第399話 世の中の不条理
アイザックは最後の仕上げに、ファーティル王国の大使館を訪れた。
――ロックウェル王国の者達を雇う。
しかも、長年ファーティル王国を苦しめたフォード元帥の血縁者まで雇うというのだ。
許可を得る必要はないが、友好のためには一言くらいは説明しておかねばならない。
それに、アイザックには考えがあった。
(ククク、フェリクスはいい仕事をしてくれた。いや、ビュイック侯爵か? いずれ礼はしておかなければな)
フェリクスは、ニコルを襲おうとしたマークと似たような立場だ。
ロレッタの生理的嫌悪感を引き出してくれる。
きっと「フェリクスがいる家には近付きたくない」と思わせられるだろう。
「マークをフレッドに預ければ、ニコルはフレッドを避けるようになる」と、アイザックはジェイソンを説得した。
その言葉を、自分でも利用してみようと考えたのだ。
ロレッタに「諦めてくれ」と言い出す根性のないアイザックにとって、フェリクスは救いの神だった。
「――というわけでして、フェリクス・フォードを雇用する事に致しました。これはファーティル王国の許可を得る必要はない事ではありますが、念のためにお知らせしておきます」
「そうですか……」
アイザックの予想通り、ロレッタの表情は浮かないものだった。
彼女だけではない。
大使やニコラス達も表情に出しこそしないが、心の内では歓迎していない様子が感じ取れる。
(やった、大成功だ!)
さすがに笑みを浮かべるわけにはいかないので、アイザックは心の中でガッツポーズを決める。
申し訳ないという感情を見せず、あえて
これで彼女は幻滅してくれたはずだ。
「ウェルロッド侯爵家としても軍の強化は必須事項。これはリード王国にとっても必要な事です。例え反対されようとも、実行させていただきます」
「ファーティル王国から派遣してもよいのですよ? ロックウェル王国が軍備を解くのなら、我が国もいくらか縮小しても大丈夫でしょう」
「いえ、それはいけません。ロックウェル王国が軍の縮小をするからといって、ファーティル王国まで付き合う必要はありません。秘密裏に軍を編成し、奇襲を仕掛けてくる可能性だってあるのです。当面の間は警戒しておくべきでしょう」
ロレッタの提案は想定済みである。
もっともらしい返事で断った。
「ニコラス達を雇うというのも無理なのですか?」
「それでは経験者を雇って補強するという目的から逸れてしまいます。それに……。最初から部下としてではなく、友人として接していた相手を雇うのは僕にはできません。時には死んできてくれと命じなければいけませんから……」
特にニコラスは又従兄弟なので、厳しい命令を躊躇してしまってもおかしくない。
自然な言い訳――のはずだった。
だが、ロレッタは悔しがったり、悲しんだりという反応をしていなかった。
「さすがはアイザックさんですね」
なにが「さすが」なのだろうか。
彼女の言葉が理解ができず、アイザックは思わず「は?」と答えそうになる。
しかし、相手は一国の王女。
そのような言葉で答えるわけにはいかない。
声を漏らさないよう必死に耐えた。
「エリアス陛下から伺っております。アイザックさんは困難を一身に引き受け、リード王国のみならず、ファーティル王国の事までお考えなのだと。ロックウェル王国の者など信用できません。ですのに裏切られる危険を顧みず、彼らを懐に受け入れようとされています。頭脳だけではなく、度胸も人並外れた大物ですね。恩に着せないようにするところもまた……」
(逆効果だったぁーーー!)
