第410話 説得の切り札

「まず、現状のままだとどうなるかの予測をお話しましょう」


 アイザックはお茶を一口飲んで間を置いた。

 話を聞いてもらうというのは第一関門である。

 だが、そこにたどり着くまでは緊張の連続だった。

 一息付けた事に安堵する。


「今の様子だと、パメラさんが別れを切り出されるのは間違いないでしょう。問題はいつ切り出すかです。パメラさんはいつ頃だと思いますか?」


 ウィンザー侯爵は返事をしてくれないと思ったので、パメラに話を振る。

 彼女は悩んでいる表情を見せる。

 答えを出したのだろう。

 しばらくしてから口を開いた。


「卒業式のあと……、ではないでしょうか」

「私もそう思っています」


 どうやらパメラは、アイザックの意図をわかってくれたようだ。

 アイザックは少し嬉しくなる。

 これは二人の認識が共通しているところを見せ、ジェイソンの危うさをウィンザー侯爵夫妻に深く印象付けるための行動だった。


「なぜ卒業式のあとに別れを切り出すと思われるのですか?」


 この質問は問題ないだろうと考えたローザが、その理由を尋ねる。


「思い返せば簡単な事です。昨年度の卒業式を思い出してください。式が終わったあと、ジェイソンが何をしたのかを」

「それは……」


 ジェイソンは、ニコルを襲ったマークを処刑しようとしていた。


 ――学院内で起きた問題は、学院内で解決する。


 そのような決まり事があるものの「卒業した生徒は学生ではないので学院外の法で処罰できる」というのが、彼の根拠だった。

 だから、ジェイソンがパメラを処罰するのは、卒業式が終わってからの可能性が高い。

 ローザは、その事に気付かされただけではなかった。

 ジェイソンが実行しかねないほど、ニコルへの強い執着を持っていた事も思い出させられる。


「マーク先輩はネトルホールズ女男爵を性的に暴行しようとしていました。ではパメラさんはどうでしょう? ジェイソンはパメラさんがネトルホールズ女男爵を階段から蹴り落として殺そうとしたと思っています。暴行未遂犯と殺人未遂犯。どちらが重い処罰を下されるでしょうね」


 ローザは唇を噛み締めた。

 彼女も王家を信じる心を持っていたが、ジェイソンの様子がおかしいという事も知っている。


 ――もし、パメラを罪に問われるような事があればどうなるか?


 そんな事を考える事自体が不敬ではあるが、どうしても考えさせられてしまう。

 昔のジェイソンを知っている者にとって、それほどまでに今のジェイソンの様子がおかしく見えていた。


「今回の事件は、王家預かりとして学院が関われないようにしています。そこに何らかの意図が見えてきませんか?」


 まず攻めるべきはローザだ。

 そう判断したマーガレットが、彼女に攻勢を掛ける。


「教師では解決できない問題だからだと思っていたのですけれども……」


 ローザはパメラを見る。


 ――もしも、それが卒業式にパメラを処刑するための措置だったとしたら。


 段々と、王家側の行動が怪しく見えてきてしまう。

 事件当初、ジェイソンはパメラに対して暴力を振るうほど激昂していた。

 だが、今は無視するような態度を取り、直接何かをしようとはしていない。

 昂っていた感情が落ち着いたのだと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。


 ――卒業後に殺す事を決めたから、大人しくなった。


 そう考えると、ジェイソンがパメラに対して行動を起こさない理由がわかるような気がした。


「ただ、これも想像の範囲ですけどね。確定ではありません。でも、その時になってから焦っても遅いんですよ。先に準備をしておけば、どんな問題も余裕を持って対処できます。だから、私に協力していただきたいのです」


 この言葉に対して、ローザの返事はなかった。

「協力する」というのが反乱に関わるものだからだ。

 不用意な言葉を発する事ができない。

 ただ黙ってアイザックの様子を見ていた。


「そう、これはただの準備ですよ。すべては問題が起きた時に対処するためのもの。今後ジェイソンが問題を起こさず、パメラさんに謝罪し、ネトルホールズ女男爵と関わらないようにすれば無駄になるものです。あくまでも不測の事態に備えて準備をしているだけ。それにどのような罪があるのか、という事ですね。心の準備をするだけで罪にはならない。そうでしょう? まぁ、心の準備だけではないんですけどね」


 アイザックが笑みを見せる。

 笑みを向けられた者達には「準備が無駄になるような状況にはさせないけどね」と言っているようにしか見えなかった。


「ウォリック侯爵家が王家への反乱を考えていたというのは、ご存知でしょうか?」

「あぁ」


 政治の中枢にいた者なら、誰でも知っている事だ。

 反乱に賛同する言質を取られる心配のないこの質問には、ウィンザー侯爵が短く答えた。


「当然、王家も承知しています。では、そんな者を王家は軍の要職に就けるでしょうか? ……無理でしょう。王国軍を王都から離れさせ、ウォリック侯爵家の軍を進撃しやすくすると思われるかもしれません。そうなると、軍の要職には就けられない。今だけではなく、将来的にも。それでは武官の家柄としては不満が残るでしょうね」


