけてから、家族を探しにいく事にする。


「やぁ、ティファニー。どんな感じ?」

「人に見られて緊張はするけど、思っていたよりは忙しくはないかな。作品を見られるだけだし」


 家庭科部では、部員が縫った刺繍を公開している。

 美術部のように絵画や彫刻といった種類はないが、これは美的センスを見せるためのものではない。

 基本的にどれだけ手先が器用かを見せるためのものだった。

 そのため、見学に訪れるのは部員の関係者程度。

 応対するのに忙しさを感じるものではなかった。


 ティファニーが緊張するのは部長だからだ。

 本来ならアマンダがなるところだが、彼女は生徒会役員である。

 兼任する事ができないので、ティファニーが部長に選ばれていた。

 あまり人を引っ張っていくタイプではないが、そこは副部長のアビゲイルがカバーしてくれているそうだ。


「父上達はまだ来てない?」

「いらっしゃっていないよ。お父さん達も来ていないから、一緒にどこか回ってるんじゃない?」

「そうか。それじゃあ、しばらく見学していこうかな。待っていれば、いつかはここに来るだろうし」


 動き回っても、家族とすれ違う可能性が高い。

 いつかは家庭科部に来るはずなので、しばらく見学していく事にした。

 しかし、すぐにアイザックは後悔する。


(綺麗だとは思うけど……、それだけかな)


 ――刺繍を見ても、特に感動はしない。


「絵具ではなく、糸で絵を描く事ができるのは凄いとは思う」という程度の感想しか思い浮かばなかった。

 絵画を見て「作者の感情が感じ取れるようだ」と感想を述べる者もいるが、アイザックにはそのような感性はない。

 真剣な顔をしながら、わかっているかのようなふりをして見学するという待つのが辛い時間となってしまう。


「それはアマンダの作品だよ。どう思う?」


 適当に眺めていたところ、ジャネットが声をかけてきた。

 生徒会の仕事でいないアマンダに、アイザックの感想を聞かせてやりたいと思ったのだろう。


(どう思うって言われても……)


 だが、感想を求められてもアイザックは困るだけだ。

 良し悪しがわからない。


「刺繍は根気よく一針一針縫っていかないといけない、縫った人の性格が見えるものだと思う。その点、アマンダさんのは丁寧に縫われてるね。難しい事にもめげずに諦めない前向きな彼女の性格がよく現れていると思うよ」


 それで誤魔化そうとした。

 作品の感想ではなく、アマンダの性格に触れる事でわかっているふりをしたのだった。

 それでもジャネットは満足してくれたようだ。

 彼女は微笑んでいた。


「アマンダの事をよく見てくれているね。それは『またアイザックくんに受け取ってほしい』って思いながら縫ったものだよ。今度こそって思ってね」

「そ、そうなんだ……」


(うわぁ、やっちゃった……)