冷たく突き放すつもりが「すべて俺が引き受ける」と男らしい態度を取ったように思われてしまったらしい。
頬を赤く染めて視線を逸らす彼女の姿を見て、アイザックは失敗を悟った。
「いえ、恩に着せないようにするつもりとか、そういうつもりはございません」
「えぇ、そうでしたわね」
ロレッタは「すべてわかっています」と言わんばかりの笑顔を見せる。
(わかってねぇ……)
だが、本気で否定しようにもできない。
それをすれば「嫌ってほしかった」という事にも触れてしまうだろう。
そこはハッキリと言えないので、否定し辛かった。
「もしや、ソーニクロフト解放戦で彼を逃がしたのは、この日のための布石だったのですか?」
「まさか。彼を逃がしたのは、我が軍の実力に不安があったからです。当時は、こんな事になるとは思っていませんでしたよ。本当にギリギリの状況だったというのはニコラスも知っているはずです」
当時十三歳だったので、直接見たかまではわからない。
それでも、家族や家臣から話を聞いていたはずだ。
彼の口から説明させる事で、当時から考えていなかった事を証明しようと考える。
「詳しい状況はわかりませんが、大人達が『酷い損害だった。一歩間違えれば負けていたかもしれない』と話していたのは覚えています。余裕があって見逃した、というわけではなさそうでした」
「そういう事です。何もかも先の事を考えているわけではないのですよ」
我が意を得たりと、アイザックはニコラスの援護に感謝する。
「まぁ! では突然の状況の変化に合わせて、的確な一手を打たれていたのですね。フェリクス・フォードを雇うだけではなく、ビュイック侯爵への対応まで考えられるなんて……。さすがはアイザックさんですわね」
しかし、肝心のロレッタには効果がなかったようだ。
彼女はアイザックのアドリブ力に感心している。
だが、アイザックは素直に喜べなかった。
(恋は盲目っていうしな。それだけ好意を持ってくれているって事か……。女の子にこんな風に思われるんなら、なんで前世で恋人ができなかったんだ? 前世でできていれば大切にできたし、あんな事故だって起きなかったのに……)
――恋人が欲しい時にできず、欲しくない時に好意を向けられる。
世の中の不条理を感じていた。
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世の中に不条理を感じたあとは、感じさせる番だった。
フェリクスにエリアスとの話の結果を話す。
「亡命まで認めていただけるというのですか?」
「働き次第ではね。リード王国の伯爵として認められなくても、家族を連れてくるのなら、普通に暮らしていけるだけの報酬は約束できるよ」
「どの程度の働きをすれば認めていただけるのでしょうか?」
フェリクスは、ロックウェル王国を出て行きたいとは考えていない。
だが、それは個人としての話である。
自分自身が責任を取れば済むのなら、家のために身を差し出すだろう。
実際に差し出した。
だが、ソーニクロフト解放戦の真実が知られた時、フォード伯爵家がどういう扱いをされるかわからない。
家の存続を考えるのならば、国外に出る事も考慮しておくべきだろうとはわかっていた。
まず条件を聞いておくべきだろうと考えていた。
「軍の規模を衛兵だけに抑えると言っても、六万ほどの兵を三万とかにはできないでしょう。国内が混乱したあとなので、四万は残すはずです。となると、二万人の兵士を率いる部隊指揮官が職を失うと考えれば……。どの程度の人数がいると思いますか?」
ロックウェル王国軍の構成を知らないので、アイザックはフェリクスに尋ねた。
どの程度の人数が浮くかで、ノルマも決めるつもりだった。
「百人程度の兵を率いる指揮官がお望みでしたね。……二万の兵を減らすとはいえ、単純に二百人とはいかないでしょう。一部隊の人数を減らしてでも、部隊長は残そうとするはずです。それでも百人前後は職を失うと思われます」
「なら、最低でも二十人程度は確保したいところですね。多ければ多い方がいいですけど。その他、より大規模の部隊を任される指揮官や、そういった部隊指揮官を補佐できる幕僚のような者達もいればベストですね。くれぐれも、将軍クラスの引き抜きはやめてください。お爺様が外務大臣なのに国際問題を引き起こすつもりはありませんから」
「はっ」
――部隊指揮官二十名。
一見難しいノルマのようだが、フェリクスには簡単そうに感じられていた。
百人程度の部隊指揮官なら、平民出身の者が多い。
そういった者達は、名誉や家の存続などよりも家族を食わせる事を優先させる。
好待遇で雇われるとわかれば、あっさり国を捨てて移住するはずだ。