 まずアイザックは、今もウォリック侯爵家で不満の火種が燻っている事をアピールする。

 これは重要な事だった。

 ウィンザー侯爵は「ウォリック侯爵家は、すでに取り込まれている」と思った。

 アイザックの攻勢は終わらない。


「ウィルメンテ侯は、なかなか理解の早いお方でしたよ。こんなものを書いてくださいましたよ」


 アイザックは一枚の紙きれを取り出して、ウィンザー侯爵に掲げて見せる。

 その内容はシンプルだった。


 ――アイザックが何をしようとしているのかを、すべて分かった上で全面的に協力する。


 そのような内容が書かれた文面のあと、ウィルメンテ侯爵のサインがされていた。


「馬鹿な! そんな事が……、そんな事があるはずがない!」


 ウィンザー侯爵は立ち上がり、食い入るように署名を確認する。

 ウィルメンテ侯爵が裏切るなどとは思えなかったからだ。

 だが、どう見てもサインは本物にしか見えなかった。

「これは偽物だ」と思いこみたいところだったが、この書類が偽物ではない証拠が連名で書かれている。


「あの道化を演じている者までもが……」


 それは、カニンガム男爵のサインだった。

 彼が愚か者を演じているのは、見る者が見ればわざとだというのがわかる。

 カニンガム男爵が動いたあと、ウィルメンテ侯爵が望む方向に物事が動いているからだ。

 ウィンザー侯爵も、彼が道化を演じている事を見抜いていた。

 そして、その名が連名で署名されている事の意味にも気が付いた。


 もし、このサインが偽造なら、カニンガム男爵の名を連名にはしないだろう。

 ウォリック侯爵の名でもいいし、王党派の有力貴族の名でもいい。

 もっと他の有力者の名を書く方が有効である。

 なのに、アイザックが見せた書面には、カニンガム男爵の名前が連名で記されていた。

 それがサインの信憑性を高めていた。


「ウィンザー侯もご存知でしたか。カニンガム男爵の力量にふさわしい仕事を与えようとしたのをきっかけに、色々と話す事になりましてね。その縁でウィルメンテ侯とも話をさせていただきました。私が思っていた以上に理解の早い方でしたよ。快くサインをしてくださいました」

「カニンガム男爵が、ウェルロッド侯爵家の屋敷によく出入りしているとは聞いていたが……。まさか、彼を使ってウィルメンテ候と繋がっていたとは……」


 アイザックは少し微笑みを見せる。

 それはウィンザー侯爵を嘲笑うものではない。

 自嘲めいたものだった。


(まさか、ここで役に立つなんてな)


 このサインは、ウィルメンテ侯爵に「道連れになって一緒に死ぬか、協力して栄華を極めるか」という選択を突きつけるためのもの。

 どちらかと言えば、なし崩し的に巻き添えにするためのものだった。

 それをウィンザー侯爵の説得に役立てようだなんて、今まで思わなかった。

 どこで何が役に立つのかわからないものだ。


 ウィンザー侯爵家が味方になれば、アイザック側は圧倒的に有利になる。

 ウィルメンテ侯爵も「王家はもうだめだ」と、本当に王家を見限るかもしれない。

 彼自身も、自分のサインがウィンザー侯爵家を動かす大きな鍵になるとは思ってもみなかっただろう。


「ランカスター伯は、ウェルロッド侯の親友であり、ジュディスさんを助けた私にも恩を感じています。きっと味方になってくれるでしょうね」


 アイザックの話はまだ終わらない。


「ブランダー伯爵家は恐らく敵になるでしょう。ですが、その内部は骨抜きにしております。私が良心的な条件で多額の融資をしているという事は、ウィンザー侯の耳にも入っているはずです。義理人情を理解できる者ならば、好き好んで私と敵対しようとは思わないでしょう。一部『ウェルロッド侯爵家を潰せば借金がチャラだ!』と考える者もいるかもしれませんけどね」


 ウィンザー侯爵を味方にするため、一つ一つ有利な条件を話していく。


「ブリストル伯爵家とウリッジ伯爵家は……。言うまでもないでしょう。領地がウェルロッド、ウィルメンテ、ウォリックの三家に挟まれた位置にあります。敵対的な姿勢を見せれば、袋叩きになってしまいます。最悪でも中立的な立場を取るでしょうね。都市一つに農村をいくつかという小規模な領地を持つ貴族達も、どちらが有利かを見極めようとするでしょう」


 動きがわからない者達も「敵になるかも?」と言ったりはしない。

 あたかもある程度は話がついているかのように、堂々とした態度を見せていた。


「さて、ウィンザー侯にお尋ねしたい。これは国内の問題です。外征で新しく領土を得られるわけではありません。では、私は協力者の働きに、どのように応えるべきでしょうか?」