 作品を見てアマンダの事を理解しているふりをしたせいで「アマンダの気持ちもわかっている」と言ったようなもの。

 健気な思いをわかっていて振ろうとしていると思われるだろう。

 この流れはマズイものだと感じていた。


「ジャネットさんも知っているだろうけど、マットも見学に来るってさ。今年は学生と関わりを持つ事になったしね」

「ええ、聞いているよ。昼食を一緒に取ろうと……。そういえば、昼食の時に何かをするそうだね」

「うん、一足早くみんなにお披露目をしようと思ってるんだ。科学部、最後の活動だ。マットと一緒に見ていてよ。きっと驚くから」

「そうさせてもらうよ」


 アマンダの事から話題を逸らし、マットの事に触れた。

 それからアイザックは、アビゲイルにも話しかけて家族がやって来るまでの時間を潰した。



 ----------



 アイザックは家族と合流し、文化祭を見て回った。

 そして昼食の時間になったところで、ハンググライダーの準備を確認する。

 準備が整っているのを確認すると、校庭へと向かった。

 戦技部のために校庭内に人はいないが、その周囲には大勢の人が集まっていた。

 敷物の上に弁当を広げ、これからアイザックが何をするのか見物するためだ。

 そのために、あらかじめ校庭の外周に集まるように連絡をしていたのだった。

 まずはエリアスのところへ向かう。


「陛下、本日は飛行機の前段階となるもののお披露目をさせていただきます」

「おおっ、ついにか。楽しみにしていたぞ」

「そこで一点お願いが。空を飛ぶという乗り物ですので、操縦者が上から下を見下みおろす形になります。ですが、それは乗り物の特性によるもので、陛下を高いところから見下みくだしているわけではございません。不快な気分になられるかもしれませんが、お怒りを抑えていただきたく存じます」


 これは言っておかねばならない事だった。

 操縦者が「無礼者!」と処罰されては、今後飛行機関連の開発が止まってしまう恐れがある。

 先にエリアスから許可を取っておく必要があった。

 エリアスは大きく笑って「心配ない」という気持ちを表した。


「さすがに見下ろすと見下すの違いくらいわかる。高いところから見られたという程度で怒っていては、王宮の最上階から降りられんではないか。エンフィールド公は心配症だな。かまわん、許す」

「これは失礼致しました。操縦者が平民です。王族の方々に不快な思いをさせないか心配しておりましたので、確認のために伺いました。何分初めての事なので、私としても確認しておいた方がいいと思っておりました。陛下の寛大な御心に感謝いたします。では、始めるように伝えてきます」


 エリアスの周囲にはジェイソンもいるし、各国の大使やその家族がいる。

 彼らには会釈をしてから、アイザックはこの場を離れる。

 離陸地点に行き、指示を出すと、またエリアスの近くに戻った。

 だが、今度はブリジットとジークハルトを連れてだ。

 皆から見えるところまで進み出て、ブリジットに魔法で声を大きくしてもらう。


「皆様、お待たせ致しました。科学部最後の活動として、新しい乗り物のお披露目をさせていただきます。空を自由に飛ぶ事ができる飛行機。その前身となるハンググライダーという乗り物です。今はまだ滑空するだけではありますが、魔法を使わずに空を飛ぶ事ができます。さぁ、始めてください」


 最後の言葉は、離陸地点にいる者達への言葉だった。

 開始の合図が聞こえると、地鳴りと共に離陸地点が盛り上がる。

 エルフの魔法で、離陸するための高さを確保するためだ。


「おおっ!」


 空を飛ぶよりも、その準備段階で見学者は驚いた。

 ついでにアイザックも驚いた。

 いきなり長方形で高さ五十メートルほどの縦長の台地が現れたのだ。

 わかっていても、映画のような演出には驚かされる。


 そして誰よりも、操縦者達が驚いていた。

 地響きと共に足元が盛り上がり、視界がグングンと高くなっていく光景は圧巻である。

 エルフですら、こんな事を試した経験などない。

 初めて尽くしの出来事に、彼らの心臓が張り裂けそうになるくらい激しく鼓動が高鳴る。


 地面の動きが止まると、まず一機が飛び立つ。

 丘とは違って風が弱く、高さも足りるか不安だったが、なんとか飛んでくれた。

 とはいえ、操縦者も不安を感じているのだろう。

 落下した時に備えてか、人の多い校庭外周ではなく、さらに外側を回るように飛んでいる。

 だが、その程度は問題ではない。

 多くの者が空を飛ぶ物体を見て、呆気に取られていたからだ。

 どこを飛んでいるかなど些細な問題だった。


 徐々に高度が下がり、そろそろ着陸かと思われたところで校庭の中に入ってきた。

 そのまま着陸するとアイザックも思っていたが、寸前で機首を上げて速度を殺す。

 アイザックの予想を超えるほどあっさり、ストンと両足で地面に降り立った。


(へー、そうやって降りるんだ! ズザザッとスライディングみたいに滑って止まるのかと思ってたよ!)