フェリクスは、自分の前に置かれた書類に目を落とす。
それは、リード王国の大きな商会の名が記された手形だった。
――額面一億リードの手形が六枚。
一枚はフェリクスのもので、残りの五枚は指揮官の買収資金だった。
現金を運ぶのは大変なので、この手形を使ってロックウェル王国で現金化する。
フォード伯爵家はロックウェル王国の貴族の中でも裕福な方だったが、フェリクスもこれだけの額面を動かした事はない。
それをあっさりと渡すアイザックの事を、彼は理解できなかった。
「これだけの金額……。私が家族を連れて、ファラガット共和国などに亡命すると思われないのですか?」
ロックウェル王国には、アーヴィンとハキムが秘書官や部下を連れて同行する事になっている。
だが、それでも逃げ出そうとすればできる。
アイザックがあまりにも不用心過ぎるので、心配して聞いてしまった。
「その程度の金で満足するような人なら、家臣には必要ない人だったという事です。同行させた者達に危害を加えなければ、それはそれで仕方なかったと受け入れますよ」
アイザックの返答は、あっさりしたものだった。
しかし、これは彼なりの計算である。
金に困っていないとはいえ、六億リードはアイザックが受け取っている貴族年金の六割。
精神的なダメージは大きい。
とはいえ、フェリクスにそれを正直に話す必要はない。
大物ぶって、余裕のあるところを見せようとしているのだ。
「本気で持ち逃げしようと考えられているのですか?」
「まさか! 聞いてみただけです」
フェリクスは必死に否定する。
「金に目が眩む」というのは不名誉な事だ。
フォード伯爵家の家名を守りたいのなら、名誉を守るのも重要である。
本当に金を持ち逃げしようなどとは考えていなかった。
「なら結構。家族を連れてきたければ、ギャレット陛下にリード王国で起こった事を説明し『エンフィールド公に信用されるために家族が必要です』とでも言っておけばいいでしょう。本気で仕える姿勢を見せるというのは悪い事ではありませんからね」
フェリクスは心の中を見抜かれたような思いだった。
アイザックは、フェリクスが家族を国外に連れ出す口実まで用意してくれた。
確かにそう言えば、ギャレットは信用してくれるだろう。
ロックウェル王国への忠誠を見せておけば、国に帰りやすくなるかもしれない。
この時、フェリクスに大きな疑問が心中に芽生えた。
「もし……。もし、あわよくばエンフィールド公を裏切ろうと思っている者達を集めてきた場合はどうされますか? 表向きは忠実に仕えるフリをしていれば、判別は難しいと思うのですが……」
「困りますね」
「それだけなのですか?」
「裏切られたら痛いと思うだけですね」
この質問にも、アイザックはあっさりとした返答をするだけだった。
フェリクスが戸惑っているのを見て、アイザックは理由を説明する。
「ノーマンやマット、トミーといった者達に裏切られたら悔やみます。なぜ彼らが裏切る前に、そこまで思い詰める前に気付いてやれなかったのかとね。でもあなたは違います」
「仕えて日が浅いからですか?」
「日にちは関係ありません。立場の違いです」
アイザックはフェリクスの疑問に答えるため、ハッキリとした事を伝えておこうと思った。
「フェリクスさん。あなたは犬に手を噛まれたら痛がりますよね? その時、本気で悔しがりますか?」
「いいえ、虫の居所が悪かったのだろうと思うくらいでしょう」
フェリクスの返事を聞き、アイザックはうなずく。
「その通りです。犬に噛まれたくらいで悔しがりません。では今のあなたはどのような立場か? 僕は飼い主に捨てられた事に気付いていない捨て犬だと思っています」
「それは――」
フェリクスが反論しようとするのを、アイザックは手で制した。
「僕は恩に報いるのが忠義だと考えています。今のあなたはロックウェル王国から恩を受けていません。その事に気付かず、国のために身を尽くすというのなら、怒りでも悔しさでもない。憐れみを覚えるでしょう。そんな相手に裏切られても悔しがったりしません。受けた被害分は痛いでしょうけどね」
「なるほど……」
(まいったな。先手を打たれたか)
フェリクスは失敗したと後悔する。
アイザックの言葉を聞いていなければ、将来どうなるかわからないのでロックウェル王国に忠誠を誓う者達を集めていただろう。
いつか戦争になったりすれば、アイザックを暗殺してもいい。
だが、先に釘を刺されてしまった。
それも最悪の形で。
ここまで言われてしまえば、アイザックを裏切るわけにはいかない。
フェリクスにもプライドがあるからだ。
それに、アイザックの言葉にも一理ある。
――先に国に捨てられたのに、なぜ忠義を尽くすのか?