 この質問にはウィンザー侯爵も嫌そうな顔を隠せなかった。

 反乱に協力したとあれば、相応の見返りを与えなければならない。

 それが脅迫で強引に働かせていたとしてもだ。

 そうなると、彼らに報いる手段は限られる。


 ――金か領地である。


 ウェルロッド侯爵家が稼いでいるとはいえ、反乱の協力に報いるだけの資金はないだろう。

 ならば、領地を与えるしかない。

 では、どこの領地を与えるかというと、王家の直轄領か王家に味方した貴族の領地となる。

 これはウィンザー侯爵が味方にならなければ、パイを切り分けられるかの如く、ウィンザー侯爵領が食い荒らされてしまうという事だ。

 つまり「協力しなければ、ウィンザー侯爵家が取り潰されるぞ」と脅されているも同然である。

 ここまで話を考えられていると、今のウィンザー侯爵には、すでに他家との協力関係が築かれているようにしか思えなかった。


「もちろん、パメラさんのご家族を不幸な目に遭わせたいはずがありません。私はパメラさんを手に入れられれば、それでいいとは思っていません。これから先、ずっと私の隣で笑っていてほしいと思っています。彼女の笑顔を奪うような真似はしたくありません。そのためには、家族の存在が重要になってきます。ですので、ウィンザー侯にも私に協力していただきたいのです。私はあなたと戦いたくありません」


 アイザックは、すでに王家が詰んでいる事を伝えてから、ウィンザー侯爵に協力を頼んだ。

 こうする事で彼の良心が痛むのを和らげるためだ。


 ――「すでに王家は詰んでいる。ならば、家の存続を選んでも仕方がない」と。


 この「仕方がない」というのが心理的に大きな影響を与えるのだ。

 選択肢があるように見えて、ない状況を作るのがアイザックの狙いだった。

「家の存続のため、王家を裏切っても仕方がない」と思わせる事ができれば、アイザックの勝ちである。

 だが「家が滅びるかもしれないが、ウィンザー侯爵家は王家に付く」と選ばれれば負けに等しい。

 だから、最後にもう一押しを狙う。


「ジェイソンは、美しい女がいれば簡単に心変わりをしてしまうような男。私は初めて出会った時からパメラさんを思い続け、例え王家を敵に回そうとも妻として迎えたいと願っています。家族として、どちらにパメラさんを託したいと思われますか?」


 最後の一押しは情に訴えかける。

 これにより、ウィンザー侯爵は「パメラのために自分でより良い方を選んだ」という責任が生まれる。

 選択肢を実質的に奪われていたとしても、この選択をさせる事で、ウィンザー侯爵にもいくらか責任を負わせる事になる。

 その責任が後ろめたさを生み、後ろ暗い共通点がアイザックとの仲を深める。

 上司の悪口を言う事で、同僚との連帯感を生むようなものだ。

 特別なものではなく、スケールが大きくなっただけに過ぎない。


 問われたウィンザー侯爵は、頭を抱え込んで悩み始めた。

 もうポーカーフェイスを見せる余裕すらないのだろう。

 ローザも顔を真っ青にしていた。

 だが、パメラだけは顔を赤くし、下を向いていた。


(……あっ、そうか! パメラさんをくださいって言ったようなもんだしな。ほぼプロポーズをしたようなものか)


 ウィンザー侯爵を説得するという事に意識を取られ過ぎていたらしい。

 直接パメラに言っていないものの、プロポーズのような事を言っていた事にやっと気付く。


(この反応を見る限り、パメラも喜んでくれているようだ。全力投球が効いたかな?)


 前世を含めて、アイザックの告白が成功したのは気心が知れているリサだけだ。

 二人目の成功がパメラだったら、どれだけ嬉しい事か。

 ウィンザー侯爵を説得する気ではあったが、パメラを口説くつもりはなかった。

 しかし、よく考えれば「お孫さんをください」と言っているも同然。

 とんでもない発言をしていた事に気付き、アイザックは恥ずかしくなってくる。

 アイザックも恥ずかしさで頭を抱えたいところだった。

 だが、ウィンザー侯爵が頭から手を放したので、悶えている暇などなかった。


「確かに圧倒的に有利な状況かもしれん。しかし、陛下はパメラとの婚約を解消するのを認めたりはしないだろう。大義なき行動は、後々新たな反乱を招く事になるぞ。それをどうする」


 ウィンザー侯爵も悩んでいる。

 ここまで聞いてしまった以上、言質を取られるのを心配する必要などない。

 この話を聞いて、黙っていたら同罪だ。

 とはいえ、エリアスに報告しても信じてもらえるかわからない。


 それに報告などすれば、アイザックに敵対したと思われるだろう。

 せっかく用意してくれた選択肢を自ら潰す事になる。

 ならば、質問をできるだけして、どちらを選ぶか考えた方がマシだ。

 警戒し過ぎて、負け組に付いてしまっては意味がない。

 危険ではあるが、積極的に質問するという一歩を踏み出す事にした。

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