 ハンググライダーの飛ぶシーンはテレビで見た覚えはあったが、着陸シーンは記憶になかった。

 初めてハンググライダーの着陸を見たため、感動して拍手を贈ってしまう。

 アイザックが拍手をした事で、周囲の者達も称賛の声と拍手を操縦者に贈る。

 操縦者は貴族達に称賛される事に恐縮しながらも、周囲に手を振ったり、会釈をして声に応えた。


「皆様、ご声援ありがとうございます。今は高いところから低いところへ飛ぶ事しかできませんが、いつかは空を自由に飛び回れるものを作りたいと思っています。そしてこれは、ただ空を飛ぶ道具というだけではありません」


 だが、アイザックの目的はこれだけではない。

 この先がある。


「二百年前、エルフやドワーフを奴隷にしようとした者達のせいで種族間戦争が起きてしまいました。では、なぜ起きてしまったのか? 私は羨ましかったのだと思います。エルフは凄い魔法が使え、ドワーフは逞しい体があります。持たざる者が持つ者に対する嫉妬。彼らの上に立つことで、その負の感情を解消せんとしようとしたのではないかと考えました」


 アイザックは周囲を見回す。

 すでに先ほどまでの声は消え、皆がアイザックの言葉に耳を傾けていた。


「ですが、特別な力を持たない者だからこそできる事があります。このハンググライダーもそうです。エルフの魔法でも、ドワーフの技術力でも、今まで空を飛ぶ事はできませんでした。そんな状況で、人間が最初に空を飛ぶ道具を開発した。特別な力を持たないからこそ、目的を達成するのにどうすればいいのかを人一倍必死になって考える事ができるのです」


 アイザックは右手にブリジット、左手でジークハルトの手を取り、皆に見えるよう高く掲げる。


「二百年の時を経て、共存共栄の時代が再び訪れたのです。昔の人達は安易な道を選んでしまいましたが、私は難しくとも皆が仲良く暮らせる道を選びたい。そのためならば、いくらでも悩みましょう。皆さんが笑って日々を過ごせる世界を作るために、いくらでも努力します。その第一歩が、空は鳥だけのものではないという証明です。エルフやドワーフでもできなかった事を実現しました。もう彼らは嫉妬の対象ではありません。彼らの上に立とうとする必要などないのです。これからも良き隣人、良き協力者として共に暮らしていけるよう、みんなで頑張っていきましょう」


 アイザックの話を聞いていた者達が、今語った事の意味をすべて理解したわけではない。

 だが、彼らにもすぐ理解できた事があった。


 ――アイザックは平和を望んでいる。

 ――そのための努力を惜しんでいないと。


 エルフやドワーフにもできなかった事を皆に見せたのも、そのためだ。

「アイザック以外の誰にできるのか?」という疑問はあるものの、魔法を使える羨望が嫉妬に変わらぬよう、人間にも他種族に対して優位なところがあると証明して見せた。

 そこにはアイザックの努力が窺える。

 他人に「努力しろ」と言うだけではなく、自分から進んでやって見せたのだ。

 本気の度合いがよくわかった。


 だが、アイザックの狙いは平和などではない。

 その正反対のところにあった。

 このままだと、ジェイソンは暴走する。


 ――自分自身のために。


 その時、貴族達はジェイソンと対峙するアイザックを比べるだろう。

 他人のために動くアイザックに比べ、個人の欲望を満たそうとするジェイソンの姿は、かなり醜いものに見えるはずだ。

 そして「周囲のために働くアイザックこそ救世主だ」と感じてくれるだろう。


 大勢にアピールするため、飛行試験場でお披露目会を開けば、どうしても心の中で身構えてしまう。

 スッと心に付け入るために、文化祭という少し浮かれた雰囲気の場を選んだのだった。

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