フェリクスは国に忠義を尽くす事に疑問を持たなかった。
それが当たり前の事であり、疑問を持つような事ではなかったからだ。
だが、アイザックに言われて疑問を持ってしまう。
「なぜ生け贄にされてまで、王家に忠義を尽くす必要があるのか?」と。
国のため、家族のためだと思っていたが、国には裏切られた。
家族はアイザックが引き受けてくれるという。
益々、どちらが味方なのかわからなくなってしまう。
それに「忠犬」と呼ばれるのであればともかく「犬」と蔑まれるような生き方はできない。
フォード伯爵家の誇りを守るのなら、アイザックに忠誠を誓い、精一杯働きを見せる方がいいようにすら思えてくる。
「私の……、私の能力はどう思われているのでしょうか? 人脈だけ使えればいいと思っておられるのでしょうか?」
だからこそ、アイザックが自分をどのように評価しているのか気になった。
本気で必要にされるには、まずは自分が行動で示さねばならない。
その事はわかっていたが、現段階での評価をどうしても知りたいと思ってしまったのだ。
「能力はかなりの高水準だと思っていますよ。ソーニクロフトから撤退する時、軍を上手くまとめていたでしょう? フォード元帥が戦死となれば、兵士の士気が下がって脱走してもおかしくありません。ですが、脱走兵がファーティル王国内で野盗になっているという話は聞いた事がありません。あの状況で脱走兵を出さずに撤退をやり遂げたという点だけでも、一流の指揮官として評価できるでしょう」
「高く買っていただけているのですね」
「だから、マット達の指導をお願いしたんですよ。使い物にならないと思っている者に任せる仕事ではないでしょう?」
――アイザックに高く評価されていた。
その事実が、フェリクスの心を大きく揺さぶる。
真面目に命令を実行しようと思い始める。
「真剣に人材登用に動いた場合、ロックウェル王国から横槍が入るかもしれません。説得した者に『リード王国には行くな。国に残れ』と強制される可能性もあります。その場合はどうすればよろしいでしょうか?」
「そんな場合に備えて買収資金を渡しているのですよ。契約書を交わし、支度金を渡してください。それで僕の配下になったという証明になります。もし仕官が決まってから邪魔をしてくるようなら、リード王国の大使に相談してください。抗議してくれるでしょう」
「ですが……、ロックウェル王国の民をロックウェル王国がどうしようが勝手だと言われる可能性も……」
「そのために、コリンズ伯から言質を取ったのではありませんか」
「あっ!」
フェリクスは、コリンズ伯との会話を思い出した。
――本人の意思で働いている場合はリード王国の法が適用される。
――それらに関しては締結した条約を批准する。
あの時は自分とコリンズ伯を驚かせるための芝居だと思っていたが、引き抜きのための布石だったとまでは考えていなかった。
アイザックの用意周到さに舌を巻く。
「政と軍のトップのみならず、エリアス陛下の前で大使が公言したのです。覆す事などできません。公の場における大使の言葉は、ギャレット陛下の言葉と同じ重さを持ちますからね」
落ち着き払ったアイザックの言葉を聞き、フェリクスは動悸が激しくなる。
(そうか、なぜ文官の先代ウェルロッド侯を襲撃したのかわからなかったが……。こういう事だったのか)
戦場ならともかく、政治の舞台では勝ち目がない。
――たった一つの失言から、国を滅ぼされる。
こんな恐怖を感じてしまえば、つい暗殺にも手を出してしまうというもの。
名将と言われた曾祖父が、なぜ文官のジュードを襲わせたのかが初めてわかったような気がした。
だが、同時に喜びも感じていた。
これほどの大物に必要とされているのだ。
「この人の下で自分の力を試してみたい」という思いがこみ上げてくる。
ロックウェル王国にいた時には感じなかった思いだった。
――仕えていた主君に評価されず、母と曾祖父の仇に評価される。
フェリクスもまた、世の不条理を味わっていた。
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